2009年06月02日

事例検討に思うこと その1

 5月2日に、事例検討のレジュメについて書きました。レジュメについて書き始めると、事例検討そのものに触れないで済ますわけにはいかなくなってきます。で、遅すぎるのですが、ひと月経っての続編です。まず事例検討はだれのためにあるのか、を考えてみましょう。こういちろうさんがコメントで書かれている、言ってみれば「気づかれていないことに光をあてる」ような質問には、発表者や参加者をケアするような配慮があるように感じました。

 実際にそういう教育的な配慮に満ちた質問や意見が飛び交う事例検討会は、よくあるのです。とくに経験の浅い発表者が「困っています」とか、何もわからないので、教えてください」といった感じやると、そうなりがちです。自分のケースについて理解を深めたいとか、もっと良い介入方法があるなら教えて欲しいとか、熱心な人ほどそう思うでしょうから、そのような事例検討を無意味だと言うつもりはありません。でも本来は、スーパービジョンの中で行われるべきです。

 逆に「勝てば官軍」とばかり、お墨付きが欲しいとか、手柄話をしたいとかで発表しているような人もあります(こっちが勝手にそう思ってるだけだけど)。これはこれでそれとなく、あるいはあからさまに、天狗の鼻をへし折ってやろうと教育的なコメントが飛び交ったりします。もっともそれくらいでは天狗の鼻はへし折れるわけもなく、コメントをした人たちは、ため息をつきつつ会場をあとにすることになります。なにも発表者の自己愛を治療するために集まったわけではないので、こういうのも時間の無駄づかいでしょう。

 事例検討は参加者のためにする、のが基本ではないでしょうか。「自分はこんな風に理解する」とか、「自分ならこう介入しようと思う」とか、それぞれの意見を出し合って、理解を深めていく機会だと思うのです。だからディスカッションの時間を、長くとって欲しいのです。そしてフロアでのやりとりが盛り上がるような事例検討が、結局は発表者にも実り多いものになるのではないかと思います。

 ちなみに神田橋條治先生は、ご自分が講師の時には「事例検討」と言いません。「公開スーパービジョン」です。その理由を「発表者が多勢に無勢で立ち回るのは嫌だから」とされていました。発表者と参加者のやり取りがない形ですが、これはこれで「とにかく教えて」の人にも、「どうだ見たか」の人にも、そして神田橋先生の話を聴きたくて集まった参加者の人たちにも、良いように思います。
posted by nori at 00:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 臨床心理士
この記事へのコメント
 スーパービジョンと事例検討会は本来別次元のもの、事例検討は参加者のためにするのが本来のあり方というご指摘、もっとpモナコとだとお思います。

 私自身、かつて所属機関での定期的な事例検討会に関わったことがありますが、そうやって、参加するカウンセラーがシェアーすることで共通理解をもち、学びを深めるという次元にはなかなか到達せず、「このケースを何とかしておかないと相談機関としての責任にも関わる」といった事例について、担当カウンセラーを「共同監視」するための機会になったり、あるいは(ご指摘のように)、カウンセラーが自分の事例の成功を「開陳する」ための場になるという両極端を行き来する現実をなかなか改善できなかったという反省がありますね。

 ディスカッションの時間を長く取ることは大事だと思います。ただ、絶対に忘れてはならないのは、「その事例検討の場に、クライエントさん自身が立ち会っていたらどう思うか」ということへの想像力だと思います。

 発表者も、司会者も、参加者も、それだけは忘れないようにしないと、事例検討の後でのほうが、カウンセリング関係が実際にはおかしくなるという副作用が伴いがちだと、つくづく思っています。

 カウンセラーが共同して「自己防衛」するのがうまくなり、そのぶんクライエントさんが「屈従」しているのにみんなが気づかなくなるような、そういうきっかけにならないことを。

 そういう意味で、いわゆる「事例検討」と、違う職分の人も交えた、治療チームの「スタッフ会議」というのも似て非なる要素がある気もしました。

 ここでいうスタッフ会議とは、病院臨床や障害者臨床・教育臨床などに限定されません。

 通常のカウンセリング機関でも、実は大きな鍵を握っているのは「受付」の人であり、極論すると「受付」担当者さえしっかりしていれば相談機関は何とかなるとすらいいたくなる現実がある気もします。

 受付の人をただのオブザーバーとしてしか会議を運営しなかったり、「受付の人、踏み込みすぎ。あなたはカウンセラーではないのだから」という次元での議論ばかりが多い相談機関は、何かが「官僚化」していて、本当の有機的システムになっておらず、クライエントさんはその「隙間風」に苦しんでいることが多いとも思います。

 話題が拡散してしまったかもしれません。どうかお許しを。
Posted by こういちろう at 2009年06月04日 15:59
 こういちろうさん、コメントありがとうございます。

 ――「その事例検討の場に、クライエントさん自身が立ち会っていたらどう思うか」ということへの想像力―― のくだりについては、まったく同感します。本当に、そうですね。

 「受付担当者さえしっかりしていれば相談機関は何とかなる」は、おっしゃる通り話が拡散しています(失礼)が、面白いと思いました。私は公的な相談機関や、大学のカウンセリングセンターなど、「相談の受付担当者」のいる職場は経験がありません。そういう所では、受付の方の応対が、利用者にとってはすでに相談になっているのでしょうから、なるほど大事な役割ですね。
Posted by nori at 2009年06月04日 21:47
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