2019年09月27日

できなくても良いのに

とある中学校で、ストレスマネジメントの授業をしました。「自分でリラックスできるようになろう」がお題で、身体を使うリラクセーションです。体育館でやったこともあって、「やる子はやるし、やらない子はやらない」の「やらない率」は高めでした。まあそれは想定内だったのですが、ちょっと気になったのが「味見で済ます」子が多いかな、と言うことでした。面白くて夢中になるとか、実感できるまでとことんやる、みたいな雰囲気が感じられませんでした。むしろ周りを気にしているような感じでした。

たとえば体育で跳び箱をするのに、助走だけしてスーッとわきにそれていく男子がいる。高い段ならまあ分かるけど、余裕で跳べそうな低い段でも、なんですね。最初から上手にできるのだったらつまらないし、練習する必要もないのですが、「カッコ悪いところを人に見られたくない」ということなのか、ちょっと難しそうなことにトライしようとしない子が増えてきているような気がします。

そういうことを体育の先生に話したら、「ちょっと前からそう」だと言うのです。「小学校から上がって来た子たちが、掃除の反省のときに、良かったところだけ言って、できてないところは言わないようになった。コレができるようになりたいということはないのか? と言ってしまうんだよね」と。私は掃除のたびに「反省」をするのも、窮屈じゃないかなと思ってしまうのですが、まあそれはそれとして。

できても良いし、できなくても良い。できないことができるようになると、嬉しくなる。人はそんなものじゃないかなと思うのですが、「何だオマエ、そんなこともできないのか」と言ってしまう人もいるし、それを怖がる人も出てくる。子どもたちが初めから「できる、できない」とか「どう見られるか」にこだわるのではないでしょうから、大人を映しているいるのかもしれません。