この映画を見ていて、思い浮かんだことが色々ありました。
私は保育園から、たしか小学校3年生までだったか、「脱脂粉乳」をお昼に飲んでいました。いまのスキムミルクは本当に美味しくなりましたが、当時のものはかなり臭いがきつかったし、上に幕が張っていたりして、なかなかすっと飲める代物ではありませんでした。だからと言って後回しにすると、余計にまずくなる。それに当時は「お残しは許しまへん」でしたから、半べそをかきながらいつまでも脱脂粉乳と格闘する子もいました。
後で知ったことですが、あれは敗戦国の日本に、アメリカが恵んでくれたものでした。私たちはそのおかげで、大きくなれたということです。それに街角やお花見の会場などにいた、「傷痍軍人」。ホータイでグルグル巻きになった人がむしろの上で、アコーディオンやハーモニカで軍歌をやるんですね。中には缶にお金を入れていく人もいましたが、じっと見ていると親からは「見ちゃいけません」みたいに言われました。
親戚や近所には戦争に行って来たり、シベリアに抑留された人がいました。高校の数学教師はもと飛行機乗りの特攻崩れのような人でした。彼らからは、戦争の話を聞くこともありました。特攻崩れの先生は、優秀な教員だったとは思いますが、かなり屈折したところのある人でした。何十年経っても人格の奥深くまで刻印される「特攻隊」の罪深さを、高校生ながらに感じました。
この前に研修会の講師に来て下さった先生は、小学生の時に集団疎開して、何でも食べたそうです。芋のつるとか、アブラゼミとか。
映画の中でも言っていましたが、戦時中や戦後のことを知っている人たちは、どんどん少なくなっています。今からでも、遅くありません。聞けることがあったら、ぜひ聞いておきたいものです。
2014年01月22日
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