仙台に住んでいる娘が、「お父さん、値上げしないの?」と妻に聞いたそうです。ガソリンや食品など、暮らしに必要なものが値上がりしているし、預金は目減りしていくしで、私たちの家計や老後を心配してくれているんでしょうか。それとも、仙台では給料が上がっているのかな? それは聞いてみないと分からないことだけど、カウンセリングの料金というのは、なかなかに奥深い話題なのです。その気になれば、本の一冊くらい書けるかもしれません。
「あゆみカウンセリングルーム」を立ち上げた頃は、おいでになる方の収入によって料金を決めていました。同じ5千円、1万円であっても、年収によって意味合いが異なってきます。実際にアメリカではレーティング・スケールというものがあって、無収入の人はタダ同然でカウンセリングを受けることができたりします。お金の意味合いだけでなく、収入の再分配というか、満たされた者が持たざる者を助けるということなのかもしれません。でも日本では当たり前でないことを実践しようとすると、それがひとつのハードルになるし、私の方も足元を見るような気分になったりもして、一年くらいで止めてしまいました。以後は一回6千円をいただくことにして、値上げはしていません。
私の場合は、初めから安めの料金でやっていくことを考えていました。都会だったら1万円が相場かもしれないけど、ここは最低賃金が全国でも最低ランクの岩手県です。毎週通うとなると、きつい人が多いだろうと考えました。街中でオフィスを借りると家賃を払うのに大変だけど、自宅に造ってしまえば固定費は圧縮できます。スクールカウンセラーや企業のコンサルタントなど、アウトリーチの仕事をかけもちすれば生活を維持できます。「安くする」ためにわざわざ二足のわらじを履くのはオカシイと思う人もいるかもしれませんが、社会的な活動をすることはカウンセリングルームを閉鎖的な空間にしないためにも意味があると思っています。
考えてみれば、カウンセリングや心理療法ほどぜいたくな行為はなかなかありません。訓練を積んだ専門家としてつきっきりで関わるのですから、1回2万円、3万円もらっても良いのかもしれません。1回3万円で1年通ったとして150万円、それでも生き方を変えて心安らかになれるとしたら、ぼったくりとも言えないでしょう。学校に通っても、病院にかかっても、信仰をしても、他のどこに行っても得られない効果なのですから。それに仕事がうまくいくようになれば、そんな金額はすぐに回収できてしまいます。実際にいまアメリカでサイコロジストの面接を受ければ、2〜3万円くらいかかると思います。
ただ私としてはカウンセリングが「人の弱みの上に成り立つ営み」であることを知っていながら、専門性に応じた料金を請求するのもどうかな?と思います。専門性と言えば聞こえは良いけれど、人さまの心のうちに分け入るのはおせっかいとか野次馬根性とも言えるわけで、要するに自分の好きなことをさせてもらっているというこです。
それでは料金は安ければ安いほど、良いのでしょうか? 公的な機関で無料で行うとか、健康保険でカバーして3割負担だとか、うんと安くすれば誰でも気軽に受けられるかもしれません。でも私は「安い」は「易い」だと考えています。イギリスのセラピストの間では「健康保険でやる心理療法は効果が低い」と、言い伝えられているそうです。人とは現金なもので、身銭を切らないと日常から切り離すことが難しくなります。心理療法ではセッションは日常と異なる特別な時間ですし、心理療法を受けている期間の暮らしもまた特別なものになります。そうならなければ、人は変わっていきません。
たとえば私が中高生の頃はレコードはとても高くて、一年に2枚か3枚買えるレコードを、幾度となく繰り返し聴いたものでした。一家に一台の「ステレオ」で、親には「ギャーギャーうるさいだけの音楽」と言われながらも、レコードプレイヤーに盤を置いて針を落としたものです。洋楽だとジャケットや歌詞カート、解説をじっくり眺めながら、特別な時間を過ごすことができました。だから音楽だけでなく、うっとりした気分やミュージシャンへの憧れまで脳内再生できます。いまやスマホやパソコンがあれば、ポチッとするだけで家族の手前とか考えずに、しかもタダで、どんな曲でも聴ける時代になりました。身近になったことは確かだけど、そこに感動はあるのかなと思ってしまいます。「ああ、こんなもんか」で終わってしまうかもしれません。元手がかかっていれば、初めは好きじゃなくても元を取るために?聴きこみます。それでも好きにならなければ、それはまたそれで意味があるのです。
他にも「安くする」ことのジレンマはあります。私も人の子なので、同業者を見渡して「1万円でもリーズナブルだよね」と思うところもあれば、「これで1万円を取るの?」と思うところもあります。「6千円」を「安いから大したことないんだよね」と思われたくない、そういう、まあつまらない見栄です。もう一つは、これから開業しようとする人を圧迫しやしないか、と思ってしまうことです。「あの人が6千円でやっているのなら、自分は……」と思う人もいるかもしれません。自意識過剰かもしれませんが、これから開業する人たちのジャマにならないようにしないと、とも思うのです。たとえば盛岡は自家焙煎珈琲のお店が驚くほどあって、スタバがつぶれるような街です。長いこと強気の値段で頑張ってきたお店があったので、若い人たちが後に続いて妥当な値段で珈琲を提供するようになりました。
カウンセリングルームの経営がうまくいくということは、沢山のクライエントから高い料金をいただいてもうかるということではありません。続けて通ってくれる人の割合が多い、目標を達成できる人が多い、そうした経営を長く続けられる、ということが「うまくいっている」のです。あれこれ書きましたが、いまのところすぐに値上げをしようとは考えておりません。