2010年02月06日

面白いほど滑らない

 今年は暖冬との予報でしたが、ここ数日は寒い日が続いています。ツルツルに凍った道は、歩くのも容易ではありません。私も何度か尻餅をついて、痛い思いをしたことがあります。東北では冬は転ぶのが怖いからと、家の中でじっとしているお年寄りもいらっしゃるようです。

 ところが「階段を降りる時に、上の段の足のかかとを浮かせないで、下の段の足をつま先からゆっくり着く」降り方ができるようになると、凍った道でも滑らないで歩けるのです。考えてみれば当たり前のことで、残る方の足が最後までしっかりついているので、もう片方の足を前に出しても滑らないのです。足首と膝と股関節を、柔軟に使えると、できるようになります。
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2010年01月24日

寒鮒釣りの跡?

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近くのため池には、ヘラブナがいます。おそらくは釣り人が氷を割ったのでしょうが、水面に映る空が良い感じでした。
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2010年01月21日

餃子の母

<郷里の方言、丸出しです。「せう」は「言う」、「おっかさ」は「おっかさん」、「来てくんなる」は「来てくださる」です>

帰省して珈琲店のカウンターに腰を下ろしたら、懐かしい人が隣にいました。ご亭主と二人で、何十年も餃子の店をやってきたおばちゃんです。私が子どもの頃、父親も常連でした。何とも香ばしくて、お土産の餃子は楽しみでした。その味と同じくらい有名だったのが、おばちゃんの「口」だったようです。店に入ったら「おう、たまに顔見せたと思ったら、(時間が)ちょっと遅いねっか」と言われたと、父親が苦笑いしていました。客は「あすこのおっかさは、本当に口が悪い」と言いながら、かまわれるのを楽しんでいたようです。

仕事についてからそのお店に立ち寄るようになり、ご夫婦の鮮やかな手並みにはびっくりしました。おばちゃんが小麦粉をこねた玉を長く延ばして、包丁でトントンと短く切ります。それを一個ずつ小さな棒と手で丸のすと皮になります。その皮で餡をくるんでいくのですが、とにかくその速いこと。そしてご亭主が焼いていくのですが、お二人とも酔客の相手をしながら、寸分の狂いもなくこなしていくのが見事でした。

そのうち、お店はいつのぞいても閉まっているようになり、私も岩手に引っ越してしまいました。なのでおばちゃんとの会話を、「お店閉めて、どのくらいになりますか?」から始めてしまいました。

「それが、やってんのよ。金曜と土曜だけ。他の日は閉めてるから、死んだんだろうとか、つぶれたんだろうってせってなる人もあるようだけど。お客さんが私たちに死ぬなって。300歳まで生きれなんてせわれて、バカ野郎、それじゃお前の方が先に死ぬだろ!なんてね」

「これは失礼しました。子どもの頃に親父がお土産に持ってきてくれて、それから自分でもおじゃまするようになっていたから、気になってたんですけど。おじいさん、お父さん、お孫さんとと三代で通ってる人も、いるでしょう」

「うーん、いっぱいいるよ。その孫も結婚してたりしてね。ありがたいことだわね。そうやって来てくんなる人がいるうちは、続けようと思って。そのくらいだったら、金曜と土曜でいいやってね。店を開けるのは週に二日でも、仕込みがあるから三日から四日の仕事になってるんだけどね」

「だからって、金曜と土曜だけやってますって、お店の前に出しておくわけでもないんだよね」

「そうそう、分かってる人だけ来てくれれば、それでいいんだわ。だって私、自分のためにやってるんだから。あのね、人の為って書いて、偽(ニセ)って読むんだからね」

「でもあとを継ぐ人は、いないんですか? 弟子入りしたいとか、言われませんか?」

「この頃は、いないね。一人ではできないしね。一番信頼できる人と一緒でないと、無理。だから、お前にはそういう人いんのかって。定年してから始めたいって人もいたけど、年を取ると舌はどんどんダメになるからね。私らみたいに、若いうちに味をおぼえたのとは違うから、難しいんだわ」

「もったいないな。あの味を受け継ぐ人がいいないのは。実入りだって、いいでしょう」

薄給とその他諸々に耐えながら、郷里の精神病院で働いていた頃です。いっそのことここに弟子入りでもした方が良いかな、とぼんやり考えたことがありました。メニューは焼餃子と、水餃子のような「餃子ワンタン」だけ。客はカウンターで餃子をつまんで軽く飲むか、飲んだ後に餃子ワンタンでしめるかで、とにかく回転が良いのです。もっともおばちゃんは長っ尻の酔っぱらいが嫌いで、

「ほらあ、お前がそこに座ってると、次のお客さんが座らんないから、もう帰れっ。そんだけ飲めば、もう沢山だろ(笑)」

と追い返していましたが。餃子をお土産にしたり持ち帰る人もいたし、晩ご飯のおかずに買いに来る人もいたので、なかなか良い商いになっているように見えました。

「実入りはいいよ。でもうちの子どもだって、やだって言ってるからね。この手見てごらん、私の手」

おばちゃんの手は、変形しています。親指の側面にこぶができているし、人差し指から小指にかけては第一関節の皮膚が薄くなっています。仕事一筋に生きた、職人の手です。

「こんなになってるけどね。寝る前には、今日もありがとうねって声をかけて、手をもんでから寝るのよ。子どもが学校に行ってる時分には、ママさんバレーに出てくれないかとか言われたけどね。ごめんね、私の手はブリジット・バルドーのおっぱいと同じで保険かかってんのよう、なんて言って勘弁してもらっていたんだわ」

「あの餃子の作り方は、ずっと同じだったんですか?」

「そうじゃないの。同じようだけど、少しずつ変わっていたのよ。うちんのが食ってみろみたいな目つきで寄越したのを、味見してね。それでこの方がうんまいとなれば、今度からそうするって感じでね。こないだ中国の人が来てったけど、向こうの餃子と全然違うって、びっくりしてた。日本人は口が贅沢だから、できるだけうんまくしていかないとダメなんだって、そうせった」

「へえ、そうだったんだ。軌道に乗っちゃうと、もう変えようとしないお店もあるんだろうけど。ずっと改良を続けていたんだ」

これでなくては、いけません。お客に美味しいと言われて慢心していては、だんだんにレベルが落ちていってしまいます。それはどんな仕事にも、言えることではないでしょうか。

そう言えば昔のことですが、見よう見まねで、皮から餃子を作ってみたことがありました。でもその皮が固くて粘りもなくて、どうみても美味しいとは言えませんでした。

「あの皮は、小麦粉は何を使うんですか?」

「強力粉。だけど一番良いものを使ってるんだわ。それでないと、もちもちした歯ごたえにならんからね。酢でも醤油でも何でもだけど、うちで仕入れてるのは、一番良いものを使ってる。餡もちゃんと、寝かせないとね。そうやって最高のものを作って、お客様に失礼のないようにしてるの。わりぃのは、私の口だけだってせってんだわ、はっはっ」

ここまで打ち込んでいても、大方の客はそんなことは知る由もありません。焼きたての餃子をほおばってビールを一本あけて、好きなことをしゃべって、おばちゃんにやっつけられて帰っていきます。もっとも飲み屋街のど真ん中なので、タチの悪い客だっています。

「ヤクザがさあ、店の入り口の方で騒いでたんだわ。私がわーわー言うもんだから、このおっかさを黙らせれって息まいてね。うちんのはただニタニタして、何にもできないから、警察を呼んだんだわ。この人がここにいると、中のお客さんが帰れないから外に出してくれって」

こういう時にはたいてい、女の人の方が度胸がすわっているようです。おばちゃんは鉄火ですが、ご亭主は温厚な人柄でにこにこして冗談を言っていました。ただいつ行っても一杯きこしめしているようで、チビチビ飲みながら餃子を作っていました。ただの呑ん兵衛の域を越えて、病気になっているのかもしれません。酔っぱらいを追い返して飲ませないようにしていたのは、ご亭主のことがあったからかもしれません。

「私なんかねえ、本に書かれるくらい色んなことあったわね。ただ頭わりぃから、本も書かかんないけどね、はっ、はっ。もう薄情が一番だね、薄情が。飲むだけ飲んで、早く死ねってせってるんだわ」

こんな言葉も飛び出しました。病気で飲んでいる人は、自分で飲酒をコントロールすることができません。まして家族がコントロールすることもできないし、コントロールしようとするのは回復につながりません。ご本人が自分で止める気になるには、「薄情」が一番なのです。おばちゃんは、経験の中からつかみとったのでしょう。

「私はねえ、今が一番幸せ。好きに使える時間はあるし。金だってそんなにかからんくなったし。戦争が終わってからしばらく、ろくに食べるもんがなかったんだもん。野草を取って食べたもんさ。だから昭和ひとケタって、強いよ。戦中、戦後のことを思えば、何だってできると思うから」

「店を始めてからだって、いつだってどうにでもなると思ってた。だって身体ひとつ持ってけば、住み込みで働く先があったからね。今の人が気の毒なのは、働くのにも住まいを自分でなんとかしんけりゃいけんからね」

そう、「おばちゃん」は昭和ひとケタで、けっこうなお年なのです。それでも週に二日とは言え、カウンターの中で立ち仕事をしているのです。

「この歳まで生きることできて、親には感謝してるよ。親の恩と、先生の恩と、親方の恩と、この三つの恩を忘れるようじゃダメなんだ。まあこの手が動かんくなったら、店も辞めようと思ってるけどね。動く間はやってるから。今は不景気で、なかなか出て来らんないって、皆さんせってるけど、たまに気が向いたら来てみてくださいね」

元気でお店を続けて欲しいものです。また行くから。
posted by nori at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2010年01月06日

投影法と質問紙法

 ロールシャッハ法のようにあいまいな刺激に反応させる心理テストは、投影法(Projective Test)と呼ばれています。他にTATやSCT(文章完成法)、描画テスト(バウム・テスト、風景構成法etc.)などがあります。これに対して具体的な質問への回答を、標準化されたデータをもとに解釈するのが質問紙法です。代表的なものにMMPI(ミネソタ多面人格目録)、Y−G性格検査、TEG (東大式エゴグラム)などがあります。

 まず投影法と、精神分析で言う投影は区別しておく必要があります。投影とは自分で抱えておくことができない無意識的な感情や葛藤を、他者が持っていることにしてしまう防衛です。本当は自分が怒っているのに、その怒りが外側に体験されて、「怖い目でにらまれる」と言うのは投影の働きです。ロールシャッハ法でこの投影が見られることもありますが、それを調べるためのテストではありませんし、そもそも投影と言う精神分析の概念を用いないテスターもいます。 

 さて投影法は質問紙法よりも、無意識的な情緒や葛藤を明らかにする、とされてきました。その根拠は、精神分析の理論によっています。「乳幼児は言葉が発達していないので、視覚的なイメージで蓄積された体験が無意識化している」と言うことです。これに対して言葉のやり取りである質問紙法は、防衛機制の発達とともに獲得した言葉で加工さたものしか出てこない、と言うわけです。これは少々強引な理屈に見えますし、ことさらに「ロールシャッハで無意識を明らかにする」みたいな構えは、ない方が良いだろうと考えています。

 ただMMPIは別として、ほとんどの質問紙法が被験者の判断力や、作為のない受検態度を前提にしているのに対して、投影法にはそのような前提が不要です。被験者の判断力・表現力の欠損や検査状況の理解度、作為などが見えてくるので、たとえば精神疾患の患者さんにも適用できるのです(それもテスターの主観的な判断に頼っている、と言われてしまえばそれまでですが……)。
posted by nori at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理アセスメント

2010年01月01日

本年もよろしく

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新年を迎え、皆さまいかがお過ごしでしょうか。わたくし虎猫のチャーリーが、トラに成りかわりましてご挨拶申し上げます。



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とは言っても、何しろヒーターの上というのは眠くなってくるものでして……。




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これにて、失礼いたします。




posted by nori at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | にゃんころじい

2009年12月31日

年の瀬になって

 国家資格化の話が揺れています。すでにネットで話題になっています裕's Object Relational World。もちろん私も無関心ではありませんし、自分にできることは何とかしなければと考えています。

 これから若い人たちに道を譲っていく人たちが、若い人たちのことよりも、自分のことばかり考えているようではいけません。私自身、自戒しなくてはいけない年代にさしかかってきました。「金を残して死ぬのは下、仕事を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのは上」とは、「大風呂敷」とも揶揄された岩手が生んだ政治家、後藤新平の言葉です。私たちはこれから、どのようにしたら「人を残す」ことができるのでしょうか。

 私たちがよって立つところは、結局は理論でも技法でも資格でもなく、自分のことはさておいて「人の役に立つ」ことではないでしょうか。そこを踏み外さなければ、何とか生活をしていける、そう言う世界であって欲しいものです。
posted by nori at 23:37| Comment(0) | TrackBack(3) | 臨床心理士