前回の記事を書いていたら、ずいぶん前のケース検討を思い出しました。精神科の病院で働いていた頃、院長が知り合いの精神分析の先生を招いて、院内でケース検討をすると言い出しました。病院で心理職は私ひとりでしたし、時間をとって面接をしている精神科医もいなかったので、提出者は私にお鉢が回ってきました。その先生は外国暮らしが長かったそうで、面識がないのはもちろんのこと、学派も知らなかった(当日にはコフートをよく引き合いに出していたので、自己心理学だということがわかりました)ので、あまり気乗りしない話ではありました。
私はそのとき、病理の重いボーダーラインの男性に苦労していて、そのケースを報告しました。……で、けちょんけちょんにやられました。
「あなたはクライニアンのような解釈をして、クライエントを傷つけている。もっと彼に共感を示さなくてはならない」と言うのが趣旨だったように思います。その話を聞いたクライニアンのスーパーバイザーに、「学派が違うんだから、そんなことは当たり前だよね。あなたの世界の常識と、こちらの常識は違いますって、何で言わなかったの?」と言われてしまいました。
理屈ではそうなんですが、職員が居並ぶ前でさんざん批判されて、院長のゲストだった偉い先生に反論できるほどの強心臓ではありません。私も若かったし、あの先生の爬虫類のような目を見てしまうと何も言えなくなって、ただ時間が過ぎるのを待つだけでした。
けちょんけちょんにやられても、その後の治療がうまくいけば、まだ良いのです。でもこの患者さんの場合は、踏み込んだ解釈をすれば治療者が迫害的に見えてくるし、共感を示せば治療者にとことん依存してくるという、抜き差しならない関係になっていて、助言は現実からかけ離れているように思えました。その治療関係をうまく伝えられなかった私の問題もあるし、理解できなかった助言者の限界でもあったのでしょう。その先生がクライエントに共感しろと言いながら、目の前にいる私には何の共感も示さないのが、印象的でした。
はたして彼は信念にもとづいて発言していたのか、それとも自己愛のとりこになっていたのか? 「こういうことは、してはいけない」と戒めるためには、役に立ったケース検討でした。
2010年04月25日
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