2017年11月11日

ジョン・アバークロンビー

今年はジャズが録音されてから、100周年なんだとか。駆け足でふり返えればラグタイム、スイング、ディキシー、ビッグバンドと踊る音楽だったジャズが、聴く音楽になったのが1940年代のビバップ(モダンジャズ)からで、その後はクール、ハードバップ、モード、フリーと、あらゆるスタイルが試されていきました。そんな1950年代から60年代にかけては、ジャズは時代の最先端を行く音楽だったのでしょう。60年代になると若者を熱狂させたロックに押されていって、フュージョンが表舞台に出てきたのが70年代です。ドイツのECM(Edition for Contemporary Music)など、クラシックや民族音楽とのフュージョンを発信するレーベルも出てきました。80年代にはミュージシャンの親から英才教育を受けた二世組も加わって、ハードバップのリバイバルブームが起きました。

その後はもうそれなりと言うか、「落語」や「津軽三味線」のような位置づけでしょうか。いまや黄金期のミュージシャンはあらかたあの世に行ってしまい、型破りなスタイルや新人が出てくるわけでもありません。「今年はあの人が死んだなあ」なんて思い出して、追悼にレコードをかけるのが一年の総括だったりします。寂しいとも言えるし、良い時代に青年期を過ごしたとも言えます。

今年はギタリストで言えば、ジョン・アバークロンビー(John Abercrombie 1944〜2017)が亡くなりました。彼のベースにあるのはロックで、ウネウネとくねったりガチョーンと跳んだりで、フォービートのスタンダードを演るような人ではありません。でもアドリブの妙味と言うことでは、聴きごたえのあるギタリストでした。エレクトリック・マンドリンやギター・シンセサイザーも、完全に自分のものにしていました。ほとんどの録音は、ECMからリリースされています。

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ECMと言えばリッチー・バイラーク(p)が失恋したアバークロンビーを励まそうと熱くプレイしたら、プロデューサーのマンフレット・アイヒャーが「ECMにアート・ブレイキーは要らない!」とカンカンになったとか。バイラークが「たまには俺たちの好きにやらせてくれたって良いじゃないか」と言ったら、出入り禁止になって旧譜もカタログから消えてしまったそうです。アバークロンビーはそんな憂き目に遭わなかったので、口答えしなかったんでしょうか。因縁の? リッチー・バイラークと組んだ「Abercrombie Quartet」(ECM 1977年)のアナログレコードを聴きながら書いています。

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2017年10月14日

50ccスクーターがなくなる?

スクールカウンセラーで訪問している地域では、高校生のバイク通学が許可されています。山間地では公共交通機関が壊滅状態なので、車で送迎してもらうのが大変な生徒たちにとっては、必要な足になっています。50ccのスクーターで、後ろの泥除けには校名が大きくついていて、運転マナーは良好です。事故を起こしたという話も、聞きません。

ひところは軽くてパワーのある2サイクルエンジンを積んで、ブンブン走り回るスクーターが多かったと思います。車を運転していても、危なっかしく感じることがありました。でもいまは4サイクルのおとなしいエンジンで、排ガスも臭くはないし、おとなしく走っている人が多いですね。

ところが50ccのスクーターが、製造中止になるそうです。排ガス規制が厳しくなって、それをクリアするコストが販売価格の安い50ccでは吸収できないということらしいです。バイクは車に比べて販売台数が少ないのに、ヨーロッパの環境基準を右にならえで導入するのがどうにも理解できません。燃費が10km/lの車を売ることができて、50km/l以上走る原付を売ることができないのが不思議です。そもそもが自転車に小さなエンジンをつけただけの昔の「オートバイ自転車」の枠で、リミッターを解除すれば車と同じ速さで走れる今のスクーターを扱ってきたのです。車体の性能向上やユーザーの利益は無視し続けながら、環境基準となると盲目的に外国に合わせるのが日本の役人の流儀なのでしょうかね。

数キロ以上の移動をするには、50ccバイクはもっとも小さな乗り物です。言ってみれば「起きて半畳寝て一畳」の境地です。紅葉が素晴らしい栗駒山は、シーズンになると駐車場すぐに満杯になってしまいます。50ccの「トゥデイ」に乗って出かけたのですが、トコトコと天上の紅葉をながめながら走るのは楽しかったし、よくこんな小さなエンジンでここまで連れてきてくれたなあと思いました。私も置き場所があれば欲しかったホンダのモンキーの最終バージョンには、申し込みが殺到したのではないかと思います。その他のスクーターも手に入れるなら、今のうちということになるのでしょう。

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posted by nori at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 原チャでGo!

2017年09月19日

チャーリー・クリスチャン

歴史に「タラレバ」を持ち込んでも意味がないとは言われますが、もしモーツァルトやベートーベンが10年遅く生まれていたら、音楽史はずいぶん違うものになっていたでしょうか。いや10年くらい遅く生まれても、モーツァルトは「モーツァルト」になっただろうし、ベートーベンは「ベートーベン」になっていたと思います。でもチャーリー・クリスチャン(Charlie Christian 1916〜1942)は10年遅れて生まれていれば、「チャーリー・クリスチャン」になってはいなかったでしょう。

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チャーリー・クリスチャンはスイングの王様、ベニー・グッドマン(cl)のサイドマンとして世に出ました。まだあからさまな人種差別があった時代で、同じバンドで白人と黒人が演奏することを快く思わない聴衆も多かったと思います。お金にシビアというか、がめついことで有名だったグッドマンがそれでも黒人を雇ったのは、よほど光るものがあったのです。彼はエレクトリック・ギターをいち早くジャズに持ち込んで、管楽器のようにソロをとりました。しかもレスター・ヤング(ts)のように小節を越えたフレーズなどで、モダン・ジャズの先駆けとなる画期的な演奏をしました。その後のギタリストたちに、多大な影響を与えています。結核のために、26才で亡くなっています。したがって鑑賞に耐えられないような音質の録音が、わずかに残っているだけです。これらのどれもが10年遅かったら、そうはなっていなかったのです。

結核を患って医者から養生を勧められてもヤクとオンナは止めなかった、破天荒なミュージシャンでした。白状すれば、私は一枚もレコードを持っていません。有名な「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」はジャズ喫茶では何度となく聴いたけれど、とにかく音がすさまじく悪く、オーディオセットが壊れたかと思ってしまうほどでした。あと20年、いやせめて10年長生きして録音を残しておいてくれれば、レコード棚に何枚かは収まっているのになあ……と思います。

2017年08月26日

ミルトン・エリクソン心理療法:<レジリエンスを育てる>

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ミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson 1901〜1980)は、20世紀最高の心理療法家と言われた人です。エリクソン催眠、戦略的心理療法と呼ばれる介入で「エリクソンのところに行って治らなければ、治らない」とまで言われるセラピストでした。全米各地を回って臨床の指導を行い、論文はベイトソンのコミュニケーション研究、ブリーフ・サイコセラピー、家族療法などの母胎となり、彼の影響力は計り知れないものがあります。

17歳でポリオ(小児マヒ)を患って眼球しか動かせなくなったら退屈しのぎに家族を細密に観察し、すさまじいリハビリを重ねてボートを漕いで旅行するまでになりました。医学部に入ってからは膨大な催眠実験を繰り返して、独自の理論と介入法を打ち立てました。観察と独学、リハビリを生涯にわたって続けた人と言えるでしょう。頸動脈を見るだけで脈拍数が分かったとか、神業的なエピソードが事欠きません。

本書はエリクソン自身の著作ではなく、エリクソンの娘さん二人を含む共著になっています。難解なエリクソンの介入法が、理解しやすいようにまとめられています。実際に催眠やブリーフサイコセラピーをするかどうかに関わらず、あるいは心理療法を生業にしている人でなくても、参考になることが沢山あると感じます(ミルトン・エリクソン心理療法:<レジリエンスを育てる> ダン・ショート編著 春秋社)。
posted by nori at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2017年08月02日

夏休み

学校が夏休みに入り、私もひまな時期になりました。盛岡では太鼓を打ち鳴らして踊り歩くお祭り、「さんさ」の真っ最中です。出演する団体それぞれに、伝統や趣向があって、見に行けば楽しめるはず……なのですが、あいにく家にこもっています。たまったままの書類を整理したり、部屋の片づけをしたり、建具屋さんに入ってもらってドアを直したりと、ふだんできないことをやっておいて、2学期に備えるという感じです。

岩手県の学校は夏休みが短いので、2学期が実に長いのです。9月1日から始まるのではなくて、8月20日ごろから始まります。そのぶん冬休みが長くて、3学期はあっけなく終わります。北国で夏よりは冬の方が気候が厳しいから、ということでしょうし、たしかにお盆を過ぎれば涼しくなるので理にかなってはいるのですが、個人的には夏休みが長い方がありがたいです。

お知らせ:8月14日(月)〜17日(木)は、あゆみカウンセリングルームでお休みをいただきます。電話やメールへの対応もストップすると思いますが、よろしくお願いします。


2017年07月27日

グラント・グリーン

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ベートーベンは「ギターは小さなオーケストラだ」と言ったとか。ピアノなみの複雑な表現ができるのですが、単音では弦楽器や管楽器と渡り合うことができません。ジャズではひたすらコードをジャカジャカ弾く、伴奏楽器に甘んじていました。音量の壁を超えて管楽器のようにソロをとるには、いわゆるエレキ、エレクトリック・ギターの登場を待たなくてはなりませんでした。

エレキでソロを取れるようになってからも、ギタリストは「コードを弾かなきゃ」という呪縛から逃れることができませんでした。何しろボリュームを絞ればコードを弾けるんだし、ただボーっとしているわけにはいかない。ギター弾は背中を丸めて、ピアノとかぶらないように伴奏をつけて、ちゃんと働いているところを見せてきました。花形楽器のサックスやトランペットで、日陰者というか、なんだか暗いのです。

ところがブルーノートから彗星のように登場したグラント・グリーン(Grant Green 1935〜1978)は、コードを全く弾かないのです。自分の出番になったらソロを弾いて、あとはお休み。もともとR&B(リズム・アンド・ブルーズ)を演奏していたこともあって、グリーン自身も「ジャズ・ギタリスト」だとは考えていなかったそうです。私は「ジャズ期」しか聴いたことがないですが、ファンキー路線に転じてビリー・ジョエルの「素顔のままで」なんかも演って、車の中で心臓発作を起こして亡くなりました。おクスリで命を縮めたようです。

さて彼のプレイはと言えば粘っこい快楽というか、「もう、えらいコテコテなんやで」と、なぜか関西弁で言いたくなるノリが特徴です。同じフレーズをこれでもかと繰り返すので、ちょっと聴いた感じでは技巧的に優れている印象はまるでないけれど、力強いピッキングでグイグイ弾きまくるのは、コピーしようと思ってできるもんじゃない。実は大変なテクニシャンだったことが分かります。ジャズマニアの間では快楽路線のために過小評価されているグリーンですが、シリアスなアルバムとして、Idle Moments(Blue Note 1963)を挙げておきます。

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