2024年11月07日

ストレスチェックの義務化

厚生労働省は「ストレスチェック」を、従業員50人以下の事業所でも義務化すると発表しました。厚労省のサイトにはプログラムのダウンロードや、説明のpdfファイルなど、沢山のデータが載っていて、力が入っています。ただ、実際にやるとなるとものすごく面倒な感じで、Web上で簡単に集計してくれる「5分でできる職場のストレスセルフチェック」をやってみました。

私はひとり職場なので、同僚や上司からのサポートがないのが辛いところですが、それでも

あなたはストレスをあまりかかえておらず、
またストレスの原因となる要素もあまりないようです。

との結果でした。

「医者の不養生」ならぬ「ストレスまみれのカウンセラー」では笑えない話なので、まあ良かったかなと。でもこんな単純なので喜んで良いものかとも思います。質問紙はあくまで自己評価だからです。自分のことが、一番分からないのかもしれません。

ただ得点が出ても、それだけではどうしようもありません。環境調整をしても限界があるので、ストレスに自分で対処できるようなスキルを、身に着けていくことが一番です。ここが難しい。なぜなら産業医やカウンセラーでも、そのスキルが身についているとは限らないので。ふだんから自分で実践していて、役に立つものを人さまに教えるようでないと、浸透していきません。

私はふだんから、ストレスに対処するようにしています。そのために、身につけているスキルもあります。家族との会話にも、助けられています。音楽を聴いたり、散歩をするのも楽しい。その他に他力本願と言いましょうか、たまに出かける大自然とか、長くおつき合いしているお店でいただく料理とか、いろいろなことに助けられています。ああ、黒猫のエリックもいてくれます。ありがたいことです。
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2023年02月26日

深い呼吸を!

コロナ禍の長期化によって、呼吸が浅くなっている人が増えているように感じます。面接に来ていただいた方と、腹式呼吸の練習をすることがあるのですが、しっかり吐くことができない人がいます。マスクをつける生活になっていることが、影響しているのではないでしょうか。

別に呼吸が浅くなっても、それで困っていないのであれば良いのではないか、とおっしゃる方もいると思います。人は呼吸しているとき、息を吸うときに心拍数が上がって、吐くときに心拍数が下がると言われています。しっかり吐くのが苦手になって呼吸が浅くなってしまうと、交感神経が働いて、興奮したり緊張したりしやすくなります。回転ずしなどでヘンなイタズラをして動画をアップする人が出てきて、またそれで直接の関係がないのに大騒ぎする人たちもいて、何だか世の中がヘンになっていると思わざるを得ません。もしかしたら、こんなことが伏線にあるのでは……というのは考えすぎでしょうか?

私は呼吸の専門家ではないのですが、関心をもってきました。腹式呼吸を意識して、鼻から吸って、口をから吐いてみましょう。「3秒で吸って、2秒止めて、10秒かけて吐く」を、1分間やってみましょう。楽にできますか? これで苦しくなる人は、浅くなっている可能性があります。「3秒で吸って、2秒止めて、15秒かけて吐く」が楽にできれば、深い呼吸ができていると考えても良いのではないでしょうか。

「細く長く吐く」ということは、歌を歌うとか、息継ぎせずに長い文で話すとか、あるいは音読をするとか、そういうことでも鍛えられます。吸う方は勝手に空気が入って来るという感じですが、要はしっかり吐けるかどうか、ということなのでしょう。
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2022年07月28日

コロナ禍の長期化とメンタルヘルス

オミクロン株が猛威を振るっています。あちこちで身近な人が感染していて、「ゆっくり休めると思っていたのに、ノドがチクチク痛くて、それどころじゃなかった」なんて体験談を聞いたりします。医療機関も職員が感染したり、濃厚接触者になって勤務できなくなったりしていて、病床数にまだ空きはあっても崩壊寸前ではないでしょうか。

あちこちで知人から、「コロナで、忙しいのではないですか?」と聞かれます。そういう質問が多いということ自体が、コロナのストレスを実感している人が沢山いるということでしょう。実際には「コロナ禍がストレスで、まいってしまった」という相談はありません。でも「コロナがなかったら、それなりに気分転換をして適応できていただろうな」と思うような人が、抑うつ的になって相談室にみえるように感じています。

いわゆる行楽や宴会が必要だということではなくて、地域の中での、何気ない会話というのは大事かなと思います。たとえばゴミ出しに行ったときに、集積場で「朝から暑いですね」と声をかけると、「ん、だなはあ」とニッと笑うお爺さん。それ以上に話が続くことはめったにないけど、でも同じところに暮らして、同じ暑さを味わっているという共感でつながることができます。

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わが家の玄関先には、鉢植えを置いています。もう長いこと、妻がしてくれているのですが、ずっとファンでいてくれるご近所さんもいるようです。「写真に撮らせてね」と、毎年の花を妻よりもよく憶えていたりします。もちろん自分たちが楽しいからしていることですが、通り行く人の気持ちをなごませたり、会話のきっかけになっていたりするなら、うれしいことです。

私自身は、早起きして散歩に出るようにしています。コロナのストレス対策で始めたのですが、習慣になると「これで一日が始まる」という感じで、止められなくなっています。歩きながらだと、ふだんとは違った考えが浮かんでくるのにも気がつきました。と言いますか、ふだんあれこれ考えていることが、歩きながらだと「これで行こう」みたいな感じでひらめくんですね。あとは月なみですが、アウトドアで自然の中に身を置くこと、でしょうか。自分も「生きもの」のひとつとして、生かされてきて、そして消えてゆく。その流れを身体で感じていると、気分がさっぱりします。

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さっぱりする、ためにもう一つしていることがあります。「ペンフィールドのホムンクルス」はどこに神経が集中しているかを示しています。顔と舌、それに手ですね。朝起きて顔を洗う時に、ゆっくり時間をかけて、顔を掌と指でなぞるようにしています。汚れを取るとか、そういうことではなく、ですね。これで顔と手をゆるめて、リラックスしようという算段なのです。自分では満足しているのですが、さて皆さんのお役に立つでしょうか。簡単にできる工夫として、試してみていただければと思います。

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2022年02月11日

「10代の家出」に思うこと

NHKの番組を見ていたら、10代の人たちの家出が増えていると報道されていました。ある日突然、子どもが家から居なくなってしまう。携帯に電話をしても、つながらない。小学生だと誘拐された可能性が高いので、警察はすぐに捜査をしてくれるそうですが、中高生で緊急性が低いと判断された場合は、すぐに捜査には至らないようです。困り果てた親たちが、私立探偵事務所に相談をしたり、調査を依頼するとのことでした。SNSの裏アカウントにしか行動の手がかりを残していない子が多くて、なかなか保護には至らないことがあるそうです。10代の子を利用するために、SNSにクモの巣を張りめぐらしている大人もいて、詐欺の受け子に使ったり性的な暴行に及ぶ例も跡を絶たないらしいです。

コロナ禍で経済的に行き詰ったり、将来に不安を抱えている親が増えていて、家の中でもギスギスした雰囲気になりやすいのだとか。子育てにお金がかかる世代の人たちや、住宅ローンなどの借金をを抱えて人たちにとっては、本当に大変なご時勢だと思います。必死に働いて節約もしているのに、夜じゅう電気をつけてゲームに熱中して学校に行かない子どもがいたら……イライラの矛先が子どもに向かうことは容易に想像がつきます。実際にそのような事例も紹介されていました。

そんなときの親は「自分だけがつらい思いをしている」と、被害的な感情にとらわれているのだと思います。そうなる前に、「わが家の経済状況」を正確に子どもに伝えてみるのはどうなのでしょうか。借金、資産、収入、支出……毎月いくらの収入があって、何にいくら使っているのか。「子どもに余計な心配をさせるのは良くない」ことなのでしょうか。あるだけのお金で、それでも楽しく暮らしていくにはどうしたら良いのか、親子で話をしていくのは良いことではないかと思います。

番組で支援者の方が、「地域で何気ない会話ができていれば、追い詰められる人も減るのではないだろうか。みんなで話をするようにしていこう」とおっしゃっていました。それはコロナ禍だけに留まらず、少子高齢化、リーマンショックや非正規雇用の拡大、東日本大震災など、日本社会への揺さぶりに対して有効な手立てだと考えます。高度成長期に日本人は「会社丸抱え」の人生設計しか持たず、「経済的に価値がなくて面倒くさいだけ」のコミュニティを切り捨てて来ました。宗教はもともと貧弱だったし、自然も破壊が進んでしまったし、日用品の美は100均化する。政治はどの候補者も、同じようなお題目を並べるだけです。経済の凋落で心を支えを失くして、さらに経済も悪くなる……という悪循環だったのかもしれません。コトはそんなに単純じゃないよ、と言われるかもしれませんが、どうなんでしょう。
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2020年12月23日

トランプ大統領に思うこと

アメリカの大統領選挙も投票人による投票が終わり、バイデンが正式に当選しました。
しかしこの期に至ってもトランプ大統領は「不正」を訴えて、負けを認めていないようです。「アメリカを偉大に」のキャッチフレーズとは裏腹に、世界からの「アメリカ合衆国」への信頼、尊敬、あるいは憧れのようなものを失墜させ続けている張本人ではないでしょうか。

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私はトランプが選挙戦に登場したときから、実に胡散臭い人だと思っていました。精神医学の診断名で言えば「自己愛性人格障害」そのものであって、周囲の人々はすべて、彼の自己愛を満足させる道具でしかありません。共感性が欠落しているので、他人の苦しみには無関心で、およそ政りごとには不向きな人物です。自分が大統領になりたいとは思っていても、大統領になって何をしたいのか、そのビジョンはなかったでしょう。でも明るくて前向きなので、ある意味人を引きつけるキャラクターです。トランプに引きつけられた人々は、トランプに利用されます。自分を理想化してくれたり、自分の手足になってくれる人にはエサを撒くので、お互いに理想化している間はハネムーンが続くでしょう。でも相手が自分の思い通りにならなければ、「どうしようもない奴だ」と価値下げして切り捨てる。いままではそんな、予想通りの展開でした。でも本人が「不正」を確信しているとしたら、妄想を抱いているということであり、きわめて危険な事態です。妄想か否かの判断は、現実に不正があったかどうかは問題ではなくて、訂正不能な思考に陥っているかどうかです。

トランプが大統領に就任してから数か月後に、「ドナルド・トランプの危険な兆候」という本が出版されました。イェール大学の法科大学院でも教えている精神科医のバンディ・リーが呼びかけた会議が発端となり、27名の精神科医や臨床心理学者が執筆して、彼の病理を診断したそうです。公的な人物に対して、診察をせずに診断をくだすことはゴールドウォーターの判例からタブーとなっているアメリカで、あえて出版されました。でも共和党の議員たちにしてみたら、「そんなことは、分かっている」が本音ではないでしょうか。クレイジーではあってもトランプはレーガン以来の共和党のスターであり、彼でなければ政権を取れないことが分かっていたので、持ち上げながら恩恵に預かってきたのでしょう。

私たちが政治家の人柄に期待するものがあるとしたら、常識と良心を持ち合わせているかどうか、ではないかと思います。「常識」も「良心」もインターネットでぐちゃぐちゃになり、突出した個性がアピール力を持つようになった現代では、精神的な健康度を測る視点は必要だと考えます。「ソシオパスだってことが分かったら、トランプには投票しない」とインタビューに答えていたアメリカの若者がいたことに、ほっとした思いがしました。
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2020年05月05日

STAY HOME

新型コロナウィルスの感染防止のために、家で過ごしましょう、ということになっています。私は家に居てもやることがあれこれ(エラいことから、下らないことまで)あって、「外に出れないのがストレス」と感じることはありません。でも報道を通じて世間をのぞいて見ると、子どもたちも、大人たちもストレスを抱えているように見えてしまいます。

私は音楽を聴くのが好きなのですが、音楽そのものには疎いです。スコアを見ながら(ひょっとしたら自分が指揮者になったつもりで)、オーケストラを聴くような人もいるようですが、そんな芸当はとてもとてもできません。でも作曲者がどんな人柄だったのか、どんな人生を送ったのか、時代背景は……みたいなことを調べるのは好きです。大作曲家と言われるような人たちには、人格円満な常識人はあまりいません。ま、いまで言えばバンドマンですからね。世間の枠組みにすっかりはまっているような人は、非日常を作ることが難しいのかもしれません。

バッハは17世紀に活躍した人ですが、奥さんに先立たれています。歌手のアンナ・マグダレーナを後添えに迎えて、二人の妻との間に20人の子どもを設けています。ただしその半数は、生まれてまもなく亡くなりました。一人は20代で亡くなりました。当時の人にしては長生きしましたが、最晩年はインチキ医者に眼の手術を受けて、それがもとで亡くなっています。当然のことながら疫病もあれば医療も未発達で、人々はいつ天に召されるか分からない日常を送っていました。だからこそ神に頼り、教会に支配されていたのでしょう。バッハは気候が良くなると「葬式が減ると収入も減っちゃう」とか、ぼやいていたそうです。「死」はすぐとなりにあるもので、生きていることだけで、十分に幸せを感じられる世の中だったのかもしれません。

考えてみればいまの私たちは、衣食住のことで不自由せず、家事は掃除機や洗濯機などのデンキ召使いが手伝ってくれて、移動にはお抱えの馬車(クルマ)を使える、バッハの時代だったら王侯貴族と同じような暮らしをしているわけです。「経済に甚大な影響が出ている」らしいのですが、最低限の衣食住を満たす以上のことで経済が回っているということなのです。私が生業にしている心理療法とかカウンセリングもまさに、その類のことです。田を耕すわけでも、魚を獲るわけでも、服を作るわけでもないのに生かされてきたのですから、ありがたいことだと思います。

「ステイ・ホーム」で、運動不足にならないように筋トレに励むとか、家族団らんの時間を過ごすとか、もちろんけっこうなことだと思います。「いま生きている」ことを味わう、瞑想も取り入れてみたらどうでしょうか。ワイドショーを見てあっちこっちに不満をため込むよりはストレスを減らして、免疫力のアップにもつながるのではないかな、と思います。
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2020年01月21日

長谷川和夫先生と認知症

長谷川和夫先生と言えば「長谷川式簡易知能評価スケール」の生みの親で、認知症研究の第一人者として高名な精神科医です。思えば精神病院で働いていた若かりし頃、「長谷川式」をずいぶんやらされました。短時間で施行できる、言語性(言葉のやり取りで行う)のテストで、記銘力や見当識などを測ります。当時は「認知症」ではなく「痴呆症」と呼ばれていましたが、脳細胞が委縮するアルツハイマー病よりも、脳血管性のものが多いとされてました。

「やった」とか「お世話になった」ではなくて、「やらされた」……。「渋々」とか「嫌々」のニュアンスがつきまとうのは、嫌だったからです。面倒くさいとか保険診療の点数にならないとか、そういうことではなくて、「申し訳ない」のです。自分よりはるかに経験を重ねてきたお年寄りに、子供だまし?のような簡単な質問をするのです。簡単なはずなんだけど、面と向かって訊かれると答えるのが難しくて、困惑してしまう。その様子を見るのが、何だか心苦しい。そんな感じでした。こんなことをしなくても、日常生活を観察していれば分かるだろうに……と思っていました。

その長谷川先生が認知症になられて、テレビに出ていらっしゃいました。「認知症の研究者が自分で認知症になったのですからね、こんなに確かなことはありません……」などと、認知症を語る活動をしていらっしゃいます。嗜銀(しぎん)顆粒性認知症と言って、80代、90代になって発症するタイプでず。「日常の確かさが、だんだん失われて行く」など、ご自分の状況を客観的に観察して、述べていらっしゃいました。色々と印象に残る場面はあったのですが、とくに「長谷川式」については、「いきなりやるんじゃなくて、ちゃんと信頼関係を作ってからにして欲しい」とおっしゃっていました。そうなんです。「いきなり」やらされたのが、嫌だったのです。作った人はきちんと考えていたのに、それを無にしていたのは私を含めて、医療の現場だったのです。

老年期の精神医学のトップランナーでいらっしゃった長谷川先生は、病名を「認知症」にして、家族のためにデイケアも始められました。いまも「戦場」と呼ぶ書斎で論文を書かれています。ダンディでユーモアを愛するお人柄が、多くの人を引きつけて世の中を変えて来たのだと思いました。
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2019年10月24日

先生のイジメ

神戸の須磨の小学校での、教師による教師へのいじめ事件が大きな話題になっています。と言いましょうか、その中身は加害者と校長などの学校関係者へのバッシングでしょうか。「加害者が有給で自宅待機しているのはけしからん」とか、まあ言いたくなる気持ちも分からなくはないですが、あんまり騒ぎ立ててしまうと、いまその学校に通っている児童たちが傷ついたり、勉強どころでなくなってしまうことが心配になります。

雇用者は労働者に対して、安全配慮義務を負っています。過剰労働や教員間のハラスメント、生徒の対教師暴力、クレーマーからの暴言、精神疾患への対応など、教職員の心理的な安全に対してだれが責任を負うのか……ということだと、校長とか市町村長とか、おそらくは「長」のつく人になるのしょう。でも実務としてだれがコミットするのか、という話になると厄介です。これが企業なら直属の上司であったり、あるいは人事部であったり、ハラスメントの相談窓口であったりして、自分が相談すればどんな扱いになっていくのかを社員は想像できます。ところが学校となると、ほぼすべてが校長任せで、他に相談できるところがあるのかどうか、よく分からないのが実際のところでしょう。

教職員にとって校長は評価を与える上司なので、心証を悪くしたくありません。たとえば「メンタルの弱い人」とでも評価されてしまったら、その後の仕事や移動先に影響が出ると感じても無理はありません。驚いたのは「神戸方式」なる異動で、校長がお気に入りの教員を引き連れて異動する仕組みが長年のあいだ維持されてきたことです。これは悪くすれば恐怖政治の温床になるし、その「お気に入り」が良からぬことをしていたら、校長に言い出しにくいに決まっています。

うつなどで休職した教員が復職するときには、保健師などがコミットする仕組みがあるようです。それでもないよりはましですが、日常的な心理的な安全に関して、だれが(どこが)現場の教員に関わるのか、もっと分かりやすくしっかりした仕組みを作って行かないと教職員間のハラスメントは減っていかないでしょう。教員はメンタルヘルスでダウンする率が高いのですが、休業中の間は収入を補償して講師を雇用しなくてはならないし、離職された場合はそれまでに培ったものを失うことになるので、損失は多大です。何より子どもたちのために、元気な先生に教壇に立って欲しいものです。心理職も含めた専任チームが自治体に設置されて、教職員のメンタルヘルスに関わっていく仕組みが整備されると良いのですが。
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2017年08月26日

ミルトン・エリクソン心理療法:<レジリエンスを育てる>

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ミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson 1901〜1980)は、20世紀最高の心理療法家と言われた人です。エリクソン催眠、戦略的心理療法と呼ばれる介入で「エリクソンのところに行って治らなければ、治らない」とまで言われるセラピストでした。全米各地を回って臨床の指導を行い、論文はベイトソンのコミュニケーション研究、ブリーフ・サイコセラピー、家族療法などの母胎となり、彼の影響力は計り知れないものがあります。

17歳でポリオ(小児マヒ)を患って眼球しか動かせなくなったら退屈しのぎに家族を細密に観察し、すさまじいリハビリを重ねてボートを漕いで旅行するまでになりました。医学部に入ってからは膨大な催眠実験を繰り返して、独自の理論と介入法を打ち立てました。観察と独学、リハビリを生涯にわたって続けた人と言えるでしょう。頸動脈を見るだけで脈拍数が分かったとか、神業的なエピソードが事欠きません。

本書はエリクソン自身の著作ではなく、エリクソンの娘さん二人を含む共著になっています。難解なエリクソンの介入法が、理解しやすいようにまとめられています。実際に催眠やブリーフサイコセラピーをするかどうかに関わらず、あるいは心理療法を生業にしている人でなくても、参考になることが沢山あると感じます(ミルトン・エリクソン心理療法:<レジリエンスを育てる> ダン・ショート編著 春秋社)。
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2017年02月11日

カジノは良くないが、パチンコよりはまし

 昨年の末に、いわゆるカジノ解禁法案が国会で可決されました。「ギャンブル依存症が増える」という主張を無視して、自民党がゴリ押しした形です。共産党が「他人の不幸の上に経済的繁栄を築こうとするのは、歪んだ発想だ」というコメントを出していましたが、まさしくその通りですね。ギャンブルは人々に幸福をもたらさないし、国力の低下にもつながるので、洋の東西を問わずどの時代でも、国によって規制されてきました。

 私はカジノができても、ギャンブル依存症が増えるとは思いません。日本のギャンブルで圧倒的に強いのが、パチンコ・パチスロ。その他にも競馬、競輪、競艇、宝くじともう花盛りなので、これにカジノが加わってもどうということはないでしょう。パチンコに入れ込むのは、収入に不足を感じる人が多いと言われています。「1万円じゃあ何にもならないけど、10万円あればなあ……」と言う発想から手を出す。その1万円をスッてしまうと、取り返すためにまた突っ込む……という繰り返しです。カジノ施設ができたにしても、交通費や宿泊費がかかるのであれば、たいがいの人はそれを軍資金にしてパチンコに行くでしょう。

 「パチンコは遊戯であって、ギャンブルではない」と言う詭弁もありますが、だれがどう見たってギャンブルです。いや私に言わせればギャンブルよりも恐ろしい、「エレキ麻薬」です。機械のメーカーは客の興奮を引き出す装置を、そしてパチンコ屋は居心地の良い賭場を追求しています。甘い汁を吸いながら保護しているエラい人たちもいるみたいだし、マスコミは節操なくばんばん広告しているし、よくこんな仕組みを作り上げたものだと思います。

 私のカウンセリングルームにもパチンコ依存の相談があります。だいたいはご本人よりも、家族がほとほと困ってやって来ます。一説によれば、パチンコ依存症の患者は全国で200万人いるとか。ということは、パチンコ依存のために苦しんでいる家族は1千万人を下らないことになります。韓国ではパチンコが害であるとして、全廃されたとか。日本でもパチンコを廃止するなら、カジノを作るのは良いでしょう。
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2015年03月18日

傲慢症候群

朝日新聞デジタルに、「傲慢トップは経営リスクか 『人格障害』ビジネス界注目」との記事がありました。ちょっと長くなりますが、引用します。

トップが暴走して会社が存亡のふちに――。そこまでいかなくても「傲慢(ごうまん)」経営者に悩む人たちは多い。英国では、傲慢を「人格障害の一種」ととらえ、対策を考える研究が始まっている。ビジネス界も、「傲慢」は経営リスクと見て、注目している。

 トップが助言に耳を傾けず、冷静な判断ができなくなって経営につまずく。これを「傲慢症候群」と名づけ、提唱しているのは神経科医の経歴をもつ、英政治家のデービッド・オーエン元外相・厚生相(76)だ。病気ではないが「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種といえる」という。

 オーエン氏が代表格となっている研究会は「傲慢学会」とも呼ばれている。2012年から英国で開いている国際会議を中心に活動。昨年は欧米の脳外科医、生化学者、精神分析医、経営・組織学などの専門家ら、約300人が集まった。

 「傲慢」に関心が集まっている背景には、ここ数年の経済危機や不況で、失態ぶりをさらけだした政府や企業への厳しい視線がある。リーマン・ショックでは、利益を追求し続け、巨額の損失をもたらした経営者らが激しい批判にさらされた。判断ミスを犯してきた理由は、冷静な判断を妨げる自信過剰があったという研究も増えている。

 長く権力の座にあると、自信過剰になり、周囲が見えなくなる。ニューヨークで、乗務員のサービスに激怒して飛行機をひきかえさせた「ナッツ騒動」も、「傲慢」の代表例だ。

 オーエン氏は、「傲慢症候群の14の症例」を示している。対策として「暴走しはじめた本人に目を覚まさせる側近をつける。精神カウンセリングをうける努力をしてもらい、手がつけられない場合は辞めてもらうべきだ」と話す。


 「14の症例」は「チェックリスト」とではないかと思いますが、以下のようなものです。

@自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と思うことがある
A何かするときは、まずは自分がよく映るようにしたい
Bイメージや外見がかなり気になる
C偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を失うこともある
D自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり、考えや利害もおなじだと思ってしまう
E自分のことを王様のように「わたしたち」と気取って言ったり、自分を大きく見せるため「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする
F自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある
G自分の能力を過信する。「私には無限に近い力があるのではないか」とも思う
H「私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない。審判するのは歴史か神だ」と思う
I「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている
J現実感覚を失い、ひきこもりがちになることがある
Kせわしなく、むこうみずで衝動的
L大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいので、実用性やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある
M政策や計画を進めるとき、基本動作をないがしろにしたり、詳細に注意を払わなかったりするので、ミスや失敗を招いてしまう


 傲慢症候群は、精神分析でいう「自己愛人格障害」と似ているようです。自己愛人格障害の特徴は共感性の欠如で、他人をモノのように扱っても何の痛痒も感じません。成田善弘先生の言葉を借りれば、「自分が自分であるというだけで、特別扱いされてしかるべきと考える」、まことに鼻持ちならないパーソナリティです。よほど才能に恵まれるかどこかの御曹司か、死にものぐるいで働くような人であれば、一代で企業を築き上げるようなこともあるでしょう。「傲慢症候群」はもともとは普通の人でも、立場によって人格変化を起こすことが想定されているようですが、その何割かは自己愛人格障害の人も含まれると思います。

 企業のリスクとして注目されている傲慢症候群ですが、経済界だけの問題ではありません。政界も……国会の議員会館の中に入ったことがありますが、「特別な人たち」を「特別扱い」する仕組みを見て、こういうところに出入りしているうちに人柄が変わっても無理はないと思いました。学会にも「天皇」とアダ名されるような人がいます。むろん私たちの業界にも、人の話を聴けない人がいます。「そんなことは、自分に関係ない」と思ってしまうような人が、いちばん危ないのかもしれません。
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2015年01月16日

カジノ法案の提出

国会の解散で廃案になっていたカジノ法案が、再提出されたそうです。どうやら、東京オリンピックまでに間に合わせようとの魂胆があるようです。賭博は決して人を幸福にするものではありませんし、賭博に熱中する人が増えれば増えるほど、国力は低下します。だからこそ古今東西で法律で禁止されてきた「はず」ですし、日本でも禁止されてきた「はず」なのですが、「日本にもカジノを」などと言っている人たちは本当に心が貧しいと思います。ちと古めかしいですが、昭和25年に以下のような憲法判例が出ているそうです。

賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。
S25.11.22大法廷判決・昭和25(れ)280 賭場開張図利(刑集第4巻11号2380頁)


64年前の判例ということもあって、「ギャンブル依存症」との文言は入っていません。それでも現実を示しているし、十分に説得力があります。

「外国人に遊んでもらえば、日本にお金が落ちて良いだろう」という発想も、いただけません。賭博に従事するということは、言ってみれば麻薬の売人になるようなものです。人を幸せにしたり価値のあるものを生み出すことよりも、一円でも多くむしりとるような毎日が幸せにつながるとは思えません。後ろめたさを感じている間はまだ良いのかもしれませんが、「生活のため」と感覚がマヒしていって、モラルが崩れていくことがもっと恐ろしい。日本が高度成長を遂げたのは、価値のあるものを生み出してきたからでしょう。そのプライドはあるのかないのか、バクチでも兵器でもカネになれば何でも良いという考え方には強く違和感を感じます。
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2014年07月21日

薬物依存への対策は教育から

覚醒剤で芸能人が逮捕されたり、脱法ハーブで自動車事故が起きたりで、この手の話題が絶えません。脱法ハーブを売っている店では、なんと「絶対に吸引しないで下さい」と表示してあるところもあって、それで取り締まりを逃れている例もあるとか。何がまぶされているのか、何が混じっているのか得体の知れない、もっとも危険な薬物だという話もあります。

「脱法ハーブ」という言葉には、「捕まらないんだったら、イイことをした方が得」みたいな雰囲気が感じられます。ちっともイイことではないのに、そう思いこんでしまっている人がいかに多いことか。初めは気持イイのかもしれません(……やったことないけど)。でも恐ろしいのは耐性がついてどんどん効かなくなり、ドラッグが入った状態で脳が正常に働くようになってしまうので、切れてくるとひどい離脱症状が出るようになります。プラスマイナスゼロの状態からハイになっていたのが、今度は切れてくると最低最悪のマイナスになって、ヤクをやるとゼロに戻るのくり返しになります。

この離脱症状はアルコール依存症でも起こるのですが、時には振戦せん妄(しんせんせんもう)と呼ばれる状態になることもあります。私は精神病院で働いていたので、何度も見ました。アルコールが切れてくると、ブツブツ言いながら身体を震わせて、叫び声を上げることもあります。壁一杯にムシがはっているから、取ってくれと訴える人もいました。これは小動物幻視と言うもので、もちろんムシなどいないのです。ジョン・レノンが「コールド・ターキー」という曲を発表しているそうですが、麻薬を断つために離脱症状に耐えることをコールド・ターキー(冷たい七面鳥)と言います。アルコールの比ではないでしょうから、よほどひどい状態になるのだと思います。

私はジャズが好きなのですが、ヘロインやコカインで散々な目に遭って人生を棒に振ったり早死にしたミュージシャンは数知れません。ビバップの創始者で偉大なアルトサックス奏者だったチャーリー・パーカーはドラッグでも有名で、友人から借りたサックスを質に入れてまでヤクを打っていました。でも自分の真似をして?ヤクに手を出すミュージシャンを見つけると、烈火の如く怒ったそうです。パーカーはどんなに恐ろしいものか身をもって知っていたので、仲間が同じ憂き目に遭うことを避けたかったのでしょう。そのパーカーも30代で亡くなりました。

私は中学生いや小学生のうちから麻薬、覚醒剤、アルコール、その他の薬物の恐ろしさ、くだらなさをもっと教育することが必要だと考えています。一人の人間がきちんと働いて納税者になるのか、依存症になって働かないかで、社会の大きな損失にもなるのです。
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2014年05月11日

発達障碍か、精神病か

今から30年も昔の話です。私が初めに勤めた病院は、単科の精神病院でした。閉鎖病棟が一つ、開放病棟が二つありましたが、窓には格子が入っていました。病棟には知的障害の人たちも、長いこと入院していました。本来は施設入所の対象になる人たちでしたが、30年前よりもさらに昔の時代には支援学校も施設もなかったので、知的障害が重かったり、てんかんや精神症状などの重複障害があると、精神病院に入院させられていたのです。私が就職した頃は、そうした人たちに退院してもらって施設に送っていました。

私は精神科のデイケアも担当していましたが、「精神分裂症」(今で言う統合失調症)のリハビリのために通ってくる人たちの中で、本当にその診断名で良いのか?(もちろん病名は医師がつけるものですが)と思わざるを得ない人たちが何人かいました。少なくとも過去に精神病様の反応は起こしているのですが、でもその症状が続いているわけでもないし、統合失調症の人たちが慢性化した状態にも思えませんでした。また
お母さんが「ごく小さい時からすごく育てにくい子で、その頃からぜんぜん変わっていない」という人もいました。

おそらく彼らは発達障碍(生まれつきの個性)であって、病気ではなかったのではないかと思います。今で言う自閉症スペクトラム障碍、あるいはアスペルガー症候群の人たちではなかったかと。私が退職してから何年かして、彼らのうち二人が悪性症候群(向精神薬の重い副作用)で亡くなったと聞きました。その病院にいた頃の私は、自閉症と言えば施設の中でないと適応できないような重度の障碍のある人しか想像できませんでした。

さすがに今となっては、発達障碍が精神科医にも理解されるようになっているので、統合失調症の診断でメジャー・トランキライザーを処方されたり、入院を勧められたり、などということは無くなっている……と信じたいです。
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2014年03月09日

休めば良いと言うものでもない

私は産業分野のメンタルヘルスにも、関わっています。「うつ」でダウンしたら診断書をもらって休職、というのが定番のコースですが、「何が何でも休職というものでもない」と思う経験をしました。

Aさんは職場で多忙が続いて、不眠になりました。趣味にも関心がなくなり、医師の診察を受けることに。「うつ」の診断が出て、休職を勧められたそうです。でも上司のBさんは「休むのは良いけど、休んでから出てくるのが大変になるんじゃないかな。同じ担当のままだったら、復帰するのも気が重くなるだろうし、復帰しても同じことになるかもしれない。だったら部署を変えて、勤めながら様子を見たらどうだろう」

Aさんは薬をのみながら、違う部署で働き続けました。そのうちに朝早く目覚めることもなくなり、趣味にも関心がもてるようになってきたそうです。「あのときに休職していたら、出てくるのが大変になっていたと思う。それに会社を休んだとしても、家族の手前や近所の目もあるし、気が休まらないと思う」と、Aさんは振り返っていました。発症前の業務が、Aさんにとって非常な負担になっていたようです。

このケースでうまく行ったのは、上司のBさんがAさんと職場のことをよく理解していたのが大きかったと思います。ちょっと話は飛躍しますが、いま先進国で企業への忠誠心がもっとも低いのがフランスで、その次が日本だとか。フランスでは上司が部下に話をするのは怒るときだけ、ということです。日本は中途半端な競争主義と使い捨て雇用が広まった結果、会社のために働くのがばかばかしくなっています。実はアメリカが生涯雇用などの日本式経営を取り入れたので、企業への忠誠心が高くなっているとか。

リストラやブラック、パワハラと、ヘンな横文字が企業の精神風土を象徴するような時代になりました。雇う側も雇われる側も、自分の利益ばかり考えているようでは、殺風景ですね。
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2014年01月09日

総合内科

先日、風邪の予防と治療についてのテレビ番組を見ていたら「総合内科」の医師が、出ていらっしゃいました。はて「総合内科」とは? 呼吸器内科とか消化器内科とか、専門を掲げている内科でなければ、みんな「総合内科」ということなのでしょうか?

かたや「心療内科」は一般的になってきた言葉ですが、あまり正しく理解されているようには見えません。精神科と同一視されているような印象があります。心療内科はアメリカにはない、と聞きます。アメリカはリエゾン精神医学で、これはたとえば内科医に精神科医がコンサルテーションを行なうなど、精神科医が他科と連携することを指します。

成田善弘先生によれば、心療内科には医学が高度に専門化して臓器別診療や疾患別診療になって、ひとを全体的に見ようとしなくなってきていることへの、アンチテーゼが含まれているそうです。たしかに内科も呼吸器内科、消化器内科……と細分化されてきています。私の印象でも検査所見や画像診断に頼って、患者の話を聞こうとしない、聴診をしない、患者の顔を見ずにパソコンを打つ……という医師が増えているように思います。

「的確に処方さえしてくれれば、話を聞かない方が良いんじゃないの? お互いに忙しいんだし、病院はどこも混んでいるんだから……」

というのも、一理はあると思います。でも丁寧に問診をして症状や病歴、ストレスについて聞いていけば、より的確な処方ができるということもあるでしょう。あるいは検査の数を減らして、医療費の削減になると思います。それに胃潰瘍は消化器内科にかかって、喘息は呼吸器内科にかかって、腰痛は整形外科にかかって、でもその人の全体を見てくれる医師はだれもいない……という状況は何とかしなくてはなりません。

総合内科はアメリカで始まったようですが、日本の心療内科と同じような方向性を持っていて、このような現状の打開を目指しているのかもしれません。医師のコミュニケーション能力のトレーニングに力を入れていて、また初診にはたっぷり時間をかけるようです。
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2013年12月17日

獲得形質の遺伝

何日か前の話ですが、テレビのニュースを流していたら、こんなことを言っていました。朝のバタバタした時間帯だったので、テレビどころではなかったのですが、「ん?……」とちょっと聞き耳を立ててしまいました。アメリカの科学雑誌に、こんな論文が掲載されたと言うのです。

マウスにサクランボのような臭いをかがせて、電気ショックを与えたら、恐怖反応(脱糞かな?)を示した。それをくり返していたら、サクランボのような臭いをかいだだけでも恐怖反応を示すようになった、と。ここまでは「パブロフの犬」で有名な条件反射ですね(マウスかわいそう……)。

ところがそのマウスの子どもが、その臭いをかいだだけで、同じ恐怖反応を示したと言うのです。もちろん、電気ショックは与えられていませんでした。

これは学生の時に習った「獲得形質は遺伝しない」、たとえば一生懸命に練習してピアノの達人になったとしても、その人の子どもにはピアノの技術が遺伝しないという原則に反しています。何でもマウスの精子に異変が生じて、それが子どもに受け継がれたそうです。

ニュースでは、PTSDなどのメカニズムの解明が進むようなことを言っていました。私が連想したのは、心理的な次元の現象(条件反射)が器質化するのであれば、脳器質も心理的な関わりによって変化をさせられるのではないか、ということです。

精神医学では長らく器質による内因性の精神疾患(統合失調症、うつ病など)と、心因性の疾患(いわゆる神経症)を分けてきましたが、近年は生物学的な精神医学が主流になって、神経症も身体的な基盤をもつと考えるようになっています。それはともすれば心理療法の否定につながるし、薬物療法オンリーの治療になりかねません。

「こころ」と「からだ」は別々のことではなくて、それぞれの次元でパラレルに変化が生じることもあるし、一方の変化がもう一方を変化させることもある。そんな風に考えると、つじつまが合うように思います。
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2013年04月18日

裁判員のストレス障害

 強盗殺人罪などに問われた被告に死刑を言い渡した3月の福島地裁郡山支部の裁判員裁判で、裁判員を務めた福島県の60代の女性が公判後、急性ストレス障害と診断されたことがわかった。

 被告に襲われた被害者が119番通報した際の悲鳴を法廷で聞いたことなどが原因だとして、国に慰謝料を求めて法的措置をとることも検討している。

 女性の弁護士によると、2009年の裁判員制度の開始以来、裁判員経験者が精神疾患と診断されたのは異例という。


 上記は朝日新聞デジタルの記事です。実は、いつかこんなことが起きるのではないかと思っていました。アメリカの陪審員でも、起きていることです。

 他のネット上の情報を見ると、その女性が裁判員用に用意されているカウンセリングを受けようとしたら、「年間5回まで無料だが、一番近いのは東京で、交通費などは自己負担」と言われて断念したそうです。

 「年間5回まで無料」は、企業や自治体の健保組合などがカウンセリングのサービスを行なっている企業と契約するパターンです。しかも最低限、各県に一つは欲しいところなのに、福島県にはない。裁判員の制度では「心のケアをする」と謳っていますが、まことに不十分だと言わざるを得ません。

 裁判員は民事事件には出番がなくて、死刑判決の可能性があるような凶悪事件を担当させられるのが、まずもって理解に苦しむ制度です。また守秘義務が裁判官よりも重く課せられていて、しかも何のための守秘なのか妥当性にも乏しい。この女性の場合も、「誰にも話すことができなくて苦しかった」と訴えておられます。制度上の欠陥が露呈したとも言えるでしょう。

 もう一つ気になるのは、ハイリスクの人を裁判員から外す仕組みがないことです。心理的な外傷による障害は、外傷の蓄積によって発症のリスクが高くなるという研究があります。犯罪の被害者になった、いじめを受けた、災害や交通事故に遭った、虐待された……など、過去に外傷を負った人はストレス障害を発症する危険性があることを十分に説明して、もしそのような場合には拒否できる仕組みを作るべきでしょう。
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2012年08月30日

病気喧伝

真偽のほどは定かではありませんが、ここ10年間で向精神薬の売り上げが10倍になったという書き込みがネットにありました。どんどん薬価の高い新薬に切り替えられているでしょうから、処方数が10倍とは考えられませんが、精神科クリニックがどんどんできてそれも満杯状態であることを考えると、激増しているのは容易に推測できます。

発達障害の診断で、薬を服用している子どもたちも確実に激増しています。これまた真偽のほどは定かではないけど、なんと三歳児に抗精神病薬(メジャー・トランキライザー)を処方する医師もいるとか。本当に薬を必要としている人が処方されることは結構ですが、製薬会社が利益のために病気を広げているとしたら、これはもう薬害です。MRSAと同じことが起きている可能性があります。

SSRIの登場でうつ病の治療成績が飛躍的に向上するという話だったはず……ですが、実際にはどうなんでしょうか。いつまでも薬と縁が切れない人が、増えていると感じます。以下のような文章を、ネットで拾ってきました。

先月開催された日本最大の精神医学会の「精神神経学会 第107回総会」でも、次のような発表がありました。参考にしてください。

蜀協医科大学 越谷病院 こころの診療科 井原 裕

『双極性障害と病気喧伝(disease mongering)』

『双極性障害がいきなり脚光を浴び始めたといっても、別に日本人が突然、躁うつの気分変動を呈し始めたわけではない。背景には、精神科医と製薬資本による「病気喧伝」(disease mongering) がある。製薬会社のマーケティング戦略に精神科医たちがいとも簡単に踊らされてしまう点こそが、事態の本質なのである。

病気喧伝とは、生理的な範囲の身体の不調を指して、「病気だ、病気だ」と騒ぎ立てて、やれ「医者にかかれ」だの「治療しないとまずい」だのとかまびすしく説いてまわることをいう。製薬会社は医薬品の潜在的需要が、病気と健康の中間領域にあることを熟知している。そのため、巨大市場を求めて逆流性食道炎、過活動膀胱、脱毛症、勃起障害などの境界領域を狙い、研究開発費を上回る巨大な予算を広報活動に注入する。販売促進のための疾患啓発キャンペーンは、度が過ぎれば病気喧伝と紙一重となり、こうして疾患イメージは増幅され、医者たちは無邪気にも踊り始める。この状況を見れば、こころある市民が「製薬会社と医者が結託して病気を作って一儲けしようとしている」と思ったとしても何ら不思議はない。

構神科医は、これまで病気喧伝の扇動に従順であった。気分障害患者数が見かけの増加を始めたのは1999年。それは、冨高(2009)も指摘するように、SSRIの本邦登場と一致する。製薬会社の疾患啓発にそそのかされた精神科医たちがよく考えもしないでSSRIを処方し、それに伴って保険病名「うつ病」を乱発したからであろう。そのほかにも、「注意欠陥多動性障害」(methylphenidate)、「社会不安障害」(SSRI)など、精神科医が情報操作にまんまと乗せられた例は枚挙にいとまがない。今後、病気喧伝の対象は双極性障害に移る。精神科医の多くが薬物療法以外の治療手段を考えられない現状は、危検である。私どもは歴史から教訓を得なけれぱならない。』

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2012年06月10日

アルコール依存症

「ヒゲの殿下」寛仁親王が亡くなられました。「アルコール依存症で入院」されていたとラジオで聞いて、ちょっと調べてみたのですが、宮内庁の反対を押し切って公言されていたようです。講演では「アルコール依存症の寛仁親王です」と自己紹介して、「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だったわけで、最近になって、今さらそうなったと取られるのは心外だ」、「皇室にも仲間がいるのかと、患者たちが大喜びしている」と痛快にカミングアウトされていたようです。

アルコール依存症は、古くはアルコール中毒、略してアル中と呼ばれていました。この「アル中」につきまとう侮蔑的なイメージが、この病気をさらに悪いものにして来たと言えます。ご本人には「まさかアル中になったのでは……」と、病気を認めることへの抵抗が強くなります。家族は「人格的にだらしがないから、仕事もしないで好きな酒ばかり飲んでいる」という、間違った理解に基づいて対応します。もっともご本人も「俺の金で好きな酒を飲んで何が悪い」とか、開き直ってしまったりすることもあるので、仕方のない麺もあるのですが。

長年の飲酒によって体質が変わってしまい、飲酒欲求が病的に強くなってしまうので、飲酒をコントロールできなくなるのがアルコール依存症の実態です。糖尿病になってしまったら、病気はもう治りませんが、生活を変えたり治療を受けたりすることで、人並みの生活を送ることができます。それと同じく、いったんアルコール依存症になってしまったら、飲酒をコントロールすることはできません。でも一滴も飲まないでいれば、人並みの生活ができます。

ただし断酒を続けることは、並大抵のことではありません。精神科に勤めていた時の経験では、最初の1年が特にきついようです。とにかく自助グループに欠かさず参加をして、仲間と励まし合って「飲まない日」を継続していくのが、回復への道のりになります。治療プログラムをもっている病院では、入院中から断酒会やAAに参加して、自助グループにつないでいきます。でも宮内庁病院に断酒会があるとか、宮様が市井の自助グループに参加するとかはちと考えにくいので、寛仁親王殿下は本当に必要な支援を受けることができなかったのではないかと思います。

アルコール依存症は「飲酒をコントロールできなくなる病気」であって、「飲みたい酒を飲んでいる」のでも、「酒に逃げている」のでもありません。正しい理解が広まることを願っています。
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