2019年04月23日

松下幸之助の呪縛

私の世代でオーディオに親しんでいた人たちは、「あの」パイオニアがつぶれて身売りするなんて、若い頃はまったく想像もつかなかったことだと思います。若者たちの多くは音楽に夢中になっていたし、音楽を聴くにはオーディオ装置は必需品でした。いまや絶対数の減った若者たちはゲームやSNSに夢中になり、彼らが音楽を聴としても手が伸びるのはパソコンやスマートフォンです。

私の仕事場には、オーディオ装置が置いてあります。事務仕事をしながら聴いたり、家族がテレビをつけているときに聴いたりするのに、重宝なのです。10年ほど使っていたCDプレーヤーを、最近になって入れ替えました。いまや中堅機種はSACDプレーヤーばかりですが、CDを聴くとなると、読み込みが遅くて音も悪いSACDプレーヤーは買う気がしませんでした。と言うことで導入したのが、パイオニアのPD−30AEです。ネットでなんと23,000円ちょいでした

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ところが音を聴いてみたら、びっくり仰天。前に使っていたのはマニアの間でも定評のある機種だったのですが、はるかに良い音がします。それもパイオニアらしい明るく透明感のある音で、私が初めて買ったCDプレーヤーの同社製、PD−2000(バブル期ならではの物量投入機で、10万円近くしました)をも、軽々と凌駕しています。本体のスイッチこそペコンとした押し心地ですが、見た目も安っぽくはありません。

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このPD−2000は懐かしいです。しっとりとした品のある音で、ディスクトレイが開くと「Dedicate to a true music lover」と小さな金文字が見えたりして、音楽を聴く道具として完成されていました。それから30年、値段は4分の1に、パフォーマンスは4倍に、でしょうか。技術者の意地を見せてもらったような気もしますが、「これだからダメなんだよなあ」と思ってもしまいます。「より良い物を、より安く作って、沢山の人に使ってもらう」という松下幸之助さんの教えは、人口増加の時代には良かったでしょうが、人口減少の時代にあっては企業の首を絞める呪縛になっているような気がします。

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2019年04月12日

「PTA」から「保護者会」に

私の母親は、小学校の先生をしていました。3月に帰省したときに教員時代の昔話を聞いた(聞かされた?)のですが、その中に「PTAなんか止めれば良いのに」と言うのがありました。母親が働いていた頃は小さな学校に勤務すると、何から何までやらなくてはならず、給食を作っていたこともあったそうです。PTAは集金や会計、その他のおぜん立てまでしていて、これもとにかく大変だったと言うのです。母親が言うのは、「先生が大変だから」なんですね。

私たちも子どもが学校に通っていたころは、いかにPTAの役員を避けて通るか、あるいは無事にこなすかが保護者の関心事でした。役員を決める年度当初の集まりは、欠席する人もいたようです。とくに「卒業する年に役員をすると大変」と言われていたので、「6年生でやらないで済むように、今のうちにしておきたい」とか、みんな色々と考えてやってきます。

先生にとっても、保護者にとっても、悩みのタネになるPTA。耳学問なので、間違っているかもしれませんが、そもそもの始まりは「良い先生を守ろう」運動だったらしいです。昔のアメリカは校長先生の権限強くて、気にくわない先生を簡単にクビにできたそうです。「良い先生」がクビになったり、校長からのヘンな圧力を受けないように、教師と親が連合していきましょう、という Parent-Teacher Assosciation なんですね。日本では戦後に民主教育を定着させていこうという目的で、導入されたらしいです。本来の目的とも違うし、PTAにありがちな根回しと遠慮とボス化は民主教育とはかけ離れています。

最初から教師と保護者が「連合」してしまうから、保護者もホンネが言えません。「行ってもつまらない」とか「役に立たない」、形式だけの組織になってしまいがちなのがPTAの問題点なのかなと思います。わが家の子どもたちが通った幼稚園は、「保護者会」がありました。意見をまとめて幼稚園への要望を出すこともあるし、幼稚園の運営に協力することもあり、幼稚園との関係性が対等に感じられました。そして何より、和気あいあいとした親密な雰囲気がありました。子育ての不安や苦労を語り合うような土壌になっていたと思います。

いまの日本で児童虐待が深刻な問題になっているのは、ご存知の通りです。虐待の一要因としてあげられるのが、親が社会的に孤立しているということです。虐待防止の観点からも、「PTA」から「保護者会」に移行して、みんなで子どもたちを育てる、親どうしが語り合う、そんな地域を作っていくことができれば良いと思います。

2019年03月07日

パット・メセニー

Pat Metheny(1954〜)は、言ってみればスーパー・ギター・ヒーローです。テクニックが凄い人は他にもいろいろいますが、やりたい放題やっても商業的にも成功している人はなかなかいません。フォービートのジャズからさわやか系フュージョン、フリー・インプロビゼーション、映画音楽、ローテクな機械じかけの「オーケストリオン」との共演、はなはなだしいのは全編ディストーションギターソロだけのアルバムを作ってみたりと、まず類を見ないフィールドの広さを誇っています。

「人に恵まれる」のも、才能のうちかもしれません。10代の若造だったパットから「あなたの曲はすべて弾けますから雇ってください」と売り込まれたゲイリー・バートン(vib)は、すでにギタリストがいたので12弦ギターを弾かせました。大学の仲間にはジャコ・パストリアス(b)がいて、デビュー・アルバムにつきあってもらっています。師匠のジム・ホール(g)、チャーリー・ヘイデン(b)、ロイ・ヘインズ(ds)、そしてアイドルのオーネット・コールマン(as)など、旧世代の名人と共演する一方で、盟友ライル・メイズ(key)と自己のグループをもっています。

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若いころはこんな感じでしたが、

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いまはこんな感じ。お肉たっぷりでメタボ気味なのは残念ですが、それにしても自前の毛なんでしょうか、ヅラをかぶったバッハを連想させるほど、フサフサですね。

ジャズ・ギタリストとしてはフルアコのナチュラルな音色を生かしているのと、左手のハンマリングを多用すること、半音進行でウネウネとアウトするフレーズが特徴でしょうか。でも私はジャカジャカとアコースティック・ギターをうれしそうにかき鳴らす、ジャズっぽくないパットが好きだったりします。「ジャズプレイヤーである前に、ギタリストである」とでも言えば良いのでしょうか。はた目からは輝かしいキャリアですが、「僕はただギターを弾いていたかっただけなんだよね」とサラっと言っちゃうような人です。もちろんストレート・アヘッドなジャズも良いアルバムが沢山あるのですが、いちばん好きなアルバムはライル・メイズと二人で作った「As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls」(1980 ECM)かもしれません。

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P.S. As Falls Wichita, So Falls Wichita Fallsには3年前に亡くなったビリンバウの名手、ナナ・ヴァスコンセロス(per)も参加していました。ワン・アンド・オンリーの音楽家でした。

2019年02月28日

春も近い

今年はまれにみる暖冬で、除雪に困ることもありませんでした。夏が水不足にならなければ良いのですが……。雫石町の御所湖(ごしょこ)はダム湖なのですが、公園として整備されています。つなぎ温泉にも面しており、「盛岡アルプス」の北端、箱ケ森(標高868m)の登山口もあります。

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湖面の氷も溶けてきていて、春の訪れを感じました。岩手山が輝いています。


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遊歩道もあり、散策を楽しめます。


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バーナーでお湯を沸かして、コーヒーを楽しみました。
posted by nori at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2019年01月26日

中牟礼貞則

唐突ですが、もちろん日本人にも素晴らしいジャズ・ギタリストはいます。あの人、この人……と指折り数えていくと、すぐに両手がふさがってしまいます。有名ということになると、まず出てくるのは渡辺香津美さん。17歳でファースト・アルバムをリリースした天才児も、はや60代半ばです。その香津美さんの師匠として知られている方が、中牟礼貞則(なかむれ・さだのり)さんです。御年85歳になる現在、ご自分で「末期高齢者」などと言いながらも、飄々とライブをこなしていらっしゃるらしい。ギター仙人と呼ぶに相応しい方です。

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東京に住んでいた頃は、よくジャズのライブを聴きに行きました。移転する前の新宿PIT INN とか、下北沢T5とか、西荻窪アケタの店、新宿タロー、池袋要町のデるブとか。どの店もミュージシャンとの距離が近くて、とくにタローなどは演奏者が5人なのに客が4人だったり、休憩になるとミュージシャンが客席で休むなんてこともありました。サシでじっくり語られると言うか、逃げようにも逃げられない感じですね。むろん逃げようなんて気はなくて、こんなに良い音楽なのになんで人気がないんだろう……などと思っていました。

「ムレさん」はそんなアンダーグラウンド?お店で、ギブソンの175から美しい音を紡いでいました。渡辺貞夫さんが日本でボサノバを広めていた時には片腕として活躍した頃から、キャリアも知名度も抜群なのに、知っている人には気さくに声をかけていらっしゃいました。ジム・ホールの影響は受けているのでしょうが、それだけではない。録音が少ないのが惜しまれます。

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「Intercross」はギタートリオの構成ですが、多重録音のトラックも入っていて、これがまた聴きごたえがあります。お元気で活躍を続けられることを、願っています。


2018年12月28日

セラピストでいること

毎年のことですが、臨床心理学を志す大学院生の実習を引き受けています。実習と言ってもこちらが出向く形で、面接のデモンストレーションをしたり、お話ををしたりです。「開業心理臨床」の立場でお話をするので、相談室を作ったいきさつから始まって、どのようにクライエントに会っているのかなど、限りある時間の中で臨床の現場を想像できるように話しています。パワーポイントは視覚の刺激にとどまってしまうというか、言葉の力が減る感じがするので、使いません(←面倒くさいだけ?)。学生も少ないので、講義と言うよりは対談のようになります。

その中でトシヨリの話なんかしてもなあ……とも思いつつ、自分がどのようにしてこの道に入ったか、そして歩んで来たかも伝えるようにしています。ちょっと個人的なことに立ち入り過ぎるきらいもあるのですが、セラピストになるということは、生き方を選ぶことになるので、その参考になればと思っています。もちろん臨床心理学を学んでもセラピストにならない人もいるでしょうし、それはそれで良いのです。

今年もあとわずかで、終わりです。年末になると、どんな一年だったかを思い起こします。今年は発達障害のある方の、家族の方からの相談が増えたように思います。でも大人のうつやパニック障害、青年期の方の自立にかかわる問題などは相変わらず多いです。精神科医は精神医学の診断に基づいて、薬物療法で症状をコントロールしてくれます。かたや心理療法のセラピストとして、どうアプローチするのか? 自己の存在感や効力感、あるいは「生きる意味」を感じにくくなった人に、主体的な生き方ができるようにお手伝いしていくのが、私たちの仕事なのかもしれません。

セラピストは、一人ではセラピストにはなれません。クライエントが来てくださって、面接室があって、連携をもってくださる方々がいて、心理療法をすることができます。今年も大勢の方々から、お世話になりました。ありがとうございました。なお明年は1月5日(土)から開室いたします。1月19日(土)はお休みをいただいて、20日(日)は開室いたします。