2022年03月17日

3月16日 深夜の地震

昨夜も遅くなって、もう寝なくては……と思った頃に、地震がありました。たいしたことがなくて良かった……と安堵したらすぐに激しい揺れを感じて、携帯電話の警告音が響きました。家のが基礎から揺れているという感じで、本当に怖い。物がいくつか落ちていましたが、そんなことを気にしている余裕はありません。この調子でどんどん揺れがエスカレートしていって、そのうちに家ごと壊れて下敷きになるのではないか……そんな恐怖に襲われました。

東日本大震災のときは、鉄筋コンクリートの高校にいたので、揺れている間の恐怖感はそれほどでもありませんでした。長く続いたので、その不気味さはありましたが……。今回は木造家屋の自宅だったので、とても怖く感じました。

揺れが収まってからテレビをつけて、状況確認。家族の安否確認ができて、ほっと一安心。それでも眠くなりません。1時を過ぎてから、床に就きました。東日本のときのトラウマとかぶったこともあって、過覚醒状態になっていたのですね。夜遅くに眠りについたのに、今朝は早くから眼が覚めてしまいました。

今回の地震で被害に遭われた方々に、こころよりお見舞い申し上げます。自然災害が続いているだけではなく、コロナ禍、ウクライナでの戦争、そして地震、そして子どもへの虐待や殺人事件など、こころの安全が脅かされています。平和と安全こそが尊いものであることを、あらためて感じます。
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2021年03月10日

「心のケア」は必要なのか

明日で、東日本大震災から10年になります。

テレビのニュースを見ていたら、今後の復興について「心のケアに力を入れる」ことが閣議決定されたとありました。政府は被災地の人々の「心」がどのような状態にあるのか、それをどう見立てているのでしょうか。そして「心のケア」とは、何をするつもりなのでしょうか。そこは全く述べられていないので、推しはかることもできないのですが、少なからず違和感を覚えました。

「ケアをする」と言うことは、被災した人々が「ケアの対象になる」、つまり弱みを抱えている人としてみなすということです。そういうからには、どのような弱みを抱えているのかを、具体的に明示すべきでしょう。「心のケア」と言えば、何かしら配慮をしているような、恰好がつくような、そんな便利な言葉でお茶をにごしているとしか思えないのです。

そもそも、「心のケアをします」などと言われて、被災した人々が喜ぶとでも思っているのでしょうか。

被災地の復興支援が、不要だと言っているのではありません。コミュニティの再形成を支援する、子育てを支援する、産業の育成を支援する、そういったことは是非ともしていただきたいです。働く場所があって、安心して子育てできる地域には、若い人たちも増えていくでしょう。また人々が地域で気軽に会うことができるように、新型コロナウィルスワクチンを優先的に回すことはできないものでしょうか。自分たちで暮らしを楽しんでいけると思える、未来を切り開く力があると感じられる、それこそが癒しではないでしょうか。
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2019年12月16日

クイン(大槌)が12月22日にオープン

岩手県はジャズが盛んです。一関市のジャズ喫茶「ベイシー」は全国的にも有名ですが、盛岡市には「ダンテ」、「S」、「すぺいん倶楽部」、「ノンク・トンク」、「ジョニー」、奥州市には「レイ・ブラウン」「ハーフ・ノート」、釜石市には「タウンホール」、陸前高田市には「ジャズタイムジョニー」など、ジャズスポットが頑張っています。最近になって宮古市に「ハーヴェスト・ムーン」も開店しました。年に一度、「いわてJAZZ」も盛岡市の県民会館で開催されています。アマチュアミュージシャンのレベルも高くて、お店で聴くとしっかりチャージを取られます。

ベイシーよりもちょっと早く1964年に開店したのが、三陸沿岸は大槌町(釜石市の北隣)の「クイーン」です。私が住んでいる町からは遠いこともあって、お店に顔を出せるのは年に一度、とある官公庁の仕事で宮古市と釜石市に行くときでした。移動時間を含んでのダブルヘッダーだったので、お休みを兼ねて寄らせてもらっていました。それでもマスターは憶えてくれていて、ジャズにとどまらず色々な話を聞かせてくれました。スピーカーの周りにはあふれんばかりの本やCDが積みあがっていて、スピーカーの見えないジャズ喫茶というのも珍しくて、私にはジャズ談義喫茶、みたいな感じでした。

ところが震災でお店が流されてしまい、マスターの佐々木賢一さんと長女の多恵子さんは内陸で暮らすようになりました。それからのおつき合いは濃いものになりましたが、残念なことに昨年の夏にマスターが急逝されました。喫茶店は休んじゃいけない――「店を休んでデートがダメになったらどう責任をとるんだ?」とか、人気のデートスポットだったかどうかはさて置いて、そんな使命感もあって年中無休でやっていたマスターのことなので、さぞお店を再開したかったことでしょう。でも現実は厳しくて、延び延びになっていました。このほど、多恵子さんが「クイン」として大槌駅前にオープンする運びになりました。

そう言えば店名がありがちなジャズの曲でもミュージシャンでもなく、なぜ「クイーン」「クイン」だったのかは、マスターは教えてくれませんでした。無類の映画好きだったので「アンソニー・クインから?」と聞いたこともあったけど、そうでもなかったようです。多恵子さんの決心と行動力に敬意を表するとともに、「クイン」が客足の絶えないお店になることを願っています。
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2018年03月06日

仮設住宅の支援を終えて

先日、宮古市の田老地区に支援活動に行ってきました。「グリーンピア三陸みやこ」には数百戸の仮設住宅がありますが、そこに住んでおられた方々を支援してきた「サポートセンター」が今月末には閉じられることになっています。ほとんどの方が仮設住宅から、復興住宅などに転居されたということです。私が所属している岩手県臨床心理士会では、2011年の10月から仮設住宅の集会所やサポートセンターにおじゃまして、サロン活動を展開していました。それも最後になるということで、大勢の方に来ていただきました。

サロン活動の中心は茶話会で、私たちは語らいの場になるように飲み物やお菓子を用意しました。集会所でやっていたときには、みんなでリラクセーションをしていました。ときにはイベントでホットケーキを親子で楽しんだり、ジャズのライブを開いたこともありました。「臨床心理士会の支援活動」というと、カウンセリングのようなことをイメージされるかもしれませんが、私はみんなで楽しんで帰ってくることが大切だと考えていました。理屈で言えば、コミュニティの再構成を支援することで心理的孤立や抑うつを予防して、喪失からの回復を支援するということです。「なんだか楽しそうだから、行ってみるか」という場にすることが、私たちの専門性だと思ってきました。

当日の私の仕事は、コーヒーを淹れることでした。エプロンをして「今日はマスターが来た」なんて言われたまでは良かったけど、次から次への注文に応じるのは大変で、10リットルを抽出しました。コーヒーを淹れるときの湯気を吸いこんでいるので、少しずつ、少しずつ、飲んでいるのと一緒です。カフェインの覚醒作用で、だんだん目が冴えてきました。ドリップポットも大き目のじゃないと間に合わないので、翌日は筋肉痛になりそうでした。筋肉痛になるまでコーヒーを淹れるのは、マスターの特権です。

帰り際になったら、男性がケータイをもって何やら相談をしていました。これから復興住宅の近くにある「高台」で、仲間が寄り集まるらしいのです。復興住宅の集会所となると、利用するには届け出が必要だし、いくらかの利用料を取られます。野外で一服しながら、ダべった方が良いのでしょうね。素晴らしい! そうそう、壁も扉も厚くてとなりの気配がしないような復興住宅にこもっていてはいけません。

顔見知りの方には「また会いましょうね」と言っていただきました。地域の方々が仮設住宅から拡散していったので、支援活動をするのも大変になってきましたが、形を変えてまたお会いする機会を持てればよいなあと思いました。「支援」と言っても、こちらが元気をもらって帰ってくるような感じでした。人と人とのつながりが大切であることを、しみじみ味わうでもありました。
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2015年05月27日

被災地にスクールカウンセラーを

 岩手県の沿岸部には、震災復興の国費で数名のスクールカウンセラーが派遣されています。関東や九州など遠方から移住して、複数の小中学校を担当しているので、巡回型カウンセラーと呼ばれています。岩手県のスクールカウンセラーは盛岡市に住んでいる人が多いので、もともと沿岸部ではスクールカウンセラーが不足していました。被災地の子どもたちの健やかな成長を支えていくうえで、彼らの存在はとても大きいのですが、今年度は国の予算が大幅に減らされたという話が聞こえてきました。「来年度の巡回型カウンセラーの予算がつかなかったら大変なことになる」と心配する、教育関係者もいます。私も心配しているので、こうしてここでささやかな発信をしています。
 「震災から5年が経ったのだから、子どもたちの心理支援はもういいんじゃないの?」とお考えの方も、いらっしゃるかもしれません。でも実際には避難訓練のサイレンの音でパニックになってしまう子もいるし、今になってやっと「怖かった」と言えるようになった子もいます。とくに気になるのが、いま小学校の低学年の子どもたちです。彼らは親に抱かれて津波から逃げたり、避難所で生活をしたり、十分な世話を受けられなかったりしています。幼かったので衝撃は大きかったはずですが、その記憶はないでしょう。幼少期の記憶は4〜5歳からなのは、言葉の力がついてストーリーを作ることができないと、記憶できないからです。震災のときに年長さんであれば「津波のときには友だちと逃げて怖かった」などと思い出せるでしょう。でも年少さんだったら、体験したことを思い出すことができません。2〜3歳に強いストレスが加わると、その後の成長に影響が出るとはよく言われていますが、彼らがどのように中学校生活を送るのかが気がかりです。子どもたちの心理支援は、震災から十年間は必要だと考えます。被災地からスクールカウンセラーが引き上げることにならないように、皆さんにご理解いただけるとありがたいです。
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2014年04月17日

陸前高田市

4月15日に、陸前高田〜大船渡〜釜石と沿岸の町を見て回りました。陸前高田市は山を崩すのと、平地のかさ上げが進行していました。道路はダンプがひっきりなしに走っていて、あたり一面に土煙が舞っていました。

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中空のベルトコンベアで、土砂を運んでいるようです。

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皆さん、ご苦労さまです。街ができて、人々の生活が復活すると良いのですが……。
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2014年04月09日

石の上にも三年

石の上にも三年、と言います。ガマンの一区切りが三年なのかもしれません。

沿岸部で暮らす人々、仕事をしている人、あるいは内陸で避難生活を送っている人たちに、疲れが出てきているように思えてなりません。仮設住宅もガタが来たり、カビが生えて来たとか、ネズミがはい回っているとか言う話も聞こえて来ます。また教師や公務員など、対人援助や復興にあたる人たちも、疲れています。復興のために何とか……とやってきた人たちも、疲労と緊張感の連続、無力感で燃え尽きそうになっています。内陸で避難生活をしている人たちは、周囲とのギャップや理解してもらえない孤立感、あるいは「故郷を捨てた」と同郷の人たちから思われるのではないか……と、悩みが深くなっていると思います。

自分自身のことで言えば、これまで月に一度の支援活動をボランティアでして来ました。必要とされているのは分かっているし、行けば喜んでもらえるのも嬉しいし、ボランティアと言っても持ち出しではなくて得ているものも大きいと思っています。でも何と言うか、ちょっと疲れてきたかな……という気持が湧くようになって来ました。

明確に言葉にするのは難しいのですが、この疲れを癒すとしたらたとえば温泉に湯治に行くとか、そういうものではないような気がします。もちろん温泉は好きだし、何日も湯治に行けたらさぞ良いだろうなあ……とは思うのですが、ね。

支援に関わっている人たちどうしで、ゆっくり語り合うような場があれば良いかなあ、と思います。同じ活動をしている仲間ではなくて、色々な立場の人たちですね。それが温泉だったらもう最高なんですが、どこぞの公民館でも良いのです。どこかで企画してくれないでしょうかねえ。
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2013年12月15日

被災地のいま

今日は沿岸の町に、臨床心理士会の仲間と支援に行ってきました。いつもは会員の自家用車で行くのですが、冬場は安全の確保のために、ジャンボタクシーをお願いしています。仮設住宅の集会所で、お茶を飲みながら話をしていただいたり、リラクセーションを行ったりしています。

その道中の光景です。画像をクリックすると、大きくなります。

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かつての町並みには、まだがれきが積まれています。向こうに見える学校まで、子どもたちは仮設住宅から通っています。

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丘からこの町を見下ろしたところです。手前の家々は、波がかぶりませんでした。波がかぶったところは漁協の倉庫と仮設店舗の他、一般の住宅はひとつも建っていません。山あいの仮設住宅に暮らす人々の多くは高齢者ですが、ここで二度目の正月を迎えます。狭くて隣の音も丸聴こえのプレハブで、冬はさらに底冷えと結露に悩まされます。

東北から北関東まで、沿岸の地域はほぼ同じ様子だと思います。福島はさらに放射能の問題を抱えています。私にはなぜ「東京オリンピック」なのか、さっぱり理解できません。全国のみなさん、お願いです。被災地のことを忘れないで下さい。そして福島産の農産物がスーパーにあったら、ぜひ買ってください。
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2013年07月27日

小曽根真さん

昨夜にNHKを見ていたら、ジャズピアニストの小曽根真(おぞね・まこと)さんの活動が紹介されていました。小曽根さんは神戸の出身で、阪神淡路大震災でふるさとが壊滅状態になりました。自らの体験で、「震災から二年目を過ぎて、少し生活が安定してきて、でも先が見えない今が一番きついと思う。音楽で元気を出してもらえれば」と、ビッグバンドを組んで岩手県から宮城県の被災地で演奏されていました。「これで終わりではなくて、これからが始まり」と話していました。

ジャズを聴いていると、身体を揺らしたくなります。リズムに乗って踊っている子もいたし、指を動かしているお母さんもいました。「ふだん仮設で気を遣っているだろうから」と、大きな声を出す曲も用意されていました。やはり、こういうことで元気が出てくるのだと思います。


小曽根さんをはじめとするミュージシャンはもとより、大鎚町の職員の方も、気仙沼出身のマネージャーさんも、みんなを元気にしようと動き回っていました。私も沿岸の支援に携わっていますが、同じ思いで動いている人たちとの連帯のようなものを感じて、胸が熱くなりました。

これからが、むしろ支援の正念場ではないかと思います。応援を、よろしくお願いします。
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2013年03月10日

明日で2年

ちょっと暖かくなって春めいてきたかと思えば、今日小雪が舞って風が冷たい一日でした。明日で二年目を迎えることになりますが、そういうえばこんな寒い日だったなあと思い出しています。私にとってはとても2年とは信じられないくらい、長い時間でした。色々なことが、あり過ぎました。

テレビをつければ、どこでも震災関連の特集番組が組まれているようです。津波の映像を注意書きのテロップをつけて流すくらいなら、出さなければ良いのにと思うのですが、何とかならないでしょうか。被災された方は、津波映像をご覧にならないことをお勧めします。

震災で亡くなられた方々のご冥福を、あらためてお祈りします。被災された方々、避難生活を送っておられる方々、辛い日々が続いていらっしゃることと思いますが、私たちにできる支援を続けていきたいと考えています。大切な人を失ったことを十分に悲しんで、その一方では人とつきあって現実の生活を送ることで、生きる勇気がわいてくると言われています。

私が特に心配しているのは、中高年の男性です。仕事を再開できず、やることがないとアルコールやギャンブルに依存してゆく人もいます。沿岸の仮設住宅に支援に行くと、女性は集会所のカフェに出向いてくださるのですが、男性はなかなかおいでになりません。お茶を飲んでおしゃべりをする習慣が男性にはないのが、残念です。オトコはもっと、おしゃべりをしましょう。
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2013年02月17日

Narrative Exposure Therapy

チューリッヒ大学の精神病理学教授のジェローム・エンドラス(Jerome Endrass)先生の研修会が、盛岡でありました。スイスは地震も洪水もなく、災害とはあんまり縁がない国だと思っていましたが、災害支援についての研究をされていました。スイスは徴兵制がしかれていて、海外の災害支援にあたる兵士もいるし、外国にバカンスに出かけて津波の被害に遭うこともあります。ジェローム先生はアメリカの同時多発テロやルワンダなど、外国に派遣されて災害の支援にあたってきたそうです。

通訳が入ったこともあって時間的に足りなかったのですが、ナラティブ・エクスポージャー・セラピー(Narrative Exposure Therapy)と呼ばれる、グループでのトラウマケアがとりあげられました。心理学の専門家でなくても、短期間のトレーニングを受けることで施行することができます。個人のカウンセリングよりも効果的であるという、研究結果も示されていました。

トラウマのケアにあたる専門家には健康を損なうリスクが高いことも、話題になりました。フルタイムでそのような仕事をしない方が良いと言うことです。やはり支援にあたっている人は、燃え尽きないように気をつけなくてはなりません。
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2012年10月30日

遺族のケア

 10月27日に岩手県臨床心理士会の主催で、「こころに寄りそう―大切な人を失ったあなたに―」と題された遺族ケアのシンポジウムが開かれました。国立精神・神経センター精神保健研究所の中島聡美先生の基調講演の後で、県内各地で支援にあたっている現場の方々による発表、意見交換となりました。

 中島先生は悲嘆反応に関してボウルビィの愛着と喪失の理論をベースにして、とても分りやすく講義をしてくださいました。悲嘆は大切な人を失った人に起きる、自然で正常な反応です。抑うつや怒り、自責感などの情緒面だけでなく、睡眠障害などの身体症状や、ひきこもりや過活動などの行動面にも現われます。悲嘆から回復すると、故人を苦しまずに思い出すことができて、再び生活に向きあうことができるようになります。そうなるためには、悲しみに向き合うこと、人づきあいしながら日常生活を送ることの両方が必要なのだそうです。

 しかし複雑性悲嘆と呼ばれる状態になると、急性期の反応が何年間も長期にわたって続いたり、社会的な孤立が長引いたりします。しかもご本人は、その状態に対して違和感を持つことなくひきこもった生活を続けて、援助や治療を受けようとはしません。とてもデリケートになっていて、アプローチしてくる人には容易に心を開こうとしません。

 人がひとり亡くなると、6人が「大切な人を失った」と感じるそうです。岩手県だけでも、3万6千人の方々に悲嘆が訪れていることになります。悲嘆が無理なく進むように、そして複雑性悲嘆の方々に手がさしのべられるように、支援が必要です。「復興」のスローガンのもと、「いつまでも悲しんでいないで、前を向いて」いくことを強制されてしまうと、悲嘆が重くなっていくと思われます。やはり悲しいことは十分に悲しんでから、前に進めるものだと思います。
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2012年07月02日

仮設の孤独死倍増

6月25日発行の毎日新聞に、この見出しがありました。
震災2年目に入って孤独死した人は、岩手、宮城、福島の3県で11人に上っており、現役世代の男性が目立つとのことでした。

誰にもみとられずに亡くなるのは、周りの人にしてみれば「そんなことがあって良いものか」と感じることでしょう。でもご本人にしてみたら、そうなることが十分に予測できる状況であっても、それで良しとしているのではないかと思うのです。すべては3月11日で終わっていて、もう何も残っていないし、取り戻すこともできない。そんな心境のまま、亡くなっていくのではないでしょうか。

「孤独死を防ごう」と声高に叫ぶよりも、孤独を癒すことを考えるべきでしょう。それは何か「してあげる」ことによってではなく、彼らが人から「必要とされている」と感じることによって、なされるのだと思います。その意味で職場が復旧するまでの間に、どのような活動が地域で広がっていくかが、ひとつの鍵になると考えています。

実際に仮設住宅の集会所に支援に出向いて感じるのは、「男性が出てこない」ということです。私が行っているのは宮古市ですが、大船渡市で集会所の管理人をしている男性も、「イベントがあっても男は出てこないから、とても心配だ」とこぼしていました。もともと女性は人とつながりをつくるのが上手ですし、お茶のみをして愚痴をこぼし合う文化もあるように思うのですが、どうも男性は孤独なままひっそりと暮らしているように見えます。やはり男の方が、心配です。
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2012年03月10日

アニバーサリー反応

明日で、ちょうど一年になります。本当に色々なことがありましたが、一年とは思えない時間の長さです。

アニバーサリー(記念日)反応、という言葉があります。あの場面に引き戻されるように思い出したり、ドキドキして落ち着かなくなる方もいらっしゃるかもしれません。それは誰にでも起こりえる、正常な反応です。もしそうなったら、身近な人に話を聞いてもらうとか、リラックスできるようなことをするのが良いようです。またテレビの特集番組や、サイトの動画などはむやみに見ないようにしましょう。
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2012年02月06日

支援に行って

宮古市の田老地区は、豊穣の海でした。でも3月11日には「万里の長城」とも言われた防潮堤を乗り越えて、津波が町を呑み込んでいきました。家を失った人の多くは、グリーンピアの跡地に建設された仮設住宅で暮らしています。

昨日はその仮設住宅の集会所に、支援に行って来ました。岩手県臨床心理士会の支援活動の一環で、日本財団から資金の援助を受けています。「リラックス・カフェ」と銘打って、リラクセーションとお茶のサービスをしています。日曜日は若い人たちは車で外出するのか、集会所を訪ねてくる人は、高齢の方がほとんです。リラクセーションで肩や腰、膝などを楽にしたり、お茶を飲んで行かれます。「仮設でとなりなのに、今日初めてゆっくり話をした」という方もいらっしゃいました。

さてその中で、80代の女性がこんな話をしていかれました。「みんな流されてしまって、何一つ持っていませんでした。皆さんのおかげでこうして暮らしていられるのは、本当にありがたいことです。もう自分には時間が残されていないので無理だけど、もうちょっと若ければ、ありがとうございますと感謝の気持を伝えに行きたいです」

この場を借りて、私からお伝えしておきます。そして皆さん、被災地にはまだまだ復興にはほど遠い現実があること、苦しい生活を送っている人たちが大勢いることを、忘れないでください。
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2011年12月12日

地域のつながりを支援しよう

私は4月から、被災地の支援に出向いています。もちろん本業があるので、そう頻繁には行くことができませんが、空き時間のかなりの部分を支援に割いている感じです。岩手県の沿岸地域はこれから本格的な冬を迎えるわけですが、とくに高齢者は外に出るのもおっくうになる季節です。屋外が凍結するので、転ぶのが怖い。実際に転んでから寝たきりになってしまう方もいらっしゃるので、「転ぶのが怖いから」と外出を控えたくなる気持も分かります。生活物資を調達できるのか、ますます孤独に陥らないのかと、心配になります。

さて仮設住宅に出向いて感じるのは、皆さん日々をやり過ごすのに精一杯で、他人のことや将来のことに目を向けるゆとりがないと言うことです。私が関わっている仮設は大規模(およそ400戸)ですが、自治会や子ども会がまだありません。バラバラの地域から集まってきたわけではなくて、同じ地域の顔見知りが集まっているのに、です。

今まで心理面の支援は、リスクを抱えている人に個別に対応することが中心でした。これからはコミュニティをどう活性化するかが、焦点になると思います。地域のつながり、支え合いがないところでは、弱い人たちにそのしわ寄せが行きます。子どもたちのいじめ、高齢者の孤独死や自殺などが懸念されます。地域の人たちが、家族のように自分のことを気にかけてくれている。困っている人を見つけたら、手をさしのべる。そういう地域に住んでいる人たちは、幸せです。

もともと私たち臨床心理士は、個人を対象にした援助が中心で、集団や地域を対象にしている人は少ないです。「慣れないことをする」ことになるし、やりながらノウハウを蓄えていくということでもあります。でも今必要なことを、やっていきましょう。
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2011年08月05日

命を救った非常階段

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7月26日に、大船渡市に行って来ました。それまで避難所は何回も足を運んでいましたが、被災した学校を見るのは初めてでした。越喜来(おきらい)小学校は、海岸の近くにあります。そして校舎の2階と山手に続く道がほぼ同じ高さにあって、いったん校外に出て避難すると時間がかかります。平田武市議が2008年頃から、津波対策の非常階段を作るように訴えていたそうです。闘病中に「一番危ないのは、越喜来小学校。遺言だと思って作ってくれ」と。それが去年の12月に完成して、市議は震災の9日前に亡くなられたそうです。津波で校舎はめちゃめちゃになりました。でも階段のおかげで、71名の子どもたちは全員無事だったそうです。

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2011年06月10日

切り離したままにしないために

震災から3ヶ月が経ちました。テレビでは被災地の人々が、復興に向かう姿(ばかり)が放映されて、芸能人が他愛もないおしゃべりを続けています。沿岸のパチンコ店ですら、駐車場に車が満杯になっています。

私たちは辛いこと、嫌なことは自分から切り離して生きて行こうとします。それは身を守るためには、必要なことでもあるのでしょう。私だって音楽は聴くし、映画も見るし、「人並み」に暮らしています。人様のことをあれこれ言うつもりも、ありません。でも切り離したままでは、何も解決はしていきません。「私たち」から切り離された、「あの人たち」はどうなっても良いのでしょうか。

被災地は何とかなっているんだろう、と思っている方は、ぜひ一度足を運んでみてください。たとえば、陸前高田に。見渡す限りのがれきの原では、車を降りるだけでも勇気が必要かもしれません。吹き渡る風にまじる臭いをかいでいると、何とも言えない感じがこみあげてくるかもしれません。どうか、つながっていてください。
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2011年05月16日

生きてて良かった

沿岸部の方から、毎週通ってきてくださっていたクライエントがいました。震災後は音信不通になって、何度もネットのパーソンファインダーで検索したのですが、情報は得られませんでした。三陸の中でも特に津波の被害がひどい地域だったので、おそらくは……と思っていました。せっかく良くなって来ていたのに……と、やりきれない気持で一杯でした。

ところが、ほんのつい先日のこと、ご本人から電話をもらいました。携帯を持たない人だったのですが、やっと固定電話が復旧したそうです。それも回線が不安定なので、ゆっくりお話もできなかったのですが、とにかく家は流されずに不便ながらも生活をしてこられたようです。避難所に行かなかったので、パーソンファインダーにかからなかったのですね。

彼の場合はどうだったか、まだ話を聞いていません。でも家を流されなかった人は、食べ物や物資がなくなっても、遠慮して避難所に行けなかった人もいるそうです。みんな被災者ではあるのですが、「失った人」と「失わなかった人」の間に、溝ができてしまった地域もあるようです。マスコミは「復興に向かっている姿」を好んで取り上げますが、日々をやり過ごすことだけで精一杯の人たちが圧倒的に多いのが現実ではないでしょうか。

それでも、ともかく、何があったにしても。「生きてて良かった」です。
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2011年05月08日

まだ、始まったばかり

 日本心理臨床学会の支援活動委員会のサイトに、私のこれまでの支援活動の報告を掲載していただきました。震災から2ヶ月になろうとしていますが、本当に色々なことがあって、まだ2ヶ月とは信じられないくらいに長く感じています。それでも、被災した方々への支援はまだ始まったばかり。この連休は、ボランティアが集結して沿岸部は渋滞が起きていたようです。私はリフレッシュのために、休みをとりました。バテないように、やっていこうと考えています。興味のある方は、pdfファイルをアップしておきますので、お読みください。aoyama.pdf
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