
日本では臨床心理士の相談室は、まだ一般的ではありません。多くの相談室では心理療法が行われていますが、その営みは世間一般の人たちはもちろんのこと、医師やソーシャルワーカーなどメンタルヘルスの専門家にも十分には理解されていないと感じます。「療法」とは言っても医学モデルで症状を取り除くわけではなく、これまでとは違うものの見方や行動の仕方を身につけたりするのをお手伝いするので、むしろ教育に近いと言えるでしょう。そうした営みがもっとも純粋な形で、第三者を介さずにしているのが、臨床心理士の相談室ということになります。
自分の相談室を持つことは、私たちが若い頃は一種の憧れでもありました。ところがスクールカウンセラーなどのアウトリーチ(出前)の仕事が脚光を浴びるようになって、個人の相談室はマイナー?な存在になってきました。昔はユングの「密封された容器」だったのが、今や「密室型心理臨床」などとネガティブな表現をされることもあります。この本でも鎗玉に挙げられていますが、個人心理療法からコミュニティアプローチへの脱却にこそ、臨床心理学の未来があると力説するような御仁もおいでです。でも自分ひとりの店で客を満足させられないような料理人が、チェーン店のコンサルタントになったらどうなんでしょうか。その店のスタッフも、お客さんもいい迷惑なんじゃないでしょうか。
話は横道に逸れますが、この業界には実に色々な人がいて、それぞれに論文を書いたり学会に出てきたりしています。でも私の場合、その人の言っていることを信用するかどうかは、自分の家族やクライエントを紹介する気になるかどうかです。あともう一つ言うと、自分の主張に自信は持っていて欲しいけど、でもそれと同時にその主張が「いくつもある意見のうちの、一つ」という感覚も持っていて欲しいです。だから唯一無二、みたいな雰囲気が漂っていると、ちと怪しんでしまいます。
さて個人の相談室は、言ってみれば料理人がひとりでやっているレストランのようなものです。材料を仕入れて、料理もデザートも飲み物もこしらえて、給仕も会計もする。お客も少ないだろうし、出せる物も限られることでしょう。お客がドアを開けてから、閉める時まで、、その全てに彼の料理人のあり方が映し出されることになります。だから自分の「仕事場」である相談室について語るとなれば、成田善弘先生のおっしゃる「根性丸出し」になってしまうのです。同業者の私には、とても面白く読める本でした。
(開業臨床心理士の仕事場/渡辺雄三他編 金剛出版)