2020年05月27日

箱が好き

テレワークでパソコンに向かっていると、猫がジャマをしにくる。「かまってよ〜」って感じでしょうが、「ネコハラ」と呼ばれて、飼い主を困らせて(喜ばせて)いるようです。でも近くに箱を置いてしまえば、さっさと箱に収まってしまうのがまた猫の特性であって、気ままですね。荷造りのために段ボールを置いていたりすると、うちのエリックも、こんな感じです。

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2020年05月05日

STAY HOME

新型コロナウィルスの感染防止のために、家で過ごしましょう、ということになっています。私は家に居てもやることがあれこれ(エラいことから、下らないことまで)あって、「外に出れないのがストレス」と感じることはありません。でも報道を通じて世間をのぞいて見ると、子どもたちも、大人たちもストレスを抱えているように見えてしまいます。

私は音楽を聴くのが好きなのですが、音楽そのものには疎いです。スコアを見ながら(ひょっとしたら自分が指揮者になったつもりで)、オーケストラを聴くような人もいるようですが、そんな芸当はとてもとてもできません。でも作曲者がどんな人柄だったのか、どんな人生を送ったのか、時代背景は……みたいなことを調べるのは好きです。大作曲家と言われるような人たちには、人格円満な常識人はあまりいません。ま、いまで言えばバンドマンですからね。世間の枠組みにすっかりはまっているような人は、非日常を作ることが難しいのかもしれません。

バッハは17世紀に活躍した人ですが、奥さんに先立たれています。歌手のアンナ・マグダレーナを後添えに迎えて、二人の妻との間に20人の子どもを設けています。ただしその半数は、生まれてまもなく亡くなりました。一人は20代で亡くなりました。当時の人にしては長生きしましたが、最晩年はインチキ医者に眼の手術を受けて、それがもとで亡くなっています。当然のことながら疫病もあれば医療も未発達で、人々はいつ天に召されるか分からない日常を送っていました。だからこそ神に頼り、教会に支配されていたのでしょう。バッハは気候が良くなると「葬式が減ると収入も減っちゃう」とか、ぼやいていたそうです。「死」はすぐとなりにあるもので、生きていることだけで、十分に幸せを感じられる世の中だったのかもしれません。

考えてみればいまの私たちは、衣食住のことで不自由せず、家事は掃除機や洗濯機などのデンキ召使いが手伝ってくれて、移動にはお抱えの馬車(クルマ)を使える、バッハの時代だったら王侯貴族と同じような暮らしをしているわけです。「経済に甚大な影響が出ている」らしいのですが、最低限の衣食住を満たす以上のことで経済が回っているということなのです。私が生業にしている心理療法とかカウンセリングもまさに、その類のことです。田を耕すわけでも、魚を獲るわけでも、服を作るわけでもないのに生かされてきたのですから、ありがたいことだと思います。

「ステイ・ホーム」で、運動不足にならないように筋トレに励むとか、家族団らんの時間を過ごすとか、もちろんけっこうなことだと思います。「いま生きている」ことを味わう、瞑想も取り入れてみたらどうでしょうか。ワイドショーを見てあっちこっちに不満をため込むよりはストレスを減らして、免疫力のアップにもつながるのではないかな、と思います。
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2020年04月10日

新型コロナウィルスへの対策について

まだ岩手県では感染者が確認されていませんが、いまはどこに住んでおられる方も、感染の防止を考えておられると思います。いまは自身の体温チェックやマスク着用、部屋の換気など、できる対策をしながら対応させていただいております。感染してしまうのではないか、感染させてしまうのではないか、そうしたことを気にしながらでは、カウンセリングにも影響が出て来るかもしれません。ご希望の方には、スカイプや電話での相談をお受けしております。休業などの措置を取る場合は、こちらのブログでお伝えしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。そして、みんなの力で感染が収束するのを願ってやみません。

2020年01月29日

アッティラ・ゾラー

一般的な人気はないけれど、玄人受けするというか、ミュージシャンにも影響を及ぼすような人を「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と言います。アッティラ・ゾラー(Attila Zoller 1927〜1998)は、その代表格かもしれません。ハンガリーに生まれ、プロのバイオリニストだった父親からバイオリンの手ほどきを受けたそうです。学校をドロップアウトしてブタペストのクラブでジャズを演奏するようになり、ソビエト侵攻から逃れるためにギターを担いでオーストリアまで歩いたそうです。アメリカから来ていたオスカー・ペティフォード(b)やリー・コニッツ(as)からアメリカに行くように勧められて、奨学金を受けてジャズを学んだそうです。ジム・ホール(g)の生徒になり、ルームメイトはフリージャズの開祖になったオーネット・コールマン(as)だったとか。

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コマーシャルなハービー・マン(fl)のグループでデビューして以来、共演したミュージシャンはスイングのベニー・グッドマンから、フリーのアルベルト・マンゲルスドルフ(tb)、ラテンっぽいカル・ジェイダー(vib)、そしてあのジミ・ヘンドリックスまでと幅広かったようです。亡くなる直前はオーソドックスなモダンジャズのトミー・フラナガン(p)とツアーに出ていたとか。だれとでも合わせられる、そしてだれとも違うスタイルを作るということは生半可ではなく、ワン・アンド・オンリーなギタリストとして尊敬を集めていたと思われます。

ビバップでもフリーでもなく、ましてやロックでもなく、いわく言い難い不思議なフレーズを高度なテクニックでつむぎ出す演奏は、凄いのはよく分かるけど、凄いとしか言いようがない……。という感じでしょうか。亡くなってから、師匠のジム・ホールや弟子のパット・メセニー、その他大物ミュージシャンが参加した追悼アルバムが作られました。波乱万丈の人生を送りながら、教育者としても活躍していたようです。ドイツのenjaから発売されていたこのアルバム、Common Cause はロン・カーター(b)、ジョー・チェンバース(ds)とのトリオで、彼のギター・プレイをたっぷり味わえます。

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2020年01月21日

長谷川和夫先生と認知症

長谷川和夫先生と言えば「長谷川式簡易知能評価スケール」の生みの親で、認知症研究の第一人者として高名な精神科医です。思えば精神病院で働いていた若かりし頃、「長谷川式」をずいぶんやらされました。短時間で施行できる、言語性(言葉のやり取りで行う)のテストで、記銘力や見当識などを測ります。当時は「認知症」ではなく「痴呆症」と呼ばれていましたが、脳細胞が委縮するアルツハイマー病よりも、脳血管性のものが多いとされてました。

「やった」とか「お世話になった」ではなくて、「やらされた」……。「渋々」とか「嫌々」のニュアンスがつきまとうのは、嫌だったからです。面倒くさいとか保険診療の点数にならないとか、そういうことではなくて、「申し訳ない」のです。自分よりはるかに経験を重ねてきたお年寄りに、子供だまし?のような簡単な質問をするのです。簡単なはずなんだけど、面と向かって訊かれると答えるのが難しくて、困惑してしまう。その様子を見るのが、何だか心苦しい。そんな感じでした。こんなことをしなくても、日常生活を観察していれば分かるだろうに……と思っていました。

その長谷川先生が認知症になられて、テレビに出ていらっしゃいました。「認知症の研究者が自分で認知症になったのですからね、こんなに確かなことはありません……」などと、認知症を語る活動をしていらっしゃいます。嗜銀(しぎん)顆粒性認知症と言って、80代、90代になって発症するタイプでず。「日常の確かさが、だんだん失われて行く」など、ご自分の状況を客観的に観察して、述べていらっしゃいました。色々と印象に残る場面はあったのですが、とくに「長谷川式」については、「いきなりやるんじゃなくて、ちゃんと信頼関係を作ってからにして欲しい」とおっしゃっていました。そうなんです。「いきなり」やらされたのが、嫌だったのです。作った人はきちんと考えていたのに、それを無にしていたのは私を含めて、医療の現場だったのです。

老年期の精神医学のトップランナーでいらっしゃった長谷川先生は、病名を「認知症」にして、家族のためにデイケアも始められました。いまも「戦場」と呼ぶ書斎で論文を書かれています。ダンディでユーモアを愛するお人柄が、多くの人を引きつけて世の中を変えて来たのだと思いました。
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2019年12月16日

クイン(大槌)が12月22日にオープン

岩手県はジャズが盛んです。一関市のジャズ喫茶「ベイシー」は全国的にも有名ですが、盛岡市には「ダンテ」、「S」、「すぺいん倶楽部」、「ノンク・トンク」、「ジョニー」、奥州市には「レイ・ブラウン」「ハーフ・ノート」、釜石市には「タウンホール」、陸前高田市には「ジャズタイムジョニー」など、ジャズスポットが頑張っています。最近になって宮古市に「ハーヴェスト・ムーン」も開店しました。年に一度、「いわてJAZZ」も盛岡市の県民会館で開催されています。アマチュアミュージシャンのレベルも高くて、お店で聴くとしっかりチャージを取られます。

ベイシーよりもちょっと早く1964年に開店したのが、三陸沿岸は大槌町(釜石市の北隣)の「クイーン」です。私が住んでいる町からは遠いこともあって、お店に顔を出せるのは年に一度、とある官公庁の仕事で宮古市と釜石市に行くときでした。移動時間を含んでのダブルヘッダーだったので、お休みを兼ねて寄らせてもらっていました。それでもマスターは憶えてくれていて、ジャズにとどまらず色々な話を聞かせてくれました。スピーカーの周りにはあふれんばかりの本やCDが積みあがっていて、スピーカーの見えないジャズ喫茶というのも珍しくて、私にはジャズ談義喫茶、みたいな感じでした。

ところが震災でお店が流されてしまい、マスターの佐々木賢一さんと長女の多恵子さんは内陸で暮らすようになりました。それからのおつき合いは濃いものになりましたが、残念なことに昨年の夏にマスターが急逝されました。喫茶店は休んじゃいけない――「店を休んでデートがダメになったらどう責任をとるんだ?」とか、人気のデートスポットだったかどうかはさて置いて、そんな使命感もあって年中無休でやっていたマスターのことなので、さぞお店を再開したかったことでしょう。でも現実は厳しくて、延び延びになっていました。このほど、多恵子さんが「クイン」として大槌駅前にオープンする運びになりました。

そう言えば店名がありがちなジャズの曲でもミュージシャンでもなく、なぜ「クイーン」「クイン」だったのかは、マスターは教えてくれませんでした。無類の映画好きだったので「アンソニー・クインから?」と聞いたこともあったけど、そうでもなかったようです。多恵子さんの決心と行動力に敬意を表するとともに、「クイン」が客足の絶えないお店になることを願っています。
posted by nori at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災