2022年04月17日

プーチンのウクライナ侵攻

戦争ほど、悲惨なものはありません。

ロシアのウクライナ侵攻は、NATOの東方拡大を口実にしていますが、そうではないでしょう。いみじくもプーチン自身が言っていたように、ロシアは核兵器を大量に所有しています。ウクライナがNATOに加盟したとしても、ロシアがNATOから直接攻撃を受けるリスクは限りなくゼロに近い。

プーチン大統領は東からじわじわと自由主義の空気が広がってくるのを、恐れていたのではないかと思います。自由主義では「強い人」が王様になるので、そのときに「強い人」が交代で王様をしていれば良いのです。金権政治とか、ツィッターで「強さ」を獲得したアメリカのトランプ前大統領とか、それなりに嫌らしさは満載ですが、それでも政権交代する健全さはあります。

でも共産主義は「正しい人」が王様になるので、その「正しさ」を盤石にしないと政権が保ちません。だから「正しくない人」は、強制収容所に行かされるか粛清されます。結果的に、「正しい人」の長期独裁政権になります。それでも反対者を警察で取り締まって、常にビクついていなくてはなりません。ウクライナの大統領はアソコでピアノを弾く芸人だったそうで、人気者が大統領になるような世の中は断じて許せないでしょう。

プーチンが戦争を始めたは、第一には自身の政権を維持するためでしょう。その他に政治的信条なのか郷愁なのか分かりませんが、ソ連大国主義への回帰があるのかもしれません。独裁者を長いことしていたせいか、人を信じないし人の話も聴けない。「正確な情報を伝達しなかった」ことに立腹して、150人の官僚を追放したそうですが、「どうしてみんな、正直に話してくれなかったんだろう」と考えることもできなくなっています。こうなったのはプーチンに依存して、長期政権を容認してきたロシアの人々の責任もあると思います。

インターネットで即時に大量伝達できる時代には、民衆の感情が「強い人」を作っていきます。都合の悪いことは隠したり、武力で言うことを聞かせるのは旧時代の手法です。それに独裁政治は支配する者もされる者も、幸福にはしないでしょう。地球規模の問題は、コロナだけではありません。資源の枯渇と環境汚染に立ち向かい、人類を持続可能なものにしていかなくてはなりません。そのために、ともに手を取り合っていく時代を迎えたいものです。

そのためには、まず私たちも政治に関心をもって、具体的な活動をしてゆくことが必要だと思います。「どうぞ批判してください。それでもっと良いものにしていきましょう」というのが民主主義であって、力で批判を封じ込めようとする政権も、批判のための批判に堕している野党も、両方とも情けない。選挙では「よろしくお願いします」と名前を連呼するだけで、判断材料がありません。不満や要望があっても、黙っているだけの人々。そう考えると私も偉そうなことは言えないのですが、政治への無関心が独裁を生み、独裁が戦争を引き起こすのだと思います。
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2022年04月11日

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

主人公の肇(中井貴一)は大会社の企画室室長で、役員への道も確実になってきていました。仕事に追われて家族のことは二の次、三の次、仕事のことしか目に入って入っておらず、いつもイライラしています。そんなときに、自分のために工場を閉鎖するのに尽力してくれた親友が交通事故で亡くなり、島根で一人暮らししていた母親が病気で倒れます。子どものころから「バタ電」の運転士になりたかったーーそんな夢を思い出して、一念発起、電車の運転士になって地元で生活する道を選びました。

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表のストーリーとしては、「オレ、何をやってるんだろう」から「夢の実現」をなしとげた、そういう話です。中年期の危機と言ってもよいかもしれません。でもそれはあくまでも「表」で、「裏」が透けて見えてくるのが、この映画の魅力ではないかと思います。

その「裏」とは、中年を過ぎて感じるようになる、加害者意識でしょうか。仕事にかまけて、娘や妻、母親に淋しい思いをさせてきました。機嫌の悪いのをまき散らしていたし。会社の指示とは言え、工場をたたんでリストラを断行しました。仕方のないことだったかもしれませんが、物づくりにかけてきた社員たちへの共感はありませんでした。そして親友が店を予約してくれていたのに、東京にトンボ返りして、飲みに行きませんでした。もし誘いを断らなかったらゆっくり話もできたし、もしかしたら事故にも遭わなくて済んだのかもしれない。

そんな加害者意識、そして贖罪の気持ちが生まれていても、不思議ではないと思うような展開でした。同期で入社した運転士、宮田(三浦貴大)に「エリート」という言葉を使われたとき、肇は「オレはエリートなんかじゃない。自分のことしか考えない人間が、エリートのわけがない」と返していましたが、肇はエリートの意味を分かっていたはずなのに、いつの間にかずれていたことに、気づいたのでしょう。乗客にも宮田にも、家族にも優しく接するようになっていました。大会社の重役候補のときはエリートではなかったけど、運転士になってからエリートになった、そんな成長の物語だと感じました。
posted by nori at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画に見るこころ