2017年02月11日

カジノは良くないが、パチンコよりはまし

 昨年の末に、いわゆるカジノ解禁法案が国会で可決されました。「ギャンブル依存症が増える」という主張を無視して、自民党がゴリ押しした形です。共産党が「他人の不幸の上に経済的繁栄を築こうとするのは、歪んだ発想だ」というコメントを出していましたが、まさしくその通りですね。ギャンブルは人々に幸福をもたらさないし、国力の低下にもつながるので、洋の東西を問わずどの時代でも、国によって規制されてきました。

 私はカジノができても、ギャンブル依存症が増えるとは思いません。日本のギャンブルで圧倒的に強いのが、パチンコ・パチスロ。その他にも競馬、競輪、競艇、宝くじともう花盛りなので、これにカジノが加わってもどうということはないでしょう。パチンコに入れ込むのは、収入に不足を感じる人が多いと言われています。「1万円じゃあ何にもならないけど、10万円あればなあ……」と言う発想から手を出す。その1万円をスッてしまうと、取り返すためにまた突っ込む……という繰り返しです。カジノ施設ができたにしても、交通費や宿泊費がかかるのであれば、たいがいの人はそれを軍資金にしてパチンコに行くでしょう。

 「パチンコは遊戯であって、ギャンブルではない」と言う詭弁もありますが、だれがどう見たってギャンブルです。いや私に言わせればギャンブルよりも恐ろしい、「エレキ麻薬」です。機械のメーカーは客の興奮を引き出す装置を、そしてパチンコ屋は居心地の良い賭場を追求しています。甘い汁を吸いながら保護しているエラい人たちもいるみたいだし、マスコミは節操なくばんばん広告しているし、よくこんな仕組みを作り上げたものだと思います。

 私のカウンセリングルームにもパチンコ依存の相談があります。だいたいはご本人よりも、家族がほとほと困ってやって来ます。一説によれば、パチンコ依存症の患者は全国で200万人いるとか。ということは、パチンコ依存のために苦しんでいる家族は1千万人を下らないことになります。韓国ではパチンコが害であるとして、全廃されたとか。日本でもパチンコを廃止するなら、カジノを作るのは良いでしょう。
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2015年03月18日

傲慢症候群

朝日新聞デジタルに、「傲慢トップは経営リスクか 『人格障害』ビジネス界注目」との記事がありました。ちょっと長くなりますが、引用します。

トップが暴走して会社が存亡のふちに――。そこまでいかなくても「傲慢(ごうまん)」経営者に悩む人たちは多い。英国では、傲慢を「人格障害の一種」ととらえ、対策を考える研究が始まっている。ビジネス界も、「傲慢」は経営リスクと見て、注目している。

 トップが助言に耳を傾けず、冷静な判断ができなくなって経営につまずく。これを「傲慢症候群」と名づけ、提唱しているのは神経科医の経歴をもつ、英政治家のデービッド・オーエン元外相・厚生相(76)だ。病気ではないが「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種といえる」という。

 オーエン氏が代表格となっている研究会は「傲慢学会」とも呼ばれている。2012年から英国で開いている国際会議を中心に活動。昨年は欧米の脳外科医、生化学者、精神分析医、経営・組織学などの専門家ら、約300人が集まった。

 「傲慢」に関心が集まっている背景には、ここ数年の経済危機や不況で、失態ぶりをさらけだした政府や企業への厳しい視線がある。リーマン・ショックでは、利益を追求し続け、巨額の損失をもたらした経営者らが激しい批判にさらされた。判断ミスを犯してきた理由は、冷静な判断を妨げる自信過剰があったという研究も増えている。

 長く権力の座にあると、自信過剰になり、周囲が見えなくなる。ニューヨークで、乗務員のサービスに激怒して飛行機をひきかえさせた「ナッツ騒動」も、「傲慢」の代表例だ。

 オーエン氏は、「傲慢症候群の14の症例」を示している。対策として「暴走しはじめた本人に目を覚まさせる側近をつける。精神カウンセリングをうける努力をしてもらい、手がつけられない場合は辞めてもらうべきだ」と話す。


 「14の症例」は「チェックリスト」とではないかと思いますが、以下のようなものです。

@自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と思うことがある
A何かするときは、まずは自分がよく映るようにしたい
Bイメージや外見がかなり気になる
C偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を失うこともある
D自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり、考えや利害もおなじだと思ってしまう
E自分のことを王様のように「わたしたち」と気取って言ったり、自分を大きく見せるため「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする
F自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある
G自分の能力を過信する。「私には無限に近い力があるのではないか」とも思う
H「私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない。審判するのは歴史か神だ」と思う
I「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている
J現実感覚を失い、ひきこもりがちになることがある
Kせわしなく、むこうみずで衝動的
L大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいので、実用性やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある
M政策や計画を進めるとき、基本動作をないがしろにしたり、詳細に注意を払わなかったりするので、ミスや失敗を招いてしまう


 傲慢症候群は、精神分析でいう「自己愛人格障害」と似ているようです。自己愛人格障害の特徴は共感性の欠如で、他人をモノのように扱っても何の痛痒も感じません。成田善弘先生の言葉を借りれば、「自分が自分であるというだけで、特別扱いされてしかるべきと考える」、まことに鼻持ちならないパーソナリティです。よほど才能に恵まれるかどこかの御曹司か、死にものぐるいで働くような人であれば、一代で企業を築き上げるようなこともあるでしょう。「傲慢症候群」はもともとは普通の人でも、立場によって人格変化を起こすことが想定されているようですが、その何割かは自己愛人格障害の人も含まれると思います。

 企業のリスクとして注目されている傲慢症候群ですが、経済界だけの問題ではありません。政界も……国会の議員会館の中に入ったことがありますが、「特別な人たち」を「特別扱い」する仕組みを見て、こういうところに出入りしているうちに人柄が変わっても無理はないと思いました。学会にも「天皇」とアダ名されるような人がいます。むろん私たちの業界にも、人の話を聴けない人がいます。「そんなことは、自分に関係ない」と思ってしまうような人が、いちばん危ないのかもしれません。
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2015年01月16日

カジノ法案の提出

国会の解散で廃案になっていたカジノ法案が、再提出されたそうです。どうやら、東京オリンピックまでに間に合わせようとの魂胆があるようです。賭博は決して人を幸福にするものではありませんし、賭博に熱中する人が増えれば増えるほど、国力は低下します。だからこそ古今東西で法律で禁止されてきた「はず」ですし、日本でも禁止されてきた「はず」なのですが、「日本にもカジノを」などと言っている人たちは本当に心が貧しいと思います。ちと古めかしいですが、昭和25年に以下のような憲法判例が出ているそうです。

賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。
S25.11.22大法廷判決・昭和25(れ)280 賭場開張図利(刑集第4巻11号2380頁)


64年前の判例ということもあって、「ギャンブル依存症」との文言は入っていません。それでも現実を示しているし、十分に説得力があります。

「外国人に遊んでもらえば、日本にお金が落ちて良いだろう」という発想も、いただけません。賭博に従事するということは、言ってみれば麻薬の売人になるようなものです。人を幸せにしたり価値のあるものを生み出すことよりも、一円でも多くむしりとるような毎日が幸せにつながるとは思えません。後ろめたさを感じている間はまだ良いのかもしれませんが、「生活のため」と感覚がマヒしていって、モラルが崩れていくことがもっと恐ろしい。日本が高度成長を遂げたのは、価値のあるものを生み出してきたからでしょう。そのプライドはあるのかないのか、バクチでも兵器でもカネになれば何でも良いという考え方には強く違和感を感じます。
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2014年07月21日

薬物依存への対策は教育から

覚醒剤で芸能人が逮捕されたり、脱法ハーブで自動車事故が起きたりで、この手の話題が絶えません。脱法ハーブを売っている店では、なんと「絶対に吸引しないで下さい」と表示してあるところもあって、それで取り締まりを逃れている例もあるとか。何がまぶされているのか、何が混じっているのか得体の知れない、もっとも危険な薬物だという話もあります。

「脱法ハーブ」という言葉には、「捕まらないんだったら、イイことをした方が得」みたいな雰囲気が感じられます。ちっともイイことではないのに、そう思いこんでしまっている人がいかに多いことか。初めは気持イイのかもしれません(……やったことないけど)。でも恐ろしいのは耐性がついてどんどん効かなくなり、ドラッグが入った状態で脳が正常に働くようになってしまうので、切れてくるとひどい離脱症状が出るようになります。プラスマイナスゼロの状態からハイになっていたのが、今度は切れてくると最低最悪のマイナスになって、ヤクをやるとゼロに戻るのくり返しになります。

この離脱症状はアルコール依存症でも起こるのですが、時には振戦せん妄(しんせんせんもう)と呼ばれる状態になることもあります。私は精神病院で働いていたので、何度も見ました。アルコールが切れてくると、ブツブツ言いながら身体を震わせて、叫び声を上げることもあります。壁一杯にムシがはっているから、取ってくれと訴える人もいました。これは小動物幻視と言うもので、もちろんムシなどいないのです。ジョン・レノンが「コールド・ターキー」という曲を発表しているそうですが、麻薬を断つために離脱症状に耐えることをコールド・ターキー(冷たい七面鳥)と言います。アルコールの比ではないでしょうから、よほどひどい状態になるのだと思います。

私はジャズが好きなのですが、ヘロインやコカインで散々な目に遭って人生を棒に振ったり早死にしたミュージシャンは数知れません。ビバップの創始者で偉大なアルトサックス奏者だったチャーリー・パーカーはドラッグでも有名で、友人から借りたサックスを質に入れてまでヤクを打っていました。でも自分の真似をして?ヤクに手を出すミュージシャンを見つけると、烈火の如く怒ったそうです。パーカーはどんなに恐ろしいものか身をもって知っていたので、仲間が同じ憂き目に遭うことを避けたかったのでしょう。そのパーカーも30代で亡くなりました。

私は中学生いや小学生のうちから麻薬、覚醒剤、アルコール、その他の薬物の恐ろしさ、くだらなさをもっと教育することが必要だと考えています。一人の人間がきちんと働いて納税者になるのか、依存症になって働かないかで、社会の大きな損失にもなるのです。
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2014年05月11日

発達障碍か、精神病か

今から30年も昔の話です。私が初めに勤めた病院は、単科の精神病院でした。閉鎖病棟が一つ、開放病棟が二つありましたが、窓には格子が入っていました。病棟には知的障害の人たちも、長いこと入院していました。本来は施設入所の対象になる人たちでしたが、30年前よりもさらに昔の時代には支援学校も施設もなかったので、知的障害が重かったり、てんかんや精神症状などの重複障害があると、精神病院に入院させられていたのです。私が就職した頃は、そうした人たちに退院してもらって施設に送っていました。

私は精神科のデイケアも担当していましたが、「精神分裂症」(今で言う統合失調症)のリハビリのために通ってくる人たちの中で、本当にその診断名で良いのか?(もちろん病名は医師がつけるものですが)と思わざるを得ない人たちが何人かいました。少なくとも過去に精神病様の反応は起こしているのですが、でもその症状が続いているわけでもないし、統合失調症の人たちが慢性化した状態にも思えませんでした。また
お母さんが「ごく小さい時からすごく育てにくい子で、その頃からぜんぜん変わっていない」という人もいました。

おそらく彼らは発達障碍(生まれつきの個性)であって、病気ではなかったのではないかと思います。今で言う自閉症スペクトラム障碍、あるいはアスペルガー症候群の人たちではなかったかと。私が退職してから何年かして、彼らのうち二人が悪性症候群(向精神薬の重い副作用)で亡くなったと聞きました。その病院にいた頃の私は、自閉症と言えば施設の中でないと適応できないような重度の障碍のある人しか想像できませんでした。

さすがに今となっては、発達障碍が精神科医にも理解されるようになっているので、統合失調症の診断でメジャー・トランキライザーを処方されたり、入院を勧められたり、などということは無くなっている……と信じたいです。
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2014年03月09日

休めば良いと言うものでもない

私は産業分野のメンタルヘルスにも、関わっています。「うつ」でダウンしたら診断書をもらって休職、というのが定番のコースですが、「何が何でも休職というものでもない」と思う経験をしました。

Aさんは職場で多忙が続いて、不眠になりました。趣味にも関心がなくなり、医師の診察を受けることに。「うつ」の診断が出て、休職を勧められたそうです。でも上司のBさんは「休むのは良いけど、休んでから出てくるのが大変になるんじゃないかな。同じ担当のままだったら、復帰するのも気が重くなるだろうし、復帰しても同じことになるかもしれない。だったら部署を変えて、勤めながら様子を見たらどうだろう」

Aさんは薬をのみながら、違う部署で働き続けました。そのうちに朝早く目覚めることもなくなり、趣味にも関心がもてるようになってきたそうです。「あのときに休職していたら、出てくるのが大変になっていたと思う。それに会社を休んだとしても、家族の手前や近所の目もあるし、気が休まらないと思う」と、Aさんは振り返っていました。発症前の業務が、Aさんにとって非常な負担になっていたようです。

このケースでうまく行ったのは、上司のBさんがAさんと職場のことをよく理解していたのが大きかったと思います。ちょっと話は飛躍しますが、いま先進国で企業への忠誠心がもっとも低いのがフランスで、その次が日本だとか。フランスでは上司が部下に話をするのは怒るときだけ、ということです。日本は中途半端な競争主義と使い捨て雇用が広まった結果、会社のために働くのがばかばかしくなっています。実はアメリカが生涯雇用などの日本式経営を取り入れたので、企業への忠誠心が高くなっているとか。

リストラやブラック、パワハラと、ヘンな横文字が企業の精神風土を象徴するような時代になりました。雇う側も雇われる側も、自分の利益ばかり考えているようでは、殺風景ですね。
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2014年01月09日

総合内科

先日、風邪の予防と治療についてのテレビ番組を見ていたら「総合内科」の医師が、出ていらっしゃいました。はて「総合内科」とは? 呼吸器内科とか消化器内科とか、専門を掲げている内科でなければ、みんな「総合内科」ということなのでしょうか?

かたや「心療内科」は一般的になってきた言葉ですが、あまり正しく理解されているようには見えません。精神科と同一視されているような印象があります。心療内科はアメリカにはない、と聞きます。アメリカはリエゾン精神医学で、これはたとえば内科医に精神科医がコンサルテーションを行なうなど、精神科医が他科と連携することを指します。

成田善弘先生によれば、心療内科には医学が高度に専門化して臓器別診療や疾患別診療になって、ひとを全体的に見ようとしなくなってきていることへの、アンチテーゼが含まれているそうです。たしかに内科も呼吸器内科、消化器内科……と細分化されてきています。私の印象でも検査所見や画像診断に頼って、患者の話を聞こうとしない、聴診をしない、患者の顔を見ずにパソコンを打つ……という医師が増えているように思います。

「的確に処方さえしてくれれば、話を聞かない方が良いんじゃないの? お互いに忙しいんだし、病院はどこも混んでいるんだから……」

というのも、一理はあると思います。でも丁寧に問診をして症状や病歴、ストレスについて聞いていけば、より的確な処方ができるということもあるでしょう。あるいは検査の数を減らして、医療費の削減になると思います。それに胃潰瘍は消化器内科にかかって、喘息は呼吸器内科にかかって、腰痛は整形外科にかかって、でもその人の全体を見てくれる医師はだれもいない……という状況は何とかしなくてはなりません。

総合内科はアメリカで始まったようですが、日本の心療内科と同じような方向性を持っていて、このような現状の打開を目指しているのかもしれません。医師のコミュニケーション能力のトレーニングに力を入れていて、また初診にはたっぷり時間をかけるようです。
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2013年12月17日

獲得形質の遺伝

何日か前の話ですが、テレビのニュースを流していたら、こんなことを言っていました。朝のバタバタした時間帯だったので、テレビどころではなかったのですが、「ん?……」とちょっと聞き耳を立ててしまいました。アメリカの科学雑誌に、こんな論文が掲載されたと言うのです。

マウスにサクランボのような臭いをかがせて、電気ショックを与えたら、恐怖反応(脱糞かな?)を示した。それをくり返していたら、サクランボのような臭いをかいだだけでも恐怖反応を示すようになった、と。ここまでは「パブロフの犬」で有名な条件反射ですね(マウスかわいそう……)。

ところがそのマウスの子どもが、その臭いをかいだだけで、同じ恐怖反応を示したと言うのです。もちろん、電気ショックは与えられていませんでした。

これは学生の時に習った「獲得形質は遺伝しない」、たとえば一生懸命に練習してピアノの達人になったとしても、その人の子どもにはピアノの技術が遺伝しないという原則に反しています。何でもマウスの精子に異変が生じて、それが子どもに受け継がれたそうです。

ニュースでは、PTSDなどのメカニズムの解明が進むようなことを言っていました。私が連想したのは、心理的な次元の現象(条件反射)が器質化するのであれば、脳器質も心理的な関わりによって変化をさせられるのではないか、ということです。

精神医学では長らく器質による内因性の精神疾患(統合失調症、うつ病など)と、心因性の疾患(いわゆる神経症)を分けてきましたが、近年は生物学的な精神医学が主流になって、神経症も身体的な基盤をもつと考えるようになっています。それはともすれば心理療法の否定につながるし、薬物療法オンリーの治療になりかねません。

「こころ」と「からだ」は別々のことではなくて、それぞれの次元でパラレルに変化が生じることもあるし、一方の変化がもう一方を変化させることもある。そんな風に考えると、つじつまが合うように思います。
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2013年04月18日

裁判員のストレス障害

 強盗殺人罪などに問われた被告に死刑を言い渡した3月の福島地裁郡山支部の裁判員裁判で、裁判員を務めた福島県の60代の女性が公判後、急性ストレス障害と診断されたことがわかった。

 被告に襲われた被害者が119番通報した際の悲鳴を法廷で聞いたことなどが原因だとして、国に慰謝料を求めて法的措置をとることも検討している。

 女性の弁護士によると、2009年の裁判員制度の開始以来、裁判員経験者が精神疾患と診断されたのは異例という。


 上記は朝日新聞デジタルの記事です。実は、いつかこんなことが起きるのではないかと思っていました。アメリカの陪審員でも、起きていることです。

 他のネット上の情報を見ると、その女性が裁判員用に用意されているカウンセリングを受けようとしたら、「年間5回まで無料だが、一番近いのは東京で、交通費などは自己負担」と言われて断念したそうです。

 「年間5回まで無料」は、企業や自治体の健保組合などがカウンセリングのサービスを行なっている企業と契約するパターンです。しかも最低限、各県に一つは欲しいところなのに、福島県にはない。裁判員の制度では「心のケアをする」と謳っていますが、まことに不十分だと言わざるを得ません。

 裁判員は民事事件には出番がなくて、死刑判決の可能性があるような凶悪事件を担当させられるのが、まずもって理解に苦しむ制度です。また守秘義務が裁判官よりも重く課せられていて、しかも何のための守秘なのか妥当性にも乏しい。この女性の場合も、「誰にも話すことができなくて苦しかった」と訴えておられます。制度上の欠陥が露呈したとも言えるでしょう。

 もう一つ気になるのは、ハイリスクの人を裁判員から外す仕組みがないことです。心理的な外傷による障害は、外傷の蓄積によって発症のリスクが高くなるという研究があります。犯罪の被害者になった、いじめを受けた、災害や交通事故に遭った、虐待された……など、過去に外傷を負った人はストレス障害を発症する危険性があることを十分に説明して、もしそのような場合には拒否できる仕組みを作るべきでしょう。
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2012年08月30日

病気喧伝

真偽のほどは定かではありませんが、ここ10年間で向精神薬の売り上げが10倍になったという書き込みがネットにありました。どんどん薬価の高い新薬に切り替えられているでしょうから、処方数が10倍とは考えられませんが、精神科クリニックがどんどんできてそれも満杯状態であることを考えると、激増しているのは容易に推測できます。

発達障害の診断で、薬を服用している子どもたちも確実に激増しています。これまた真偽のほどは定かではないけど、なんと三歳児に抗精神病薬(メジャー・トランキライザー)を処方する医師もいるとか。本当に薬を必要としている人が処方されることは結構ですが、製薬会社が利益のために病気を広げているとしたら、これはもう薬害です。MRSAと同じことが起きている可能性があります。

SSRIの登場でうつ病の治療成績が飛躍的に向上するという話だったはず……ですが、実際にはどうなんでしょうか。いつまでも薬と縁が切れない人が、増えていると感じます。以下のような文章を、ネットで拾ってきました。

先月開催された日本最大の精神医学会の「精神神経学会 第107回総会」でも、次のような発表がありました。参考にしてください。

蜀協医科大学 越谷病院 こころの診療科 井原 裕

『双極性障害と病気喧伝(disease mongering)』

『双極性障害がいきなり脚光を浴び始めたといっても、別に日本人が突然、躁うつの気分変動を呈し始めたわけではない。背景には、精神科医と製薬資本による「病気喧伝」(disease mongering) がある。製薬会社のマーケティング戦略に精神科医たちがいとも簡単に踊らされてしまう点こそが、事態の本質なのである。

病気喧伝とは、生理的な範囲の身体の不調を指して、「病気だ、病気だ」と騒ぎ立てて、やれ「医者にかかれ」だの「治療しないとまずい」だのとかまびすしく説いてまわることをいう。製薬会社は医薬品の潜在的需要が、病気と健康の中間領域にあることを熟知している。そのため、巨大市場を求めて逆流性食道炎、過活動膀胱、脱毛症、勃起障害などの境界領域を狙い、研究開発費を上回る巨大な予算を広報活動に注入する。販売促進のための疾患啓発キャンペーンは、度が過ぎれば病気喧伝と紙一重となり、こうして疾患イメージは増幅され、医者たちは無邪気にも踊り始める。この状況を見れば、こころある市民が「製薬会社と医者が結託して病気を作って一儲けしようとしている」と思ったとしても何ら不思議はない。

構神科医は、これまで病気喧伝の扇動に従順であった。気分障害患者数が見かけの増加を始めたのは1999年。それは、冨高(2009)も指摘するように、SSRIの本邦登場と一致する。製薬会社の疾患啓発にそそのかされた精神科医たちがよく考えもしないでSSRIを処方し、それに伴って保険病名「うつ病」を乱発したからであろう。そのほかにも、「注意欠陥多動性障害」(methylphenidate)、「社会不安障害」(SSRI)など、精神科医が情報操作にまんまと乗せられた例は枚挙にいとまがない。今後、病気喧伝の対象は双極性障害に移る。精神科医の多くが薬物療法以外の治療手段を考えられない現状は、危検である。私どもは歴史から教訓を得なけれぱならない。』

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2012年06月10日

アルコール依存症

「ヒゲの殿下」寛仁親王が亡くなられました。「アルコール依存症で入院」されていたとラジオで聞いて、ちょっと調べてみたのですが、宮内庁の反対を押し切って公言されていたようです。講演では「アルコール依存症の寛仁親王です」と自己紹介して、「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だったわけで、最近になって、今さらそうなったと取られるのは心外だ」、「皇室にも仲間がいるのかと、患者たちが大喜びしている」と痛快にカミングアウトされていたようです。

アルコール依存症は、古くはアルコール中毒、略してアル中と呼ばれていました。この「アル中」につきまとう侮蔑的なイメージが、この病気をさらに悪いものにして来たと言えます。ご本人には「まさかアル中になったのでは……」と、病気を認めることへの抵抗が強くなります。家族は「人格的にだらしがないから、仕事もしないで好きな酒ばかり飲んでいる」という、間違った理解に基づいて対応します。もっともご本人も「俺の金で好きな酒を飲んで何が悪い」とか、開き直ってしまったりすることもあるので、仕方のない麺もあるのですが。

長年の飲酒によって体質が変わってしまい、飲酒欲求が病的に強くなってしまうので、飲酒をコントロールできなくなるのがアルコール依存症の実態です。糖尿病になってしまったら、病気はもう治りませんが、生活を変えたり治療を受けたりすることで、人並みの生活を送ることができます。それと同じく、いったんアルコール依存症になってしまったら、飲酒をコントロールすることはできません。でも一滴も飲まないでいれば、人並みの生活ができます。

ただし断酒を続けることは、並大抵のことではありません。精神科に勤めていた時の経験では、最初の1年が特にきついようです。とにかく自助グループに欠かさず参加をして、仲間と励まし合って「飲まない日」を継続していくのが、回復への道のりになります。治療プログラムをもっている病院では、入院中から断酒会やAAに参加して、自助グループにつないでいきます。でも宮内庁病院に断酒会があるとか、宮様が市井の自助グループに参加するとかはちと考えにくいので、寛仁親王殿下は本当に必要な支援を受けることができなかったのではないかと思います。

アルコール依存症は「飲酒をコントロールできなくなる病気」であって、「飲みたい酒を飲んでいる」のでも、「酒に逃げている」のでもありません。正しい理解が広まることを願っています。
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2011年10月22日

厭世感の蔓延とケータイメール

「ああ、嫌な世の中だ。生きているのも、やんなった」などと言うのは、年寄りと相場が決まっていました。もっとも落語や芝居の中でそんなセリフを発する人物は、それなりに余生を楽しんでいたと思われるのですが。精神医学では「生きているのが嫌だ」とか「さっさとおさらばしたい」という気持を厭世感と呼んでおり、うつ状態になると強まるとされています。

震災の前から日本人の自殺は年間3万人以上を数えて、大きな社会問題になっていました。また「若者の間に厭世感が蔓延している」と、びっくりする外国の研究者もいたようです。私の感覚では若者だけではなく、働き盛りの中高年にも蔓延しているように感じます。70代、80代の高齢者の方が、むしろ明るい感じさえ受けます。長いこと風雪を耐えてきた人たちは、違うのでしょうか。

政治や経済などの世相が暗いことが、厭世感の蔓延の土壌になっているのでしょうか。そうかもしれないし、それだけではないような気もします。たとえば、いま破産寸前になって緊縮財政が敷かれようとしているギリシャの人たちはどうでしょうか。デモに参加したり略奪や破壊行為に走っている人たちは、厭世感に囚われるよりは、生き残りをかけて動物的な本能に身を任せているようにも見えます。もともとの日本人のメンタリティとか、宗教などの問題も無視はできないと思います。

ちょっと大胆な物言いですが、私はケータイメールなどの「コミュニケーション・ツール」が厭世感の蔓延に、一役かっているような気がしてなりません。たしかにメールは便利で、私も利用はしていますが、見方によっては「コミュニケーションをしない」ためのツールです。あくまで字面だけのやりとりで、そこにはフェイス・トゥ・フェイスで発生する感情の発露や、共感はありません。ひまさえあればメールでやりとりをしている若者たちに聞くと、メールでのつながりは淡雪のようにはかないもののようです。やはり直接に人と行動をともにして、話をして、ぶつかって傷ついたり癒されたりしながら生きていくのが健康的だと思います。人とのつながりを実感することができて、孤独にならなければ、厭世感に囚われることはないように思うのですが、いかがでしょうか。
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2010年12月28日

教員の休職

毎日新聞に、「公立学校の教員 精神疾患での休職 過去最多の5458人」という見出しの記事が載っていました。これは昨年度の調査結果で、「精神疾患の多くはうつ病とみられ」、「全教員の年代の比率は20代9.6%、30代22.4%、40代36%、50代以上32%であることから、50代以上の割合が高かった」とのことです。

この数字については文科省のコメントもありますし、さらに色々な人たちが発言していると思います。私は出前の仕事ではスクールカウンセラーの他に、企業の精神保健コンサルタントもしています。それで感じるのですが、教員の場合は企業の「総務、人事」のセクションが職場にないために、メンタルヘルスの面で難しくなっているように思います。企業では課長、部長などの職制(ライン)の他に総務の担当者が職場にいて、受診を勧めたり、上司との間を調整してくれたり、異動先を探してくれたりしますが、学校にはそのようなことをしてくれる人はいません。外部に教育事務所や教育委員会もありますが、学校の内情はよく分らないし、素早い動きもできません。教員のメンタルヘルスに関して、コンサルテーションと介入をする部署が必要なように思います。
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2010年02月11日

同性愛は治療の対象か

 また聞きのような情報ですが、最近になってアメリカ心理学会が、「性的な指向を変えようとする介入は、するべきでない」との見解を出したそうです。アメリカでは同性愛が市民権をすっかり得ているような印象もあるので、意外に思われるかもしれません。宗教的な理由で同性愛の治療を受けて「直したい」と考える人たちも、少なからずいるそうです。でもその治療成績は効果を上げるよりも、失敗に終わる方が多いらしいのです。

 私が20代の時に出版された精神医学のテキストでは、たしか同性愛が「性的異常」のひとつとして挙げられていたと記憶しています。「異常者」のラベルを貼られたくないのなら、ひた隠しにして生きるしかない時代でした。同性愛とは病理であって、「治療すべき対象」だったとも言えます。それが時代が進むにつれて「本人が困っているのなら、治療の対象になる」になり、「治療を受けたいと言われても、やらない方が良い」に変わってきました。

 精神分析的な心理療法を学んでいた時に、スーパーバイザーの先生が「日本のように同性愛者が同性愛者として生きられない社会だと、神経症になる人が多いのではないかな」と言っていました。

 今の日本で同性愛は、「ひた隠しにする」ことではないかもしれません。芸能人ではカミングアウトをして、むしろそれで売れる人もいるようです。性同一性障害についての理解が進んできて、ジェンダーについても語られるようになってきました。「男として生まれたら女を、女として生まれたら男を愛すのが当たり前」という固定観念は揺らぎつつあるようです。かと言って街中やショッピングセンターで同性のカップルが手をつないで歩く姿を、私はまだ見たことがありません。同性愛者が同性愛者として生きられる社会、ではないようです。
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2009年11月18日

結局は早寝早起き

 昨日は盛岡で、高橋正也先生(独立行政法人労働安全衛生総合研究所)の講演会がありました。睡眠と健康・安全に関してのお話をうかがったのですが、色々と興味深いデータが示されました。統計的に見ると、結局のところは規則正しい睡眠を十分にとることが、健康のためにも、能力を十分に発揮するためにも良いようです。睡眠不足が慢性化すると、一晩や二晩寝ても元に戻らなかったり、週末の夜更かしと朝寝坊はブルー・マンデイどころかウェンズデイくらいまで響いてしまうようです。また寝不足のまま運転するのは、飲酒運転と同じくらいの危険性があるそうで、気をつけないといけないと思いました。

 懇親会でお話をすることができたので、こんなことを聞いてみました。「昔ロシアの刑罰で、ムチ打ちか何かして罪人を寝かせないと言うのがあったらしいですが、そんな風に何日も寝ないとどうなるんですか?」「炎症が起こりやすくなったりしますが、すぐに死んでしまうとか、そういうことはありません。いくら寝かせないようにしても、限界がくると脳がシャットダウンするように寝てしまいます」とのことでした。

 実はこの講演の前に時間があったので、近くの図書館で「フロイト最後の日記」を見つけて読んでいました。フロイトは1939年に亡くなっていますが、晩年はほんの一行で、その日の印象に残ったできごとを記していたそうです。そのまま書物にしても何のことか分かりませんが、編著者が亡くなるまでの10年間の記述について詳細な解説と写真を加えています。1時間ほどで拾い読みしたのですが、フロイトの人となりについてうかがい知ることができて、とても興味深いものでした。

 精神分析の関連では娘のアンナ・フロイト、支援者でもあったマリー・ボナパルト、悲惨な晩年に責任を感じていたフェレンツィについての記載が目にとまりました。また日本での翻訳書について何度も記載されていたり、日本から分析を受けに来た古沢平作博士からの贈り物が記されていました。フロイトは日本で精神分析がどう広まるのか、並々ならぬ関心を寄せていたようです。古沢博士には分析の料金を規定の25ドルから、10ドルに下げていたともありました。これは今の貨幣価値に換算すると、いくらくらいなのでしょうか。
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2009年07月20日

統合失調症の軽症化

 精神科の病院に勤務していた時には、おつきあいが一番多かったのが統合失調症の患者さんたちでした。当時は精神分裂病と呼ばれていましたが、入院している人や、デイケアに通う人の大部分がこの病気にかかっていました。
 
 ふた昔ほど前までは、統合失調症の患者さんを外来通院だけで治療することは、ごく少なかったように思います。幻聴や妄想などの病的な体験に振り回されている間は、日常生活を落ち着いて過ごすことは困難です。また自分が病気だと思っていない人は、薬を処方通りにのみ続けることはなかなかしません。そこで治療となると、まずは入院していただくことになっていました。今は入院せずに、通院だけで良くなっていく患者さんも大勢いらっしゃるようです。

 私は12年前に精神科を辞めたのですが、それでも年に何人かは、統合失調症の患者さんにお会いする機会があります。ありがちなパターンとしては、ご家族が「うつ」や「ひきこもり」だと思い込んで、お子さんを相談室に連れてこられるのです。「薬をのませたくないので、カウンセリングで治してください」と言う方もいらっしゃいます。こちらの対応としては精神科を受診するように勧めて、場合によっては家に近い医療機関を紹介しています。

 数が少ないので何とも言えない部分はあるのですが、それでも彼らと接していると、「統合失調症の軽症化が進んでいると言われるけど、なるほどそうなんだろうなあ」と感じることがあります。まず身なりや雰囲気からして、いかにも病気で苦しんでいると言うオーラを発している人を見なくなりました。一見普通に生活を楽しんでいるような人なんだけど、よくよく話を聞いてみると……という感じでしょうか。まだ治療を受けた経験がないのに、「頭の中で声がするのは幻聴なので、相手にしないことにしています」などと、病的な体験から距離を置けている人もいます。

 個人的には興味深い現象なのですが、精神科を離れてしまったので、探求することができません。
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2009年04月29日

いわて小児発達障がい研究会

 4月26日に、盛岡市で設立記念講演会が行われました。講師は岩手県在住のえじそんくらぶ理事である小野佐由美さんと、あいち小児保健医療総合センターの杉山登志郎先生でした。

 小野さんは「発達障がいをもつ子の親の気持について」と題して、ADHDの子どもを育てるとどんなストレスを感じるか、診断を受けた時にわいてくるイメージ、専門家への要望など、ご自身の体験からお話しされました。杉山先生は「発達障害から発達凸凹へ」と題して、自閉症研究の歴史から治療、非行の防止法など、広い視点でお話しされました。

 発達障碍とは、生まれつきの(生物学的な要因の)ものであって、育て方によるものではありません。学問的には知的障碍や運動障碍なども含めますが、一般的には広汎性発達障碍(自閉症、アスペルガー症候群など自閉スペクトラムに属するもの)、学習障碍、ADHDの三つを指すことが多いようです。乳幼児期には特徴が現れているのに、見過ごされて援助や治療が受けられないまま、二次障害が重くなっていく子どもたちが多いのが実情です。岩手県でも、早期の発見と適切な援助が行われる体制づくりが望まれます。 
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2009年04月26日

学校教師のメンタルヘルス

 今日は花の種ネットの主催で、「学校教師のメンタルヘルス 〜多忙化する教員をどのように支援するか〜」と言う研修会が盛岡市で開かれました。講師は岩手県立大学社会福祉学部の、青木慎一郎先生でした。データに基づいて、分かりやすいお話をしてくださいました。参加者は小中高の教員、養護教諭、臨床心理士などで、口コミだけですぐに予定人数がいっぱいになってしまったそうで、関心の高さがうかがわれました。

 実際にスクールカウンセラーとして出向くと、生徒よりも先生の方が心配になってしまう?学校もあったりするわけで、教員のメンタルヘルスの維持、向上は急務なのです。休職者が出ると、他の教員に負担がかかります。休職者が復職したと思ったら、これまで耐えてきた教員がダウンして休職に……と言う連鎖も起こりえます。

 メンタルヘルスは、教員の福祉の問題にとどまりません。教師としての能力を発揮して、教育の質を維持できるかどうかに、直結しています。そしてこれはまだあまり言われていませんが、セクハラなどの不祥事を予防することにもつながります。また例えば自殺者が出て、安全配慮義務の不履行が裁判で認められると、莫大な損害賠償金を払うことにもなり、組織の危機管理という側面でも見過ごすことはできません。

 言うまでもなく自治体はどこも予算が逼迫していますが、むしろ逼迫しているからこそ、教員のメンタルヘルスにお金を使って欲しいのです。コスト的にも結局はその方が安上がりだと考えるのですが、いかがでしょうか。
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2009年03月26日

障害、障がい、障碍? (2)

 さてここからは話がややこしくなるので、従来から使われてきた「障害」で話を進めます。ご存じのように日本でも精神医学の診断は、アメリカ精神医学会のDSMに従うことが多くなっています。たとえば学習障害は Learning Disability (頭文字をとってLDと呼ばれます)なのですが、人格障害は personality disorder なのです。
 disability は「能力に欠けている」ことを示すのに対して、disorderは「秩序が乱れている」とか「混乱している」ことを示しています。ところが personality disorder が「人格障害」と訳されると、「人格構造の秩序が乱れている状態」よりは、「人格的に欠落している状態」をイメージする人が多いと思うのです。不道徳で人情味に欠けて犯罪でもやりかねない、そんな人を思い描いても無理はありません。境界性人格障害とか、自己愛性人格障害などと診断された方やご家族は、この言葉の響きにショックを受けるのではないでしょうか。
 私はことさら disorder を「障害」と訳す必要は、ないと思うのです。もちろん「秩序が乱れている」のも障害ですから、誤訳ではありません。でもたとえば境界性人格構成、境界性人格失調、あるいは境界性人格状態、ではどうでしょうか。

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2009年03月25日

障害、障がい、障碍? (1)

ブログ「障碍を持った人の雇用」
から、少し長くなりますが、引用させていただきます。
 
 障害を「障がい」と表記する意味(2009.1.27)

 2009年1月23日の朝日新聞朝刊「私の視点」欄に、後藤勝美氏(東海聴覚障害者連盟相談役)の意見が掲載されていた。正確には記事をご覧頂くとして、私が勝手に要約すると以下の通りである。
岐阜県や岐阜市の福祉課が、「障がい福祉課」と名称変更し、公文書には従来使用していた「障害」を「障がい」と記すことにしたことに端を発する。
 後藤氏自身も「障害」や「障害者」との表記が適切だとは思われていないと言われているのだが、車椅子の人がいつでもスムーズに移動できないのや耳の不自由な人が手話通訳の援助を頼むと有料で困るのは、「社会環境や政策の不備で起きている不自由さ」であり、それこそが「障害」であるとして、「いうなれば障害者は、社会的な被害者である」としている。
 被害者であるとの全体にたち、その被害を取り除いていくことが必要なので単なる言葉の表記を変えたから解決する問題ではなく、かえって被害性を字面を良くすることで曖昧にする危惧を覚えるとしている。
 当事者の意見として、重く受け止めるべき内容だと感じるが、私のブログタイトルに障碍という字を使った経緯を述べてみたい。動機は、単純に「害」の字の語感に「嫌な感じ」を抱いたからといえる。それまでは、あまり考えてもみなかった私が「嫌な字」と思うようになったのは、わが社の優秀な従業員(年金保険料は勿論、所得税も負担している)の療育手帳に「精神薄弱者」(平成7年発行のもので現在は知的障害者と変わっています)の記載を見てショックを受けた出来事から始まる。
 医学用語なのかもしれないが、この言葉は感情的に受け付けない(自分の仕事に責任を持って取組み、回りの人に感謝を忘れない、親を大事にする人に対して精神が薄弱とはどうしても思えない)。
これは私だけなのかもしれないが、あらためて「障害」「障害者」という言葉を見てみるとまず「害虫・害獣」「害を与える者=加害者」後藤氏のいう「被害者」のような否定的なイメージが浮かんでしまう。
 改めて辞書を見ると、障害はもともと障碍の字を使用していたのが当用漢字にないから障害という字を使うようになったようだ。碍の字は、送電線などに使われている「ガイシ(碍子)」が絶縁性のある陶製のものであるように「さえぎる」と言う意味合いの強い言葉のようだ。知的障碍や発達障碍を表すのには、障害よりもふさわしいのではないかと考えてブログタイトルに使わせて貰っている。
 法律用語(行政用語)として、使用するときは正確さを損なうことはしたくないので「障害者雇用率・障害者雇用促進法」などはあえて書き直すことはしていない。「障がい」や「しょうがい」では、なにを表現しようとしているのか文脈の中で判りにくくなる(同音意義)とも考える。韓国で「障碍・障碍者」という漢字を使用していることを知った時は、嬉しく思ったものだ。

 下線は私が引いたものです。私もこの意見には同感で、「障害」でも「障がい」でもなく、「障碍」を用いるべきだと思います。ただ、その前に少し整理しておくべき問題があるように思います。(続く)

posted by nori at 14:02| Comment(1) | TrackBack(0) | メンタルヘルス