2014年06月15日

リアリズム考

今朝はワールドカップの日本チーム初戦、コートジボアールとの試合でした。私はこういう時だけ試合をテレビで見る、にわかサッカーファンです。10時のキックオフまで時間があったので、NHKの教育テレビを見ていたら写真家、植田正治の特集をしていました。今年は生誕百年ということで、展示会が開かれています。「植田正治のつくりかた」が盛岡の岩手県立美術館に来ていたのでしたが、あいにく日にちを勘違いして見逃していました。

植田正治(うえだ・しょうじ)は故郷の鳥取で写真館を営みながら、作品制作を続けた写真家です。私が写真に凝っていた学生の頃は、よく写真雑誌に作品が掲載されていました。もちろん当時から高名な写真家だったので私のような者には雲の上の人だったのですが、軽妙洒脱で温かみのある写真からは、優しいお人柄が伝わってきました。しかし鳥取の砂丘を舞台にした作品は、すべて演出されていて、どうも当時の私の好みには合いませんでした。私は演出の是非については、土門拳(どもん・けん)が唱えていた演出不要論(排斥論?)に共感していました。ありのまま、そのままを撮れば良いじゃないかと思っていたのでした。

今となっては植田正治でも土門拳でも、どちらでも良いのです。そんなことを思って番組を見ていたら、荒木経惟さんが「植田さんは(被写体である人物に)対峙しているでしょ。関わっている。そこで初めてリアリティが出てくると考えていたんじゃないかな」と言われました。さすが天才、アラーキーです。これは心理療法で言えば、ひとりごとに真実があるのか、セラピストが関わる中での話に真実があるのか、ということです。関わることによって真実を浮かび上がらせていく作業が、心理療法なのかもしれません。エビデンスよりも、ナラティブということでしょうか。

ちなみに現実そのものを冷徹に見ようとした土門拳は、あまり幸福には見えませんでした。亡くなったときの息子さんのコメントが「家には家族で撮った写真が、一枚もない。家庭を顧みるような人ではありませんでした」みたいな感じで、放っておかれた感がにじみ出るような言葉でした。植田正治の写真には、家族が登場します。今日の番組に出ていた娘さんが、「疲れて腕が下がってくると、叱られまして……」と話しているときには、ほのぼのとした家族の情愛が感じられました。ナラティブの方が幸せになれる、とまで言ってしまったら、言い過ぎでしょうか。
posted by nori at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと
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