気がついてみると……という感じなのですが、アトピー性皮膚炎に悩む青年に会うことがめっきりなくなりました。私が皮膚科のクリニックを退職してから年数が経ったこともあるのでしょうが、世の中全体が「アトピー」で大騒ぎしなくなってきたように思います。これは一時期に隆盛をきわめた? 温泉宅配などのアトピー・ビジネスが皮膚科医による啓もう活動で激減したということが大きいのだと思います。私が皮膚科で働いていた1997年〜2002年は、ステロイド外用薬をアトピー・ビジネスから「これを塗っていると廃人になる」とか脅かされて、急に止めてしまう人が沢山いました。ステロイドでやっと抑えていた炎症が、また一気に噴き出すのは当たり前の話で、アトピー・ビジネスは「やっと体内の毒が出てきたんです」などと説明していました。挙句の果てにはヘルペスのためにカポジ水痘様発疹症になって、悪臭とともに入院して来られるような人が後を絶ちませんでした。そんなひどい目に遭う人がいなくなるのは、良いことです。
アトピーの患者さんに、「アトピーの症状で困っているの? それともアトピーが気になって困っているの?」とたずねると、大概の人は「アトピーが気になって困っている」と答えていました。症状が顔や首、手など、衣服で隠れないところに出てしまうと、それが「気になって」人前に出ることを苦痛に感じていました。つまり、コミュニケーションが思うようにできなかったのです。中にはひどい症状が顔に出ていても平気でどこにでも出かけている人もいましたが、「気にしない」ことも「気にする」のとある意味同じであることを考えると、痛々しいほどでした。
どんなにアトピーがひどい患者さんでも、手の届かない背中はきれいでした。つまり彼らは、自ら皮膚を掻き壊していた、とも言えます。患者さんたちに会ってみると、本当に良い子というか優しい人が多いと感じるのですが、自分の気持ちを表現することが苦手で、ため込んでいるように思いました。家に帰ってほっとすると、皮膚をガーッと掻き壊してスッキリする――感情表現の場が対人場面から後退して皮膚になっているかのようでした。こうなると社会ではなくて、自分の身体を相手にして暮らしているようなもので、一種のひきこもりとも言えます。
さて、いまやSNSが大流行の時代です。ともに過ごして言葉を交わすことよりも、データの共有でつながりを感じることが、「友だち関係」になってしまいそうな勢いです。顔がどうとかだけじゃなくて、「イイネ」や「インスタ映え」も大切なら、アトピーを気にしないで良い時代なのかもしれません。
2018年06月14日
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