2014年05月15日

オールド・タイマー

高校生の女の子の話を聴いていた時のこと。彼女は家では思い通りに何でもしゃべるそうですが、学校では自分の気持を出せないのだそうです。

「ふーん、あなたは内弁慶ってやつなの?」
「…………?」
「内弁慶って、わからない? ベンケイは知っている?」
「ベンケイ……?」
「牛若丸と弁慶のお話は?」
「いや……」
「源義経は?」
「うん、知ってる」

わざわざ内弁慶などと言う古めかしい言葉を持ち出したのは、家の中だけでむっちゃ強い弁慶になっちゃう――というイメージを彼女の中に作ってもらって、そのイメージに対しての反応を引きだしたかったからです。でも、まったく通用しないので、降参です。思わず「京の五条の橋の上……」というところから、話を始めてしまいました。

これでは「弁慶の泣き所」も死語になっているのでしょうね。それにしても彼女は岩手の子なので、平泉で立ち往生した話とか、聞いたことがなかったのでしょうか。昔はモノもパソコンなかったので、私が小さな頃はみんな同じような話を聞いて、同じような絵本を見て育ったのですが、今の子にはそういうのはないのです、きっと。

自分が誰よりも新しモノ好きで、時代の最先端を行っていたつもりだったのが、こんどは時代から取り残される番になっていくのですね。私はスマホよりもガラケーが良いと思って使っているし、音楽を聴くのもハイレゾ音源のダウンロードとかネットワークオーディオとかには手を出す気もなく、アナログLPやCDを聴いています。新しい物が出てきても、古い物で十分満足しているし、そんなにイイ物とも思えないし、面倒くさいし……。こうして段々に爺さんに、なっていくのかなあ。古い物を使っていても、古いことを知っていても、何か自分にとって新しいことをやっていかないといけませんね。
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