2019年10月24日

先生のイジメ

神戸の須磨の小学校での、教師による教師へのいじめ事件が大きな話題になっています。と言いましょうか、その中身は加害者と校長などの学校関係者へのバッシングでしょうか。「加害者が有給で自宅待機しているのはけしからん」とか、まあ言いたくなる気持ちも分からなくはないですが、あんまり騒ぎ立ててしまうと、いまその学校に通っている児童たちが傷ついたり、勉強どころでなくなってしまうことが心配になります。

雇用者は労働者に対して、安全配慮義務を負っています。過剰労働や教員間のハラスメント、生徒の対教師暴力、クレーマーからの暴言、精神疾患への対応など、教職員の心理的な安全に対してだれが責任を負うのか……ということだと、校長とか市町村長とか、おそらくは「長」のつく人になるのしょう。でも実務としてだれがコミットするのか、という話になると厄介です。これが企業なら直属の上司であったり、あるいは人事部であったり、ハラスメントの相談窓口であったりして、自分が相談すればどんな扱いになっていくのかを社員は想像できます。ところが学校となると、ほぼすべてが校長任せで、他に相談できるところがあるのかどうか、よく分からないのが実際のところでしょう。

教職員にとって校長は評価を与える上司なので、心証を悪くしたくありません。たとえば「メンタルの弱い人」とでも評価されてしまったら、その後の仕事や移動先に影響が出ると感じても無理はありません。驚いたのは「神戸方式」なる異動で、校長がお気に入りの教員を引き連れて異動する仕組みが長年のあいだ維持されてきたことです。これは悪くすれば恐怖政治の温床になるし、その「お気に入り」が良からぬことをしていたら、校長に言い出しにくいに決まっています。

うつなどで休職した教員が復職するときには、保健師などがコミットする仕組みがあるようです。それでもないよりはましですが、日常的な心理的な安全に関して、だれが(どこが)現場の教員に関わるのか、もっと分かりやすくしっかりした仕組みを作って行かないと教職員間のハラスメントは減っていかないでしょう。教員はメンタルヘルスでダウンする率が高いのですが、休業中の間は収入を補償して講師を雇用しなくてはならないし、離職された場合はそれまでに培ったものを失うことになるので、損失は多大です。何より子どもたちのために、元気な先生に教壇に立って欲しいものです。心理職も含めた専任チームが自治体に設置されて、教職員のメンタルヘルスに関わっていく仕組みが整備されると良いのですが。
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2019年09月27日

できなくても良いのに

とある中学校で、ストレスマネジメントの授業をしました。「自分でリラックスできるようになろう」がお題で、身体を使うリラクセーションです。体育館でやったこともあって、「やる子はやるし、やらない子はやらない」の「やらない率」は高めでした。まあそれは想定内だったのですが、ちょっと気になったのが「味見で済ます」子が多いかな、と言うことでした。面白くて夢中になるとか、実感できるまでとことんやる、みたいな雰囲気が感じられませんでした。むしろ周りを気にしているような感じでした。

たとえば体育で跳び箱をするのに、助走だけしてスーッとわきにそれていく男子がいる。高い段ならまあ分かるけど、余裕で跳べそうな低い段でも、なんですね。最初から上手にできるのだったらつまらないし、練習する必要もないのですが、「カッコ悪いところを人に見られたくない」ということなのか、ちょっと難しそうなことにトライしようとしない子が増えてきているような気がします。

そういうことを体育の先生に話したら、「ちょっと前からそう」だと言うのです。「小学校から上がって来た子たちが、掃除の反省のときに、良かったところだけ言って、できてないところは言わないようになった。コレができるようになりたいということはないのか? と言ってしまうんだよね」と。私は掃除のたびに「反省」をするのも、窮屈じゃないかなと思ってしまうのですが、まあそれはそれとして。

できても良いし、できなくても良い。できないことができるようになると、嬉しくなる。人はそんなものじゃないかなと思うのですが、「何だオマエ、そんなこともできないのか」と言ってしまう人もいるし、それを怖がる人も出てくる。子どもたちが初めから「できる、できない」とか「どう見られるか」にこだわるのではないでしょうから、大人を映しているいるのかもしれません。

2019年08月23日

ロケットマン

クイーンのフレディ・マーキュリーの生き方を描いた映画、「ボヘミアン・ラプソディ」をご覧になった方も多いと思います。そしてエルトン・ジョンの「ロケット・マン」が、今日からロードショーとなっています。中学生の頃はエルトン・ジョンのレコードに夢中になっていたので見には行きたいのですが、映画館の音が大き過ぎてしんどいときもあるので、どうしようか迷っています。

タイトルになっている「ロケットマン」は、1972年に発売されたアルバム、「ホンキー・シャトー」に収められています。エルトンと言えば1970年の「僕の歌は君の歌:(Your Song)ですが、このアルバムから「ピアニストを撃つな」、「黄昏のレンガ路」、「カリブ」、1975年の「キャプテン・ファンタスティック」までがサウンド面での黄金時代なのかもしれません。デビューアルバムから前作の「マッド・マン」までは、スタジオミュージシャンとポール・バックマスターの弦楽アレンジでしたが、「ホンキー・シャトー」からは腕利きのギター、ベース、ドラムスのメンバーが定着してバンドになります。

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このアルバムからシングルカットされたのは「ホンキーキャット」と「ロケットマン」ですが、他にも「モナリサ・アンド・マッド・ハッター」、「メロウ」、「サルベーション」などの佳曲が詰まっています。

ギターのデイヴィ・ジョンストンはフォーク畑の人で、エレクトリックギターを持っても速弾きとかはまるでしません。アコースティック・ギターできれいなコード・ストロークを響かせたり、マンドリンやバンジョー、スチールギター、シタールなどの各種弦楽器を器用に弾きこなします。ベースのディー・マレーは亡くなってしまいましたが、ツボを押さえた端正なベースラインとスムーズなフィンガリングで、レオン・ラッセルから「いつでも来てくれ」と言われていたスタジオミュージシャンでした。ドラムスのナイジェル・オルソンはユーライア・ヒープにいた人ですが、実はポップ・ヴォーカリスト志望で、そっちのソロアルバムも何枚か作っています。彼らは演奏するだけではく、息の合ったコーラスもつけていました。

その他にもパーカッションのレイ・パーカーJrや、ヴァイオリンのジャン・リュック・ポンティ(ホンキー・シャトー)、ARPシンセサイザーでデヴィッド・ヘンツェル(黄昏のレンガ路、キャプテン・ファンタスティック)、タワー・オブ・パワーのホーンセクション(カリブ)などが、彩を添えていました。

エルトン・ジョンはソング・ライター、シンガー、ピアニストである他に、バイセクシャル、奇抜なファッション、サッカーチームなどの浪費、薬物依存、ダイアナ妃との友情、エイズ支援など、さまざまな面が知られています。でもブラック・ミュージックの厖大なコレクションをもっているとか、キング・クリムゾンのオーディションを受けたことがあるとか、「音」に相当なこだわりをもって取り組んできたことは、あまり知られていないように思います。映画を見て興味を持たれた方は、ぜひ70年代のアルバムを購入して、聴いてみられてはいかがでしょうか。
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2019年07月31日

人としてふつうに

 皆さんご存知の通り、日本はここのところ韓国との間が、ぎくしゃくしています。ちょっと気になるのが、日本でアパートを借りようとした人が、韓国出身であることを理由に大家さんから断られることが増えてきたのだとか。大家さんたちにお願いできるのであれば、出身がどこの国だとか、人種がどうとかではなくて、人としてふつうに対応していただけたらなと思います。世の中には色々な人がいますが、それは相手がそういう人だからであって、「〇〇出身の人だから」ではないはずです。

 つながりができてくれば、お互いに我慢することもあるし、助け合うこともある。それは相手が何人であろうと、同じことです。いま目の前にいる相手は、マスコミやネットの書き込みから伝わってくる「○○国の人」ではなくて、実際に自分の眼で見ている姿なのですから、これほど確かなことはありません。

2019年06月28日

日日是好日

樹木希林さんの遺作となった作品です。

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主人公の女性(黒木華)が、お茶の稽古に通いながら成長していくのがテーマです。場面の大半は、お稽古です。だからドラマティックな見せ場は、まるでない。でも樹木希林さんの演技は真に迫るというか、死期を悟って言っているのだろうな、と思わせるセリフがあちこちで聞かれます。

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原作は森下典子さんの、同名のエッセイ集。心理療法が描かれている映画はありますが、映画そのものが心理療法になっているのではないか、と思わせるような作品です。

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posted by nori at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画に見るこころ

2019年05月28日

不便なモノ

もう二度と買わないだろうと思っていたフィルム式のカメラを、ついネットオークションで買ってしまいました。それも1950年代にドイツで作られた、ローライコードXという二眼レフです。クラシックカメラだとライカにあこがれはありますが、レンズ交換「できる」のは怖いです。ローライコードは、有名なローライフレックスよりもお値段が手ごろで、動かないで邪魔なばかりの露出計ががついていないのがメリットです。本当はひとまわり小型のベビーローライが欲しかったのですが、フィルムが入手困難で自分で切って作る羽目に陥るのであきらめました。

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二眼レフというのは下のレンズが撮影用で、上のレンズは反射式(レフレックス)のファインダー用ということで、二眼レフなのです。太い(つまりは高い)フィルムで12枚しか撮れないので、バシャバシャ景気良く撮るわけにいきません。上からのぞくファインダーは左右逆に映るので、動いているものを撮るのは無理です。接写は苦手だし、ちょっと暗ければ三脚が必要になるし、セルフタイマーは外づけです。どだい、撮影の手順がすごいです。ファインダーを開けてかまえる、フィルムを巻く、構図を決める、ピントを合わせる、露出を決める、シャッターをチャージする、そしてシャッターを切る。記念写真用、でしょうか。

デジカメやスマホで撮影して、すぐに見れるのは便利です。充電さえ怠らなければ、タダ同然で大量に撮影できます。その代わり、「写ってる!」だけで感動することはありません。思い切り手間ひまをかけて、精巧なローライのメカや、シュナイダー製レンズの描写を味わうのも良いものでしょう。60年前の機械でも、整備さえすれば今でも当時と同じように動くのは、まさにローテクの勝利です。……でもテスト撮影している間に気づいたのは、フィルムの現像まではアナログだとしても、プリントはスキャナーをかけてデジタルでやるに違いないということでした。とことんアナログにこだわるなら、モノクロフィルムを入れて(今やモノクロの方が高価です!)、自分で現像、引き伸ばしをするしかありません。学生の頃にさんざんやっていたので、今でもやろうと思えばできるのですが、暗室も機材も時間もありません。レンズで焼いてくれるラボって、まだあるのでしょうか?

「蓄音機でSP盤を聴かせてくれるおじいさん」になったような、気分です。


posted by nori at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと