ピュアリーさんが「事例検討のレジュメのまとめ方」について、書かれています。オーソドックスにはピュアリーさんのおっしゃる通りで、とくに病院に勤務している方にはなじみのあるスタイルだと思います。
ただ私の好みを言わせてもらうと、「生育歴」と「現病歴」、「家族歴」、「治療歴」……と分けて書れていると、頭の中で時系列にそって整理するのがわずらわしく感じてしまいます。またこのようにカテゴライズして分析、分類しようとするスタイルは医学モデルに親和性が高いように思います。心理療法家の仕事(見立て)は、それぞれの「歴」に問題を見出すことよりは、その人のストーリーを組み立てていくことにあると、私は考えます。
ところでレジュメはカルテに医師が記載したもの、面接の中で本人から直接きいたもの、家族から聞いたもの……など、出所が違うものが組み込まれていきます。カルテからどこを拾うか、クライエントの発言からどれを拾うか、自分の介入からどれを拾うか……結局は発表者が(もちろん私も)自分の都合のよいように、都合のよい情報を組み立てて提示しているわけです。そこに発表者の力量や人柄が現れることになります。ときには発表者がどんな人かはよく分かるけど、クライエントがどんな人かつかめない……などと言うことさえ起こります。良いレジュメとは、クライエント像や治療関係をつかみやすいものだと思います。
またピュアリーさんは時間配分について書かれていますが、これはとても重要なことです。初心者のうちはどこが重要か分からないからみんな書いてしまう、ということもあるでしょうが、それでは検討になりません。何をどのように検討したいのか、そのための素材提供は何分以内にとどめるのか、計算することは必要です。延々と逐語を読み上げるような発表には、閉口してしまいます。
2009年05月02日
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28833443
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28833443
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
ただ、学会の事例発表等でのフロアからの質問やコメント暦は多く、そうした際に、発表者やその場の出席者が共有する事例理解を深める上での勘所となるきっかけをアシストとして提示することに関しては、毎回細心の配慮をしてきましたし、それがささやかな成果を上げきたと自負する人間として(こうした際に大事なのは、座長や発表者の役割を決してぶんどってはならない、むしろ他の参加者からのコメントをどんどん誘発する最小限の起爆剤、誘い水に、自分の役割を厳しく自己限定するということですが)、一言。
>……結局は発表者が(もちろん私も)自分の都合のよいように、都合のよい情報を組み立てて提示しているわけです。そこに発表者の力量や人柄が現れることになります。
全く同感です。事例発表そのものが、すでに「発表者の思い込みのストーリーの公表」であるに過ぎない。
だから、ひとつ間違うと、事例発表をまとめるプロセスそのものが、発表者が自己欺瞞を自分自身に定着させるという、堕落への引き金にもなりかねない。
しかし、そうした防衛性が強い事例発表では、まさに、
>ときには発表者がどんな人かはよく分かるけど、クライエントがどんな人かつかめない……などと言うことさえ起こります。
・・・という現象が生じていることが多いので、そうした発表者の「秘められた防衛性」を測る、いい目安になる気がします(自戒を込めて^^;)
結局、口頭事例発表や事例検討会の場が参加者の誰にとっても生産的なあと味を残す場になるためには、座長やコメンテーターの先生の「ご高説をうかがう」というより、誰かが、さりげなーく、
「この事例プレゼンテーションで語られて『いない』のは何か?」
について、単に強迫的に「あら捜し」して「埋めていく」のとは全く異なるスタンスで、「ピンポイントで風穴を開ける」ことだと思っています。
例えば、
「この直後の回、無断キャンセル。しまった!と感じる」
としかプレゼンされないことって、よくあります。
こういう場面で、他の参加者も、何となく、「これは直前のカウンセラーの対応がやはりマズイよな」と、お互いに共通理解ができている「かのようなつもり」になるにとどまりそうになることって、よくあります。
(これをウィニコットふうに、事例検討会にありがちな「錯覚(illusion)」と呼びたいのですが)
こういう場面で、
「しまった!! とお感じのようですが、具体的に、どこが問題で、どういう機序で無断キャンセルの引き金となったとお考えなのですか。もう少し具体的にお伺いしたいのですが」
なとという、ピンポイントの誘発的質問は、検討会全体の流れを変えるほどの起爆剤になる場合があります。
一般論としていえば、「無断キャンセルを、しまった!! とカウンセラー側か感じること」そのものが、カウンセラー側からの(!)主観的逆転移であるという可能性を大いに疑って、検討してみていいことが多いと思っています。
例えば、実はクライエントさんが自立に向けての役割実験を始めようとしているのに(その役割実験を過大評価しないことも大事ですが)、それを治療者側がクライエントの「行動化」と決め付けるばかりか、自分の中の、クライエントさんからの「見捨てられ不安」(これ自体がカウンセラー自身の未熟な対象関係の反映)をカウンセラーがじっくりと見つめていないだけであることなど、ありふれているわけですね(^^)
・・・・長文になり、私のアプローチの自己宣伝めいてしまっているかに受け取られないかと心配です(^^)
ただ、事例検討会を退屈さから救うのは、個々のフロア参加者の、節度を伴うセンス次第!! ということは、是非触れておきたかったので、どうかお許しください。