事例検討会で発表する時には、クライエントに了解をとることがこの業界ではスタンダードになっています。その背景にあるのはプライバシーの保護と、心理臨床のプロセスはクライエントとの共有財産であるから、臨床家が勝手に持ち出してはならないという発想だと私は理解しています。それも分からなくはないのですが、どうも「インフォームド・コンセント」と同じうさん臭さを感じてしまうのです。それは「十分に説明した上で、患者が選択したのだから、こちらの落ち度はありません」と言う、逃げ口上のうさん臭さです。
例えば心理療法が終結して1年なり2年なりしてから、治療者から「あなたとの心理療法を学会で発表したいのだけれど、良いですか?」と電話があったとします。「お世話になった」治療者からの申し出を、断れる人はいないのではないでしょうか。そして傷ついてゆくと思います。心理療法のプロセスが濃密であればあるほど、内面を露呈していればしているほど、自分と治療者の二人だけのものにしておきたいと、思うものではないでしょうか。支払った料金以上のものを治療者が得ようとしている、搾取に感じるかもしれません。「なぜ自分が選ばれたのだろう」と言う疑問も、わいてくるでしょう。
もしクライエントの了解を取るのであれば、発表原稿をクライエントに見せて、どのようなディスカッションがなされたのも報告して、クライエントも得るものがあるようにするのが、筋でしょう。でも「閉じられた」ものを「開ける」リスクを冒してまで、行う価値があるのでしょうか。
私は継続中のケースを発表したことはありませが、もし継続中のケースを出すのなら、了解をもらって報告もするのが良いと思います。でも終結したケースについて、発表する前に了解をもらうのは、考えものです。私自身は初回のプライバシーに関する取り決めで、「個人を特定できないように配慮をして、守秘義務を負った専門家を対象に、ケースを提示すること」の了解をもらっています。これもまたうさん臭いかもしれませんが、後で了解をもらってクライエントを傷つけるよりは良いと考えています。
2009年06月14日
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