2021年05月11日

写研のこと

「2024年から写研とモリサワが共同で、OpenTypeフォントの開発をする」というニュースを目にしました。文字のデザインや印刷に興味のない人はどうでも良いことですが、私はこの「写研」の元社員で、大学を卒業してからの2年弱をお世話になっていました。本当に「お世話になっていた」で、就職にあぶれたのを拾ってもらいました。また会社員としての仕事や生活を体験して、良い社会勉強をさせてもらいました。

ご存知のように文字を大量に印刷する技術は、鉛の活字を組み合わせて紙に押しつける活版に始まりました。写真植字は文字を写真に撮って、ネガのガラス盤に露光して印画紙に文字を焼きつける技術です。レンズを切り換えることで文字の大きさや形を変えられるし、歯車で文字の送りも調節できるので、地図やマンガ、チラシなどの特殊な印刷物から利用されるようになり、次第に本文組にも使われるようになりました。

この仕組みは石井茂吉と森澤信夫が1926年に設立した、「写研」の前身である「写真植字機研究所」によって開発されました。後に森澤氏は袂を分かって、大阪で「モリサワ」を創業しました。私が写研に入社した頃は、同業他社はモリサワとリョービがありましたが、こと書体の品質や多様性にかけては、写研が圧倒的に優位でした。ガラス盤を操作する手動機も販売されていたし、デジタル化したフォントで文字を出力する高額な自動機も販売されていました。バブル前夜でさまざまな雑誌が創刊されたり、新しくロゴを作る企業もあったりで、会社の業績はとても順調でした。

その一方で東芝から机まるごとの大きさで500万円(!)の「ワード・プロセッサー」が発売されました。「ワープロ」も最初のうちはフォントが16×16ドット、24×24ドットなど、印刷原稿にはほど遠い品質でしたが、コンピュータの技術革新のスピードはすさまじく、遠からぬ将来にはコンピュータで版下を作るDTP(Desk Top Publishing:パソコンで版下を作ること)の時代になっていくことが予想されました。そこで出された結論が、なんと「文字を売らない」ことでした。つまりフォントをDTPの事業者には供給せずに、自社の文字と組版システムをセットにして大手の印刷会社に売っていくことにしたのです。

写研はいつまでもウェブサイトすら持たず、ひきこもっていました。私が働いていた埼玉工場は、昨年に解体されたそうです。とうにスラム化していただろうに、昨年まで建っていたのも不思議です。モリサワだけでなく、活版の文字を作っていたモトヤやイワタも生き残っているのに、何とも悲しいことになってしまいました。「悲しい」のは古巣がダメになったことではなく、石井茂吉を始めとする数多くのデザイナーが心血を注いで作った美しい文字が、すっかり廃れてしまったことです。近い将来、パソコンで写研の文字を使えるようになったとしても、どれだけの人が関心を示すのか疑わしいものです。

これは創業家のワンマン社長が千人規模の会社を、個人商店の感覚で経営していたことが最大の原因でしょう。しかも92歳で没するまで我がままを貫いたのだから、あっぱれではありました。社長のこだわりは「文字と組版は一体のものだから、組版システムで売る」という品質優先でしたが、それは「利便性は品質に勝る」ことで活版を駆逐してきた写植の歴史に反しているように思います。書棚から専門書を引っ張り出すと、活版で組まれた本文はインクが盛り上がって力があります。でも写植のオフセット印刷は、どうしてもインクが薄くて力がありません。文字というモノだけを受け継いで、「使われてナンボ」の精神を受け継ぐことができなかったのは、自分で作業をしたことがない経営者の限界だったのでしょう。

ともあれ、ゆくゆくは自分のパソコンでも写研の書体を使える時代が来るかもしれません。それはちょっぴり、楽しみにしていようと思います。b
posted by nori at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと