2016年12月07日

タル・ファーロウ

 昔は才能がありながらジャズシーンから姿を消したり、いっとき雲隠れするミュージシャンは少なくありませんでした。その多くはヘロインやコカインなどの薬物依存のためで、ヤクに手を出してハイになった挙句、ムショ暮らしやあの世行きの憂き目に遭っていました。
 ラズウェル細木師から「薬中院有人居士」の戒名をもらったチャーリー・パーカー(as)を始め、ジャズの帝王と称されたマイルス・デイビス(tp)、ヤクを止めて聖人になろうとしたジョン・コルトレーン(ts)、慢性的自殺状態だったビル・エバンス(p)、ヤク代欲しさに強盗に入ったスタン・ゲッツ(ts)など枚挙に暇がありません。あるいはビンボーやドサ回りに嫌気がさす人もいて、音楽の先生になる人も多かったし、チャーリー・ミンガス(b)は郵便配達員をしていました。でもタル・ファーロウ(Tal Farlow 1921〜1998)のように、仕事に飽きちゃって?引退した人は、珍しいケースかもしれません。

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 このジャケ写は、手の大きさがよーくわかります。もともとは看板屋さんだったらしいのですが、1950年代にはその巨大な手を駆使して「オクトパス・ハンド」の異名をとった名手でした。ギターには難しいフレーズでも、速弾きしづらい低音でも、指がタコ足のように伸びまくるタルはものともせず、スラスラと滑らかに弾いてしまいます。とくに早世したピアニスト、エディ・コスタとのコンビはのけぞりものです。ジャズ評論家の粟村政昭氏は、「最高のテクニシャン」などと絶賛していました。
 本業の看板屋で儲かっていたとか、リッチな奥さんと一緒になったとか、あるいはその両方かもしれませんが、タルは結婚して地元に引っ込んでいました。かつての同業者が復帰を勧めても、「またプレイするには、何か新しいものを引っさげてじゃないとね……」などと言っていたらしいです。さて1970年代に入ってカムバックしたタルが、「何か新しいもの」を引っさげていたのかどうか? それは老後の楽しみに取っておくことにして、やっぱりエディ・コスタとの競演に耳を傾けましょう。The Swinging Guitar of Tal Farlow (Verve)は1956年の録音(モノラル)でドラムは入っていませんが、もとギタリストのヴィニー・バークの強靭なベースに乗ってスイングしています。

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