2021年06月24日

「学級崩壊」に思うこと

「学級崩壊」は小学校の先生がいちばん恐れている言葉、ではないでしょうか。私は自分の行っている中学校で、いわゆる学級崩壊を目の当たりにしたことはありません。ただ立場的に教育事務所管内の小学校にも関わることがあり、そこで助言を求められることがあります。大人(教員)の言うことを聞かない集団にどう対処するのか? まずどんな関わりを持つかを考える前に、「学級崩壊」を集団力動として理解してみることが、役に立つと思うのです。

崩壊したクラスは、いわば無目的集団です。本来の目的である学習よりも、ふざけて仲間内でウケるかウケないかが関心事になっています。「まじめにやるのは、バカくさい」といった価値観が共有されていて、学習に向かわせようとする教員に反発します。あるいは真剣に学習しようとする子をバカにしたり、攻撃します。その中心になっている子をよくよく見ると、発達特性があったり、学力的に及ばなかったりして、授業に集中できない(したくない)ことが多いように思います。そういう子にちょっかいを出されたり、悪ノリしたりしてふざける子も何人かいる。他の子たちは静かに授業を受けたいと思っていても、攻撃されるのが怖いから何も言わないでいる。そうなるともう、崩壊の一途をたどっていくようです。

「教員の指導力不足」であるかのように言う人もいますが、教員を悪者にしても解決にはつながりません。発達特性のある子が増えているのは事実でしょうし、その背景には環境汚染もあると言われています。ゲーム産業が子どもたちを食い物にしてきたことで、低学力になっている子もいます。また特別支援クラスへの在籍を勧めても、拒否する保護者もいます。分からない話をずっと聞かせることほど、不親切なことはないと思うのですが……。またいまの教育の仕組みだと、子どもたちが自分で学習の内容を選ぶことができません。色々な要因が重なって、授業が楽しいとか、面白いとか、感じられない子を作ってしまっているのが、学級崩壊の要因になっていると思います。

授業中に騒いでいる集団に向かって指導したり、管理職の先生や保護者が教室に入っても、モグラたたき状態になってしまって、落ち着かないでしょう。クラス内で悪口の言い合いが蔓延したり、不登校になる子が出たり、あるいは「自分たちはどうせダメなクラスなんだ」と卑下するような雰囲気が生まれたりします。

また私は、こうも思うのです。「リーダーを育てて、クラスを引っ張らせる」という陳腐で差別的なクラス運営が、子どもたちの間に「えこひいき」への恨みつらみを生んでいるのではないか、と。「学級崩壊」は、ひとりひとりを大切にしてくれない大人たちへの、異議申し立てであるようにも思うのです。

解決の糸口として考えられるのは、子どもたちひとりひとりと面接をすることです。指導するのではなくて、どんな気持ちなのかを話してもらう。集団になってしまうとふざけるしかない子でも、実は学校に来るのが楽しくないとか、本当は学びたいと思っている子もいます。また先生の話を聞いても分からないとか、自分が勉強できないのを知られたくない、そう思っている子もいます。これから先どうしていきたいのか、自分をどう伸ばしていきたいのか、子どもたちが自分で考えて、教員と共有できる場をもうけることです。個人(児童)がそれぞれの目的をもって、集団(クラス)に参加する、そういう視点でクラスを捉えなおすことが必要ではないでしょうか。