2017年08月02日

夏休み

学校が夏休みに入り、私もひまな時期になりました。盛岡では太鼓を打ち鳴らして踊り歩くお祭り、「さんさ」の真っ最中です。出演する団体それぞれに、伝統や趣向があって、見に行けば楽しめるはず……なのですが、あいにく家にこもっています。たまったままの書類を整理したり、部屋の片づけをしたり、建具屋さんに入ってもらってドアを直したりと、ふだんできないことをやっておいて、2学期に備えるという感じです。

岩手県の学校は夏休みが短いので、2学期が実に長いのです。9月1日から始まるのではなくて、8月20日ごろから始まります。そのぶん冬休みが長くて、3学期はあっけなく終わります。北国で夏よりは冬の方が気候が厳しいから、ということでしょうし、たしかにお盆を過ぎれば涼しくなるので理にかなってはいるのですが、個人的には夏休みが長い方がありがたいです。

お知らせ:8月14日(月)〜16日(木)は、あゆみカウンセリングルームでお休みをいただきます。電話やメールへの対応もストップすると思いますが、よろしくお願いします。


2017年07月27日

グラント・グリーン

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ベートーベンは「ギターは小さなオーケストラだ」と言ったとか。ピアノなみの複雑な表現ができるのですが、単音では弦楽器や管楽器と渡り合うことができません。ジャズではひたすらコードをジャカジャカ弾く、伴奏楽器に甘んじていました。音量の壁を超えて管楽器のようにソロをとるには、いわゆるエレキ、エレクトリック・ギターの登場を待たなくてはなりませんでした。

エレキでソロを取れるようになってからも、ギタリストは「コードを弾かなきゃ」という呪縛から逃れることができませんでした。何しろボリュームを絞ればコードを弾けるんだし、ただボーっとしているわけにはいかない。ギター弾は背中を丸めて、ピアノとかぶらないように伴奏をつけて、ちゃんと働いているところを見せてきました。花形楽器のサックスやトランペットで、日陰者というか、なんだか暗いのです。

ところがブルーノートから彗星のように登場したグラント・グリーン(Grant Green 1935〜1978)は、コードを全く弾かないのです。自分の出番になったらソロを弾いて、あとはお休み。もともとR&B(リズム・アンド・ブルーズ)を演奏していたこともあって、グリーン自身も「ジャズ・ギタリスト」だとは考えていなかったそうです。私は「ジャズ期」しか聴いたことがないですが、ファンキー路線に転じてビリー・ジョエルの「素顔のままで」なんかも演って、車の中で心臓発作を起こして亡くなりました。おクスリで命を縮めたようです。

さて彼のプレイはと言えば粘っこい快楽というか、「もう、えらいコテコテなんやで」と、なぜか関西弁で言いたくなるノリが特徴です。同じフレーズをこれでもかと繰り返すので、ちょっと聴いた感じでは技巧的に優れている印象はまるでないけれど、力強いピッキングでグイグイ弾きまくるのは、コピーしようと思ってできるもんじゃない。実は大変なテクニシャンだったことが分かります。ジャズマニアの間では快楽路線のために過小評価されているグリーンですが、シリアスなアルバムとして、Idle Moments(Blue Note 1963)を挙げておきます。

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2017年07月20日

不器用な子どもたち

とある、山間地の中学校でのこと。1年生の体育の授業では、マット運動をやっていました。仕上げの時間ということで、生徒たちはグループ内で「発表」をして、評価してもらっていました。これが私にとっては衝撃的で、色々と考えさせられてしまいました。前転をすると足がびろ〜んと開く子が多数おり、後転にいたっては半分くらいしかできません。恥ずかしさもあるのかもしれないけど、演技の終わりにしっかり止まることのできない子ばかりです。私はお世辞にも運動神経が良かったわけではなく、体育は苦手でしたが、でも後転は小学校の4年生くらいでやっていたように思います。次の週は、走り高跳びでした。「はさみ飛び」ができない子が、いっぱいです。跳び箱の閉脚飛びみたいにやる子、ジャンプできないままゴムひもにつっこむ子、変にのけぞって背面飛びになる子……。

その学校の体育の先生も、「今年の1年生は不器用な子が多くて……」と困っているようでした。山間地であるがゆえ、ちょっと外に出て友だちと遊ぶということもなさそうです。なんでも「猿が出て怖いから、うっかり子どもを外に出せない」という保護者もいるそうです。「クマを見た人、いる?」と聞くと、こっちでもあっちでも手を挙げる子がいるようなところです。もちろんクマも怖いし、猿も怖い。鹿だって角を突き立てて向かってきたら、人間なんかひとたまりもありません。こうした野生動物の脅威に加えて、ゲーム三昧で外に出ない子たちがごっそりと中学校に入ってくるというわけです。彼らの動き方を見ていると、とても身体のすみずみまで神経が行きわたっているように思えないほどです。

「昔は良かった」とか「近頃の若い者は」みたいな話は、メソポタミアの碑文にもあるそうです。だからあんまり言いたくはないことだけど、いまの時代の子育てや教育、とくに体育は見た目ばかりを大事にして根本をおろそかにしているような気がしてなりません。用水路で魚をとったり、神社の境内で缶けりをしたり、空き地で三角ベースをしたり、というのが私の子ども時代の遊びでした。家にいても家業の手伝いをしたり、おつかいに行くとかで、身体を動かす機会がたくさんありました。お稽古事や競技スポーツよりも、ただ歩いたり走ったり、自然の中で遊んだり、家事をする方が本当の体育ではないかと思います。
posted by nori at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2017年06月28日

ザ・コンサルタント

 原題は The accountant (会計士)です。主人公は数を扱うことにかけては天才で、ヤバい金の資金洗浄など、裏社会の会計処理を引き受けています。それでも消されずに生きているのは、ゴルゴ13なみの戦闘能力を身に着けているからです。まさに鬼に金棒ですが、泣きどころもあります。人への関わり方がわからない、何かに取りかかると中断ができない、身体の実在感をもてない、衝動のコントロールができない、行動が型にはまっている、不器用な言葉づかいなど、など。彼は困っている(らしい)ので障害と言えば障害なのですが、それを凌駕する能力で世の中を渡っているわけです。誇張されているきらいはありますが、自閉症スペクトラムの特徴をよくとらえていて感心しました。

 その一方で暴力が問題解決の手段として野放しになっているのが、いかにもハリウッド映画で残念なところです。子どものころ、テレビで西部劇を見ていた父親が「ほら、すぐピストルで殺すだろ。アメリカ人は野蛮だ!」といささかムキになっていたのを思い出します。日本の映画でもチャンバラや撃ち合いはあるし、たかが娯楽にムキにならなくても良いのですが、ここまで派手にやられるとちょっとなあという感じです。「目的が正しければ、手段は選ばない」がこれまで繰り返されてきた戦争の論理で、広島・長崎の原爆も、北朝鮮のミサイルも、イスラム国のテロ攻撃も同じことでしょう。「間違った手段がとられるときは、目的も間違っている」のですよ。わかっていますか? トランプさんに、プーチンさんに、アベさんも……。 
posted by nori at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画に見るこころ

2017年05月26日

スクールソーシャルワーカー

ここ何年かで、スクールソーシャルワーカーが学校に配置されるようになってきました。全国的なことは分かりませんが、私が住んでいる岩手県ではその質、量ともに向上しています。「質」については社会福祉士の資格をもって、福祉の領域で仕事をしていた人たちが配置されるようになりました。導入期には、必ずしもそうではない実態もありました。アメリカでは不就学児童への対策で20世紀初頭からの歴史がある学校ソーシャルワークですが、日本では今が黎明期ということになります。

どこからか「スクールカウンセラーには、スクールソーシャルワーカーのスーパービジョンをして欲しい」という声が聞こえてきたこともありました。おそらくは「どう動いて良いか分からない人たちに、動き方を教えてやって欲しい」というくらいの意味で、そう言いたくなる気持ちも分からないではありません。でも本来の概念からすれば、スクールカウンセラーはスクールソーシャルワーカーにとって、病院や児童相談所や適応指導教室など、色々な社会資源の一つです。せいぜい信頼して使ってもらえるように頑張るのが、関の山ということになります。

非常勤講師をしている大学院で、教授がカウンセリングとケースワークの違いについて、「よく使われるたとえ話が、うまく泳げない人に浮き輪を投げてあげるのがケースワークで、うまく泳げるように手助けするのがカウンセリング」と説明していました。このたとえ話は援助が直接的どうか、また必要性や緊急性によってそれを使い分けることを説明するにはよくできていると思います。足がつっているような人には浮き輪が必要だし、もうちょっとで泳げる人には浮き輪はかえって害になるでしょう。ただ「両方が必要な人」がもれてしまうのが、惜しいと思います。

スクールカウンセラーとして仕事をしていて、どうしてもケースワークが必要な生徒が出てきます。いまだったらスクールソーシャルワーカーさんにお願いするケースでも、以前は自分で関係機関に連絡をしたりして、ケースワークの真似事をすることもありました。若い頃に働いていた精神科の病院では、ソーシャルワーカーさんたちとのつきあいが濃厚だったので、「門前の小僧」なのです。ちなみに「習わぬ経」は「使えるものは何でも使う」と「思い立ったらすぐ電話」で、まことに頼りがいがあるというか先方も大変だろうなあというか、ケースワークとはその種の行為だと思っていました。

スクールソーシャルワーカーよりも歴史がちょっぴり長いスクールカウンセラーも、まだ専門職としての役割が不明確なところもあると思います。これから一緒に仕事をしていく中で、それぞれのアイデンティティを作りながら連携していければ良いと考えています。

2017年04月18日

ジャンゴ・ラインハルト

ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt 1910〜1953)は、ベルギー生まれで主にフランスで活動したギタリストです。ジャズの世界では、ヨーロッパが生んだ初めての一流演奏家でしょう。ロマの旅芸人をしていた彼は、キャラバンの火事を消そうとして、大やけどをしてしまいました。左手の薬指と小指を自由に使えないという、ギタリストとしては致命的な後遺症が残りました。しかしジャンゴは猛練習を積んで復帰しただけではなく、その障害ゆえのユニークなコード進行や右手を忙しくかき鳴らす奏法を身につけて、神業的な演奏を披露しました。ジャズのみならず、ロックなどジャンルの異なるギタリストたちからも、広く敬愛されていました。それは伴奏楽器にとどまっていたギターを、ソロを取れる楽器にまで引き上げた功績によるものでしょう。

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 ちなみにMJQ(Modern Jazz Quartet)で活躍したジョン・ルイスが、彼の死を悼んで、1954年に"Django"という曲を書いています。もちろんMJQの演奏でも楽しめますが、ギタリストによる演奏で有名なのはジョー・パスが演奏したものです(For Django / Joe Pass 1964)。

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 ジャンゴ・ラインハルトの音楽には、障害克服とか超絶技巧とか、そんな気負いはありません。気まぐれな放浪生活を愛して、ずいぶんイキな暮らしをしていたらしい。3本のギターとヴァイオリン、コントラバスで構成された「フランス・ホット・クラブ5重奏団」の「ジブシー・スイング」とも呼ばれる音楽はフランスのエスプリにあふれています。ヴァイオリンのステファン・グラッペリも素晴らしい。この「イン・メモリアル」では、テナーサックスの巨人、コールマン・ホーキンスも聴くことができます。

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