2021年12月15日

「登校刺激」の廃絶を

教師が子どもに登校を促すとか、学校に来るように誘ってみるのは、だいたいは良くない方向に作用します。でもときには登校するきっかけになることもあるので、全面的に排除しようということではありません。「登校刺激」という用語をなくそうという話です。だれが言いだした言葉なのか、どこで使われるようになったのか知らないのですが、「登校刺激」は学校の会議や資料にも登場します。文科省も使っているのかな? どうなんでしょう。

「登校刺激」にはそのときの子どもの状態も、子どもとの関係性も、どんな文脈でどうコミュニケーションするかも関係がありません。すべてそのひとことに塗りこめられてしまいます。たとえば初めて見るような先生が怖い顔で「学校には来るんだぞ!」と言うのも、いつもゲームやマンガの話をしていた先生が「学校なんて、行きたくなったら行けばいいさ」とニヤっとするのも、同じ「登校刺激」になります。前者は有害無益ですが、後者は無害かつ巧妙な促しです。

不登校には、まずもって本人や家族をサポートする、寄りそう、その姿勢が求められます。先生から学校においでと「指導」されるくらいで来れるなら、そもそも不登校にはなっていません。そしてその「指導」通りにならないと、「本人の意欲がない」「家族に押し出す力がない」で片づけてしまう。そういう先生も実際にいたりして、困ったものだと思うのです。どうしたらその先生をサポートできるのか、こちらの感情をコントロールすることも求められます。そして実はその「指導」というのが、その人の自己愛がからんでいるので根深い問題だし、頭kら否定してしまうと逆切れされるのが関の山になります。
posted by nori at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校
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