2016年12月26日

フロイト再読

31jYG+9MukL._SX298_BO1,204,203,200_.jpg

 著者の下坂幸三(1929〜2006)は、とくに摂食障害の治療で高名な精神科医でした。フロイトに深く傾倒しながらも精神分析の主流を歩まず、そして当時隆盛を誇っていたシステムズ・アプローチではなく「記述精神医学のようなことをやる」、「常識的家族面接」を実践されていました。ずいぶん昔の話ですが、日本精神分析学会で学会賞を授与されて記念講演がありました。「成田善弘先生(当時の会長)から電話をいただいて、『色々と思うところはあるだろうが、もう決まったことなので(学会賞を)何も言わずに受け取って欲しい』と言われました」と裏話を披露されて、会場がドッとわいたのを憶えています。

 本書は下坂先生が亡くなってから編纂されたもので、「季刊 精神療法」に掲載されたものを中心に12本の論文が掲載されています。標題の「フロイト再読」は堪能なドイツ語を活かして(ストレイチーの英訳からではなく)、いち心理療法家の実践からフロイトの技法論を噛みしめるという試みで、精神分析をバックボーンとする治療者なら大いに興味を惹かれるでしょう。他にも「心的外傷理論の拡大化に反対する」は出色で、境界パーソナリティの成因をトラウマに求める動きを一刀両断にしています。

 また小論の「症例報告にさいして患者の許可を得ることについて」では、「ヒューマニスティックに振舞っているつもりなのだろうが、私にはむごい仕打ちに思えてならない」と糾弾し、「まあひとりの治療者がどうしても患者の許可がほしいというなら、それでよいとしよう。情報公開の風潮に悪乗りして、それがあたかも治療者の当然の義務でもあるかのように、ひとにもこのような仕業を声高に強要する偽善的な人が現れると困るのである」と結んでいます。

 ひとことで言ってしまえば「反骨の人」というイメージですが、権威を毛嫌いするとか、異を唱えることに熱心だとか、そういう人ではありません。苦労している人々への惻隠の情、漢文や哲学などの素養、徹底して掘り下げる姿勢、戦時中に防空壕から這い出して「きれいな」空襲を眺めていた無垢な心と、さまざまなバックボーンが透けて見えてくるのが本書の魅力だろうと思います。こういう骨のある人は、もういなくなってしまいました。(フロイト再読 下坂幸三著 中村伸一・黒田章史編 金剛出版 2007年)
posted by nori at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理学の本棚
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/178172691
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック