国会の解散で廃案になっていたカジノ法案が、再提出されたそうです。どうやら、東京オリンピックまでに間に合わせようとの魂胆があるようです。賭博は決して人を幸福にするものではありませんし、賭博に熱中する人が増えれば増えるほど、国力は低下します。だからこそ古今東西で法律で禁止されてきた「はず」ですし、日本でも禁止されてきた「はず」なのですが、「日本にもカジノを」などと言っている人たちは本当に心が貧しいと思います。ちと古めかしいですが、昭和25年に以下のような憲法判例が出ているそうです。
賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。
S25.11.22大法廷判決・昭和25(れ)280 賭場開張図利(刑集第4巻11号2380頁)
64年前の判例ということもあって、「ギャンブル依存症」との文言は入っていません。それでも現実を示しているし、十分に説得力があります。
「外国人に遊んでもらえば、日本にお金が落ちて良いだろう」という発想も、いただけません。賭博に従事するということは、言ってみれば麻薬の売人になるようなものです。人を幸せにしたり価値のあるものを生み出すことよりも、一円でも多くむしりとるような毎日が幸せにつながるとは思えません。後ろめたさを感じている間はまだ良いのかもしれませんが、「生活のため」と感覚がマヒしていって、モラルが崩れていくことがもっと恐ろしい。日本が高度成長を遂げたのは、価値のあるものを生み出してきたからでしょう。そのプライドはあるのかないのか、バクチでも兵器でもカネになれば何でも良いという考え方には強く違和感を感じます。
2015年01月16日
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