2026年02月14日

東畑開人 「カウンセリングとは何か」(講談社現代新書)



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写真のように帯がかかっていると、易しそうな感じがしますが中身は400ページを超えるボリュームです。この手の本が売れない時代に初版で7万部が売れて、先日は「新書大賞」を受賞したそうです。私は何度か書店で手に取りましたが、買うのをためらっていました。まだ読んでいない本が、何冊もたまっているからです。それでも買ったのは、「業界の人間として無視するわけにもいかないだろうな」という思いです。この本を読んでから相談室に来てくれる人も、いることでしょう。そしてカウンセリングについて話をする時の、素材になってくれるかもしれません。

カウンセリングとは何か、あるいは心理療法とは何か、それはこの仕事に携わっているものなら、ずっと追及し続けるものです。しかしクライエントは一人ずつ違いますし、同じことは二度と起こりません。私も10年、20年、30年……と40年も経ってしまいましたが、分かったと思ったらまた分からなくなります。その分かり方も、年数を経るごとに違っていきます。だから真正面から「カウンセリングとは何か」と題する本は、たとえ頼まれても書けないと思います。

私も「カウンセリングとは何か」をクライエントと二人で話すとか、授業で学生とディスカッションするとかだったら、何のためらいもなく話せることでしょう。でも一般書で「カウンセリングとは何か」と題してしまうと、業界は一家言をもった人たちばかりなので、何を言われるか分かったものではないです。「カウンセリングへの招待」ではなく、「カウンセリングとは何か」と題した東畑さんの勇気は讃えられて良いと思います。

いまや「カウンセリング」の概念は、無限大に広がっています。5分間の問診も、セールストークも、「カウンセリング」と呼ばれることもあります。そして心理療法もさまざまな学派があり、それぞれの優劣を競った時代もあり、いまは「統合派」や「折衷派」が大多数を占めているように見えます。認知行動療法も拡散していって、「第三世代」になってマインドフルネスまで取り入れるようになりました。心理療法をしている人だったら、もうだれでも「認知行動療法」を名乗れる気さえしてきます。

「こういう人には、〇〇療法が向いている」とか、「〇〇療法の特徴は……だ」とか、そんなマニアックな話は人々にとってはどうでも良いことです。自治体や企業でも、カウンセラーを入れるところが増えてきました。自分の子どもがスクールカウンセラーのいる学校に通っていたり、もしかしたら自分もカウンセリングのお世話になるかもしれないと思ったりする、そんな立場の人たちにとっては「一体何をしてくれるの?」ということになるのです。そんな社会的なニーズに応えているから、これだけの反応が起きているいるのではないかと思うわけです。

わたしたちは、クライエント個人に対しては、介入についての説明責任を負っています。だから「どうしてあの時、あんなことを言ったのか」については、答えるだけのものを持っているはずです。しかしカウンセリングという営み全体についての、説明責任はありません。むしろその責任を果たすのは、カウンセラーの養成をうたって学生を集めている大学であったり、あるいは資格認定協会や職能団体などの「公」の領域でしょう。

もちろん「カウンセリングとは何か」は「公」の領域の人たちも、説明はしているはずです。しかし通り一遍の定義だけでは、ユーザーの心には届きません。定義には「謎」が含まれていないからです。東畑さんは個人的な「謎解き」としており、業界を代表して説明責任を果たしているつもりなどないと思います。でも、まだ40代の東畑さんの「謎解き」の本が、これだけの反響を呼んでいることを、いま「公」の領域にいる人たちは認識する必要があるでしょう。その上で「カウンセリングとは何か」を、社会全体にアピールしていくことで、「公」の存在価値も高まっていくと思います。

わたしたち60代、70代の業界人が、東畑さんを「若いのに生意気だ」的な目で見てしまうとしたら、それはちょっと残念かなと思います。「若いのに生意気でない人」よりは、「若いのに生意気な人」の方がよほど頼もしく感じます。これは一般書ですが、業界の人たちこそ読むべきかもしれません。「これは、ちょっと違うんじゃないの?」という突っ込みどころは、それぞれ湧いてくると思います。しかし語られなかった空白に投げ込まれたものは、丁寧に扱っていった方が良いと思うのです。
posted by nori at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理学の本棚

2026年02月04日

レオ・レオーニと仲間たち

岩手県立美術館で、「レオ・レオーニと仲間たち」展が開かれています。
https://www.ima.or.jp/exhibition/temporary/20260117.html

レオ・レオーニ(1910〜1999)と言えば、絵本の「スイミー」や「じぶんだけのいろ」で有名ですね。祖父の代からオランダのダイアモンド産業に関わる裕福な家庭で育ち、親戚には絵画コレクターもいて、美術への道が開かれていたようです。アメリカに移住して商業デザイナーとして成功したこともありますが、イタリアに住んでいた時はファシズムに抑圧されて、苦しい思いをしたようです。華やかな成功の裏には、「自分とは何者か?」という問が常にあったそうです。

絵本の原画から、立体造形、芸術作品まで、レオーニの全貌を展示しています。


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当日は、写真撮影も許可されていました(フラッシュなど、NG条件あり)。私がとくに目を惹かれたのは、「平行植物」と題された、ちょっと不気味な絵画作品と立体造形です。レオーニはユダヤ系のために圧迫されていたし、社会正義を求めた風刺画でマッカーシーの「赤狩り」に目の敵にされていたことがあり、さまざまな人々が多様なままに共存する世界の実現を訴えたかったのではないかと思います。


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会場では自由にコラージュ(切り貼り)できる共同制作のコーナーもあり、親子連れで楽しんでいる人たちもいました。3月22日まで開かれているので、ご興味のある方はぜひどうぞ。
posted by nori at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2025年12月15日

「第九」の演奏会

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岩手県は四国と同じ広さがあると言われていますが、久慈市は北部の沿岸にあって、ほとんど行く機会がありません。車で出かけるとなると、高速道路を使っても片道で2時間はかかります。琥珀をが名品として知られていて、音楽ホールも「アンバーホール」の名前がついています。

12月14日に茂木大輔さんの指揮、仙台フィルハーモニー管弦楽団、4人のソリスト、地元の声楽家、市民合唱団の人たちによってベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されました。それに先立って演奏された「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)ではバンダ(ステージ外での演奏隊)では、中学生を含む地元の人たちも器楽で参加しました。

当日は降雪に見舞われて、前売り券を買っていなかったら、あきらめたかもしれません。プロの指揮者、ソリスト、オーケストラを迎えてのコンサートでS席で3000円というのは破格で、久慈市が市制20周年記念で開催したからできたことでしょう。私は日曜日にやってくれる演奏会がなかなかないので、とにかくありがたかったです。指揮者の茂木さんは長らくN響でオーボエを吹いていた方で、エッセイを読んで興味を持っていました。

楽章の間で拍手が起きたりするので、客席にはふだんクラシック音楽を聴いていない人たちも多かったと思います。出演者の家族とか、応援で来ている人もいたことでしょう。それが身内で固めたような感じではなくて、アットホームな雰囲気になっていたのがとても良かったと思います。プレトークでは茂木さんの作品にかける思いが伝わって来たし、何キロか痩せるんじゃないかと思うくらいの指揮ぶりでした。

わたしはオーケストラやソリストの演奏をどうこう言えるほど、クラシック音楽には詳しくありません。何年も訓練を重ねて、狭き門をくぐって来た人たちなので、素晴らしいに決まっているとしか思えません。ただ録音で聴くと合唱が弱いと感じる演奏もあるのですが、当日はプロのオーケストラやソリストに負けない合唱隊が圧倒的でした。

「第九」は年末の恒例行事になっている感がありますが、平和の尊さを歌い上げることに意味があると思います。それを作曲者のベートーヴェンと、指揮者、オーケストラ、ソリスト、合唱隊、聴衆と、全員で共有できる一体感はコンサートでないと味わえません。みなさん、ありがとうございました。
posted by nori at 13:12| Comment(2) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2025年11月30日

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日曜日の朝が多いのですが、早起きできると盛岡市神子田(みこだ)の朝市にでかけます。わたしたちはラーメンやひっつみなど、朝食をいただくことはあまりないです。並ばなくちゃいけないですしね。10月はキノコが目当てでした。だいたいは野菜や果物、お菓子を買って帰ります。野菜が安い……と言っても、ガソリン代を考えれば高い野菜になるのかもしれません。お店の方と地元の人たち、そして観光客もいて、人が行き交うのが良いのですね。買い物を一つするにも、ちょっとした会話がつきものです。途中で信号待ちをしていたら、雨上がりの空に虹がかかっていました。
posted by nori at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2025年10月16日

ムーンバード ライブ

10月12日に、盛岡市で「ムーンバード」のライブがありました。コロナ以降でナマの音楽を聴くのは、久しぶりのような気がします。ムーンバードは小池光子(vo)とタバティ(g)の「ビューティフルハミングバード」と、吉野友加(harp)と影山敏彦(g)の「ティコ・ムーン」を合わせた、4人組ということでした。NHK BSの「カールさんとティーなさんの古民家村だより」でも、小池さんの歌声が流れています。


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小池さんは、こんな方です。他の3人の方は入りきらなかったので、ごめんなさいという感じです。

ふだんは自己主張が強い「オレがオレが……」のジャズだったり、芸術を目指したクラシックだったり、そんな音楽を聴いているので、新鮮でした。自己主張のために音楽をするのではなくて、音楽の下に自分たちがいるという感じ。その音楽の上には、地球とか自然とかがある、そんな感じです。だからギターもドヤ顔で速弾きするとかじゃなくて、アンサンブルに徹しています。ハープは素朴な構造からの響きが、情感をよく伝えてくれるように感じました。息の合った演奏で、気持ちよく聴くことができました。

小池さんの歌声は「どっかで聴いたことがある……」と思っていたら、イギリスの「ルネッサンス」というグループのヴォーカル、アニー・ハズラムによく似ていると思いました。ミュージシャンに「だれと似ている」と言うのは失礼かもしれませんが、あの透き通った感じをどう形容すれば良いのか。そして声の音色が何色もあって、それはライブじゃないとよく分からないかもしれません。

年を取ってくると、夜に出かけるのがおっくうになります。それに土曜日は稼働日なので、日中にコンサートがあっても行くことができません。そんな事情もあるのですが、もっとナマの音楽を行こうと思いました。
posted by nori at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2025年08月29日

復員兵による虐待

NHKの番組を見ていたら、太平洋戦争から復員した日本兵による虐待が報道されました。父親から子どもの頃に受けていた暴力でトラウマを負い、いまも苦しんでいる人たちがようやく声を上げ始めたということでした。いつまでリンクが生きているか分かりませんが、しばらくは番組の詳細を見ることができると思います。

戦跡 ー薄れる記憶ー
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_121.html

病院でけいれん発作を起こしている兵士の、衝撃的な映像もありました。病院に連れていかれた人はまだ幸運な方で、戦闘行動が取れない人は「廃兵」として戦場で自殺を強要されるか、その場で射殺されていたのではないかと思います。それはトラウマ障害だけでなく、傷病者になってしまうとみな同じような運命だったと思われます。ひとたび招集されてしまえば、「皇軍の恥」として降伏することは許されません。

当時の日本は、天皇のために死ぬことが強要される、そういう国でした。戦いに明け暮れていた戦国時代、たとえば落城するときには領主が腹を切って死ぬ代わりに、兵士は助けてくれという話があります。封建時代は家来が奉公するのは領主が守ってくれるからであり、守り切れなかった領主は契約違反をしたということで、責任を取ったともいえます。この方がはるかに、正気だったと感じます。そして「背水の陣」「死兵(死を覚悟した兵士)は強い」という時代錯誤の精神主義が、命の使い捨てを加速していたのではないかと推測します。

ベトナム戦争の米軍兵士は、降伏が許されていました。休日もあって、前線から戻ってつかの間の安らぎを得ることもできました。トラウマ障害(当時は戦争神経症)を負えば、帰国も許されたでしょう。それでも復員兵の社会復帰が難しく、中には反社会的な行動に走ったり犯罪を犯す人も多いことで、大きな社会問題になりました。トラウマの研究は、ベトナム戦争をきっかけに進んだともいえます。

戦闘だけでなく、上官による暴力や飢餓、シベリア抑留など、はるかに過酷な状況に置かれた日本の復員兵のトラウマがこれまで表に出てこなかったのは、当時の日本軍や政府によって隠ぺいされてきたことが、番組で報道されていました。出演していた精神科医の目黒克己さんは、日本人の精神障害への偏見や、精神医学界による「見て見ぬふり」の励行が、今日までの社会による否認につながったと指摘されていました。

この問題への厚労省の対応は、「事実関係との確認が困難」というものでした。いま訴えている人たちの苦しみは真実であって、事実との因果関係を詮議するものではないと考えます。こういう話になると必ず「どうせ補償金目当てだろう」とか、「戦争のせいにしている」とか、そういうことを言い出す人がいます。それは、セカンドレイプ以外の何物でもありません。もし身近に「子どもの頃に、復員してきた父親から虐待を受けた」という方がいらっしゃったら、そのまま受けとめていただければと思います。
posted by nori at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス