私が学生の頃…と言っても四半世紀も前のことですが、「サイコロジー」という雑誌がありました。そこに大学の教授が「日本にはもともと、キリスト教の懺悔のような仕組みがない。物に対してはお金を払っても、カウンセリングにお金を支払うなどという発想はだれももたないだろう。将来は日本でもアメリカのようにカウンセリングが普及すると言っている人もいるようだが、人の話を聴いてそれが職業になるようなことは、未来永劫、絶対にないと断言する」と書いていました。
未来永劫どころか、三十年足らずで「絶対にない」ことが起きてしまったのですが、あの文章が印象に残っているのは、当時はすごく説得力があったからです。カウンセリングや臨床心理学を研究している人はいても、職業にしている人はいなかったと思います。私とて、自分が臨床心理学を仕事にするなどとは、想像もしていませんでした。
2009年03月05日
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