プロデュースをしているのは、もともとコントラバス奏者だったマンフレット・アイヒャーです。彼は自分の美意識に合う作品しか、リリースしません。ついアツくなって弾きまくり、「たまには演りたいように、やらせてくれ」と反抗したリッチー・バイラーク(p)は、追い出されてしまいました。「そういうアルバムは他のところで出してくれ」、というのがアイヒャーの言い分でしょう。ECMのアルバムを買う人は、このレーベルのカラーで買うので、致し方ないことかもしれません。

アルヴォ・ペルト(1935〜)は、旧ソ連のエストニアに生まれました。1979年にオーストリアに移住するまでは、「鉄のカーテン」の外の音楽を知ることも許されず、共産主義のイデオロギーに奉仕するよう求めらて、苦労していたものと思われます。現代音楽の一派であるミニマリズムに属すると言われますが、ペルト自身はバロック期よりも古い時代の影響を受けた、「ティンティナブリ」という様式を主張しています。
ペルトの「アリーナ」と題された、1995年に録音されたアルバムが再発されました。「鏡の中の鏡」と「アリーナ」の2曲が、バージョンを変えて交互に演奏されています。ピアノとヴァイオリンのデュオ、ピアノ独奏、ピアノとチェロのデュオ。モノトーンの世界に入りこんで、ときの流れを感じるような音楽です。無駄な音はひとつもなく、研ぎ澄まされてはいるのですが、温もりに包まれています。
1970年代のECMは、予算をかけられないという事情もあって、ソロやデュオの作品が多かったのです。「一音あたりいくら」みたいに考えてしまうと、ずいぶん高くつくレコードでした。そうした事情もあってか、日本のレコード会社は、「沈黙の次に美ししい音」というキャッチコピーで売り出していました。ラルフ・タウナー(g, p)、ヤン・ガルバレク(ts, ss)、ジョン・テイラー(p)、ゲイリー・ピーコック(b)、最近ではトルド・グスタフセン(p)やケティル・ビヨルンスタ(p)などのアーティストは、まさにそう呼ぶにふさわしいアルバムを作っていました。
ペルトの「アリーナ」は、沈黙から浮かび上がる音、のような気がします。いや天から降ってくる音、でしょうか。音楽にありがちな、「オレがオレが」の自己主張が全く感じられません。沈黙のうちに語る、沈黙に感じ入る、そんな印象をもちました。