2010年03月09日

親の面倒をみる

もうずいぶん前のことですがテレビを観ていたら、こんな一幕がありました。世界各国の高校生に実施したアンケートの中で「将来は、親の面倒をみたいと思うか?」という質問があり、日本では「はい」と答える率が他の国に比べて低いと言う結果が出ていました。政治家が「これは、問題だ」とコメントしていました。

私は「面倒をみる」の中身が、違っているのだと思いました。おそらく日本人は、「同居すること」が「面倒をみる」ことだと考えるのではないでしょうか。でも日本人よりも多く「はい」と答えていたアメリカ人は、同居することが面倒をみることとは考えないでしょう。彼らにとっては離れて住んでいても、必要な支援をしたり、手紙や電話でやりとりをしたり、贈り物をしたりすることが、面倒をみることではないでしょうか。

親が現役でまだ働いていて、ピンピンしている。でも嫁姑の間が何かと波風が立って、子育てにも影響しているし、妻は別居を望んでいる……という状況があったとします。岩手に来て驚いたのは、そんな時に妻よりも親を選ぶ男性が多いことでした。彼らは「親の面倒をみなくちゃいけないから」と言います。「働くようになったらお嫁さんをもらって、親の面倒をみよう」と純真に思ってきた人を前にして、「一緒に住んでさえいれば面倒をみることになるのか、実は依存しているのではないか……」と、あれこれ考えてしまうのです。
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