2018年07月09日

ウェス・モンゴメリー

ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery 1923〜1968)は、「オクターブ奏法」で有名な人です。兄はベースを、弟はピアノとヴァイブを弾くプロミュージシャン一家で、「モンゴメリー・ブラザース」名義のアルバムもあります。45歳で亡くなっていますが、1967年に発表したイージー・リスニング路線の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が大ヒットしたのが遅すぎたのか、子どもたちを養うために働き過ぎだったようです。

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チャーリー・クリスチャンは単音でソロをとってモダン・ジャズのギター奏法の開祖になりましたが、ギターという楽器は管楽器に比べるとどうしても音が細くなってしまいます。でも1弦と3弦、2弦と4弦を使って1オクターブ差の同音を弾いてソロを弾くと、あーら不思議、何とも言えずファットな味わいになります。もちろん音を出したくない弦は、ミュートします。原理は簡単なんだけど、これをノリノリで弾きまくるには相当な修練が必要です。面白いのは、ウェスが「もっとファットな音が欲しい!」と考えて始めたのではなくて、子どもたちが寝静まった夜に練習するために、ピックを使わないで指で弾いていたのがきっかけになったそうです。どこまでも、子ども思いだったんですね。そしてウェスはソロだけじゃなくて、コードワークも素晴らしいものがあります。写真を見ると異様に手がデカくて親指も強力そうで、あのファンキーな演奏には体格が寄与していたのではないかと思います。

オクターブ奏法をするには、もちろん練習も必要だけれど、度胸も必要なようです。ウェスの印象があまりにも強いために、「なんだ、ウェスの真似じゃん」で終わってしまいそうな感じがつきまとうのです。どうせやるなら、ウェス以上にカッコよくやらないと、意味がないような。リー・リトナーはウェスの影響でジャズ・ギターの世界に入った人で、オクターブ奏法も披露しますが、ハードバップと言うよりはウェスの晩年のイージー・リスニング路線の発展形という感じです。「俺は日本のウェスだ!」の宮之上貴昭さんくらいにならないと、ハードルが高いかもしれません。(The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery / Riverside 1960)

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第三世代の認知行動療法 ACT

ここのところ、放送大学の番組を録画して観ています。この9月に公認心理師の国家試験がスタートすることになっていて、受かるかどうかは分からないけれど、チャレンジしてみることにしました。広く薄くまんべんなく知識を詰め込んでいくのは、この歳になると辛いものがあるのですが、テレビの講義を見るのはまだ楽な感じで取り組めます。そこが出るとは、限らないんですけどね。

その放送大学の講義で紹介された「第三世代の認知行動療法 ACT」が、ちょっと面白いと思いました。講師は武藤崇先生で、ネットで調べてみたら同志社大学の教授でいらっしゃるようです。第一世代が行動療法、第二世代が認知行動療法、そして第三世代がこのACT(Acceptance & Commitment Therapy)ということらしいのですが、何となく自分にもやっていけそうな感じというか、わりと良い印象を持ちました。でもこれはもう、ほとんど森田療法なんじゃないかと思ってしまうのでした。

ちょっと調べてみた限りでは、ACTの提唱者は「森田療法から影響を受けた」とは明言していないようです。意地悪な見方をすれば、「影響を受けた」なんて書いてしまったら、「パクった」と言われかねないし、それで出典を避けているのかもしれません。ネットで検索をかけると「森田療法に酷似している」との論文もあるし、英語のコミュニティでは提唱者の Steven Hays氏に「パクったんじゃないの?」と質問を投げかけている人もいました。当人は「ACTが十分に発展するまで、森田療法を知らなかった」と否定しています。

森田療法は大昔に勤めていた精神科の病院が、慈恵医科大学とつながりがあって、門前の小僧的な知識はありました。私自身の心理療法の学びは精神分析から、臨床動作法にシフトしてきました。そのわき道には集団心理療法、サイコドラマ、箱庭や描画の表現療法、家族療法もあったのですが、森田療法もそのうちの一つでした。具体的な助言を求められて、それに応えようととするときには、森田療法の考え方が役に立つことが多いのです。自分自身の心をどう保っていくかについても、役に立つと思ってきました。「心理療法」と言うよりは、臨床の知恵、あるいは生活の知恵みたいな感じでしょうか。

そもそもACTにも取り入れられているマインドフルネスだって、仏教の瞑想に由来しています。人の役に立つのであれば、仏教も森田療法も人類共通の財産として活用していけば良いと思います。でも研究のデータで「エビデンス」を証明して、「科学」の包装紙でくるんで売り出すのは心理療法の商業主義ではないか、仏教や森田療法の「人助け」の精神に反するのではないか、と思ってしまうのでした。そしてパッケージになったものは、得てしてマニュアル化されていって、ダイナミックな「こころ」の働きに対応できないセラピストを産んでいく可能性ももっています。
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2018年06月14日

アトピー性皮膚炎再考

気がついてみると……という感じなのですが、アトピー性皮膚炎に悩む青年に会うことがめっきりなくなりました。私が皮膚科のクリニックを退職してから年数が経ったこともあるのでしょうが、世の中全体が「アトピー」で大騒ぎしなくなってきたように思います。これは一時期に隆盛をきわめた? 温泉宅配などのアトピー・ビジネスが皮膚科医による啓もう活動で激減したということが大きいのだと思います。私が皮膚科で働いていた1997年〜2002年は、ステロイド外用薬をアトピー・ビジネスから「これを塗っていると廃人になる」とか脅かされて、急に止めてしまう人が沢山いました。ステロイドでやっと抑えていた炎症が、また一気に噴き出すのは当たり前の話で、アトピー・ビジネスは「やっと体内の毒が出てきたんです」などと説明していました。挙句の果てにはヘルペスのためにカポジ水痘様発疹症になって、悪臭とともに入院して来られるような人が後を絶ちませんでした。そんなひどい目に遭う人がいなくなるのは、良いことです。

アトピーの患者さんに、「アトピーの症状で困っているの? それともアトピーが気になって困っているの?」とたずねると、大概の人は「アトピーが気になって困っている」と答えていました。症状が顔や首、手など、衣服で隠れないところに出てしまうと、それが「気になって」人前に出ることを苦痛に感じていました。つまり、コミュニケーションが思うようにできなかったのです。中にはひどい症状が顔に出ていても平気でどこにでも出かけている人もいましたが、「気にしない」ことも「気にする」のとある意味同じであることを考えると、痛々しいほどでした。

どんなにアトピーがひどい患者さんでも、手の届かない背中はきれいでした。つまり彼らは、自ら皮膚を掻き壊していた、とも言えます。患者さんたちに会ってみると、本当に良い子というか優しい人が多いと感じるのですが、自分の気持ちを表現することが苦手で、ため込んでいるように思いました。家に帰ってほっとすると、皮膚をガーッと掻き壊してスッキリする――感情表現の場が対人場面から後退して皮膚になっているかのようでした。こうなると社会ではなくて、自分の身体を相手にして暮らしているようなもので、一種のひきこもりとも言えます。

さて、いまやSNSが大流行の時代です。ともに過ごして言葉を交わすことよりも、データの共有でつながりを感じることが、「友だち関係」になってしまいそうな勢いです。顔がどうとかだけじゃなくて、「イイネ」や「インスタ映え」も大切なら、アトピーを気にしないで良い時代なのかもしれません。
posted by nori at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 心療皮膚科

2018年05月23日

ジム・ホール

ジム・ホール(Jim Hall 1930〜2013)は、1955年にチコ・ハミルトンのグループでデビューしました。あの複雑精妙なアレンジにヤラれたのか、若い頃からすっかりオツムが薄くなってしまいました。そんなことをつい思ってしまうほど、周りへの心配りが行き届いたギターを弾いた人です。あっと驚くようなテクニックでオレがオレがと弾きまくるようなタイプじゃなくて、サイドマンで良い録音を残すようなタイプと言ったら良いのでしょうか。ジムなんだけど事務的には弾かなかった、なんてね。

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彼のギターは、まずシングルトーンの力が凄いです。丸くて太いけど、ギターらしいナマの鳴りも聴こえて、そしてクリーンです。多くのギタリストに影響を与えた、独創的なフレーズも印象に残ります。エラ・フィッツジェラルド(vo)、ポール・デスモンド(as)、アート・ファーマー(tp)、ビル・エバンス(p)、ソニー・ロリンズ(ts)、ミシェル・ペトルチアーニ(p)、チャーリー・ヘイデン(b)と、さまざまなプレイヤーに呼ばれています。

中には主役を食っているような録音もあって、その一枚に挙げられるのがソニー・ロリンズとの「橋」です。おクスリで雲隠れしたロリンズが、橋のたもとで練習に励んで復帰したレコーディングで、ジム・ホールは何とも味のある演奏をしています。ロリンズはピアノのコードに縛られるのを嫌っていたのか、ベースとドラムスだけを従えて「ウェイ・アウト・ウェスト」などの名盤を残しています。「橋」はその延長線上にあって、テナー・サックス、ベース、ドラムスのトリオに、ジム・ホールのギターがからむようなスリリングな演奏です。彼はインタビューで「ソニー・ロリンズは演奏に注文をつけないで、すぐクビにする」と語っていましたが、そんなことを気にして弾いていたんでしょうか。

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リーダー作で決定的名盤はないのかもしれないけど、サイドマンでピカいちの仕事をして、作曲家としても評価が高くて、沢山のミュージシャンに影響を与えた、奥の深いギタリストと言えるでしょう。

2018年05月01日

アナログLPは音が良い?

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4月末の連休は、毎年恒例で「廃盤セール」があります。これが盛岡近辺に住んでいる音楽ファンにとっては結構な楽しみになっていって、私も今年は出かけることができました。嫌がる福沢さんを財布に押し込んで、会場のサンビルでこの看板にウェルカムされたらアドレナリン大放出です。昨今のアナログ人気でフロアは若い人でムンムン……のわけはなく、通称「エサ箱」の段ボールに詰め込まれたLPを好きなようにチェックできました。今回のお宝はレッド・ミッチェル(b)がリーダーで吹き込んでいる、ボボ・ステンソン(p)1969年の録音です。ボボ・ステンソンはスウェーデンの人で、1970年代に入ってECMの吹き込みで有名になりました。再発を待ち望んだファンも多かった(ホントかよ)幻の名盤ですが、千円台でゲット。このジャケットじゃ、いくら内容が良くても売れないと思うんですが……。

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オーディオファンの中には、「デジタル音源のCDよりも、アナログLPの方が音が良い」と言う人がいます。そしてアナログ関連機器も、いったいだれが買うんだろうと思うような高価な新製品が出てきます。カートリッジ1個、トーンアーム1本で数十万円、ターンテーブル本体は数百万円、フォノイコライザーも百万二百万は当たり前で、「レコードプレーヤー」一台で家一軒が建ちそうなのは、凄いもんだと思います。そうかと思えば、数十年前のトーレンスやガラードに優るものはないと断言する御仁もいて、実際にそう思わざるを得ないようなガッツのある音を聴いてしまうと、わけの分からない世界だと感じます。

アナログレコードは、針で溝をこすることで一種の付帯音がプラスされるようです。それが音の温かみや迫力、空間の臨場感として感知されるのではないでしょうか。そしてカートリッジやターンテーブルシートなどのアクセサリーの選択、アームの調整などで音が変わっていくので、それを詰めていく楽しみがアナログにはあります。それに対してCDはダイナミックレンジ(音の大小)が広くて、ノイズも少なく、傷やホコリなどの物理的なダメージからのノイズもありません。私はそれぞれの良さがあると思っていて、いまのところクラシックの録音をわざわざLPで買うことはありません。楽章ごとにひっくり返す手間もないし、時間が表示されるのも便利です。

それにしてもCDが生まれて市場を席捲していった1980年代には、2018年になってもLPプレーヤーが作られていることを想像した人はいなかったと思います。「もう聴けなくなるから」とLPを処分して、CDに乗り換えていく人たちが沢山いました。ローテクにも良いところがあると言うべきか、デジタルでは割り切れない何かが人間にはあると言うべきか、アナログの長命ぶりにはびっくりです。
posted by nori at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 音の考現学

2018年04月06日

東根山

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昨日はお天気も好かったので、東根山に行ってきました。平日なのに駐車場には10台以上、停まっていました。登山道の入り口には真新しい看板が立っていて、なんと新しい登山道が整備されたようです。その名も「猫の背コース」。従来のコースは「蛇石コース」と名前がつけられていました。登りのコースタイムはこれまでの「蛇石」が2時間半だったのが、「猫の背」は4時間だとか。渡渉もあるらしいです。

昨日は出かけるのが遅かったので、登りに4時間の「猫の背」は行く気がしなかったのですが、分岐がどこなのか探しながら歩きました。それらしい分かれ道はいくつかあるものの、どこなのか? 林業の作業用の道なのか、「猫の背」なのか。どうやらまだ整備の途中で、分岐点に標識が設置されていないようです。肝心の分岐点にも標識がないようでは、その先もこころもとない感じがします。当日の登山道はまだ圧雪になっているところもあり、蛇石展望台のあたりからはずっと圧雪でした。でも固く締まって上はザラザラした感じだったので、踏み跡をたどっていけば夏の登山靴でも快適に歩くことができました。

「馬の背」というのはあちこちにあるみたいで、両側が切り立った崖になっている細い尾根道です。馬の背の他にもキリンの首、ゴジラの背中、はたまたカニヨコばい、アリの門渡り……、こういう生き物がが登場する登山道は、私のように高所恐怖の気がある者としては近寄りたくないのです。でも「猫の背」とは、どうなんでしょうね。里山なので断崖絶壁は考えにくいし、猫背のように急なアップダウンと言うことでしょうか。下山して看板を眺めていたら、「仲間が下ってきた」と教えてくれた方がいました。「急坂なので登りは猫の背、下りは蛇石で回ってくる方が良いらしい」とも。一度は歩いてみたい猫の背コース、分岐点に標識が設置されるのを待つとしますか。
posted by nori at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記