ここのところ、大学院でロールシャッハ法の授業をしていました。私自身は大学院を出ていないし、授業でロールシャッハ法を習ったこともないしで、こんな役回りになるとは思ってもみませんでした。さらに複雑な気分にさせるのが、いま自分ではロールシャッハ法をほとんどしていないことです。「昔取った杵柄」よりは「現役バリバリ」の方が良いのだろうなあとも思いつつ、自分なりに伝えるべきことは、伝えて行こうと考えています。
スイスの精神科医、ヘルマン・ロールシャッハが「精神診断学」を刊行したのは1921年です。ロールシャッハが指導を受けていたのは、統合失調症の研究で有名なブロイラーでした。ロールシャッハは、統合失調症と他の精神疾患の鑑別をするために、スイスの子どもたちに伝わっていたインクのしみ遊びが有効であることを見いだしました。ロールシャッハは精神分析に並々ならぬ関心を持っていたと伝えられていますが、インクのしみ遊びに関しては認知のプロセスに注目して、精神分析の理論を用いることはしませんでした。私は「何を見るか」(認知の内容)よりも、「どのように見るか」(認知の様式)を重視したことに、ロールシャッハの天才があると思います。
ロールシャッハは「精神診断学」に用いる図版を、40枚にまとめたそうです。しかしどの出版社にも断られ、ようやく引き受けてくれた出版社からはコストの関係で図版を10枚に減らすように求められました。また原図にはインクの濃淡がなかったのに、印刷が仕上がった時には濃淡がついていたそうです。このような不本意な状況やミスが、結果的にはロールシャッハ法の発展に寄与したと言われています。
さて苦労して「精神診断学」を出版にこぎつけた翌年に、ロールシャッハは37歳でこの世を去りました。本は数冊しか売れず、学会では酷評され、おまけに出版社も倒産の憂き目に遭いましたが、ごくわずかな理解者によって彼の遺志は引き継がれていきます。そしてアメリカからの留学生が持ち帰ったり、ヨーロッパから研究者が移住したことで、ロールシャッハ法はアメリカで開花しました。ベックが客観的なデータをもとにした解釈法を押し進めたのに対して、ユング派の分析家だったクロッパーより主観的な解釈を用いる体系を作り上げました。アメリカではクロッパー法を始めとする5つの体系が普及し、さらにはテスターが独自に異なる体系を組み合わせたり、個人的な経験をもとに変えたりしていました。
これに対してエクスナーは膨大なデータをもとに、信頼性を徹底して高めた「包括システム」を体系化しました。現在のアメリカではクロッパー法は過去のものと見なされており、ロールシャッハ法に関して発表される論文は全て包括システムに基づいているそうです。日本では片口安史がクロッパー法に準拠して体系化した、片口法が広く普及しています。包括システムは20年ほど前から邦訳が出版されたり、セミナーが開かれています。
2009年12月27日
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