2026年07月02日

写真は楽しい



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富士写真フィルムが、7月1日に「写ルンです」のモノクローム版(左)と防水版(右)を発売しました。メーカーによると、若い人たちはフィルムカメラで撮影してプリントができ上るのを「特別な体験」として求めているらしい。私たちの世代はその「特別な体験」が生まれつきだったし、デジタルカメラに慣れるのが「特別な体験」だったので面白いなと思うのです。

子どもの頃、カメラは一家に一台のぜいたく品でした。それを修学旅行などがあると借りていって、写真を撮ります。いまでは考えられないことだけど、何日かしてカメラ屋さんにプリントを受け取りに行くと、親父さんが一枚ずつ評価してくれました。「うん、これはよく撮れたね〜」とか「これは惜しいな、ピンぼけになっちゃった」とか。モノクロのサービスサイズでも、やはり高価で非日常的なものだったのでしょう。何しろ手作業で、一枚ずつ引き伸ばしていたのですから。

被写体や構図がどうだとか言う以前に、手ブレせずにピントも露出も合ったシャープな写真が撮れる。そのフィルムを現像して、印画紙に引き伸ばして、写真として人に見せることができる。それだけで特殊技能だったのです。私の父は写真が好きで、小さな暗室を家に作っていました。そこで自分でもフィルム現像や、引き伸ばしをするようになりました。大学時代は実験心理学から落ちこぼれて、写真部の暗室にこもっていました。もちろんモノクロで、カラーなど高嶺の花でした。

就職して結婚して子どもが生まれて……というライフサイクルに入ったら、とてもではないけど写真を趣味にはできませんでした。家にモノクロ用の暗室を造るゆとりなどないし、かと言ってカラーで引き伸ばしを人任せにするのは面白くありません。カラー現像を自分でしちゃう剛の者も世の中にはいるようですが、現像液の温度管理がシビアでマニアックな世界です。それにお金も大変です。

同級生が引退する年代になり、自分もスクールカウンセラーの仕事を手放すことにしたのが、転機になりました。20年以上も学校で頑張ってきたのですから、ちょっと記念になるものを買いたいと思ったのです。車は動けば良いので満足しているし、オーディオも音は決まってしまったし、何かを生み出してくれるものではない。だったら、カメラはどうかな……と思いつきました。仙台のヨドバシカメラに行ったのが運の尽き?で、学生時代の愛機だった「オリンパス OM-2」の系譜を汲む、「OM-1 mkU」を買ってしまいました。

ちなみに、いま日本でデジタル「写真機」を作っているのは「OMデジタルソリューションズ」(旧オリンパス)と、富士写真フィルム、それにペンタックスとリコーです。もちろん動画も撮れますが、使い勝手の軸足は静止画に置いています。どうやらソニーとパナソニックは動画に軸足を置いており、二大ブランドのニコンとキヤノンはハイブリッドのようです。

いずれカメラだけあっても、写真にはなりません。みんながスマホで撮って「イイネ」をつけているのは、画像であって写真ではありません。画像に「イイネ」をつけるのは1秒あれば十分ですが、足を運んだり手に取ったりしてあれこれ思うのが写真です。昔の人間だと思われるかもしれませんが、「写ルンです」の「特別な体験」とは、そういうことだと思うのです。

私も初めのうちは、人なみにお店でプリントをお願いしていました。インクジェットプリンタで写真にできることは分かっていましたが、「プリンタ」に良い印象がなかったのです。色が変になる、紙詰まりする、スジが入る、ノズルが詰まる……と、「マトモに動かないキカイ」だと思っていました。ところがくたびれ果てた複合機(スキャナーつきでコピーもできる)を、写真も意識した6色タイプに入れ替えたところ、「文明開化」の進化を感じました。色は十分にきれいだし、ノートラブルです。これでやっと、写真を自分で楽しむ環境が整いました。


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これだけ「画像は写真じゃない」とか言っておきながら、画像をお見せします。カメラの高感度ぶりを確かめようと、車で数分の田んぼに向かいました。街灯もない真っ暗な道は、何しろクマが怖いんです。三脚を立てるのも気が退けて、一脚を使って撮影しました。タイトルは「田に映える」か、「クマの恐怖」か。プリントしておけば、見るたびに「アホなことやってたなあ」と思えますね。
posted by nori at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2026年05月31日

バラが咲きました

今年は5月とは思えない暑さになっています。庭のバラも早く咲き始めました。毎日のようにマクロレンズ(近寄って撮れるレンズ)をカメラにつけて庭に出ていますが、咲き加減や光の状態、風など、色々な条件が重なってくると、撮影も奥が深いです。



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(花びらが開ききっていない方が、きれいに見えます)




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(アイスバーグという品種です。愛好家の方から、苗を譲っていただきました)



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(ミニバラです。これは自分でも良く撮れたと思います)



まだバラの季節は続きます。
貪欲や争いから解放されて、世界が平和になりますように。
そんなことを思わざるを得ません。


posted by nori at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2026年04月17日

「捏造実話」にご注意

インターネットのブラウザを開くと、たとえば「70歳元大企業役員、左うちわのはずが……」なんて、「思わぬ落とし穴」を読ませるような記事の見出しが出ませんか? 貯金と年金で十分な老後の資金があると思っていたら、奥さんが投資に手を出して大赤字を出していたとか。奥さんが「もうあなたのために食事を作るのは、飽きたから」と個食の暮らしになったとか。そして「貯金の通帳を見るくらいはしましょう」とか、「男でも料理を憶えて、たまには家族に美味しいものを作ってあげましょう」とか、陳腐な教訓? で結ばれる。

こういう情報? は間違いなく、ストレスになっていくことでしょう。だれもが安心できる暮らしを、望んでいるからです。ただでさえストレスになるようなニュースが多いのですから、無防備にインターネットをのぞいているとストレスてんこ盛りになります。

私とて仕事柄ということもあるし、人なみの野次馬根性もあります。ついクリックしていくつか読んでいるうちに、どれもこれも同じ構造になっているのが見えてきました。これはいかにも実際にあったような話を作り上げて、だれにもある不安を刺激して、滞留時間を稼ぐ手法です。もう「Aさん(仮名)」のような、取材をしたよかのような言葉はありません。「取材してないでしょ」と言われないように、予防線を張っているとしか思えないです。

私はいまの日本では詐欺が産業化していると思っているのですが、これも詐欺産業の類ではないかと思います。不安を植えつけられて、余計な商品やサービスに手を出すようになったら、ヤツらの思うつぼでしょう。もしかしたら、この手の記事を専門に請け負っているライターがいるのかもしれません。良いことをして人に喜んでもらう、その楽しさを知らないのかもしれません。最悪なのは、広告代理店だか何だか知りませんが、広告業界なんでしょうね。

カネのためなら、人を不安にしても良い。ダマしても良い。盗んでも良い……殺しても良い。になっていくのではないでしょうか? いまの戦争も、エゴの行きついた先のように感じます。まずわたしたちにできることは、「捏造実話」のタイトルを見てもクリックしないことです。だれも相手にしなくなれば、自然消滅していくでしょう。広告を「良いもの、楽しいもの、間違いのないもの」と捉えがちな消費者にも、責任の一端はあると言えるでしょう。
posted by nori at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2026年02月14日

東畑開人 「カウンセリングとは何か」(講談社現代新書)



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写真のように帯がかかっていると、易しそうな感じがしますが中身は400ページを超えるボリュームです。この手の本が売れない時代に初版で7万部が売れて、先日は「新書大賞」を受賞したそうです。私は何度か書店で手に取りましたが、買うのをためらっていました。まだ読んでいない本が、何冊もたまっているからです。それでも買ったのは、「業界の人間として無視するわけにもいかないだろうな」という思いです。この本を読んでから相談室に来てくれる人も、いることでしょう。そしてカウンセリングについて話をする時の、素材になってくれるかもしれません。

カウンセリングとは何か、あるいは心理療法とは何か、それはこの仕事に携わっているものなら、ずっと追及し続けるものです。しかしクライエントは一人ずつ違いますし、同じことは二度と起こりません。私も10年、20年、30年……と40年も経ってしまいましたが、分かったと思ったらまた分からなくなります。その分かり方も、年数を経るごとに違っていきます。だから真正面から「カウンセリングとは何か」と題する本は、たとえ頼まれても書けないと思います。

私も「カウンセリングとは何か」をクライエントと二人で話すとか、授業で学生とディスカッションするとかだったら、何のためらいもなく話せることでしょう。でも一般書で「カウンセリングとは何か」と題してしまうと、業界は一家言をもった人たちばかりなので、何を言われるか分かったものではないです。「カウンセリングへの招待」ではなく、「カウンセリングとは何か」と題した東畑さんの勇気は讃えられて良いと思います。

いまや「カウンセリング」の概念は、無限大に広がっています。5分間の問診も、セールストークも、「カウンセリング」と呼ばれることもあります。そして心理療法もさまざまな学派があり、それぞれの優劣を競った時代もあり、いまは「統合派」や「折衷派」が大多数を占めているように見えます。認知行動療法も拡散していって、「第三世代」になってマインドフルネスまで取り入れるようになりました。心理療法をしている人だったら、もうだれでも「認知行動療法」を名乗れる気さえしてきます。

「こういう人には、〇〇療法が向いている」とか、「〇〇療法の特徴は……だ」とか、そんなマニアックな話は人々にとってはどうでも良いことです。自治体や企業でも、カウンセラーを入れるところが増えてきました。自分の子どもがスクールカウンセラーのいる学校に通っていたり、もしかしたら自分もカウンセリングのお世話になるかもしれないと思ったりする、そんな立場の人たちにとっては「一体何をしてくれるの?」ということになるのです。そんな社会的なニーズに応えているから、これだけの反応が起きているいるのではないかと思うわけです。

わたしたちは、クライエント個人に対しては、介入についての説明責任を負っています。だから「どうしてあの時、あんなことを言ったのか」については、答えるだけのものを持っているはずです。しかしカウンセリングという営み全体についての、説明責任はありません。むしろその責任を果たすのは、カウンセラーの養成をうたって学生を集めている大学であったり、あるいは資格認定協会や職能団体などの「公」の領域でしょう。

もちろん「カウンセリングとは何か」は「公」の領域の人たちも、説明はしているはずです。しかし通り一遍の定義だけでは、ユーザーの心には届きません。定義には「謎」が含まれていないからです。東畑さんは個人的な「謎解き」としており、業界を代表して説明責任を果たしているつもりなどないと思います。でも、まだ40代の東畑さんの「謎解き」の本が、これだけの反響を呼んでいることを、いま「公」の領域にいる人たちは認識する必要があるでしょう。その上で「カウンセリングとは何か」を、社会全体にアピールしていくことで、「公」の存在価値も高まっていくと思います。

わたしたち60代、70代の業界人が、東畑さんを「若いのに生意気だ」的な目で見てしまうとしたら、それはちょっと残念かなと思います。「若いのに生意気でない人」よりは、「若いのに生意気な人」の方がよほど頼もしく感じます。これは一般書ですが、業界の人たちこそ読むべきかもしれません。「これは、ちょっと違うんじゃないの?」という突っ込みどころは、それぞれ湧いてくると思います。しかし語られなかった空白に投げ込まれたものは、丁寧に扱っていった方が良いと思うのです。
posted by nori at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理学の本棚

2026年02月04日

レオ・レオーニと仲間たち

岩手県立美術館で、「レオ・レオーニと仲間たち」展が開かれています。
https://www.ima.or.jp/exhibition/temporary/20260117.html

レオ・レオーニ(1910〜1999)と言えば、絵本の「スイミー」や「じぶんだけのいろ」で有名ですね。祖父の代からオランダのダイアモンド産業に関わる裕福な家庭で育ち、親戚には絵画コレクターもいて、美術への道が開かれていたようです。アメリカに移住して商業デザイナーとして成功したこともありますが、イタリアに住んでいた時はファシズムに抑圧されて、苦しい思いをしたようです。華やかな成功の裏には、「自分とは何者か?」という問が常にあったそうです。

絵本の原画から、立体造形、芸術作品まで、レオーニの全貌を展示しています。


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当日は、写真撮影も許可されていました(フラッシュなど、NG条件あり)。私がとくに目を惹かれたのは、「平行植物」と題された、ちょっと不気味な絵画作品と立体造形です。レオーニはユダヤ系のために圧迫されていたし、社会正義を求めた風刺画でマッカーシーの「赤狩り」に目の敵にされていたことがあり、さまざまな人々が多様なままに共存する世界の実現を訴えたかったのではないかと思います。


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会場では自由にコラージュ(切り貼り)できる共同制作のコーナーもあり、親子連れで楽しんでいる人たちもいました。3月22日まで開かれているので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
posted by nori at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2025年12月15日

「第九」の演奏会

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岩手県は四国と同じ広さがあると言われていますが、久慈市は北部の沿岸にあって、ほとんど行く機会がありません。車で出かけるとなると、高速道路を使っても片道で2時間はかかります。琥珀をが名品として知られていて、音楽ホールも「アンバーホール」の名前がついています。

12月14日に茂木大輔さんの指揮、仙台フィルハーモニー管弦楽団、4人のソリスト、地元の声楽家、市民合唱団の人たちによってベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されました。それに先立って演奏された「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)ではバンダ(ステージ外での演奏隊)では、中学生を含む地元の人たちも器楽で参加しました。

当日は降雪に見舞われて、前売り券を買っていなかったら、あきらめたかもしれません。プロの指揮者、ソリスト、オーケストラを迎えてのコンサートでS席で3000円というのは破格で、久慈市が市制20周年記念で開催したからできたことでしょう。私は日曜日にやってくれる演奏会がなかなかないので、とにかくありがたかったです。指揮者の茂木さんは長らくN響でオーボエを吹いていた方で、エッセイを読んで興味を持っていました。

楽章の間で拍手が起きたりするので、客席にはふだんクラシック音楽を聴いていない人たちも多かったと思います。出演者の家族とか、応援で来ている人もいたことでしょう。それが身内で固めたような感じではなくて、アットホームな雰囲気になっていたのがとても良かったと思います。プレトークでは茂木さんの作品にかける思いが伝わって来たし、何キロか痩せるんじゃないかと思うくらいの指揮ぶりでした。

わたしはオーケストラやソリストの演奏をどうこう言えるほど、クラシック音楽には詳しくありません。何年も訓練を重ねて、狭き門をくぐって来た人たちなので、素晴らしいに決まっているとしか思えません。ただ録音で聴くと合唱が弱いと感じる演奏もあるのですが、当日はプロのオーケストラやソリストに負けない合唱隊が圧倒的でした。

「第九」は年末の恒例行事になっている感がありますが、平和の尊さを歌い上げることに意味があると思います。それを作曲者のベートーヴェンと、指揮者、オーケストラ、ソリスト、合唱隊、聴衆と、全員で共有できる一体感はコンサートでないと味わえません。みなさん、ありがとうございました。
posted by nori at 13:12| Comment(2) | TrackBack(0) | メンタルヘルス