2025年06月01日

写真を飾りました



miyakophoto.jpg


相談室の壁には、額縁がかかっていました。インドネシア製だったか、もとは廃材だったのを額縁にしたものです。木の命が感じられるもので、ガラスの奥には和紙に木の葉があしらわれていました。これはこれで絵になると思っていたのですが、自分で撮った写真に入れ替えてみました。和紙一枚の厚みしか取られていなかったので、マットをカットして収めるのは無理でした。コピー用紙に軽く固定して、写真を収めました。

昨年の12月15日、宮古市に震災支援に行く途中に撮ったものです。冬の川面に映る陽の光、そして青空がのぞいています。やっぱりプリントするのは良いなと思いました。決して高級なプリントではなくて、ネットで注文した2Lのサービスサイズです。元の画像は、こちらです。季節違いですが、飾れるような写真となるといまはこれしかないんです。

miyakodata.jpg

何を今さらの話ですが、学生時代に使っていたカメラは画像の縦横比が3:2でした。いわゆる35oフィルム、ライカ判というものです。「ライカ」のブランドはいまもありますが、もとは映画用のフィルムを応用した小型カメラで、36mm×24mmの画像サイズです。いま使っているデジタルカメラは4:3の縦横比なので、違和感があります。もちろん設定で3:2にすることもできますが、しばらくは4:3で撮ってみようかと思います。

2025年05月22日

人をだまして幸せになれる?

動画サイトを見ていたら、「不動産Gメン」なる人が、ワンルームマンションに投資をさせるなど、詐欺まがいの行為にひっかかった人の相談に応じている様子が流れていました。いったん再生すると、次から次へと相談事例が再生されて、つい見てしまいます。きちんと物件の価値を調べたり電卓をたたいてみれば、全く割に合わないスキームなのに、知的に優秀な人たちがコロリと騙されているのには驚きました。

私もそうですが、不動産の取引や投資、銀行の融資の仕組みをよく知っている人は、あまりいません。そこにつけこんで「老後の資金を確保しませんか?」とか、「節税対策になりますよ」とか、親切を装って登場する詐欺師もいるようです。古典的な「儲け話」は見破られると思うのか、「損をしている」との不満があったり、「将来的に困るのではないか」と不安な人への好意を装うのも手口のようです。

明かな違法行為だけではなく、法律の網の目をかいくぐってお金を巻き上げる手口がいくらでもあって、そこには銀行もからんでいたりするようです。また最近は弁護士が増えすぎたこともあるのか、ネットで顧客を集めて着手金を集める詐欺行為に手を染める弁護士も問題になっています。もういったい、誰を信じて良いのやらという感じです。ただでさえ怪しげな電話はいくらでもかかってくるし、「知らない人からの電話は詐欺だと思え」と、子どもたちに教えなくてはいけない時代になりました。

人をだまして不幸にすれば、恨みを買うことになります。またいつ仕返しをされるか、逮捕されるか、天罰が下るかと怯えなくてはなりません。いちどその道に入ってしまうと、もうどうにでもなれと転がり落ちていく人も多いのでしょう。昔の親は「悪いことをしたらいけない」ことを、子どもによく教えていたような気がするのですが、それは単に私のノスタルジーでしょうか。「勝ち組」と「負け組」に世の中を分けてしまい、人を出し抜いて美味しい思いをしようという気風が蔓延してきたような気がします。でも人を出し抜いて「美味しい」思いをすることはなくて、不安しか生まれません。

落語には泥棒はよく出てきますが、詐欺師は出てこないような気がします。「おかめ団子」の主人公である青年は、親孝行をするあために、団子屋の売り上げを盗もうとします。来る日も来る日も大根を売り歩いても、母親を布団に寝かせてあげることができないのに、団子屋の売り上げはびっくりするくらいありました。団子屋の主人は、「盗んだお金で親孝行をして、それでお母っさんが幸せになれるかねえ」と諭します。子どもたちにはそんな道徳の教育も必要だと思うし、投資や金融、不動産取引などについても、学校で教えていかなくてはと思いました。本当に役に立つ勉強をすれば、「勉強をして何になるの?」の疑念も減っていくと思います。
posted by nori at 19:57| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと

2025年04月23日

Googleのクチコミ

christmasrose.jpg

庭のクリスマスローズです。きれいに咲いてくれました。


検索サイトのGoogleに掲載されると、「クチコミ」の投稿機能がつけられます。今日は「1」の評価とともに、私の言動が記されていました。不快な思いをさせてしまったのであれば、申し訳ないことです。でも私としてはそのような言動をした心あたりがなく、困惑しています。カウンセリングルームに行くということは、時間とお金を使って自分に向き合うことです。クライエントには、敬意をもって接していきたいと思って来たし、これからもそうしていくつもりです。

私がクチコミに一喜一憂していては、クライエントではなく、相談室の外を向いて仕事をすることになってしまいます。悪く受け取られて投稿されたら困る……などと考えていたら、だんだんカウンセリングが安心感のない、窮屈なものになっていくでしょう。相手がだれか分からない以上は、本当にそのようなことをしたのか、クライエントの受け取り方なのか、悪意による投稿なのか、考えてみても仕方がありません。

私のところであれ、他のところであれ、いまカウンセリングを受けていらっしゃる方への、お願いがあります。カウンセリングで話しているときの感情は怒りであれ、悲しみであれ、喜びであれ、そのままカウンセラーに伝えてみてください。カウンセラーへの怒りでも、いっこうにかまいません。ご自分を解放することで、次の何かが見えてくるかもしれません。

2025年03月20日

スクールカウンセラーは引退

スクールカウンセラーの仕事は、1999年から始めたような気がします。週に1回、午後から高校に行きました。当時勤めていたクリニックには、当直の仕事がありました。入院患者がいたので、雑用や電話番、夜間の診察が必要になったら隣の院長宅に電話をする、などが業務でした。そのまま午前の勤務をしたら、午後は休みだったのです。そこにスクールカウンセラーを入れてもらって、家計の足しにしていました。若かったから、できたんだと思います。

2002年からは自分で相談室(あゆみカウンセリングルーム)を開くとともに、週に3日をスクールカウンセラーに充てるようにしました。岩手県の、そのまた小さな町です。相談室だけでは、生計を立てるのは大変だと思っていました。お金で気をもんだり、がつがつしたくないという気持ちもあり、生活費を稼ぐためにスクールカウンセラーに出る算段をしました。

それでもやっていくうちに面白味が出て来て、相談室と車の両輪のような形になっていきました。相談室を維持するためのアルバイトと言う面もあったけど、逆に相談室での経験を学校で活かすという面もありました。この仕事に就くことができたのは、ラッキーでした。何といっても、子どもたちは可愛いです。小学生は素直で可愛いし、中学生は生意気で可愛いし、高校生は頼もしくて可愛い、そんな感じでした。忘れられない出会いも、沢山もらったような気がします。

自分が20代の頃は、思春期の人たちに会っていると、彼らの言い分に共感しやすいということがありました。
「うん、そうだよね。親からそんなことを言われちゃうとね……」
なんて感じでしょうか。それが40代になると、「親の気持ちも、分かるかな」みたいな、親の目線も入って来る。60代になったら、もう爺さん目線です。子どもの気持ちも、親の気持ちも、両方とも「一生懸命、生きてるね。応援してるよう」みたいな。「孫は可愛い」という気持ちも、味わわせてもらえました。

体力的にはまだ問題はないのですが、辞めることにしたのは、色々な事情がからんでいました。親の世話をするために時間を使う必要が出て来たのが、いちばんです。そろそろ若い人たちに譲っていかなくては……とも思いました。仕事を相談室一本に絞るということになれば、ある意味これからが本番ということかもしれません。

2025年01月28日

トイレを替えました

カウンセリングルームのトイレも、年季が入って来ました。何しろ、22年間も活躍してくれました。水がチョロチョロと止まらないときもあったし、故障して修理してもあらったこともあります。そろそろ潮時かなと思い、トイレを交換してもらいました。前のは便座が温まるだけでしたが、こんどはウォッシュレットつきです。工事に来てくれた人は、ひとりで持ちにくい便座を運んで頑張っていました。出来上がりを「どうです!」と写真に撮ってお見せしようかと思ったのですが、恥ずかしがっているようなので止めました。

2024年12月09日

柚木沙弥郎展 

koinobori.jpg

盛岡市の岩手県立美術館で、柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう 1922〜2022)の回顧展、「永遠のいま」が開かれています。先日に妻と訪れて、膨大な作品群やビデオを堪能してきました。都会であれば人、人、人でゆっくり見ることもかなわなかったりしますが、そこは岩手県民の特権で、広々とした会場でぼんやり眺めることができます。この鯉のぼりだけは、写真撮影可となっています。

柚木さんは戦後に復員してから大原美術館で働き、柳宗悦の「民芸」に出会います。染色工芸家の芹沢_介に弟子入りして、染め物の修行をしてから染色工芸家になりました。女子美術大学で指導をしながら、版画や絵本、切り絵や人形、オブジェなどを制作して101歳で亡くなりました。最晩年まで作品を作り続けて、インタビューにも応じていました。それが「柚木沙弥郎のことば」(柚木沙弥郎・熱田千鶴著 グラフィック社)という本にまとめられています。

売店で手にとって帯にあった、「いつからはじめたっていいんだよ。僕だって物心ついたのは80歳になってからなんだ」の文字に釘づけになりました。美学を専攻した東京大学を卒業して工芸家、大学教授になり、絵本の挿絵などの仕事も手がけ、パリで何度も個展を開いた人です。言ってみれば功成り名を遂げた人で、60を過ぎたら孫の相手でもして、だんだんに社会とのつながりも減らしていって、あとはお迎えをが来るのを待つ、みたいな人生ではありません。

まだその本を読んではいませんが、ゆっくり楽しめれば良いなと思っています。おそらくは固定観念にとらわれず、子どものような好奇心をずっと持ち続けた人ではないかと、作品からは想像しました。
posted by nori at 09:22| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと