2019年04月12日

「PTA」から「保護者会」に

私の母親は、小学校の先生をしていました。3月に帰省したときに教員時代の昔話を聞いた(聞かされた?)のですが、その中に「PTAなんか止めれば良いのに」と言うのがありました。母親が働いていた頃は小さな学校に勤務すると、何から何までやらなくてはならず、給食を作っていたこともあったそうです。PTAは集金や会計、その他のおぜん立てまでしていて、これもとにかく大変だったと言うのです。母親が言うのは、「先生が大変だから」なんですね。

私たちも子どもが学校に通っていたころは、いかにPTAの役員を避けて通るか、あるいは無事にこなすかが保護者の関心事でした。役員を決める年度当初の集まりは、欠席する人もいたようです。とくに「卒業する年に役員をすると大変」と言われていたので、「6年生でやらないで済むように、今のうちにしておきたい」とか、みんな色々と考えてやってきます。

先生にとっても、保護者にとっても、悩みのタネになるPTA。耳学問なので、間違っているかもしれませんが、そもそもの始まりは「良い先生を守ろう」運動だったらしいです。昔のアメリカは校長先生の権限強くて、気にくわない先生を簡単にクビにできたそうです。「良い先生」がクビになったり、校長からのヘンな圧力を受けないように、教師と親が連合していきましょう、という Parent-Teacher Assosciation なんですね。日本では戦後に民主教育を定着させていこうという目的で、導入されたらしいです。本来の目的とも違うし、PTAにありがちな根回しと遠慮とボス化は民主教育とはかけ離れています。

最初から教師と保護者が「連合」してしまうから、保護者もホンネが言えません。「行ってもつまらない」とか「役に立たない」、形式だけの組織になってしまいがちなのがPTAの問題点なのかなと思います。わが家の子どもたちが通った幼稚園は、「保護者会」がありました。意見をまとめて幼稚園への要望を出すこともあるし、幼稚園の運営に協力することもあり、幼稚園との関係性が対等に感じられました。そして何より、和気あいあいとした親密な雰囲気がありました。子育ての不安や苦労を語り合うような土壌になっていたと思います。

いまの日本で児童虐待が深刻な問題になっているのは、ご存知の通りです。虐待の一要因としてあげられるのが、親が社会的に孤立しているということです。虐待防止の観点からも、「PTA」から「保護者会」に移行して、みんなで子どもたちを育てる、親どうしが語り合う、そんな地域を作っていくことができれば良いと思います。
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