2014年05月18日

メッセンジャー

イスラエルのオーレン・ムーバーマンが監督した作品。メッセンジャーとは通告官のことで、戦死した兵士の家族を訪ねて、事実と弔意を伝える役割を担っています。陸軍長官の代理として、正装の軍服でマスメディアよりも早くかけつけなくてはなりません。

主人公のウィルはイラクで戦友を救って負傷した「英雄」で、帰国してからこの役割を命じられました。大尉と組んで遺族のもとを訪れるのですが罵倒されたり、悲嘆をぶつけられたりで、決してきれいな儀式にはなりません。そんな中、「大変なお仕事ですね」と手を握ってくれた未亡人に、ウィルは惹かれていきます。また「接触してはならない」という規則を破って、息子を失って泣き崩れる夫婦をハグしてしまいます。

大尉はそんなウィルを厳しく叱責するのですが、ウィルは「俺だって人間だ、日向ぼっこをしていたんじゃない、闘ってきたんだ」と聞き入れようとしません。休暇に二人で出かけて、ウィルのイラクでの体験を聞いた大尉は、号泣します。ウィルが事実を話したことで、ウィルの過酷な状況を兵士として共感して、いたたまれなくなってしまったのです。

ネットの書きこみを見ると「公私混同するような人に告知されたくない」とか、「主人公は甘い」とか、批判的な意見を目にします。私の見方ですが、監督はウィルを理想的なメッセンジャーとして描いたつもりはないでしょう。決まり通りに役割をこなすことができない姿を呈示して、その背後にあるサバイバーズ・ギルティ(生き残った者の罪悪感)とトラウマ障害を描いているのでしょう。おそらくウィルは兵士の死を告げる度に、イラクでの体験がよみがえってきて、「何で自分が生きてしまったのか」と自分を責めなくてはいけなかったのです。

「えひめ丸」の事件を、ご記憶でしょうか。高校生たちを乗せた実習船が、アメリカの原潜に激突されて沈没して、大勢がなくなりました。助かった生徒たちの中に、助かったことを喜ぶ人は一人もいなかったそうです。「もし自分が、下のベッドの子に声をかけていれば、助かったかもしれない……」など、客観的に見れば不合理な思考にとらわれて、自分を責め続けたそうです。そこから回復して自分のペースで生活できるまでに、何年もかかったらしいです。

この任務を命じられたときに、ウィルは「自分は悲嘆カウンセリングを受けていません」と上官に答えていました。サバイバーズ・ギルティを乗り越えるための援助を受けていないと言ったのにもかかわらず、その上官は「この任務には強い人間が必要だ。君は英雄だから、必ずできる」と、とりつく島もありませんでした。この上官の無理解が、ウィルを苦しめたことになりました。
posted by nori at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画に見るこころ
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