2021年01月25日

さあ、クラシックを聴こう

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10代の頃から音楽が好きで、周りの人たちの多くがフォークソングを愛好していたのに、ロック、とりわけプログレと呼ばれる分野の作品が好きでした。大学生になった頃にはパンクが流行り、とてもこれにはついて行けないと、フュージョンから入ってジャズを聴くようになりました。どっぷりとジャズに浸かること、40年です。その間、音楽を聴く道具としてオーディオにもこだわってきました。とは言え、ときおり買う雑誌はハイエンド製品で紙面が埋まった「Stereo Sound」や自作マニア向けの「無線と実験」ではなくて、音楽ファン向け?の「ステレオ」誌がせいぜいです。まあ、その「ステレオ」誌にも、価格のゼロがひとつふたつ違うんじゃないかと思うような代物が掲載されることがあって、オーディオ人口の減少と所得格差の拡大を感じざるを得ません。

ここ数年はジャズも聴くけれど、クラシック音楽も聴くようになっています。以前は譜面通りに演奏する音楽は退屈ではないかと思っていたのですが、トシを取ったのでしょうか。宗旨替えをしたわけでもなくて、楽しみの幅が広がった感じです。私の場合、いちばん最初にのめり込んだのはグレン・グールド(p)が弾くバッハの「ゴールドベルク協奏曲」でした。自由気まま?でのけぞるようなスピード感もあって、これはもうジャズではないかと思いました。

いまのコロナ禍での、私たちの心情に寄りそってくれるのが、バッハの音楽ではないかとも感じます。バッハが生きた時代は、疫病や死があちこちにありました。バッハ自身も最初の妻を亡くしているし、二人の妻の間にもうけた子どもたち20人(!)のうち、成人したのは9人でした。晩年はインチキ医者に乗せられて眼の手術をしたのですが、それがもとで亡くなっています。「この頃は葬式が少なくて、収入が減ってしまった」などと、こぼしてもいたようです。サバイバルしていたバッハから、勇気をもらいましょうか。

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2020年09月18日

サブスクの反対側にあるもの

「無料体験」に引きずられて、密林のサブスクというか、サブスクの密林というか、ほぼ独占事業化しつつありそうな、某社の聴き放題サービスに申し込んでみました。私がつないだのは、毎月CD1枚分くらいの料金で、CDなみあるいはそれ以上(いわゆるハイレゾ)の音質で6500万曲のコレクションが聴き放題というプランです。Windows10のPCにプレイヤーのアプリをダウンロードして、USB経由でDACに、そしてアンプからスピーカーにと、という経路です。

はっきり言って、音質は良くないです。何となくキレイなんだけど、ベールがかかっていてツルンとした、のっぺりしたような音です。同じアルバムをCDと聴き比べてみるまでもなく、雑食性の私の耳でも分かります。サンプリング周波数がどうとか、16ビットがどうとか、そんなデジタルのスペック以前のレベルだと感じました。もちろんパソコンはノイズの巣だし、USBなんていい加減な転送なので、オーディオ用のネットワークプレイヤーを使えば確実に音質は良くなるのでしょうが、この深い溝を超えることができるのか? かなり怪しいです。それと曲の表示がロックやジャズはともかく、クラシックは曲名が英語だと長くなって枠の中に収まらず、選曲しづらいです。

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食通で知られた開口健は、「自腹を切らないと料理の味は分からない」と書いていました。そんな言葉を思い出します。聴いてみたいアルバムを、自腹を切って手に入れる。自腹は切るけど、なるべくなら安く。手に入れたからには、モトを取るのに聴きこむ。一枚のCDを、レコードを、良い音で演奏するためには、装置にもこだわる。聴いてみてつまらないのは、時間がもったいないからお蔵入り。作品鑑賞とは高雅なはずなのに?、「お金」と「時間」にこだわる下世話な性分が、集中を生むような気もします。

サブスクの恩恵で、いままでなかなか手の届かなかった音楽も聴いています。聴いてはみたいけど、わざわざ買うのかなという、そういうアルバムですかね。サブスクを入れたらいつも満腹気味になってしまって、かえって聴かなくなるんじゃないか、そんな気もしてきます。
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2019年04月23日

松下幸之助の呪縛

私の世代でオーディオに親しんでいた人たちは、「あの」パイオニアがつぶれて身売りするなんて、若い頃はまったく想像もつかなかったことだと思います。若者たちの多くは音楽に夢中になっていたし、音楽を聴くにはオーディオ装置は必需品でした。いまや絶対数の減った若者たちはゲームやSNSに夢中になり、彼らが音楽を聴としても手が伸びるのはパソコンやスマートフォンです。

私の仕事場には、オーディオ装置が置いてあります。事務仕事をしながら聴いたり、家族がテレビをつけているときに聴いたりするのに、重宝なのです。10年ほど使っていたCDプレーヤーを、最近になって入れ替えました。いまや中堅機種はSACDプレーヤーばかりですが、CDを聴くとなると、読み込みが遅くて音も悪いSACDプレーヤーは買う気がしませんでした。と言うことで導入したのが、パイオニアのPD−30AEです。ネットでなんと23,000円ちょいでした

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ところが音を聴いてみたら、びっくり仰天。前に使っていたのはマニアの間でも定評のある機種だったのですが、はるかに良い音がします。それもパイオニアらしい明るく透明感のある音で、私が初めて買ったCDプレーヤーの同社製、PD−2000(バブル期ならではの物量投入機で、10万円近くしました)をも、軽々と凌駕しています。本体のスイッチこそペコンとした押し心地ですが、見た目も安っぽくはありません。

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このPD−2000は懐かしいです。しっとりとした品のある音で、ディスクトレイが開くと「Dedicate to a true music lover」と小さな金文字が見えたりして、音楽を聴く道具として完成されていました。それから30年、値段は4分の1に、パフォーマンスは4倍に、でしょうか。技術者の意地を見せてもらったような気もしますが、「これだからダメなんだよなあ」と思ってもしまいます。「より良い物を、より安く作って、沢山の人に使ってもらう」という松下幸之助さんの教えは、人口増加の時代には良かったでしょうが、人口減少の時代にあっては企業の首を絞める呪縛になっているような気がします。

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2018年05月01日

アナログLPは音が良い?

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4月末の連休は、毎年恒例で「廃盤セール」があります。これが盛岡近辺に住んでいる音楽ファンにとっては結構な楽しみになっていって、私も今年は出かけることができました。嫌がる福沢さんを財布に押し込んで、会場のサンビルでこの看板にウェルカムされたらアドレナリン大放出です。昨今のアナログ人気でフロアは若い人でムンムン……のわけはなく、通称「エサ箱」の段ボールに詰め込まれたLPを好きなようにチェックできました。今回のお宝はレッド・ミッチェル(b)がリーダーで吹き込んでいる、ボボ・ステンソン(p)1969年の録音です。ボボ・ステンソンはスウェーデンの人で、1970年代に入ってECMの吹き込みで有名になりました。再発を待ち望んだファンも多かった(ホントかよ)幻の名盤ですが、千円台でゲット。このジャケットじゃ、いくら内容が良くても売れないと思うんですが……。

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オーディオファンの中には、「デジタル音源のCDよりも、アナログLPの方が音が良い」と言う人がいます。そしてアナログ関連機器も、いったいだれが買うんだろうと思うような高価な新製品が出てきます。カートリッジ1個、トーンアーム1本で数十万円、ターンテーブル本体は数百万円、フォノイコライザーも百万二百万は当たり前で、「レコードプレーヤー」一台で家一軒が建ちそうなのは、凄いもんだと思います。そうかと思えば、数十年前のトーレンスやガラードに優るものはないと断言する御仁もいて、実際にそう思わざるを得ないようなガッツのある音を聴いてしまうと、わけの分からない世界だと感じます。

アナログレコードは、針で溝をこすることで一種の付帯音がプラスされるようです。それが音の温かみや迫力、空間の臨場感として感知されるのではないでしょうか。そしてカートリッジやターンテーブルシートなどのアクセサリーの選択、アームの調整などで音が変わっていくので、それを詰めていく楽しみがアナログにはあります。それに対してCDはダイナミックレンジ(音の大小)が広くて、ノイズも少なく、傷やホコリなどの物理的なダメージからのノイズもありません。私はそれぞれの良さがあると思っていて、いまのところクラシックの録音をわざわざLPで買うことはありません。楽章ごとにひっくり返す手間もないし、時間が表示されるのも便利です。

それにしてもCDが生まれて市場を席捲していった1980年代には、2018年になってもLPプレーヤーが作られていることを想像した人はいなかったと思います。「もう聴けなくなるから」とLPを処分して、CDに乗り換えていく人たちが沢山いました。ローテクにも良いところがあると言うべきか、デジタルでは割り切れない何かが人間にはあると言うべきか、アナログの長命ぶりにはびっくりです。
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2017年12月25日

鳴り始めるまで

興味のない人にはどうでも良いことですが、いまのオーディオ業界の主役は「ハイレゾ」機器のようです。ハイレゾ(ハイ・レゾリューション)は従来のCDよりもサンプリングの周波数を上げてビットも細かくしたデジタル音源のことで、高解像度で再生周波数帯域が広い……そうです。ハイレゾに力を入れているソニーのサイトなんかを見ると、もう大変な差があるような書きっぷりです。ハイレゾじゃないと聴き洩らしている情報があるようなことを言われると、音楽ファンとしては損をしているような気になります。だけど、ホントにそんな差があるの? と思う人もいるでしょうね。

個人的にはハイレゾにするかどうかなんてことは、どうでも良いのです。オーディオにはもっとすることが沢山あって、むしろそっちのファクターの方が厖大です。ハイレゾは音の入り口だけど、実は出口であるスピーカーの選択とセッティングで音はほぼ決まります。その他には通り道のアンプや、土台とも言える電源もありますが、結局は部屋の大きさと造りという環境に大きく左右されてしまいます。でも「部屋」はお金が莫大にかかるし、技術的にも難しいようです。単純に「防音室の音が良い」、というのは幻想みたいですね。そういう難題は避けて通って、お手軽で楽しい「買い物」とか「調整」や「工作」に熱中するのが、平均的なオーディオマニアなのでしょう。私だってその一人なのかもしれないので、大きなことは言えませんが……。

ここではそんな、音が良いのか良くないのかという話ではありません。音楽を聴くときの「手間」の話です。ハイレゾを聴くとなれば「盤」だとSACDプレーヤーを、ダウンロードだとパソコンを操作することになります。私はSACDプレーヤーは持っていないのですが、ごくたまにオーディオ店でSACDプレーヤーに触ることがあります。自分が持ち込んだCDをかけるのですが、その読み込みがじれったくなるほど遅いのです。いつまでも再生が始まらないので、操作を間違えたと思い込んで、また余計な操作をしてしまったりします。「コレはオーディオじゃなくて、コンピュータなんだ」と思いこめば、「立ち上がり」を待つこともできるのでしょう。でも「LPに針を落としてアンプのボリュームを上げる時間」や「カセットのリーディングテープが終わる時間」や、「CDが鳴り始めるまでの時間」になじんできた者にとっては、時間感覚が合わないのだと思います。

そうかと言って、リッピングしたCDをパソコンで再生するときの「手間」も、あんまり好きになれないんですね。これは画面上のリストから選んで、あるいは検索をかけて、クリックすれば音が出てきます。LPレコードやCDなどの「モノ」を、ラックから選ぶ手間がありません。それこそが「便利」なはずなんだけど、どうも味気なく感じてしまうのです。パソコンのデータはどれもこれも同じようにツルンと表示されていて、「モノ」についている傷や汚れやカビもなくて、クリーニングする必要もありません。さらには「これは〇〇で、いくらで買ったんだっけ」なんて思い出すこともない。

そして避けたいと思うのは、たとえばSACDやハイレゾデータを買うようになると、そっちの方を聴きたくなるのが人情というものでしょう。どうかすると音楽として良いかどうか、好きかどうかの判断も、ハイレゾかどうかに影響されるかもしれません。

「鳴り始めるまでの時間」は、音に向き合うまでの儀式なのかもしれません。音楽が好きな方はCDをコンサート会場や旅先の中古盤屋でお買いになると、その儀式がより豊かに彩られるのではないでしょうか。友だちや家族からもらうのも、良いですよね。
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2015年11月18日

低音さえ欲張らなければ……

オーディオショップに顔を出したら、あらなつかしやJBL4430からポール・デスモンドのサックスが流れていました。4430は30年以上も昔に発売された、こんなスピーカーです。

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冷蔵庫サイズの大型システムで、低音を受け持つウーファーは15インチ(38cm)、中高音を受け持つのはバイラジアルホーンの2ウェイです。私はJBLはあまり好みではありませんが、それでも4ウェイのスタジオモニターとかよりはこちらの方を好ましく感じていました。

でも試聴している店主氏と三人のお客の関心はスピーカーではなくて、電源ケーブルのようでした。ケーブルをこっちに換えたり、あっちに換えたりして何だかんだと言っています。これは電線病と言われる、世にも恐ろしいビョーキの世界です。まあそれは置いといて、ともかく低音が出過ぎなんですよ、私の基準からしたら。パーシー・ヒースのベースがぼわんとふくらんで、反応が鈍い。「さすがJBLの大型スピーカーだね、この低音はシビレルよ!」とか言う人がいても、もちろんそれはアリなんだけど、私はタダでくれてやると言われてもノーサンキューです。

オーディオ店主氏は「下の方が30Hzくらいまで伸びていないと、オーケストラの再生はつまらない」と言います。ホールトーンをしっかり出そうとすると、そうなのかもしれません。でも低音の再生周波数と量感、質感を満たそうとするとハードルがものすごく高くなります。15インチ口径のウーファーを使うなら、波長の長い低音を飽和させないために、部屋の広さは20畳以上は必要でしょう。造作だって並のものでは、壁や床が共振します。

安直に低域のレンジを広げるとか、量感をアップさせるというなら、スーパーウーファーという手もあります。映画をド迫力で楽しんだりするのなら良いのでしょうが、音楽を聴くとなるとこれまた泥沼の世界らしく、結局は使わなくなってしまう人がほとんどのようです。私もかつて安直に低音を稼ごうとして、スーパーウーファーを使ってみたことがありますが、やはり使わなくなって処分してしまいました。

「原音再生」をあきらめて、低音のレンジを欲張らなければうんと楽になります。70Hzまで出ていれば、まず良しとしましょう。そうすればコンパクトなブックシェルフタイプのスピーカーで、反応の良い低音を楽しむことができます。ニア・フィールド・リスニングと言うらしいですが、要するにかぶりつきです。スピーカーはスタンドに載せて、後ろの壁から30〜40cmは開けます。左右のスピーカーとリスナーの顔が、それぞれ正三角形の角になるようにします。スピーカーは糸を張ったりレーザー墨付き機を使ったりして、厳密にセッティングします。ちょっと姿勢を変えただけで音が変わったりもしますが、ピッタリはまればスピーカーの存在が消えて、音源がピンポイントで定位する桃源郷に浸ることができます。これまた、ビョーキでしょうかね。
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2013年06月18日

オーディオ黄金時代

 斜陽産業と言われて久しいオーディオですが、中高年の音楽好きには根強い人気があります。実際にオーディオショップに出入りしているのは、私を含めてオジサンばっかりです。私は女の人の方が耳が良いと思うのですが、女性を見かけることはまずありません。彼女たちは「こっちの方が音がいいわね。でも、何でそんなことにお金を使うの?」と、音へのこだわりがないのです。アンプやCDプレーヤーの高級機を作っているアキュフェーズはデザインが統一されていて、こっそり買い換えても奥方に悟られないのが人気の秘密だという話まであります。

 それはさておき。1970年代〜80年代のオーディオ黄金時代を知っている人は、嘆くことしきりです。たしかにサンスイやナカミチなどの専業メーカーは倒産し、大手家電メーカーもオーディオからは撤退して、マニア向けの高額商品、それも輸入品が多くなってしまいました。カネとヒマのある団塊の世代がいなくなれば、もう業界は終わるだろうと言う人までいます。買う人がいなくなれば、作る人や直す人もいなくなり、部品も手に入らなくなります。

 でも私はオーディオが本来あるべき姿である、趣味に戻ったような気もするのです。「黄金時代」には同じような3ウェイスピーカーが59,800円で何十機種も発売されたり、6畳間に業務用の大型スタジオモニタースピーカーを置く人もいたりで、趣味というよりは家具を買い揃えるような感覚でした。当時は「C/P」なる記号が幅を利かせていて、これはコスト・パフォーマンス、つまりは払ったカネに対して出てくるオトが高級だという意味です。カリスマ的な評論家の長岡鉄男さんが「ウルトラ・ハイ・コスト・パフォーマンス」などと書けば、みんながその製品にわっと飛びつくような雰囲気がありました。良い音を望んでいる人もいたのでしょうが、良いキカイを持つことに満足する人の方が多かったように思います。

 当時はオーディオの基本セットみたいなのがあって、アナログ・プレーヤー、チューナー、アンプ、スピーカー、それにデッキ(オープンリールからカセットに移行)で給料の2〜3ヶ月分くらいでしょうか。80年代になって、CDがアナログLPに取って代わるようになりました。でも今はもっと、自由な聴き方を楽しめるようになりました。大きな音を出せない人は、昔よりもグンと音が良くなったヘッドホンとヘッドホンアンプで、非常に質の高い音を楽しむことができます。USB入力のついたアンプ内蔵スピーカーなら、あとはパソコンがあればOKです。私はアナログLPやCDを再生する、昔風の聴き方をしていますが、それもまた良しです。真空管はまだ製造されているので、真空管アンプを買ったり作ったりできます。インターネットのおかげで、オークションで珍品を手に入れたり、ガレージメーカーの製品を買うこともできます。何より今の製品はおしなべて優秀で、昔よりも安く、良い音を手に入れることができます。それぞれが好きなように楽しめる今こそが、オーディオの黄金時代なのかもしれません。
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2012年12月24日

オリジナル盤の魔力

先日、一関のベイシーにおじゃましました。ベイシーと言えば「日本一音の良いジャズ喫茶」として、つとに有名なお店です。建物は土蔵作りで壁が不要な振動をしない上に、空気の容積がたっぷりあります。そこで菅原マスターが心血を注いで調整を重ねたオーディオ装置が、すさまじい音を浴びせてくれます。うちのオーディオが傘をさせばぬれないで歩けるくらいの雨だとしたら、ベイシーの雨は情け容赦なくずぶ濡れになるようなスコールです。

これはわが家でボリュームを上げたところで、ダメなんです。さっき計算してみたら、ウーハーの振動板の面積がわが家の13.8倍もあります。かりに同じスピードで走っても、原付バイクとナナハンでは全然違いますからね。ベイシーの音は、生演奏で聴けるような音ではありません。オーディオ的にバランスが取れている、優等生的な音でもないでしょう。でもマスターの耳に照らして、絶対に正解の音。「ベイシー音」としか言えないような世界が、そこにはあるのです。

さて、それはそれとして。オリジナル盤のレコードコンサートと言うことで、マニア垂涎のミント状態のLPを聴かせていただきました。たとえば、リバーサイドのケニー・ドリュー・トリオ。ドモコが遊んでるやつです。

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「え? こんなレコードだっけ?」

と言う声も聞こえましたが、うちで聴いている再発盤(ビクター)とはもう、次元が違うのです。再発盤が「さっさと演ってカネもらって、早く帰りてえよう」みたいなやる気なし演奏だとしたら、オリジナル盤は白眼むき出し汗だくだくの力演です。名盤と言われている割にはつまらないレコードだと思っていたのは、この差によるものだったのでしょうね。

このレコードは50年代の録音ですから、マスターテープは磁気の転写が進んで、再発盤を出した時にはもう相当にくたびれていたのかもしれません。まして今のCDとなると、いくらマスタリングでいじくっても、音の鮮度は取り戻せなません。マスタリングがどうの、CDの盤質がどうの、フォーマットがSACDかどうかなどは、すっかり赤黒くなったマグロをどう刺身にしようかというような話になってしまうのです。

あのオリジナル盤、いくらなんでしょうか? シミひとつないジャケットに、ノイズのない盤。見当がつきません。これまで「何万円もするオリジナル盤、そんなにイイのかな」と思ってきたのですが、のめりこむ人がいるのもわかりました。聴かなきゃ良かった……かも。
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2012年05月14日

生きているアナログ

新しい録音はCDでしか手には入らないけど、昔の録音を聴くならLPの方が好きです。場の雰囲気、あるいは空間が表現される、とでも言いましょうか。また片面20分ほどの再生時間や、大きなジャケットの魅力も捨てがたいものがあります。中古屋で「エサ箱」につまったLPを漁るのは音楽好きの楽しみなのですが、CDとなると「お宝」というよりも「中古品」の風情になってしまうのが不思議です。

CDが登場した30年前、アナログ盤も再生装置もすぐに消えていくだろうと言われていました。何と言ってもCDは手軽に聴くことができるし、チリや傷でパチパチと雑音が入ることもありません。私はCDが出た時には弱音部でもノイズが入らないし、収録時間も長いので、クラシックを聴く人はすぐにCDに切り替えるのではないかと思いました。私の周りでは「交換針がなくなるから、もう聴けなくなる」と、早々にLPを処分してしまった人もおりました。

ところがプレーヤーやカートリッジなどの製品は、さすがに機種が少なくなっているし、マニア向けの高価な製品も目につくようになっていますが、まだ生産されています。「LPよりもCDの方が音が良い」というのはCDが登場した時の触れ込みでしたが、オーディオ好きの人でこれを信じているいる人は、今やほとんどいないのではないでしょうか。LPは新しい録音や復刻版でのプレスも、細々とではありますが続いています。かたやCDは、ダウンロードサイトの競合で苦戦しています。CDよりも高度な規格のデータを求めるマニアも、多くなってきたそうです。どちらが生き残るのか、これは怪しくなってきました。
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2012年01月09日

映画館の音は良くなったか?

 お正月に映画を見に行かれた人も、多いと思います。
 トシを取ると良いこともあるもので、盛岡のとある映画館では、夫婦のどちらかが50歳以上だと二人で2000円で映画を観ることができます。たまには行くけど、でも映画館で映画を観ると疲れてしまいます。その理由のひとつが、シネコンは狭いのに大画面のため、かぶりつき状態になりがちなこと。もうひとつの理由は、音がすさまじいのです。

 もともと作品自体が爆発音などでびっくりさせるような演出がされているし、俳優の声もくっきりさせるように加工されています。それをサラウンドの7.1チャンネルで、上下左右からの大音量です。そして決定的なのが、音質が悪いのです。壁が共振したり、アンプがクリップしたり、スピーカーの性能が悪かったりで、歪んでしまっています。いわゆるステレオの2チャンネルですら位相を合わせるのは難しいのに、それが7.1チャンネルともなると、位相がめちゃくちゃになってしまうということもあるのでしょう(ちと、マニアックですね)。

 中高年を映画館に呼びたいのなら、もっと自然で優しい音にしてみては、どうでしょうか。
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2011年02月28日

アナウンス責め

26日の土曜日は京都で研修会があって、行ってきました。日帰りの強行軍とあって、せっかくの京都なのに家と会場の往復のみでした。

さて東京の地下鉄と、京都の地下鉄とどちらがウルサイか? イメージ的には京都は静かな印象があるかもしれませんが、いや社内アナウンスのすさまじいのにはびっくりしました。
発車すると「かけこみ乗車はお止めください。事故防止にご協力お願いします。次は○○です、エレベーターはホーム中ほどにあります。○○にご用の方はこちらでお降り下さい」と女声のアナウンス。男声で英語のアナウンス。さらに区間によっては車掌さんの「ご利用いただきまして……」から始まるアナウンス。あるいは「○○予備校は……」の宣伝アナウンス。次の駅が近づくと、「まもなく○○です。ドアは右側が開きます。手をはさまれないようにご注意ください」の女声アナウンス。

地下鉄とあって駅と駅の間が短いのに、のべつこの調子です。日頃から乗っている人は慣れて何とも思わなくなるのかもしれませんが、お上りさんにはきついものがありました。見ず知らずの土地なので、どうしてもアナウンスがあると聞き耳をたててしまいます。視覚は「見たくないものは、見ない」ことができますが、聴覚はそういうわけにいきません。車内放送に限らず、店内放送や公共の場に設置されたテレビでもそうですが、聞きたくないものを聞かないで済む権利というものがあって良いのではないかと思います。
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2010年11月16日

給食の音

 キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンとのデュオ「ジャスミン」が、最近のお気に入りです。慢性疲労症候群からの回復中に録音したとかで、しみじみと沁みる演奏ですが、自筆のライナー・ノートに「良い装置で聴いて欲しい」との一節がありました。こんな注文をミュージシャンがつけたくなるほど、今のオーディオが貧しいものになっているということでしょう。

 「オーディオに凝るミュージシャンは少ない」とはよく言われていることで、むしろリスナーの方がスピーカーがどうの、アンプがどうのとやってきたようです。音楽を演奏しない人がレコードを演奏して、代償的な満足を得るということもあるのでしょう。でもそういったことをするのは、ごく一部の人に限られてきました。

 ご存じの通り、今はネットでダウンロードして携帯オーディオで聴く人が増えていて、CDショップがつぶれる時代です。配信されたファイルは、どの機材で聴いても同じようなもので、「演奏する」余地はないのです。イヤフォンによって音が違う、などということもあるでしょうが、それにしても変化の幅がありません。デジタル技術による音の均一化が、1980年代にCDが登場してから加速度的に進んで来たのです。

 インターネットからダウンロードしたり、CDから取り込んだ圧縮音源は、栄養を満たすために同じ料理を同じ食器で食べる、給食のような音です。給食が行き渡って、手料理を食べない人が増えるのは、どうもいただけません。食べる人の喜ぶ顔が見たくて美味しい料理を作るように、音楽を楽しむために手間をかけても良いように思うのですが。
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