森喜朗氏の「女性蔑視」発言が、話題になっています。いわく、女性が多いと審議に時間がかかる。女性は競争意識が強いから、誰かが手を挙げると自分も言わなきゃと思う、などなど。反応は大きくて、国の内外から大ブーイングとなりました。それは当然のことでしょう。
でも、問題は女性差別だけでしょうか? 私はむしろ、議論のあり方というか、ものごとの進め方をはき違えていることの方が問題ではないかと思うのです。「理事会で審議の結果、こう決まりました」と言う以上は、その理事会で審議を尽くすべきだし、意見交換が白熱して審議に時間がかかることは良いことではないのでしょうか。
だいたいに公職の審議会や、理事会というものは、ゼロから議論することはないでしょう。トップの意向に沿った事業計画や対処案件が、事務局によって作られています。その資料を説明して、ご質問、ご意見のある方はどうぞとなります。「時間がかかる」ことを良しとしないのは、「オレのやり方にツベコベぬかすな」とか、「立場をわきまえてふるまえ」という、傲慢の表れでしかないと思います。
もうずいぶん昔の話になりますが、議員会館の中に入ったことがあります。セキュリティもあるからなのですが、国会議員とは庶民が想像つかないくらいに特別扱いをされている人たちだと感じました。秘書や係官や警備員や官僚からセンセイと畏まられて、さまざまな陳情を「センセイおお力で」と受け、地元に帰ればこれまた自治体の議員やら首長やらから奉られる。特別扱いされているうちに、「特別な人間なんだ」と感じるようになる人がいても、不思議ではありません。
私たち臨床心理士も、周りの人たちから「センセイ」と呼ばれ、頼りにされているうちに、何やら万能的な力をもっているように錯覚してしまう可能性があります。自分にできること、できないこと、して良いこと、しない方が良いこと、してはいけないこと、その仕分けをしてゆくことが大切かな、と思います。