2018年05月01日

アナログLPは音が良い?

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4月末の連休は、毎年恒例で「廃盤セール」があります。これが盛岡近辺に住んでいる音楽ファンにとっては結構な楽しみになっていって、私も今年は出かけることができました。嫌がる福沢さんを財布に押し込んで、会場のサンビルでこの看板にウェルカムされたらアドレナリン大放出です。昨今のアナログ人気でフロアは若い人でムンムン……のわけはなく、通称「エサ箱」の段ボールに詰め込まれたLPを好きなようにチェックできました。今回のお宝はレッド・ミッチェル(b)がリーダーで吹き込んでいる、ボボ・ステンソン(p)1969年の録音です。ボボ・ステンソンはスウェーデンの人で、1970年代に入ってECMの吹き込みで有名になりました。再発を待ち望んだファンも多かった(ホントかよ)幻の名盤ですが、千円台でゲット。このジャケットじゃ、いくら内容が良くても売れないと思うんですが……。

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オーディオファンの中には、「デジタル音源のCDよりも、アナログLPの方が音が良い」と言う人がいます。そしてアナログ関連機器も、いったいだれが買うんだろうと思うような高価な新製品が出てきます。カートリッジ1個、トーンアーム1本で数十万円、ターンテーブル本体は数百万円、フォノイコライザーも百万二百万は当たり前で、「レコードプレーヤー」一台で家一軒が建ちそうなのは、凄いもんだと思います。そうかと思えば、数十年前のトーレンスやガラードに優るものはないと断言する御仁もいて、実際にそう思わざるを得ないようなガッツのある音を聴いてしまうと、わけの分からない世界だと感じます。

アナログレコードは、針で溝をこすることで一種の付帯音がプラスされるようです。それが音の温かみや迫力、空間の臨場感として感知されるのではないでしょうか。そしてカートリッジやターンテーブルシートなどのアクセサリーの選択、アームの調整などで音が変わっていくので、それを詰めていく楽しみがアナログにはあります。それに対してCDはダイナミックレンジ(音の大小)が広くて、ノイズも少なく、傷やホコリなどの物理的なダメージからのノイズもありません。私はそれぞれの良さがあると思っていて、いまのところクラシックの録音をわざわざLPで買うことはありません。楽章ごとにひっくり返す手間もないし、時間が表示されるのも便利です。

それにしてもCDが生まれて市場を席捲していった1980年代には、2018年になってもLPプレーヤーが作られていることを想像した人はいなかったと思います。「もう聴けなくなるから」とLPを処分して、CDに乗り換えていく人たちが沢山いました。ローテクにも良いところがあると言うべきか、デジタルでは割り切れない何かが人間にはあると言うべきか、アナログの長命ぶりにはびっくりです。
posted by nori at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 音の考現学

2018年04月06日

東根山

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昨日はお天気も好かったので、東根山に行ってきました。平日なのに駐車場には10台以上、停まっていました。登山道の入り口には真新しい看板が立っていて、なんと新しい登山道が整備されたようです。その名も「猫の背コース」。従来のコースは「蛇石コース」と名前がつけられていました。登りのコースタイムはこれまでの「蛇石」が2時間半だったのが、「猫の背」は4時間だとか。渡渉もあるらしいです。

昨日は出かけるのが遅かったので、登りに4時間の「猫の背」は行く気がしなかったのですが、分岐がどこなのか探しながら歩きました。それらしい分かれ道はいくつかあるものの、どこなのか? 林業の作業用の道なのか、「猫の背」なのか。どうやらまだ整備の途中で、分岐点に標識が設置されていないようです。肝心の分岐点にも標識がないようでは、その先もこころもとない感じがします。当日の登山道はまだ圧雪になっているところもあり、蛇石展望台のあたりからはずっと圧雪でした。でも固く締まって上はザラザラした感じだったので、踏み跡をたどっていけば夏の登山靴でも快適に歩くことができました。

「馬の背」というのはあちこちにあるみたいで、両側が切り立った崖になっている細い尾根道です。馬の背の他にもキリンの首、ゴジラの背中、はたまたカニヨコばい、アリの門渡り……、こういう生き物がが登場する登山道は、私のように高所恐怖の気がある者としては近寄りたくないのです。でも「猫の背」とは、どうなんでしょうね。里山なので断崖絶壁は考えにくいし、猫背のように急なアップダウンと言うことでしょうか。下山して看板を眺めていたら、「仲間が下ってきた」と教えてくれた方がいました。「急坂なので登りは猫の背、下りは蛇石で回ってくる方が良いらしい」とも。一度は歩いてみたい猫の背コース、分岐点に標識が設置されるのを待つとしますか。
posted by nori at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2018年03月06日

仮設住宅の支援を終えて

先日、宮古市の田老地区に支援活動に行ってきました。「グリーンピア三陸みやこ」には数百戸の仮設住宅がありますが、そこに住んでおられた方々を支援してきた「サポートセンター」が今月末には閉じられることになっています。ほとんどの方が仮設住宅から、復興住宅などに転居されたということです。私が所属している岩手県臨床心理士会では、2011年の10月から仮設住宅の集会所やサポートセンターにおじゃまして、サロン活動を展開していました。それも最後になるということで、大勢の方に来ていただきました。

サロン活動の中心は茶話会で、私たちは語らいの場になるように飲み物やお菓子を用意しました。集会所でやっていたときには、みんなでリラクセーションをしていました。ときにはイベントでホットケーキを親子で楽しんだり、ジャズのライブを開いたこともありました。「臨床心理士会の支援活動」というと、カウンセリングのようなことをイメージされるかもしれませんが、私はみんなで楽しんで帰ってくることが大切だと考えていました。理屈で言えば、コミュニティの再構成を支援することで心理的孤立や抑うつを予防して、喪失からの回復を支援するということです。「なんだか楽しそうだから、行ってみるか」という場にすることが、私たちの専門性だと思ってきました。

当日の私の仕事は、コーヒーを淹れることでした。エプロンをして「今日はマスターが来た」なんて言われたまでは良かったけど、次から次への注文に応じるのは大変で、10リットルを抽出しました。コーヒーを淹れるときの湯気を吸いこんでいるので、少しずつ、少しずつ、飲んでいるのと一緒です。カフェインの覚醒作用で、だんだん目が冴えてきました。ドリップポットも大き目のじゃないと間に合わないので、翌日は筋肉痛になりそうでした。筋肉痛になるまでコーヒーを淹れるのは、マスターの特権です。

帰り際になったら、男性がケータイをもって何やら相談をしていました。これから復興住宅の近くにある「高台」で、仲間が寄り集まるらしいのです。復興住宅の集会所となると、利用するには届け出が必要だし、いくらかの利用料を取られます。野外で一服しながら、ダべった方が良いのでしょうね。素晴らしい! そうそう、壁も扉も厚くてとなりの気配がしないような復興住宅にこもっていてはいけません。

顔見知りの方には「また会いましょうね」と言っていただきました。地域の方々が仮設住宅から拡散していったので、支援活動をするのも大変になってきましたが、形を変えてまたお会いする機会を持てればよいなあと思いました。「支援」と言っても、こちらが元気をもらって帰ってくるような感じでした。人と人とのつながりが大切であることを、しみじみ味わうでもありました。
posted by nori at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災

2018年02月04日

マンチェスター・バイ・ザ・シー

主人公は、ボストンで便利屋をしています。基本的には「良い人」なのですが、偏屈で、人とのつきあいを良しとせず、衝動的なところもあります。楽しそうに生きている感じでは、ありません。何かとてつもなく重いものを、抱えているんだろうと思わせます。そして実際に、抱えていたのです。故郷の兄が亡くなって、甥っ子の後見人に指名されていたことから、それが露わになってきます。いわゆるネタバレになってしまうので、書けないのですが……。

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マサチューセッツ州の「マンチェスター」は人口5千人あまりで、この映画の題名どおり海辺にあって風光明媚な町です。主人公にとっては、故郷の懐かしい人たちも、子どもの頃からなじんでいた景色も、傷をえぐるような痛みしか与えてくれません。劇的な癒しや救いがあるわけではなく、救いようのない重苦しさが淡々と描かれています。人の強さ、こそが希望なのでしょうか。
posted by nori at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画に見るこころ

2018年01月21日

野の医者は笑う / 東畑開人

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 この本は同業者のあいだで、「すごく面白い」ということで評判になっていました。かなり怪しげなタイトルですが、心理学では老舗の誠信書房から出版されていて、書店では専門書のコーナーに置かれています。いざ読みだすと、本当に面白くてどんどん読んでしまいます。飲み食いしながら読んでも胃もたれしない誠信書房の本は、これが初めてではないでしょうか。そんな著者の軽快な筆さばきというか、表現力にはまったく感心してしまいます。心理学の専門書にありがちな「沈思黙考」というよりは「欣喜雀躍」、あるいは「観念奔逸」などという躁状態を連想してしまいました。

 「野の医者」とは「占い系」や「スピリチュアル系」など、アカデミックな臨床心理学の教育や訓練を経ないで「心の癒し」に携わっている人々のことを指しています。著者は沖縄の精神科クリニックを退職してからの求職期間中に、「野の医者」たちのイベントに参加し、自らセラピーやワークショップを受け、インタビューやアンケートを行います。そうした一連の調査は「外側から」ではなくて、文化人類学的な手法で「中に」どっぷり浸かって行われています。そして「野の医者」の介入方法が、臨床心理学の専門用語で記述されているわけでもありません。「野の医者」にもクライエントにも、臨床心理学になじみがない人もいるのですから、関連している人すべてが理解できるように書かれているのは、フェアな態度だと感じました。
 
 著者はまだ30そこそこの年齢で、この本を書いています。大学院の博士まで出ているので、臨床についてから数年でしょうか。たいがいの人は実践の積み重ねの中で、セラピストとしての個を確立するのに四苦八苦している年代と言えるでしょう。「野の医者」と「臨床心理士」の共通点や違いを明らかにする試みは、セラピストとしての個を確立する過程の、アクティング・アウトと言えるかもしれません。青春小説のような趣が、この本には満ちています。京都大学教育学部と言えば難関であることはもちろんですが、日本の臨床心理学を作ってきたようなところです。そこで学んで博士号まで取得して、毎年のように学会誌に論文が掲載されていた著者は、「ウマのホネ」どころではなくてダービー馬でしょう。それにあぐらをかかないで、迷うことのできる知性には拍手を送りたいと思いました。

 実用的な価値はまるでないけど、面白く読めて、考えるタネになる本でした。
posted by nori at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理学の本棚

2017年12月29日

仕事納め

今年は今日、12月29日(金)で仕事納めとなりました。ここは複数の人が働いている事業所と違って、私ひとりでやっています。職場の全員で大掃除をして、納会のようなことをするなんてことはありません。それでも照明やブラインドなどの掃除をしたり、ワックスをかけて、スーパーで買った小さな鏡餅を置きました。吹けば飛ぶような零細レベルとは言え、「これでも事業所を営んでいるんだ」みたいな自覚がわいてきました。

子どもの頃の話ですが、私の祖父母は麹や味噌を作る「麹屋」を細々と営んでいました。祖父母はもともと、小学校の先生をしていました。退職してから、曽祖父がやっていた麹屋を継いだらしいのです。夜中に起こされて室(むろ)の麹のトレイを入れ替えて温度調節をしたり、煮て柔らかくなった豆をミンチにする手回しの機械をグルグル回したり、そんな手伝いをしたことを憶えています。麹を作るときは納豆を食べてはいけないとか、お客が米を一升持ってきたらできた麹を一升渡せばいい(増えた分が麹屋の取り分になります)とか、教わった憶えもあります。もしや祖父は私に麹屋を継がせたくて、手伝いをさせたり教えたりしたんでしょうか? そんな雰囲気はみじんも感じなかったので、そうではなかったと思います。

祖父は手広く商売をやろうなんて気はさらさらなく、昔からおつきあいをしていたお客様から喜んでもらえるならそれで良いと言う感覚だったのではないかと想像します。なので規模は小さくても誠実な仕事を続けて、お客様からは信頼されていたようです。年で廃業してから何年経っても「青山麹屋さんですか?」という電話がかかってきて、難儀をしていました。考えてみれば私のカウンセリングルームも製造直売のようなもので、職人でもあり商人でもある、祖父が営んでいた麹屋のようなものかもしれません。

今年もお客様たちから支えていただいて、ここまでやってきました。ありがとうございました。