2017年07月27日

グラント・グリーン

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ベートーベンは「ギターは小さなオーケストラだ」と言ったとか。ピアノなみの複雑な表現ができるのですが、単音では弦楽器や管楽器と渡り合うことができません。ジャズではひたすらコードをジャカジャカ弾く、伴奏楽器に甘んじていました。音量の壁を超えて管楽器のようにソロをとるには、いわゆるエレキ、エレクトリック・ギターの登場を待たなくてはなりませんでした。

エレキでソロを取れるようになってからも、ギタリストは「コードを弾かなきゃ」という呪縛から逃れることができませんでした。何しろボリュームを絞ればコードを弾けるんだし、ただボーっとしているわけにはいかない。ギター弾は背中を丸めて、ピアノとかぶらないように伴奏をつけて、ちゃんと働いているところを見せてきました。花形楽器のサックスやトランペットで、日陰者というか、なんだか暗いのです。

ところがブルーノートから彗星のように登場したグラント・グリーン(Grant Green 1935〜1978)は、コードを全く弾かないのです。自分の出番になったらソロを弾いて、あとはお休み。もともとR&B(リズム・アンド・ブルーズ)を演奏していたこともあって、グリーン自身も「ジャズ・ギタリスト」だとは考えていなかったそうです。私は「ジャズ期」しか聴いたことがないですが、ファンキー路線に転じてビリー・ジョエルの「素顔のままで」なんかも演って、車の中で心臓発作を起こして亡くなりました。おクスリで命を縮めたようです。

さて彼のプレイはと言えば粘っこい快楽というか、「もう、えらいコテコテなんやで」と、なぜか関西弁で言いたくなるノリが特徴です。同じフレーズをこれでもかと繰り返すので、ちょっと聴いた感じでは技巧的に優れている印象はまるでないけれど、力強いピッキングでグイグイ弾きまくるのは、コピーしようと思ってできるもんじゃない。実は大変なテクニシャンだったことが分かります。ジャズマニアの間では快楽路線のために過小評価されているグリーンですが、シリアスなアルバムとして、Idle Moments(Blue Note 1963)を挙げておきます。

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2017年07月20日

不器用な子どもたち

とある、山間地の中学校でのこと。1年生の体育の授業では、マット運動をやっていました。仕上げの時間ということで、生徒たちはグループ内で「発表」をして、評価してもらっていました。これが私にとっては衝撃的で、色々と考えさせられてしまいました。前転をすると足がびろ〜んと開く子が多数おり、後転にいたっては半分くらいしかできません。恥ずかしさもあるのかもしれないけど、演技の終わりにしっかり止まることのできない子ばかりです。私はお世辞にも運動神経が良かったわけではなく、体育は苦手でしたが、でも後転は小学校の4年生くらいでやっていたように思います。次の週は、走り高跳びでした。「はさみ飛び」ができない子が、いっぱいです。跳び箱の閉脚飛びみたいにやる子、ジャンプできないままゴムひもにつっこむ子、変にのけぞって背面飛びになる子……。

その学校の体育の先生も、「今年の1年生は不器用な子が多くて……」と困っているようでした。山間地であるがゆえ、ちょっと外に出て友だちと遊ぶということもなさそうです。なんでも「猿が出て怖いから、うっかり子どもを外に出せない」という保護者もいるそうです。「クマを見た人、いる?」と聞くと、こっちでもあっちでも手を挙げる子がいるようなところです。もちろんクマも怖いし、猿も怖い。鹿だって角を突き立てて向かってきたら、人間なんかひとたまりもありません。こうした野生動物の脅威に加えて、ゲーム三昧で外に出ない子たちがごっそりと中学校に入ってくるというわけです。彼らの動き方を見ていると、とても身体のすみずみまで神経が行きわたっているように思えないほどです。

「昔は良かった」とか「近頃の若い者は」みたいな話は、メソポタミアの碑文にもあるそうです。だからあんまり言いたくはないことだけど、いまの時代の子育てや教育、とくに体育は見た目ばかりを大事にして根本をおろそかにしているような気がしてなりません。用水路で魚をとったり、神社の境内で缶けりをしたり、空き地で三角ベースをしたり、というのが私の子ども時代の遊びでした。家にいても家業の手伝いをしたり、おつかいに行くとかで、身体を動かす機会がたくさんありました。お稽古事や競技スポーツよりも、ただ歩いたり走ったり、自然の中で遊んだり、家事をする方が本当の体育ではないかと思います。
posted by nori at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと