2021年11月15日

脳はいかに治癒をもたらすか

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著者のノーマン・ドイジは古典と哲学を専攻した後に、精神医学を学び、精神分析家になりました。作家、エッセイスト、詩人でもあるという、多才な人のようです。この本は前著「脳は奇跡を起こす」(絶版でけっこうなプレミアがついてしまっているので、未読です)の続編で、外傷の痛み、パーキンソン病、脳卒中後遺症、学習障害、自閉症など、脳の器質的、あるいは不可逆的な働きと考えられてきた現象が、歩いたり神経刺激の装置を使ったり、あるいは聴覚訓練によって、改善されることを記述しています。

当事者へのインタビューと、著者の明確な考察によって構成されており、その背後には膨大な文献の渉猟があります。精神分析家ならではの、ストーリーを導き出して言葉にする能力によっているものだと感じました。若い頃は神経心理学に惹かれたこともあったのですが、脳と言うハードウェアの不具合によって、行動がどう影響を受けるのかという説明に終始している印象をもってしまい、あまり興味を持てなくなっていました。それはでは固定的で、ダイナミックな心の動きとはつながっていないですから。

私は「心」とは、「身体内(脳を含む)の相互作用によって生じる、よりよく生きようとする現象」ではないかと考えています。心理療法は「よりよく生きようとする現象」を治療するのではなく、「よりよく生きようとする現象」に働きかけることで治療的な効果を生み出そうとすることです。脳の可塑性に関する研究は、「身体内(脳を含む)」の相互作用」に光を当てるもので、これからの医学や心理学に、あるいはすべての人の幸せにと言い換えても良いですが、大きな貢献をしていくだろうと思います。
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2018年01月21日

野の医者は笑う / 東畑開人

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 この本は同業者のあいだで、「すごく面白い」ということで評判になっていました。かなり怪しげなタイトルですが、心理学では老舗の誠信書房から出版されていて、書店では専門書のコーナーに置かれています。いざ読みだすと、本当に面白くてどんどん読んでしまいます。飲み食いしながら読んでも胃もたれしない誠信書房の本は、これが初めてではないでしょうか。そんな著者の軽快な筆さばきというか、表現力にはまったく感心してしまいます。心理学の専門書にありがちな「沈思黙考」というよりは「欣喜雀躍」、あるいは「観念奔逸」などという躁状態を連想してしまいました。

 「野の医者」とは「占い系」や「スピリチュアル系」など、アカデミックな臨床心理学の教育や訓練を経ないで「心の癒し」に携わっている人々のことを指しています。著者は沖縄の精神科クリニックを退職してからの求職期間中に、「野の医者」たちのイベントに参加し、自らセラピーやワークショップを受け、インタビューやアンケートを行います。そうした一連の調査は「外側から」ではなくて、文化人類学的な手法で「中に」どっぷり浸かって行われています。そして「野の医者」の介入方法が、臨床心理学の専門用語で記述されているわけでもありません。「野の医者」にもクライエントにも、臨床心理学になじみがない人もいるのですから、関連している人すべてが理解できるように書かれているのは、フェアな態度だと感じました。
 
 著者はまだ30そこそこの年齢で、この本を書いています。大学院の博士まで出ているので、臨床についてから数年でしょうか。たいがいの人は実践の積み重ねの中で、セラピストとしての個を確立するのに四苦八苦している年代と言えるでしょう。「野の医者」と「臨床心理士」の共通点や違いを明らかにする試みは、セラピストとしての個を確立する過程の、アクティング・アウトと言えるかもしれません。青春小説のような趣が、この本には満ちています。京都大学教育学部と言えば難関であることはもちろんですが、日本の臨床心理学を作ってきたようなところです。そこで学んで博士号まで取得して、毎年のように学会誌に論文が掲載されていた著者は、「ウマのホネ」どころではなくてダービー馬でしょう。それにあぐらをかかないで、迷うことのできる知性には拍手を送りたいと思いました。

 実用的な価値はまるでないけど、面白く読めて、考えるタネになる本でした。
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2016年12月26日

フロイト再読

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 著者の下坂幸三(1929〜2006)は、とくに摂食障害の治療で高名な精神科医でした。フロイトに深く傾倒しながらも精神分析の主流を歩まず、そして当時隆盛を誇っていたシステムズ・アプローチではなく「記述精神医学のようなことをやる」、「常識的家族面接」を実践されていました。ずいぶん昔の話ですが、日本精神分析学会で学会賞を授与されて記念講演がありました。「成田善弘先生(当時の会長)から電話をいただいて、『色々と思うところはあるだろうが、もう決まったことなので(学会賞を)何も言わずに受け取って欲しい』と言われました」と裏話を披露されて、会場がドッとわいたのを憶えています。

 本書は下坂先生が亡くなってから編纂されたもので、「季刊 精神療法」に掲載されたものを中心に12本の論文が掲載されています。標題の「フロイト再読」は堪能なドイツ語を活かして(ストレイチーの英訳からではなく)、いち心理療法家の実践からフロイトの技法論を噛みしめるという試みで、精神分析をバックボーンとする治療者なら大いに興味を惹かれるでしょう。他にも「心的外傷理論の拡大化に反対する」は出色で、境界パーソナリティの成因をトラウマに求める動きを一刀両断にしています。

 また小論の「症例報告にさいして患者の許可を得ることについて」では、「ヒューマニスティックに振舞っているつもりなのだろうが、私にはむごい仕打ちに思えてならない」と糾弾し、「まあひとりの治療者がどうしても患者の許可がほしいというなら、それでよいとしよう。情報公開の風潮に悪乗りして、それがあたかも治療者の当然の義務でもあるかのように、ひとにもこのような仕業を声高に強要する偽善的な人が現れると困るのである」と結んでいます。

 ひとことで言ってしまえば「反骨の人」というイメージですが、権威を毛嫌いするとか、異を唱えることに熱心だとか、そういう人ではありません。苦労している人々への惻隠の情、漢文や哲学などの素養、徹底して掘り下げる姿勢、戦時中に防空壕から這い出して「きれいな」空襲を眺めていた無垢な心と、さまざまなバックボーンが透けて見えてくるのが本書の魅力だろうと思います。こういう骨のある人は、もういなくなってしまいました。(フロイト再読 下坂幸三著 中村伸一・黒田章史編 金剛出版 2007年)
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2016年03月08日

セラピスト / 最相葉月

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大型書店に行くと、心理療法やカウンセリングのコーナーをひと通り眺めます。専門書は学会に出向いたときに出版社のブース買うことが多いのですが(割引価格で送ってもらえます)、すぐに読みたい本が出ていると書店で買うことになります。それにしても精神分析からユング派、ヒューマニスティック心理学、実存学派、行動療法、催眠、認知行動療法……と、まさに百花繚乱の世界です。「コレで生き方が変わる」と称する実用書の類はともかくとしても、ぶ厚い専門家向けの指南書や研究書が並んでいて、いったい誰が買っていくのだろうと思ってしまいます。

そんな中で、ずばり「セラピスト」というタイトルは異色を放っていました。案の定いわゆる専門書ではなく、ジャーナリストが取材をしてまとめた本でした。著者自らが患者として治療を受けたり、心理療法を学ぶために大学院で学んだり、あるいは中井久夫先生にセラピストとして描画で関わったりと、当事者からの視点も交えています。ジャーナリストの視点から、あるいは当事者(それもクライエント/セラピストの両面)の視点から、多面的に心理療法の世界を浮かび上がらせようとする姿勢は見て取れました。悪く言えば視点が定まらずに中途半端なのですが、面白そうなので買って帰りました。

家でひもといてみると、色々な感想が浮かんで来ました。たしかに境界例(境界性人格障害)の人たちとは、めっきりお目にかからなくなりました。病態が境界水準と言われていた摂食障害の人にも、会うことは少なくなりました。それにしても精神医学は、どこに行ってしまうのか? 生物学的精神医学とは言うけれど、病理にも精神療法にも入れ込まずにDSMで診断をつけて薬を出すだけなら、ただの薬屋さんではないか? 精神科は深夜に呼び出されることもないし、高額な医療機器を入れなくても開業できるし……なんて理由で精神科に入局した医師が、薬物療法で何本か論文を書いて一人前のになっていくのでは、精神医学の未来も暗いと思ってしまいます。

「中井久夫」は統合失調症の研究や風景構成法で高名な精神科医で、私もひそかなファンの一人ではありますが、学会などで拝見したことはなくて、書物の中でしか知らない人です。その中井先生が描かれた風景構成法が口絵に載っていて、これが何とも味わい深いです。ご本人は「年寄りの絵だ」と言われていますが、瑞々しい年寄りにしか描けない絵のような気がします。深くて、広くて、遊びごころもある。こんな絵を描けるような「年寄り」になりたいものです。
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2014年03月24日

開業臨床心理士の仕事場

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日本では臨床心理士の相談室は、まだ一般的ではありません。多くの相談室では心理療法が行われていますが、その営みは世間一般の人たちはもちろんのこと、医師やソーシャルワーカーなどメンタルヘルスの専門家にも十分には理解されていないと感じます。「療法」とは言っても医学モデルで症状を取り除くわけではなく、これまでとは違うものの見方や行動の仕方を身につけたりするのをお手伝いするので、むしろ教育に近いと言えるでしょう。そうした営みがもっとも純粋な形で、第三者を介さずにしているのが、臨床心理士の相談室ということになります。

自分の相談室を持つことは、私たちが若い頃は一種の憧れでもありました。ところがスクールカウンセラーなどのアウトリーチ(出前)の仕事が脚光を浴びるようになって、個人の相談室はマイナー?な存在になってきました。昔はユングの「密封された容器」だったのが、今や「密室型心理臨床」などとネガティブな表現をされることもあります。この本でも鎗玉に挙げられていますが、個人心理療法からコミュニティアプローチへの脱却にこそ、臨床心理学の未来があると力説するような御仁もおいでです。でも自分ひとりの店で客を満足させられないような料理人が、チェーン店のコンサルタントになったらどうなんでしょうか。その店のスタッフも、お客さんもいい迷惑なんじゃないでしょうか。

話は横道に逸れますが、この業界には実に色々な人がいて、それぞれに論文を書いたり学会に出てきたりしています。でも私の場合、その人の言っていることを信用するかどうかは、自分の家族やクライエントを紹介する気になるかどうかです。あともう一つ言うと、自分の主張に自信は持っていて欲しいけど、でもそれと同時にその主張が「いくつもある意見のうちの、一つ」という感覚も持っていて欲しいです。だから唯一無二、みたいな雰囲気が漂っていると、ちと怪しんでしまいます。

さて個人の相談室は、言ってみれば料理人がひとりでやっているレストランのようなものです。材料を仕入れて、料理もデザートも飲み物もこしらえて、給仕も会計もする。お客も少ないだろうし、出せる物も限られることでしょう。お客がドアを開けてから、閉める時まで、、その全てに彼の料理人のあり方が映し出されることになります。だから自分の「仕事場」である相談室について語るとなれば、成田善弘先生のおっしゃる「根性丸出し」になってしまうのです。同業者の私には、とても面白く読める本でした。

(開業臨床心理士の仕事場/渡辺雄三他編 金剛出版)
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2013年12月22日

落語の国の精神分析

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書店に行ったら、見つけることができませんでした。店員さんに調べてもらったら、精神医学や精神分析のコーナーではなくて、落語のコーナーに置いてありました。買い求めて読んで見ると、それは象徴的な出来事のように思いました。著者は精神分析を語っているのではなくて、落語を語っているのですから。

著者は精神分析医ですが、談志に心酔して自分でも高座に上がるほどの落語好き。私も落語は好きな方で、よく聞いてきました。地方に住んでいるとなかなか寄席には行けませんが、上京して時間があるとのぞいてみます。あるいはCDで、YouTubeで。やはり志ん生、金原亭馬生、志ん朝の親子が中心でしょうか。四代目の柳好(三代目はいけません)なども、とぼけた味わいが好きですね。談志は芸の良し悪し以前に、あの挑戦的な姿勢がどうも苦手で……。

古典落語の代表的なネタを取り上げていて、とても面白く読める「落語の」本です。でもこれらのネタの通奏低音のように流れている、「貧乏」とか「イキ」とか「見栄」なども、掘り下げて欲しかったような気もします。

それにしても藤山先生がこんなにあちこちに物を置き忘れたり、捜し物に明け暮れている人だとは、知りませんでした。これでは生きて行くのが、大変です。妻にそのくだりを見せたのですが……。

「ホレ、俺よりもヒドイよ、この人。これでもトーダイの医学部を出て、国際精神分析協会の資格を持ってる、数少ない先生なんだから」

「そうかな……。やってることは、まあ、似たようなもんじゃないの?」

お後がよろしいようで……。
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2013年09月15日

まんがサイコセラピーのお話

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原題は Couchi Ficotion で、カウチとは精神分析で使う寝椅子のことです。この本は精神分析的心理療法のプロセスを、マンガで伝えようとする試みです。盗癖に悩む弁護士のジェイムズは、中年女性のセラピストのパットを訪ねました。著者の日本語版へのあとがきには「心理療法がうまくいくにはその過程において、クライエントは四つの主な領域で作業をする必要がある。関係性(筆者注;セラピストと関係を築くこと)、自分を物語ること、自分を観察すること、そして、新しく学ぶこと、である」とありますが、ジェイムズはパットの助けを借りてその作業をやり遂げて、無事に終結を迎えました。

私の見方ですが、パットの心理療法の進め方は少々せっかちなように思います。また催眠の暗示を使ったり、感情表現のリストを見せたり、プロセス・シートを渡したり、多分に心理教育的なアプローチを含んでいます。そこには認知行動療法の影響が、あるように思います。

転移の扱い方が、治療関係を足がかりにしていないことも、特徴的だと思いました。これは私の見方ですが、ジェイムズには両親の延長物として扱われてきた歴史があり、両親との関係性を再演してセッションで良い子になって、パットを理想化していきます。でも解釈が「力関係の不均衡を空想の中で調整している」という、弁護士とセラピストの現実の違いに帰着していて、クライエントの過去をスルーしているのはちょっと表層的な印象を受けてしまいます。こんな感想を、仲間とああでもないこうでもないと言い合うには、恰好の素材だと思います。

パットの同業者?として気になるのは、おそらくは独身の女性が自宅のアパートで開業するのは、怖くないのかということです。イギリスでは自宅開業が多いのですが、どんな人が来るかわかりません。一人暮らしとなると暴力を振るわれたり、ストーカーのように訪問や電話をされたりという可能性もゼロではないので、大丈夫かなと。もしかしたら紹介者がある人だけに、限っているのかもしれません。あと面接室にかかっている絵が、セラピーの状況を象徴的に示しているのが、面白かったです。

まんが サイコセラピーのお話 物語:フィリッパ・ペリー 絵:ジュンコ・グラート あとがき:アンドリュー・サミュエルズ 
監訳:鈴木龍 金剛出版 2013年発行
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2012年11月29日

臨床におけるナルシシズム

symington.jpg久しぶりに、精神分析の本をじっくりと読みました。著者のシミントンはフェアバーン、ウィニコット、ビオンらの対象関係論の流れをくむ英国出身の精神分析家ですが、オーストラリアに招かれて精神分析協会の会長も務めている方です。
買ってから積ん読状態だったのは、トルストイの「アンナカレーニナ」を題材にしているので、そちらを読んでからにして欲しいとあったからです。実際には関連した部分についてあらすじも記されているので、長大なアンナカレーニナは読まなくても理解できると思います。
著者の言う「ライフ・ギバー」はウィニコットの移行対象とどう違うのか、著者のナルシシズムの理解とフェアバーンのスキゾイドとの関係など、もっと丁寧に書いてくれたら良いのにと思う部分もありました。自己愛の病理について、臨床経験に基づいた深い洞察が散りばめられています。
(臨床におけるナルシシズム ―新たな理論 ネヴィル・シミントン 成田善弘監訳 北村婦美・北村隆人訳 創元社)
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2011年03月01日

山上敏子の行動療法講義with東大・下山研究室

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京都の研修会で、本屋さんの出店が出ていました。レコードには「ジャケ買い」というのがあるのですが、そんな感じでした。ほのぼのしたイラストに惹かれて、手に取りました。もし書棚に入っていて背表紙を見ていたなら、「東大」だけで敬遠したでしょう。私は行動療法を志したことはないし、山上敏子先生についてはほとんど存じ上げていませんでした。たまにはちょっと違う分野ものぞいてみるか、そんな感じで買い求めました。

帰りの新幹線の中で読んだのですが、ひとつひとつ、染み入ってくるような言葉がつづられていました。「うん、そうそう」と思いつつ、いつの間にか車内で読みきってしまいました。特にこれから臨床を目指す人には、よき指南書になると思います。それは行動療法を志す人に限らず、あるいは心理療法を志す人に限らず、です。マニュアル的な記述はないので、試験の役には立ちませんが、臨床という営みの本質についてこれほど分りやすく解き明かしてくれる書物はないような気がします。
(山上敏子の行動療法講義with東大・下山研究室 金剛出版)
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2010年11月03日

精神分析セミナー / 小此木啓吾 他

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精神分析を学んでみたいけど、何から読んだらよいのか見当がつかないという人は、案外多いのではないでしょうか。フロイトの「精神分析入門」から読み始める方もいらっしゃるでしょうが(私もそうでした)、これは全く入門書ではなくて読みづらいものです。フロイトを無視するわけにはいかないけれど、フロイトから読み始めるとえらい目に遭います。

「精神分析セミナー」は小此木先生をはじめとする、慶応の先生方が講義をされた記録です。5巻にわたっているので、それなりのボリュームはありますが、話し言葉で記されているので読みやすいです。惜しむらくは出版から30年を経ていることもあって、古めかしい印象は否めません。また当然かもしれませんが、理論的には自我心理学によっています。対象関係論や自己心理学は、ほとんど触れられていません。

岩崎学術出版社は心理療法、とくに精神分析に関する書籍を多数出版していますが、「品切れ」や「絶版」が非常に少ないところです。「岩崎の本は高い」と言う人もいますが、私は高いとは思いません。在庫を抱えておくコストというものは、ばかにならないものです。初版でお終いになってしまって、欲しい本が手に入らないことも多い昨今ですが、30年前の本が新品ですぐ手に入るのは驚くべきことです。今日は文化の日ですが、彼らこそ勲章ものだと思うのです。

精神分析セミナー T精神療法の基礎/U精神分析の治療機序/Vフロイトの治療技法論/Wフロイトの精神病理学理論/X発達とライフスタイルの観点 (岩崎学術出版社)
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2010年05月30日

姿勢のふしぎ

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臨床心理士の間でも、臨床動作法について誤解をしている人は少なくありません。「特殊な動かし方をすると脳が活性化される」とか、「催眠の一種」とか、果ては「スキンシップ」だとか……。まだ歴史が浅いこと、起源が肢体不自由児の訓練であったこと、言葉を媒介にしないこと、はたまた援助のためにクライエントに手を当てることなど、色モノ扱いされる要素が多いのかもしれません。

心理学やカウンセリングを志すのは、学校の教科で言えば国語が好きで数学は苦手、そして体育の嫌いな人が多い……は私の偏見でしょうか。「理解」や「自由」が「人間的」で価値があって、「訓練」や「課題」は「非人間的」であるから嫌い、と考えがちのように思います。私も若い頃は、そんな考えを持っていましたが、結局は役に立つかどうかだと思います。

本書は創始者である成瀬悟策先生が、動作訓練の始まりから臨床動作法への発展の過程を主軸に据えて執筆されています。入手しやすい新書なので、臨床動作法の考え方を理解したい方には恰好の入門書と言えます。
(姿勢のふしぎ 成瀬悟策著 講談社ブルーバックス)
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2009年11月19日

臨床精神医学の方法

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 「甘えの構造」で知られる土居健郎先生の、最後の論文集です。晩年は闘病生活を送られていたはずですが、相変わらずの本質をわしづかみにするような切れ味に魅了されてしまいます。たとえば、

 「しかし精神医学が自然科学だけではたして用が足りるのか。自然科学がいけないのではない。ただ、自然科学的に実証できないものは客観性が保証されないとする自然科学的世界観、言い換えれば、自然科学の方法こそが唯一確実な真理探究の道であるという世界観が問題である。(中略)なるほどコトバは欺くこともあろう。しかし欺いていると認識するのもコトバによるのである」(第4章 コトバの問題 より)

 とあります。

 こうした鋭い論述の一方で、症例の報告では一精神科医としての臨床が語られています。もっとスマートな診療をなさっていたのかと思っていましたが、泥臭いうか、ドグマに縛られないアプローチをされていたようです。「結婚しろと猛烈にけしかけた」とか、「かなり本気で叱った」とか、まず読んでいて面白いです。
(臨床精神医学の方法 土居健郎著 岩崎学術出版社)
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2009年08月22日

カウンセリングの実際問題

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 1970年に出版されてから、読み継がれてきた河合隼雄先生の名著です。私は病院に勤めてから臨床心理学を学んだようなものですが、その頃のテキストです。いま記事を書こうとして、あちこち探してみたのですが見つかりません。それも何かの意味があろうかと思い、書いてみることにしました。

 河合先生は「自分はもともと高校教師だったから、高校生が読んでも分かるように本を書くことにしている」とおっしゃっていました。専門用語を並べて難しそうに書くよりも、簡素な言葉で本質を突く方がよほど難しいのです。そこをさらっとしてのけるところに、河合先生のすごさがあるように思います。

 この本は講義録なので、話し言葉なので書かれています。たとえば「親しい関係と、深い関係は違う」というくだりがあります。カウンセラーとクライエントは「親しい関係」ではなくて、「深い関係」を目指すべきだ、ということです。このように「実際問題」の知恵が散りばめられているので、カウンセリングを学び始めた人が、自分の考えを整理するにはうってつけの本です。
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2009年05月10日

精神療法の第一歩

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 初めてこの本を読んだのは、精神病院に勤めたばかりの頃でした。その病院では月に一度くらいの事務当直があった(というか、させられていた)のですが、時間を持て余すと医局に忍び込んで精神医学の雑誌をひろい読みしたり、お菓子を失敬したりしていました。そんな時に、診療新社という出版社から出ていた小さな本に目を通しました。その時は「第一歩にしては、ずいぶん面倒に書かれているな」と感じました。正直に言ってあまり良い印象は受けなかったし、成田善弘の名も記憶には残りませんでした。

 しかし数年後にこの本の著者であるとはつゆ知らず、先輩に誘われて成田先生の勉強会に出るようになりました。そして患者に共感して言葉と心の深みに降りていくような成田先生に、少しでも近づきたいと思うようになりました。多少なりとも治療の経験を積んでいたこともあって、今度は同じ本を読んでも、ポイントをつかんで平易に書かれていると感じました。スタンダードとして、折に触れて読み返す本になっていきました。

 ところで本書では治療の終結について、述べられていません。また「あとがき」もなく、少々唐突な閉じ方を感じていました。深読みに過ぎるかもしれませんが、成田先生にとっての「別れ」が、いったいどのような体験になっているのか、興味を感じていました。違う出版社から増補版が出たと聞いて、書店で手に取ってみましたが、精神療法の終結とあとがきの加筆はなかったと記憶しています。

 あとがきは本の成り立ちが述べられるだけではなく、読者への謝意や言い訳や惜別など、著者の感情が沁み出てくるところです。処女出版ならなおのこと、つのる想いがあったかもしれませんが、それを抑えたところに成田先生のダンディズムを感じ取るべきかもしれません。(新訂増補 精神療法の第一歩 成田善弘著 金剛出版)

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2009年04月11日

現代臨床心理学

 今や「心理学」はおろか、「臨床心理学」もその全体を俯瞰した上で考察を述べるのは難しくなってきました。ほとんどの教科書が一人の著者によらず、編集ものになっているのが、その何よりの証拠と言えるかもしれません。それそれだからこそ、一人の著者による論述は光を増していきます。

 本書は Sheldon J. Korchin(1921〜1989)による、Modern Clinical Psychology (Basic Books,Inc.,New York,1976)の全訳です。1980年に出版されたこの本は絶版になっていますが、古書では手に入るので、臨床心理学を学ぼうとする方にはぜひ目を通していただきたいテキストです。本文だけで800ページにわたりますが、著者が公平に、原点に立ち戻って、さまざまな理論やアセスメントと介入の技法について論じています。と言って四角四面ではなく、ユーモアも感じさせてくれます。

 少し長くなりますが、訳書に寄せられた著者のメッセージの一部を引用します。

 私はあなた方、日本の同学の方々が日本人の生活と人生の現実に照らして、本書に示された概念の価値を検討されるよう願っている。合衆国に生まれ育った考え方である、心理力動的な心理療法、臨床的アセスメント、行動療法、あるいは地域社会介入といった諸概念が、日本の患者を援助する上で、どの程度、またどんな形で役立つであろうか? 森田とか内観療法は、上記の概念的な述語を用いて理解できるものであろうか、それとも別個の独自な理論が必要であろうか? とりわけ、日本人のクライエントにとって一番助けになりそうなのは、どのような介入であろうか? 遙か海のかなたから、私は大きな関心と興味をもって見守りたいと思う。しかしこれらの疑問に対して答えを出すのは、あくまでもあなた方である。

 そう言われると、耳が痛くなる人も多いのではないでしょうか。私だって、もちろん痛いです。コーチン先生は今や海のかなたではなく、天上からポーカーでもしながら(クラブに入っていたようです)見守っているでしょうが、「まだまだだねー」と苦笑いしているかもしれません。
(S.J.コーチン著、村瀬孝監訳、弘文堂)
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2009年03月22日

積極的心理療法

intensive.jpg フリーダ・フロム・ライヒマン(1889〜1957)は、大陸からアメリカに渡った精神分析医です。いわゆるネオ・フロイディアンで、H.S.サリバンに連なる対人関係学派です。ちなみに夫であったエーリッヒ・フロムもやはり精神分析家で、「自由からの逃走」の著書で広く知られています。
 フロム・ライヒマンでよく引き合いに出されるのが「統合失調症を作る母親」と言う概念で、現在では否定的に語られていますが、英国の対象関係論と同じように環境としての母親の機能を重視していたことがうかがわれます。また精神病者も神経症者も、いわゆる健常者も、病理の量的な差があるだけで質的な差はないとも言っており、やはり対象関係論のスキゾイド概念と近いものがあります。
 原著は1950年の出版ですから、半世紀以上の時を経て、なお読み継がれていることになります。邦題ではintensiveが「積極的」と訳されていますが、一般的には「探索的」ですね。薬物療法がない時代の心理療法の実践記録としても、貴重なものです。治療関係をどのように作り、役立てていくのか、私にとっては良い教科書でした。
(フリーダ・フロム・ライヒマン著、阪本健二訳、誠信書房)
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