2019年08月23日

ロケットマン

クイーンのフレディ・マーキュリーの生き方を描いた映画、「ボヘミアン・ラプソディ」をご覧になった方も多いと思います。そしてエルトン・ジョンの「ロケット・マン」が、今日からロードショーとなっています。中学生の頃はエルトン・ジョンのレコードに夢中になっていたので見には行きたいのですが、映画館の音が大き過ぎてしんどいときもあるので、どうしようか迷っています。

タイトルになっている「ロケットマン」は、1972年に発売されたアルバム、「ホンキー・シャトー」に収められています。エルトンと言えば1970年の「僕の歌は君の歌:(Your Song)ですが、このアルバムから「ピアニストを撃つな」、「黄昏のレンガ路」、「カリブ」、1975年の「キャプテン・ファンタスティック」までがサウンド面での黄金時代なのかもしれません。デビューアルバムから前作の「マッド・マン」までは、スタジオミュージシャンとポール・バックマスターの弦楽アレンジでしたが、「ホンキー・シャトー」からは腕利きのギター、ベース、ドラムスのメンバーが定着してバンドになります。

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このアルバムからシングルカットされたのは「ホンキーキャット」と「ロケットマン」ですが、他にも「モナリサ・アンド・マッド・ハッター」、「メロウ」、「サルベーション」などの佳曲が詰まっています。

ギターのデイヴィ・ジョンストンはフォーク畑の人で、エレクトリックギターを持っても速弾きとかはまるでしません。アコースティック・ギターできれいなコード・ストロークを響かせたり、マンドリンやバンジョー、スチールギター、シタールなどの各種弦楽器を器用に弾きこなします。ベースのディー・マレーは亡くなってしまいましたが、ツボを押さえた端正なベースラインとスムーズなフィンガリングで、レオン・ラッセルから「いつでも来てくれ」と言われていたスタジオミュージシャンでした。ドラムスのナイジェル・オルソンはユーライア・ヒープにいた人ですが、実はポップ・ヴォーカリスト志望で、そっちのソロアルバムも何枚か作っています。彼らは演奏するだけではく、息の合ったコーラスもつけていました。

その他にもパーカッションのレイ・パーカーJrや、ヴァイオリンのジャン・リュック・ポンティ(ホンキー・シャトー)、ARPシンセサイザーでデヴィッド・ヘンツェル(黄昏のレンガ路、キャプテン・ファンタスティック)、タワー・オブ・パワーのホーンセクション(カリブ)などが、彩を添えていました。

エルトン・ジョンはソング・ライター、シンガー、ピアニストである他に、バイセクシャル、奇抜なファッション、サッカーチームなどの浪費、薬物依存、ダイアナ妃との友情、エイズ支援など、さまざまな面が知られています。でもブラック・ミュージックの厖大なコレクションをもっているとか、キング・クリムゾンのオーディションを受けたことがあるとか、「音」に相当なこだわりをもって取り組んできたことは、あまり知られていないように思います。映画を見て興味を持たれた方は、ぜひ70年代のアルバムを購入して、聴いてみられてはいかがでしょうか。
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2019年07月31日

人としてふつうに

 皆さんご存知の通り、日本はここのところ韓国との間が、ぎくしゃくしています。ちょっと気になるのが、日本でアパートを借りようとした人が、韓国出身であることを理由に大家さんから断られることが増えてきたのだとか。大家さんたちにお願いできるのであれば、出身がどこの国だとか、人種がどうとかではなくて、人としてふつうに対応していただけたらなと思います。世の中には色々な人がいますが、それは相手がそういう人だからであって、「〇〇出身の人だから」ではないはずです。

 つながりができてくれば、お互いに我慢することもあるし、助け合うこともある。それは相手が何人であろうと、同じことです。いま目の前にいる相手は、マスコミやネットの書き込みから伝わってくる「○○国の人」ではなくて、実際に自分の眼で見ている姿なのですから、これほど確かなことはありません。

2019年06月28日

日日是好日

樹木希林さんの遺作となった作品です。

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主人公の女性(黒木華)が、お茶の稽古に通いながら成長していくのがテーマです。場面の大半は、お稽古です。だからドラマティックな見せ場は、まるでない。でも樹木希林さんの演技は真に迫るというか、死期を悟って言っているのだろうな、と思わせるセリフがあちこちで聞かれます。

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原作は森下典子さんの、同名のエッセイ集。心理療法が描かれている映画はありますが、映画そのものが心理療法になっているのではないか、と思わせるような作品です。

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2019年05月28日

不便なモノ

もう二度と買わないだろうと思っていたフィルム式のカメラを、ついネットオークションで買ってしまいました。それも1950年代にドイツで作られた、ローライコードXという二眼レフです。クラシックカメラだとライカにあこがれはありますが、レンズ交換「できる」のは怖いです。ローライコードは、有名なローライフレックスよりもお値段が手ごろで、動かないで邪魔なばかりの露出計ががついていないのがメリットです。本当はひとまわり小型のベビーローライが欲しかったのですが、フィルムが入手困難で自分で切って作る羽目に陥るのであきらめました。

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二眼レフというのは下のレンズが撮影用で、上のレンズは反射式(レフレックス)のファインダー用ということで、二眼レフなのです。太い(つまりは高い)フィルムで12枚しか撮れないので、バシャバシャ景気良く撮るわけにいきません。上からのぞくファインダーは左右逆に映るので、動いているものを撮るのは無理です。接写は苦手だし、ちょっと暗ければ三脚が必要になるし、セルフタイマーは外づけです。どだい、撮影の手順がすごいです。ファインダーを開けてかまえる、フィルムを巻く、構図を決める、ピントを合わせる、露出を決める、シャッターをチャージする、そしてシャッターを切る。記念写真用、でしょうか。

デジカメやスマホで撮影して、すぐに見れるのは便利です。充電さえ怠らなければ、タダ同然で大量に撮影できます。その代わり、「写ってる!」だけで感動することはありません。思い切り手間ひまをかけて、精巧なローライのメカや、シュナイダー製レンズの描写を味わうのも良いものでしょう。60年前の機械でも、整備さえすれば今でも当時と同じように動くのは、まさにローテクの勝利です。……でもテスト撮影している間に気づいたのは、フィルムの現像まではアナログだとしても、プリントはスキャナーをかけてデジタルでやるに違いないということでした。とことんアナログにこだわるなら、モノクロフィルムを入れて(今やモノクロの方が高価です!)、自分で現像、引き伸ばしをするしかありません。学生の頃にさんざんやっていたので、今でもやろうと思えばできるのですが、暗室も機材も時間もありません。レンズで焼いてくれるラボって、まだあるのでしょうか?

「蓄音機でSP盤を聴かせてくれるおじいさん」になったような、気分です。


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2019年04月23日

松下幸之助の呪縛

私の世代でオーディオに親しんでいた人たちは、「あの」パイオニアがつぶれて身売りするなんて、若い頃はまったく想像もつかなかったことだと思います。若者たちの多くは音楽に夢中になっていたし、音楽を聴くにはオーディオ装置は必需品でした。いまや絶対数の減った若者たちはゲームやSNSに夢中になり、彼らが音楽を聴としても手が伸びるのはパソコンやスマートフォンです。

私の仕事場には、オーディオ装置が置いてあります。事務仕事をしながら聴いたり、家族がテレビをつけているときに聴いたりするのに、重宝なのです。10年ほど使っていたCDプレーヤーを、最近になって入れ替えました。いまや中堅機種はSACDプレーヤーばかりですが、CDを聴くとなると、読み込みが遅くて音も悪いSACDプレーヤーは買う気がしませんでした。と言うことで導入したのが、パイオニアのPD−30AEです。ネットでなんと23,000円ちょいでした

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ところが音を聴いてみたら、びっくり仰天。前に使っていたのはマニアの間でも定評のある機種だったのですが、はるかに良い音がします。それもパイオニアらしい明るく透明感のある音で、私が初めて買ったCDプレーヤーの同社製、PD−2000(バブル期ならではの物量投入機で、10万円近くしました)をも、軽々と凌駕しています。本体のスイッチこそペコンとした押し心地ですが、見た目も安っぽくはありません。

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このPD−2000は懐かしいです。しっとりとした品のある音で、ディスクトレイが開くと「Dedicate to a true music lover」と小さな金文字が見えたりして、音楽を聴く道具として完成されていました。それから30年、値段は4分の1に、パフォーマンスは4倍に、でしょうか。技術者の意地を見せてもらったような気もしますが、「これだからダメなんだよなあ」と思ってもしまいます。「より良い物を、より安く作って、沢山の人に使ってもらう」という松下幸之助さんの教えは、人口増加の時代には良かったでしょうが、人口減少の時代にあっては企業の首を絞める呪縛になっているような気がします。

posted by nori at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 音の考現学

2019年04月12日

「PTA」から「保護者会」に

私の母親は、小学校の先生をしていました。3月に帰省したときに教員時代の昔話を聞いた(聞かされた?)のですが、その中に「PTAなんか止めれば良いのに」と言うのがありました。母親が働いていた頃は小さな学校に勤務すると、何から何までやらなくてはならず、給食を作っていたこともあったそうです。PTAは集金や会計、その他のおぜん立てまでしていて、これもとにかく大変だったと言うのです。母親が言うのは、「先生が大変だから」なんですね。

私たちも子どもが学校に通っていたころは、いかにPTAの役員を避けて通るか、あるいは無事にこなすかが保護者の関心事でした。役員を決める年度当初の集まりは、欠席する人もいたようです。とくに「卒業する年に役員をすると大変」と言われていたので、「6年生でやらないで済むように、今のうちにしておきたい」とか、みんな色々と考えてやってきます。

先生にとっても、保護者にとっても、悩みのタネになるPTA。耳学問なので、間違っているかもしれませんが、そもそもの始まりは「良い先生を守ろう」運動だったらしいです。昔のアメリカは校長先生の権限強くて、気にくわない先生を簡単にクビにできたそうです。「良い先生」がクビになったり、校長からのヘンな圧力を受けないように、教師と親が連合していきましょう、という Parent-Teacher Assosciation なんですね。日本では戦後に民主教育を定着させていこうという目的で、導入されたらしいです。本来の目的とも違うし、PTAにありがちな根回しと遠慮とボス化は民主教育とはかけ離れています。

最初から教師と保護者が「連合」してしまうから、保護者もホンネが言えません。「行ってもつまらない」とか「役に立たない」、形式だけの組織になってしまいがちなのがPTAの問題点なのかなと思います。わが家の子どもたちが通った幼稚園は、「保護者会」がありました。意見をまとめて幼稚園への要望を出すこともあるし、幼稚園の運営に協力することもあり、幼稚園との関係性が対等に感じられました。そして何より、和気あいあいとした親密な雰囲気がありました。子育ての不安や苦労を語り合うような土壌になっていたと思います。

いまの日本で児童虐待が深刻な問題になっているのは、ご存知の通りです。虐待の一要因としてあげられるのが、親が社会的に孤立しているということです。虐待防止の観点からも、「PTA」から「保護者会」に移行して、みんなで子どもたちを育てる、親どうしが語り合う、そんな地域を作っていくことができれば良いと思います。