2012年01月23日

Full House / Wes Montgomery

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ギター少年はこのGibson L-5でジャズを弾きたくなるよね。でも見て下さい、手の大きさ、たくましさ。しかも右手の親指は、生まれつきピックになっていたらしい。コピーしようとしたら地獄を見るけど、聴くなら極楽。野次馬が集まってライブ録音になったというのも、うなづけます。(1962年)
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2012年01月19日

思いこみ

岩手県臨床心理士会では「宮古支援チーム」を組織して、宮古市の仮設住宅の集会所に支援に出向いています。ここのところ月に2回のペースで「リラックスカフェ」と題して、リラクセーションとお茶のサービスをしています。そこに高齢の女性が、おいでになりました。震災でタンスや棚が倒れてきて、あちこちを打撲したそうです。とくに右腕は骨折してしまい、手術をしたとのこと。でも「術後の経過が良くない」のか、「後遺症」なのか分からないけれど、右腕が痛くて上げられません。医師からは「トシだからしょうがいない」と言われているそうです。

「では、右腕を上げてみてもらえますか」

「ほれ、こうやってもさ、上がらないのよ」

 たしかに腕は上がりません。相当に痛いのか、顔もしかめていらっしゃいます。でもこれでは上がらないはずで、この方は腕を上げるつもりで、肩を上げているのです。しかも肩から二の腕、肘にかけて、力が入りっぱなしのように見えました。これはいわゆる五十肩であって、身体の使い方を理にかなったものにすれば、改善されるかもしれないと思いました。慢性的に力が入っているのを弛めてから、肩を上げずに腕を上げるように援助してみました。あお向けになって、腕を真っ直ぐに上げていくだけの動作なのですが、余計な力は抜くように、必要な力を入れるように、動かしながら練習をしました。

「では、もうお手伝いはしませんので、ご自分で上げてみてください」

「おっ! 上がる、上がる。あー、上がるっ!」

と、今度は満面の笑みです。何度もバンザイをして、歩き回っていらっしゃいました。

けがをしたら、身体の使い方が変わるのは十分にあり得ることです。一部が不調になったら、それをどう補うのか、私たちは無意識のうちに調整をしているのでしょう。そして「痛い」とか「使えない」という身体イメージをいつまでも持ち続けると、非常時の身体の使い方が板についてしまうのかもしれません。そして「頑張る」スタイルが、悪循環を招くように思います。力んでしまうと動かないばかりか、痛みも生じてくるからです。

「後遺症でいつまでも痛い」とか「動かせなくなった」も、「頑張らないと動かない」も、あるいは「トシだからしょうがない」も、ちょっと困った思いこみです。その思いこみを外して、自分で動かせることを認識してもらうのは、心理学的な援助です。
posted by nori at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床動作法

2012年01月09日

映画館の音は良くなったか?

 お正月に映画を見に行かれた人も、多いと思います。
 トシを取ると良いこともあるもので、盛岡のとある映画館では、夫婦のどちらかが50歳以上だと二人で2000円で映画を観ることができます。たまには行くけど、でも映画館で映画を観ると疲れてしまいます。その理由のひとつが、シネコンは狭いのに大画面のため、かぶりつき状態になりがちなこと。もうひとつの理由は、音がすさまじいのです。

 もともと作品自体が爆発音などでびっくりさせるような演出がされているし、俳優の声もくっきりさせるように加工されています。それをサラウンドの7.1チャンネルで、上下左右からの大音量です。そして決定的なのが、音質が悪いのです。壁が共振したり、アンプがクリップしたり、スピーカーの性能が悪かったりで、歪んでしまっています。いわゆるステレオの2チャンネルですら位相を合わせるのは難しいのに、それが7.1チャンネルともなると、位相がめちゃくちゃになってしまうということもあるのでしょう(ちと、マニアックですね)。

 中高年を映画館に呼びたいのなら、もっと自然で優しい音にしてみては、どうでしょうか。
posted by nori at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 音の考現学

2011年12月29日

Giant Steps / John Coltrane

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「君にしか弾けないから頼むよ」とおだてられた、トミー・フラナガン。いざピアノに向かったら譜面に目が点になり、ソロはトカゲのシッポ切りのようにあっけなく終了。実はこれまた名手のシダー・ウォルトンとひと月前に吹き込んでいて、その時はコルトレーンもボロボロだったとか。でも私たちがひれ伏すのは文字通りの Giant Steps、天気の好い日に大音量で聴きましょう。(1959年)
posted by nori at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ・ど・名盤

2011年12月23日

幇間稽古

池波正太郎の時代小説に、「剣客商売」があります。文庫本で16巻。私はたまたま図書館の軒下のリサイクルコーナーで見つけて、どっさり持ち帰ることができました。その中に「幇間稽古」という言葉がでてきました。ちなみに幇間(ほうかん)とは「たいこもち」で、宴会などを盛り上げる男性の芸人です。芸者さんと違って美貌や色気を売り物にできないし、人と人の間を取り持つのも芸のうちなので、これまた難しい商売のようです。

さて幇間稽古とは、道場主が門人を集めるためにほめそやす稽古のことを言っています。「そんな稽古では伸びしろがあっても、そこで止まってしまう」とか。まあできないものを「できている」と言う方も言う方だし、そう言われて「できている」と思ってしまう方もしまう方なのですが、ともかくそんな稽古では害の方が大きいわけです。それと同じような現象は、私たちの業界でもあり得ると思います。

もちろん、やたらに厳しくすれば良い、というものでもありません。事例検討で頭ごなしに怒られて泣かされるとか、寄ってたかってイジメのような様相を呈するとか、そういうのもどうかと思います。名の通った先生でも、「この人はクライエントに共感しろと言っているけど、どうして目の前の発表者に共感できないんだろう」と首をひねってしまうようなこともあります。幇間稽古にしても、サド・マゾヒスティックな関係を作ってしまうことにしても、どちらも自己愛の落とし穴にはまっているのは同じで、いわばコインの裏表のようなものだと思います。

対等の関係を作って、その中で一緒に考えてゆけること。課題を見つけたら、指摘すること。良い所を見つけて、伸ばすこと。恐ろしいもので、年齢を重ねると人の指導をすることも出てくるのですが、自分はそうなりたいと思っています。
posted by nori at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理士

2011年12月20日

カード地獄

あちこちの店で買い物をするたびに、「ポイントカードをお持ちですか?」と聞かれます。あるいは「カードを作りませんか、けっこうポイントたまりますよ」と、クレジット機能つきのを勧められたりします。実際にポイントがたまって500円の商品券をもらったりすると、けっこう嬉しかったりもするのですが、そのカードを管理するのが私には難行です。レジの前に立つ前に、財布のあちこちを探す羽目になります。ポケットのついた財布に、1枚ずつ収納しておけば良いようなものですが、あーめんどくさい。

顧客の囲い込みのためにカードを出して、わずらわしい思いをさせるのが、「サービス」なんでしょうか? ただでさえ免許証や保険証、図書館カード、レンタルビデオのカードなどがあるのです。それぞれの店でてんでにカードを出したら、どうなるか想像がつかないのかなとも思います。

囲いこむなら、もっと有効でコストもかからない方法があります。なじみになったお客さんには、ちょっとおまけしたり、その人が必要としている情報をこっそり教えれば良いのです。「お客さまだったら、こちらなんかお好きじゃないですか?」とか、「本当は、こっちの方が長持ちしますよ」なんてのも、良いですね。もっともそういう接客ができる店員を育てていくには、アルバイトでは無理でしょうけど。でもこういうことが本当のサービスであるし、販売者の専門性だし、ネット販売への対抗策にもなると思います。

「人を大切にする」ということが、結局は商売のプラスになるのではないかと思うのだけれど、あんまりそういうことを考えている事業主はいないように思います。客が金づるで、販売員が人件費では、あまりにも発展性がないと思うのですが、商売をしている人はどう思いますか?

だれか、私をカード地獄から救ってください。
posted by nori at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと