ここのところ、大寒波の襲来ということで、寒い日が続いています。朝に出かけるときは、マイナス10度以上に冷え込んだ日もありました。今月の電気代は、いったいいくらになるんだろうとご心配の方もいらっしゃると思います。中学校の職員室で「昨日はウチの夫が一大事だって言うから、何だと思ったら先月の電気代が7万いくらだって。夫婦二人になったのにね。あんたが夜更かししてるからだって言ってやったんだけど……」と、話している先生がいました。オール電化だと、電気代がそういうことになる家もあるらしいです。高気密、高断熱で建てられているのに、古い木造家屋だとどうなるのでしょうか。
ご承知の通り、ただでさえウクライナ戦争と円安などのために光熱費は上がっていたのに、この寒さです。うちは灯油、プロパンガス、電気のハイブリッド?なので、オール電化ほどではないけれどやはり光熱費は上がっています。そんなことを気にせずに暮らせる人、他のことをガマンしなくてはいけない人、暖を取れない人、いろいろだと思います。恵まれている人たちが省エネをしないと、エネルギーの価格が上がってしまい、恵まれない人たちにしわ寄せがいくという構図もあります。
古今亭志ん生の「火炎太鼓」には、こんなくだりがあります。道具屋のおかみさんが、どこかぽーっとした亭主に文句を言うのですが……。「お前さんは、売らなくちゃいけないものを売らないで、売らなくていいのを売っちゃうんだからねえ。去年の暮れだってそうじゃないか、向かいの米屋の旦那がうちの火鉢を見て、甚兵衛さんこれ良い火鉢だねって言われたもんだから、良かったらお持ちなさいよなんか言って。それで向かのうちに暖まりに行っちゃったりなんかしてさあ。だから旦那がそう言ってたよ、何だか甚兵衛さんと火鉢を一緒に買っちゃったようだって」。いくら江戸(東京)とは言え、温暖化前の気候で、すきま風だらけの家で、火鉢で手を温めるのが関の山だったわけです。服装も綿入れを羽織るくらいがせいぜいで、足袋というのは贅沢品だったでしょうから、裸足だったのではないでしょうか。
私の世代は、親世代の人たちから、シベリアに抑留されていたときの体験を聴くことがありました。小学校の先生が授業中に、知人の話としてこんなことを言っていました。「凍え死にしそうになってたどりついたのに、すぐに暖かい部屋には入れてもらえない。少しずつ暖かいところに移してくれて、やっと暖かい部屋に入れてもらった。そうしないと、鼻がもげてしまうと後で聞かされた」と。こういう話は、なぜか強烈に憶えているんですね。そういう環境にいると、寒さに強くなるらしいです。シベリアから帰って2,3年は、冬でもみんながびっくりするほど薄着でも平気だったとか。でも、そのうち平均的な日本人に戻るそうです。
私が子どもの頃は、家全体を暖めるという発想がありませんでした。さすがに石油ストーブはありましたが、家に二つだけだったように思います。練炭ひとつしかない座敷で食事をしていたし、コタツしかない居間でテレビを観ていました。ダルマさんのように着込んでいたのも、憶えています。夜は家族それぞれが「湯たんぽ」を持って寝床に入りました。それを思えば、暖房しなくても暮らしていけるでしょう。でも猫のエリックはどうなるんだろう? もとは野良とは言え、老いてから急に耐寒生活をさせるのも気の毒です。いやエリックが暖房器具になってくれるのかな。そんなことを、ツラツラ考えています。