2020年01月29日

アッティラ・ゾラー

一般的な人気はないけれど、玄人受けするというか、ミュージシャンにも影響を及ぼすような人を「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と言います。アッティラ・ゾラー(Attila Zoller 1927〜1998)は、その代表格かもしれません。ハンガリーに生まれ、プロのバイオリニストだった父親からバイオリンの手ほどきを受けたそうです。学校をドロップアウトしてブタペストのクラブでジャズを演奏するようになり、ソビエト侵攻から逃れるためにギターを担いでオーストリアまで歩いたそうです。アメリカから来ていたオスカー・ペティフォード(b)やリー・コニッツ(as)からアメリカに行くように勧められて、奨学金を受けてジャズを学んだそうです。ジム・ホール(g)の生徒になり、ルームメイトはフリージャズの開祖になったオーネット・コールマン(as)だったとか。

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コマーシャルなハービー・マン(fl)のグループでデビューして以来、共演したミュージシャンはスイングのベニー・グッドマンから、フリーのアルベルト・マンゲルスドルフ(tb)、ラテンっぽいカル・ジェイダー(vib)、そしてあのジミ・ヘンドリックスまでと幅広かったようです。亡くなる直前はオーソドックスなモダンジャズのトミー・フラナガン(p)とツアーに出ていたとか。だれとでも合わせられる、そしてだれとも違うスタイルを作るということは生半可ではなく、ワン・アンド・オンリーなギタリストとして尊敬を集めていたと思われます。

ビバップでもフリーでもなく、ましてやロックでもなく、いわく言い難い不思議なフレーズを高度なテクニックでつむぎ出す演奏は、凄いのはよく分かるけど、凄いとしか言いようがない……。という感じでしょうか。亡くなってから、師匠のジム・ホールや弟子のパット・メセニー、その他大物ミュージシャンが参加した追悼アルバムが作られました。波乱万丈の人生を送りながら、教育者としても活躍していたようです。ドイツのenjaから発売されていたこのアルバム、Common Cause はロン・カーター(b)、ジョー・チェンバース(ds)とのトリオで、彼のギター・プレイをたっぷり味わえます。

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2019年11月22日

エド・ビッカート

カナダ出身のジャズ・ミュージシャンで、まず有名なのはピアノのオスカー・ピーターソンですね。そりゃもう圧倒的に上手いんだけど、ヴォーカルも良かったらしいです。あのナット・キング・コールと「二人とも弾き語りだと仕事の取り合いになるから、歌かピアノかどっちかに専念することにしよう」と言われて、彼はピアノを選んだとか。ドン・トンプソンなんて言う人もいた。ベースが本業らしいけど、ピアノもドラムスもヴィブラフォンも達者で、「ひとりMJQ」ができちゃうそうです。ここまで器用になっちゃうとナンバーワンには届かないだろうけど、仕事には困らないでしょう。

エド・ビッカート(Ed Bickert 1932〜2019)は、ギターしか弾きません。それもジャズではおよそ使われない、フェンダーのテレキャスターです(さすがにフロント・ピックアップは、音の太いハムバッカーに換えてあるようです)。テレキャスターはコンデンサーをかました独特のクリアトーンが魅力なんですが、「ジャズ・ギター」のぶっとい音は望むべくもありません。それに重いから、疲れると思うんだよね〜。それでも使うのは、おそらくは音色だけじゃなくて、ハイポジションを押さえやすいからでしょう。この人の弾くコードは展開が巧みで、流れるようにスムーズなバッキングです。そしてよほど手がデカいのか、ひょっとしたら歯でも動員しているのかと思わせるような音の重ね方。有名ギタリストにありがちな、速弾きがすごいとかじゃなくて、バッキングの大名人です。

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アルトサックスのポール・デスモンドがツァーにジム・ホールを誘ったのですが、ジムの都合がつかなくて、このエド・ビッカートを推薦されたそうです。ジムだけに事務的に推薦した……のではなくて、世に出て欲しい人が選ばれたのですね、きっと。これが大抜擢となって、ツアーだけじゃなくて録音にもつきあうようになりました。エドのリーダー作は入手困難になってしまっているので、私がおったまげたポール・デスモンドのリーダー作をあげておきます(Pure Desmond / Paul Desmond CTI 1975)。

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2019年03月07日

パット・メセニー

Pat Metheny(1954〜)は、言ってみればスーパー・ギター・ヒーローです。テクニックが凄い人は他にもいろいろいますが、やりたい放題やっても商業的にも成功している人はなかなかいません。フォービートのジャズからさわやか系フュージョン、フリー・インプロビゼーション、映画音楽、ローテクな機械じかけの「オーケストリオン」との共演、はなはなだしいのは全編ディストーションギターソロだけのアルバムを作ってみたりと、まず類を見ないフィールドの広さを誇っています。

「人に恵まれる」のも、才能のうちかもしれません。10代の若造だったパットから「あなたの曲はすべて弾けますから雇ってください」と売り込まれたゲイリー・バートン(vib)は、すでにギタリストがいたので12弦ギターを弾かせました。大学の仲間にはジャコ・パストリアス(b)がいて、デビュー・アルバムにつきあってもらっています。師匠のジム・ホール(g)、チャーリー・ヘイデン(b)、ロイ・ヘインズ(ds)、そしてアイドルのオーネット・コールマン(as)など、旧世代の名人と共演する一方で、盟友ライル・メイズ(key)と自己のグループをもっています。

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若いころはこんな感じでしたが、

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いまはこんな感じ。お肉たっぷりでメタボ気味なのは残念ですが、それにしても自前の毛なんでしょうか、ヅラをかぶったバッハを連想させるほど、フサフサですね。

ジャズ・ギタリストとしてはフルアコのナチュラルな音色を生かしているのと、左手のハンマリングを多用すること、半音進行でウネウネとアウトするフレーズが特徴でしょうか。でも私はジャカジャカとアコースティック・ギターをうれしそうにかき鳴らす、ジャズっぽくないパットが好きだったりします。「ジャズプレイヤーである前に、ギタリストである」とでも言えば良いのでしょうか。はた目からは輝かしいキャリアですが、「僕はただギターを弾いていたかっただけなんだよね」とサラっと言っちゃうような人です。もちろんストレート・アヘッドなジャズも良いアルバムが沢山あるのですが、いちばん好きなアルバムはライル・メイズと二人で作った「As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls」(1980 ECM)かもしれません。

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P.S. As Falls Wichita, So Falls Wichita Fallsには3年前に亡くなったビリンバウの名手、ナナ・ヴァスコンセロス(per)も参加していました。ワン・アンド・オンリーの音楽家でした。

2019年01月26日

中牟礼貞則

唐突ですが、もちろん日本人にも素晴らしいジャズ・ギタリストはいます。あの人、この人……と指折り数えていくと、すぐに両手がふさがってしまいます。有名ということになると、まず出てくるのは渡辺香津美さん。17歳でファースト・アルバムをリリースした天才児も、はや60代半ばです。その香津美さんの師匠として知られている方が、中牟礼貞則(なかむれ・さだのり)さんです。御年85歳になる現在、ご自分で「末期高齢者」などと言いながらも、飄々とライブをこなしていらっしゃるらしい。ギター仙人と呼ぶに相応しい方です。

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東京に住んでいた頃は、よくジャズのライブを聴きに行きました。移転する前の新宿PIT INN とか、下北沢T5とか、西荻窪アケタの店、新宿タロー、池袋要町のデるブとか。どの店もミュージシャンとの距離が近くて、とくにタローなどは演奏者が5人なのに客が4人だったり、休憩になるとミュージシャンが客席で休むなんてこともありました。サシでじっくり語られると言うか、逃げようにも逃げられない感じですね。むろん逃げようなんて気はなくて、こんなに良い音楽なのになんで人気がないんだろう……などと思っていました。

「ムレさん」はそんなアンダーグラウンド?お店で、ギブソンの175から美しい音を紡いでいました。渡辺貞夫さんが日本でボサノバを広めていた時には片腕として活躍した頃から、キャリアも知名度も抜群なのに、知っている人には気さくに声をかけていらっしゃいました。ジム・ホールの影響は受けているのでしょうが、それだけではない。録音が少ないのが惜しまれます。

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「Intercross」はギタートリオの構成ですが、多重録音のトラックも入っていて、これがまた聴きごたえがあります。お元気で活躍を続けられることを、願っています。


2018年11月18日

エミリー・レムラー

チャーリー・クリスチャンがそうだったように、ウェス・モンゴメリーは多くのギタリストに影響を与えました。中でもエミリー・レムラー(Emily Remler 1957〜1990)はウェスの影響を受けつつも、自己のスタイルを発展させていた人で、夭折が惜しまれます。80年代にGibson ES-335を愛用していたので、フュージョン系のギタリストかと思いきや、歌心のあるビバップも聴かせてくれます。おまけに、美人です。

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レムラーはニューヨークに生まれ、10歳からギターを弾き始めました。初めはロックを弾いていたものの、バークリー音楽院でジャズに出会って、ジャズギタリストとして順調にキャリアを積んでいました。1981年から85年までジャマイカ出身のピアニスト、モンティ・アレキサンダーと結婚していました。オーストラリアのツァー中に心臓発作で亡くなっていますが、ヘロイン中毒が影響しているとされています。あ〜あ、何でそんなものに手をだしちゃうのかな。

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このアルバムは30歳の吹き込みで、70歳だった大御所のピアニスト、ハンク・ジョーンズがバックを務めています。バスター・ウィリアムズ(b) 46歳、マービン・スミッティ・スミス(ds) 27歳と、年代がバラバラのオトコ連中を従えてのびのびとプレイを楽しんでいて、堂々たる貫禄です(East To Wes / Emily Remler, Concord Jazz 1988)。

2018年07月09日

ウェス・モンゴメリー

ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery 1923〜1968)は、「オクターブ奏法」で有名な人です。兄はベースを、弟はピアノとヴァイブを弾くプロミュージシャン一家で、「モンゴメリー・ブラザース」名義のアルバムもあります。45歳で亡くなっていますが、1967年に発表したイージー・リスニング路線の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が大ヒットしたのが遅すぎたのか、子どもたちを養うために働き過ぎだったようです。

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チャーリー・クリスチャンは単音でソロをとってモダン・ジャズのギター奏法の開祖になりましたが、ギターという楽器は管楽器に比べるとどうしても音が細くなってしまいます。でも1弦と3弦、2弦と4弦を使って1オクターブ差の同音を弾いてソロを弾くと、あーら不思議、何とも言えずファットな味わいになります。もちろん音を出したくない弦は、ミュートします。原理は簡単なんだけど、これをノリノリで弾きまくるには相当な修練が必要です。面白いのは、ウェスが「もっとファットな音が欲しい!」と考えて始めたのではなくて、子どもたちが寝静まった夜に練習するために、ピックを使わないで指で弾いていたのがきっかけになったそうです。どこまでも、子ども思いだったんですね。そしてウェスはソロだけじゃなくて、コードワークも素晴らしいものがあります。写真を見ると異様に手がデカくて親指も強力そうで、あのファンキーな演奏には体格が寄与していたのではないかと思います。

オクターブ奏法をするには、もちろん練習も必要だけれど、度胸も必要なようです。ウェスの印象があまりにも強いために、「なんだ、ウェスの真似じゃん」で終わってしまいそうな感じがつきまとうのです。どうせやるなら、ウェス以上にカッコよくやらないと、意味がないような。リー・リトナーはウェスの影響でジャズ・ギターの世界に入った人で、オクターブ奏法も披露しますが、ハードバップと言うよりはウェスの晩年のイージー・リスニング路線の発展形という感じです。「俺は日本のウェスだ!」の宮之上貴昭さんくらいにならないと、ハードルが高いかもしれません。(The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery / Riverside 1960)

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2018年05月23日

ジム・ホール

ジム・ホール(Jim Hall 1930〜2013)は、1955年にチコ・ハミルトンのグループでデビューしました。あの複雑精妙なアレンジにヤラれたのか、若い頃からすっかりオツムが薄くなってしまいました。そんなことをつい思ってしまうほど、周りへの心配りが行き届いたギターを弾いた人です。あっと驚くようなテクニックでオレがオレがと弾きまくるようなタイプじゃなくて、サイドマンで良い録音を残すようなタイプと言ったら良いのでしょうか。ジムなんだけど事務的には弾かなかった、なんてね。

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彼のギターは、まずシングルトーンの力が凄いです。丸くて太いけど、ギターらしいナマの鳴りも聴こえて、そしてクリーンです。多くのギタリストに影響を与えた、独創的なフレーズも印象に残ります。エラ・フィッツジェラルド(vo)、ポール・デスモンド(as)、アート・ファーマー(tp)、ビル・エバンス(p)、ソニー・ロリンズ(ts)、ミシェル・ペトルチアーニ(p)、チャーリー・ヘイデン(b)と、さまざまなプレイヤーに呼ばれています。

中には主役を食っているような録音もあって、その一枚に挙げられるのがソニー・ロリンズとの「橋」です。おクスリで雲隠れしたロリンズが、橋のたもとで練習に励んで復帰したレコーディングで、ジム・ホールは何とも味のある演奏をしています。ロリンズはピアノのコードに縛られるのを嫌っていたのか、ベースとドラムスだけを従えて「ウェイ・アウト・ウェスト」などの名盤を残しています。「橋」はその延長線上にあって、テナー・サックス、ベース、ドラムスのトリオに、ジム・ホールのギターがからむようなスリリングな演奏です。彼はインタビューで「ソニー・ロリンズは演奏に注文をつけないで、すぐクビにする」と語っていましたが、そんなことを気にして弾いていたんでしょうか。

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リーダー作で決定的名盤はないのかもしれないけど、サイドマンでピカいちの仕事をして、作曲家としても評価が高くて、沢山のミュージシャンに影響を与えた、奥の深いギタリストと言えるでしょう。

2017年11月11日

ジョン・アバークロンビー

今年はジャズが録音されてから、100周年なんだとか。駆け足でふり返えればラグタイム、スイング、ディキシー、ビッグバンドと踊る音楽だったジャズが、聴く音楽になったのが1940年代のビバップ(モダンジャズ)からで、その後はクール、ハードバップ、モード、フリーと、あらゆるスタイルが試されていきました。そんな1950年代から60年代にかけては、ジャズは時代の最先端を行く音楽だったのでしょう。60年代になると若者を熱狂させたロックに押されていって、フュージョンが表舞台に出てきたのが70年代です。ドイツのECM(Edition for Contemporary Music)など、クラシックや民族音楽とのフュージョンを発信するレーベルも出てきました。80年代にはミュージシャンの親から英才教育を受けた二世組も加わって、ハードバップのリバイバルブームが起きました。

その後はもうそれなりと言うか、「落語」や「津軽三味線」のような位置づけでしょうか。いまや黄金期のミュージシャンはあらかたあの世に行ってしまい、型破りなスタイルや新人が出てくるわけでもありません。「今年はあの人が死んだなあ」なんて思い出して、追悼にレコードをかけるのが一年の総括だったりします。寂しいとも言えるし、良い時代に青年期を過ごしたとも言えます。

今年はギタリストで言えば、ジョン・アバークロンビー(John Abercrombie 1944〜2017)が亡くなりました。彼のベースにあるのはロックで、ウネウネとくねったりガチョーンと跳んだりで、フォービートのスタンダードを演るような人ではありません。でもアドリブの妙味と言うことでは、聴きごたえのあるギタリストでした。エレクトリック・マンドリンやギター・シンセサイザーも、完全に自分のものにしていました。ほとんどの録音は、ECMからリリースされています。

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ECMと言えばリッチー・バイラーク(p)が失恋したアバークロンビーを励まそうと熱くプレイしたら、プロデューサーのマンフレット・アイヒャーが「ECMにアート・ブレイキーは要らない!」とカンカンになったとか。バイラークが「たまには俺たちの好きにやらせてくれたって良いじゃないか」と言ったら、出入り禁止になって旧譜もカタログから消えてしまったそうです。アバークロンビーはそんな憂き目に遭わなかったので、口答えしなかったんでしょうか。因縁の? リッチー・バイラークと組んだ「Abercrombie Quartet」(ECM 1977年)のアナログレコードを聴きながら書いています。

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2017年09月19日

チャーリー・クリスチャン

歴史に「タラレバ」を持ち込んでも意味がないとは言われますが、もしモーツァルトやベートーベンが10年遅く生まれていたら、音楽史はずいぶん違うものになっていたでしょうか。いや10年くらい遅く生まれても、モーツァルトは「モーツァルト」になっただろうし、ベートーベンは「ベートーベン」になっていたと思います。でもチャーリー・クリスチャン(Charlie Christian 1916〜1942)は10年遅れて生まれていれば、「チャーリー・クリスチャン」になってはいなかったでしょう。

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チャーリー・クリスチャンはスイングの王様、ベニー・グッドマン(cl)のサイドマンとして世に出ました。まだあからさまな人種差別があった時代で、同じバンドで白人と黒人が演奏することを快く思わない聴衆も多かったと思います。お金にシビアというか、がめついことで有名だったグッドマンがそれでも黒人を雇ったのは、よほど光るものがあったのです。彼はエレクトリック・ギターをいち早くジャズに持ち込んで、管楽器のようにソロをとりました。しかもレスター・ヤング(ts)のように小節を越えたフレーズなどで、モダン・ジャズの先駆けとなる画期的な演奏をしました。その後のギタリストたちに、多大な影響を与えています。結核のために、26才で亡くなっています。したがって鑑賞に耐えられないような音質の録音が、わずかに残っているだけです。これらのどれもが10年遅かったら、そうはなっていなかったのです。

結核を患って医者から養生を勧められてもヤクとオンナは止めなかった、破天荒なミュージシャンでした。白状すれば、私は一枚もレコードを持っていません。有名な「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」はジャズ喫茶では何度となく聴いたけれど、とにかく音がすさまじく悪く、オーディオセットが壊れたかと思ってしまうほどでした。あと20年、いやせめて10年長生きして録音を残しておいてくれれば、レコード棚に何枚かは収まっているのになあ……と思います。

2017年07月27日

グラント・グリーン

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ベートーベンは「ギターは小さなオーケストラだ」と言ったとか。ピアノなみの複雑な表現ができるのですが、単音では弦楽器や管楽器と渡り合うことができません。ジャズではひたすらコードをジャカジャカ弾く、伴奏楽器に甘んじていました。音量の壁を超えて管楽器のようにソロをとるには、いわゆるエレキ、エレクトリック・ギターの登場を待たなくてはなりませんでした。

エレキでソロを取れるようになってからも、ギタリストは「コードを弾かなきゃ」という呪縛から逃れることができませんでした。何しろボリュームを絞ればコードを弾けるんだし、ただボーっとしているわけにはいかない。ギター弾は背中を丸めて、ピアノとかぶらないように伴奏をつけて、ちゃんと働いているところを見せてきました。花形楽器のサックスやトランペットで、日陰者というか、なんだか暗いのです。

ところがブルーノートから彗星のように登場したグラント・グリーン(Grant Green 1935〜1978)は、コードを全く弾かないのです。自分の出番になったらソロを弾いて、あとはお休み。もともとR&B(リズム・アンド・ブルーズ)を演奏していたこともあって、グリーン自身も「ジャズ・ギタリスト」だとは考えていなかったそうです。私は「ジャズ期」しか聴いたことがないですが、ファンキー路線に転じてビリー・ジョエルの「素顔のままで」なんかも演って、車の中で心臓発作を起こして亡くなりました。おクスリで命を縮めたようです。

さて彼のプレイはと言えば粘っこい快楽というか、「もう、えらいコテコテなんやで」と、なぜか関西弁で言いたくなるノリが特徴です。同じフレーズをこれでもかと繰り返すので、ちょっと聴いた感じでは技巧的に優れている印象はまるでないけれど、力強いピッキングでグイグイ弾きまくるのは、コピーしようと思ってできるもんじゃない。実は大変なテクニシャンだったことが分かります。ジャズマニアの間では快楽路線のために過小評価されているグリーンですが、シリアスなアルバムとして、Idle Moments(Blue Note 1963)を挙げておきます。

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2017年04月18日

ジャンゴ・ラインハルト

ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt 1910〜1953)は、ベルギー生まれで主にフランスで活動したギタリストです。ジャズの世界では、ヨーロッパが生んだ初めての一流演奏家でしょう。ロマの旅芸人をしていた彼は、キャラバンの火事を消そうとして、大やけどをしてしまいました。左手の薬指と小指を自由に使えないという、ギタリストとしては致命的な後遺症が残りました。しかしジャンゴは猛練習を積んで復帰しただけではなく、その障害ゆえのユニークなコード進行や右手を忙しくかき鳴らす奏法を身につけて、神業的な演奏を披露しました。ジャズのみならず、ロックなどジャンルの異なるギタリストたちからも、広く敬愛されていました。それは伴奏楽器にとどまっていたギターを、ソロを取れる楽器にまで引き上げた功績によるものでしょう。

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 ちなみにMJQ(Modern Jazz Quartet)で活躍したジョン・ルイスが、彼の死を悼んで、1954年に"Django"という曲を書いています。もちろんMJQの演奏でも楽しめますが、ギタリストによる演奏で有名なのはジョー・パスが演奏したものです(For Django / Joe Pass 1964)。

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 ジャンゴ・ラインハルトの音楽には、障害克服とか超絶技巧とか、そんな気負いはありません。気まぐれな放浪生活を愛して、ずいぶんイキな暮らしをしていたらしい。3本のギターとヴァイオリン、コントラバスで構成された「フランス・ホット・クラブ5重奏団」の「ジブシー・スイング」とも呼ばれる音楽はフランスのエスプリにあふれています。ヴァイオリンのステファン・グラッペリも素晴らしい。この「イン・メモリアル」では、テナーサックスの巨人、コールマン・ホーキンスも聴くことができます。

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2017年01月19日

ハーブ・エリス

 いまはクロだシロだという話は聞かれなくなりましたが、昔はジャズミュージシャンについて黒人だからどうの、白人だからどうのみたいなことを言う人がいました。たとえば黒人の方がソウルがあるとか、白人は音楽教育を受けているので譜面に強いとか。ジャズはもともとが黒人の音楽なので、ミュージシャンは圧倒的に黒人が多いのですが、ギタリストに限っては白人の方が多いようです。カントリーミュージックでギターになじんだ少年がジャズに目覚めて……ということがよくあったのでしょう。カントリーは白人の音楽で、アメリカではとても人気があります。ジャズは「どこに行けば聴けるの?」なんて感じで、日本で言えば津軽三味線のような位置づけではないでしょうか。

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 粘っこいブルースフィーリングよりも、サラっとしたカントリーっぽいギタリストと言えば、やはり白人のハーブ・エリス(Herb Ellis 1921〜2010)でしょうか。1950年代のオスカー・ピーターソン・トリオでの活躍で名高い人で、シングルトーンのソロがよく歌います。小細工のテクニックよりも、こういう聴かせ方をするのは本当に上手い人だと思います。でもバッキングでチャカポコと合いの手を入れるのは、サービスしすぎのような気がしないでもありません。Verveの名盤、Nothing But The Blues はロイ・エルドリッジ(tp)とスタン・ゲッツ(ts)の2ホーンを迎えて、気持ちよくスイングしています。

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2016年12月07日

タル・ファーロウ

 昔は才能がありながらジャズシーンから姿を消したり、いっとき雲隠れするミュージシャンは少なくありませんでした。その多くはヘロインやコカインなどの薬物依存のためで、ヤクに手を出してハイになった挙句、ムショ暮らしやあの世行きの憂き目に遭っていました。
 ラズウェル細木師から「薬中院有人居士」の戒名をもらったチャーリー・パーカー(as)を始め、ジャズの帝王と称されたマイルス・デイビス(tp)、ヤクを止めて聖人になろうとしたジョン・コルトレーン(ts)、慢性的自殺状態だったビル・エバンス(p)、ヤク代欲しさに強盗に入ったスタン・ゲッツ(ts)など枚挙に暇がありません。あるいはビンボーやドサ回りに嫌気がさす人もいて、音楽の先生になる人も多かったし、チャーリー・ミンガス(b)は郵便配達員をしていました。でもタル・ファーロウ(Tal Farlow 1921〜1998)のように、仕事に飽きちゃって?引退した人は、珍しいケースかもしれません。

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 このジャケ写は、手の大きさがよーくわかります。もともとは看板屋さんだったらしいのですが、1950年代にはその巨大な手を駆使して「オクトパス・ハンド」の異名をとった名手でした。ギターには難しいフレーズでも、速弾きしづらい低音でも、指がタコ足のように伸びまくるタルはものともせず、スラスラと滑らかに弾いてしまいます。とくに早世したピアニスト、エディ・コスタとのコンビはのけぞりものです。ジャズ評論家の粟村政昭氏は、「最高のテクニシャン」などと絶賛していました。
 本業の看板屋で儲かっていたとか、リッチな奥さんと一緒になったとか、あるいはその両方かもしれませんが、タルは結婚して地元に引っ込んでいました。かつての同業者が復帰を勧めても、「またプレイするには、何か新しいものを引っさげてじゃないとね……」などと言っていたらしいです。さて1970年代に入ってカムバックしたタルが、「何か新しいもの」を引っさげていたのかどうか? それは老後の楽しみに取っておくことにして、やっぱりエディ・コスタとの競演に耳を傾けましょう。The Swinging Guitar of Tal Farlow (Verve)は1956年の録音(モノラル)でドラムは入っていませんが、もとギタリストのヴィニー・バークの強靭なベースに乗ってスイングしています。

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2016年10月11日

ケニー・バレル

ケニー・バレル(Kenny Burrell 1931〜)は、御年85歳。いまでも音楽活動をしているかどうかは不明ですが、近年までライブをしていたようです。ご本人のフェイスブックはきわめてスローペースながら、更新されています。テナー・サックスのソニー・ロリンズとともに、1950年代から活躍したモダン・ジャズの巨匠としては、数少ない生き残りです。何しろこの世代の方々は、ヘンなおクスリのために命を縮めていることが多いので、長寿はまれなんです。

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ケニー・バレルと言えば、ブルースです。ブルースはもともと12小節で定型のコード進行をすることと、ブルーノートと言われる音(3度、5度、7度のフラット)を多用するのが特徴(なのかな?)の形式を指していて、淡谷のり子(古い!)の「別れのブルース」とかではありません。Now's The Time のようにジャズでもこの形式に乗っかった曲はありますが、バレル師は何を弾いてもブルースのように聴かせてしまうのです。これが好きな人にはたまらない魅力で、長らく人気ギタリストとして活躍していたのもうなづけます。あのB.B.キング( Blues Boy King)も「世界一のギタリスト」と絶賛していたし、私も大好きです。とくにライブ盤なんかでフレーズがコケようがミストーンになろうが気にしないで弾き切ってしまう、思い切りの良さがバレルの真骨頂だと思います。

しかしご本人は実に器用な人で、ギターのテクニックはもちろんのこと、ナチュラルな音質の研究にも余念がなく、歌も上手いしベースもイケる(らしい)し、ガットギターでクラシック風の演奏をすることもあって、「ブルース馬鹿一代」みたいな感じではありません。一見すると知的でクールでも、身体には熱い血がたぎっている、そんな二面性が彼の魅力かもしれません。

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Kenny Burrell vol.2(Blue Note)はブルーノートのファーストアルバムの残り曲や、ケニー・ドーハム(tp)のライブに飛び入りしたもの、ギター・ソロなど、いくつかのセッションを寄せ集めしたアルバムで、代表作とされる Midnight Blue とは違った趣きがあります。アンディ・ウォーホルのジャケット画も、カッコいいです。

2016年07月22日

ハワード・ロバーツ

前回のジョニー・スミスと並んで、ギブソン社のギターにその名をとどめているのがハワード・ロバーツ(Howard Roberts 1929〜1992)です。ジャズでよく使われるギターは、通称フルアコと呼ばれるもので、ギブソンではES-175やSuper400が有名です。表板がバイオリンやチェロのように曲面に削られていて、f字型の穴も開いているアコースティック・ギターにピックアップがついて、ハイポジションを弾きやすくするためにネックの下側がえぐられています。軽くて生音が出るのが重宝されたのか、「かしまし娘」や「玉川カルテット」などの芸人さんにも愛用されていました。ロックではイエスのスティーヴ・ハウがES-175を使っていましたが、大音量だとハウリングしやすいので穴に布を詰めて使っている人もいるようです。

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さてハワード・ロバーツがギター・デザイナーとして腕をふるったGibson Howard Roberts は小ぶりなボディで、fホールのかわりに楕円形の穴が中央に開いています。サスティンを得ようとしたのでしょうか。ほかに Howard Roberts Fusion というモデルも、製作されています。

ギタリストとしてのハワード・ロバーツは、知る人ぞ知るという感じで、とにかく録音が少ないです。15歳からプロとして活動していたそうですが、60年代以降はギター学校を作るなどして教育者としての業績が顕著だったようです。中古盤のエサ箱をあさっても、ジャズをじっくり演奏しているのに出くわすことはまずありません。でもこのアルバムは Gibson Howard Roberts でピアノトリオをバックに、スタンダードを演奏しています。

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聴いてみると、もう、とにかく巧いです。オクターブ奏法を散りばめるのが基本形で、あとはヴァイオリン奏法(ピッキングしてから小指でボリュームノブを回してふわんとした音を出す)を披露したり、エンディングのソロにファズをかけたり、くねくね変態フレーズをどさくさにまぎれに速弾きしたり、そうかと思えばねちっこいブルーズに浸ってみたり、凝ったブロックコードを弾いたりと、まことに忙しいというか、ワザ博覧会のようなアルバムでした。

2016年04月30日

ジョニー・スミス

 13歳でギターを教え始めたという名手でありながら、玄人受けするミュージシャンズ・ミュージシャンに甘んじてきたのが、ジョニー・スミス(Johnny Smith 1922〜2013)です。何しろ録音が少ない。90歳の天寿をまっとうしたわりには、Wikipedia のディスコグラフィを見るとリーダー作が22枚、サイドマンで参加したアルバムはハンク・ジョーンズ(p)との1枚きりです。

 それにしては晩年の写真を見ると、猟銃が何丁も飾られていたり、パイプをくわえていたりして、とりあえずカネは持っていそうな雰囲気ですな。それもそのはず、このブログのタイトルにもなっている Walk Don't Run を作曲したのが彼なのです。ベンチャーズが大ヒットさせたおかげで、好きな仕事だけして、左うちわの生活をしてきたんでしょう。

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 写真のギターはギルドのジョニー・スミスモデルですが、ギブソンもジョニー・スミスを作っていて、両者のもとになっているのは、彼のディアンジェリコだったらしい。この人はサスティンに非常なこだわりがあったようで、それが彼のモデルに反映されているそうです。ジャズ史に残る名盤は残さなかったけれど、ギター史に残る名器は残してくれました。

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 「バーモントの月」には、スタン・ゲッツ(ts)も入っているけれど、丁々発止のかけ合いなんぞ期待してはいけません。リラックスして楽しんでください。ひたすらきれいに流れるムードミュージックの中に、チラッとスパイスの効いた瞬間が訪れるという感じです。スミスはギターを何のひっかかりもなくサラっと弾いていますが、おっそろしく難しいことをやっているような感じです。「オレがオレが……」とがっついてくるようなジャズではないから、受けなかったんだろうか。

2016年03月09日

バーニー・ケッセル

昔のロックシーンで、「三大ギタリスト」という言葉がありました。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン。「三大○○」が大好きな日本人ならではの現象でしょうが、モダン・ジャズ最盛期の1950〜60年代に活躍した三大ギタリストとなると、どうなんでしょうね。このバーニー・ケッセル(Barney Kessel 1923〜2004)は、確実に「三大」のひとりに値するギタリストでしょう。ジャズギター中興の祖、チャーリー・クリスチャンのスタイルを受け継いで、ピックアップもクリスチャンのモデルにつけかえていたようです。シングルトーンの唄わせ方も、スムーズなブロックコードによるアドリブも、とにかく巧いです。素晴らしい。

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もともとオクラホマ州からロサンゼルスに出てきて、スタジオミュージシャンとして大活躍していたようです。ハリウッドの映画産業から仕事をもらって、豪邸に住んでいたのではないでしょうか。だからオスカー・ピーターソンのバンドに加わっても、旅回りに嫌気がさして辞めてしまったりしています。ジャズに生活をかける必要もなかったし、白人だから人種差別で苦しい思いをすることもなかったでしょう。そうした屈託のななさが根底にあって、明朗快活にスイングするのが彼のギターのような気がします。

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「ポール・ウィナーズ」は1957年に録音された、5枚目のリーダー作です。人気投票で1位になったギターのバーニー・ケッセル、ベースのレイ・ブラウン、ドラムのシェリー・マンによるトリオで、名手たちによる演奏を堪能できます。「録音が右と左にきっぱり分かれている」と文句を言っていた人がありましたが、ステレオ初期の録音はそんなものです。それどころか録音技師ロイ・デュナンによるくっきりした音づくりと、コンテンポラリー・レコードのハイテク機器(なんとレコードの内周の歪みを解決していたそうです)による原盤制作は、当時は驚愕をもって迎えられて、他社が躍起になっても近づけなかったそうです。「古き良きアメリカ」の香りがします。

2015年12月25日

フレディ・グリーン

ジャズはピアノ、ベース、ドラムスの三人(いわゆるピアノトリオ)に、管楽器が加わる編成が多くを占めています。ギターは多くの人に親しまれている楽器でロックには欠かせませんが、ジャズの世界では何とも中途半端というか、いてもいなくてもいいようなマイナー楽器なのです。管楽器のように情感あふれるソロを吹けるわけでもなく、バックに回ればピアノと音域が重なります。それでもジャズに参入したギタリストは数知れず、それぞれに魅力的な録音を残してくれています。

フレディ・グリーン(Freddie Green 1911〜1987)は、カウント・ベイシー楽団のギタリストとして有名です。猛烈にスイングするビッグバンドの屋台骨を支えた、偉大なプレイヤーでした。50年もの間、ひたすら4拍子のリズムを刻むことに専念して、不覚にもソロをとってしまったレコードが一枚だけあるらしい……という凄い人です。

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こんな風にギターを寝かしてピックで弾くのですが、アンプを使わずに生音だけでビッグバンドをスイングさせてしまうのです。しかもフォークギターのようにジャカジャカかき鳴らすのではなくて、一度にせいぜい3本しか弦を鳴らしません。

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カウント・ベイシーのたいがいのレコードには入っているフレディ・グリーンですが、その至芸をじっくり味わうには、スモールコンボも良いと思います。Opus In Swing / Frank Wess (1956) はカウント・ベイシー楽団の同僚だったフランク・ウェス(ts)がリーダーで、ここではもっぱらフルートを吹いています。まだ新人だったケニー・バレルもギターを弾いているのですが、偉大な大先輩にリズムを刻ませてソロをとり続けるのは居心地が悪かったかもしれません。優しくスイングする、心地よいレコードです。