
すると母親の面倒をみていた中絶医の妹は心臓発作で亡くなり、その母親は認知症で高額な介護施設への入所が必要になります。整形外科医の弟はゲイがばれて離婚の憂き目に遭い、経済的には全く頼りになりません。
モンクは自暴自棄になり、それまで軽蔑していた、黒人のステレオタイプを強調した小説を偽名で書きました。愛情を自分にも母親にも向けなかった父親を。「おれがこうなったのは、お前のそせいだ」と拳銃で撃ち殺すラッパーの物語です。エージェントに売り込ませたら、出版社に高額で買い取られました。エージェントは「これは実話で、作者は逃亡犯だからインタビューを受けられない」なんて話をでっち上げる始末。いよいよ出版されることになり、モンクは本当にクソみたいに価値のない本だと思っていたので、「題名を『クソ』にしないと、オレは契約しない」とゴネました。出版社はそれでも出すということになって、小説「FUCK」が世に出ました。映画化の話も出て、文学賞の候補にもなります。
モンクは文学賞の審査員になり、本音をステレオタイプの小説を書いている黒人女性の審査員に打ち明けました。「黒人が貧しくて、犯罪を犯して、ヤクに溺れるようなステレオタイプの小説は、白人の罪悪感を減らすために書かれている」と。白人が気の毒な黒人に共感することで、かつて自分たちが人種差別をしてきたことを忘れさせてくれるのだ、というわけです。
モンクは実家で家族に触れ合うことで、自分の人生や人との関わり方を見直すことになりました。そこもけっこう深いところが描かれていて、良いなあと思って見ていました。
エンディングに流れていた曲は、キャノンボール・アダレイの「サムシン・エルス」に入っている、「枯葉」でした。このセッションの実質的なリーダーは、トランペットのマイルス・デイヴィスと言われています。マイルスの父親は裕福な歯科医で、使用人も雇っていました。マイルス自身も音楽大学の最高峰だった、ジュリアードに入学しています。ステレオタイプでなかった人の音楽を、使っているんですね。
コメディ・タッチですが、あちこちでウィットを効かせながら本質を衝いている、良い映画だと思いました。モントリオールの映画祭で高い評価を得たようですが、日本では一般公開されていないようです。私は配信で観ましたが、楽しめました。