2015年11月18日

低音さえ欲張らなければ……

オーディオショップに顔を出したら、あらなつかしやJBL4430からポール・デスモンドのサックスが流れていました。4430は30年以上も昔に発売された、こんなスピーカーです。

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冷蔵庫サイズの大型システムで、低音を受け持つウーファーは15インチ(38cm)、中高音を受け持つのはバイラジアルホーンの2ウェイです。私はJBLはあまり好みではありませんが、それでも4ウェイのスタジオモニターとかよりはこちらの方を好ましく感じていました。

でも試聴している店主氏と三人のお客の関心はスピーカーではなくて、電源ケーブルのようでした。ケーブルをこっちに換えたり、あっちに換えたりして何だかんだと言っています。これは電線病と言われる、世にも恐ろしいビョーキの世界です。まあそれは置いといて、ともかく低音が出過ぎなんですよ、私の基準からしたら。パーシー・ヒースのベースがぼわんとふくらんで、反応が鈍い。「さすがJBLの大型スピーカーだね、この低音はシビレルよ!」とか言う人がいても、もちろんそれはアリなんだけど、私はタダでくれてやると言われてもノーサンキューです。

オーディオ店主氏は「下の方が30Hzくらいまで伸びていないと、オーケストラの再生はつまらない」と言います。ホールトーンをしっかり出そうとすると、そうなのかもしれません。でも低音の再生周波数と量感、質感を満たそうとするとハードルがものすごく高くなります。15インチ口径のウーファーを使うなら、波長の長い低音を飽和させないために、部屋の広さは20畳以上は必要でしょう。造作だって並のものでは、壁や床が共振します。

安直に低域のレンジを広げるとか、量感をアップさせるというなら、スーパーウーファーという手もあります。映画をド迫力で楽しんだりするのなら良いのでしょうが、音楽を聴くとなるとこれまた泥沼の世界らしく、結局は使わなくなってしまう人がほとんどのようです。私もかつて安直に低音を稼ごうとして、スーパーウーファーを使ってみたことがありますが、やはり使わなくなって処分してしまいました。

「原音再生」をあきらめて、低音のレンジを欲張らなければうんと楽になります。70Hzまで出ていれば、まず良しとしましょう。そうすればコンパクトなブックシェルフタイプのスピーカーで、反応の良い低音を楽しむことができます。ニア・フィールド・リスニングと言うらしいですが、要するにかぶりつきです。スピーカーはスタンドに載せて、後ろの壁から30〜40cmは開けます。左右のスピーカーとリスナーの顔が、それぞれ正三角形の角になるようにします。スピーカーは糸を張ったりレーザー墨付き機を使ったりして、厳密にセッティングします。ちょっと姿勢を変えただけで音が変わったりもしますが、ピッタリはまればスピーカーの存在が消えて、音源がピンポイントで定位する桃源郷に浸ることができます。これまた、ビョーキでしょうかね。
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2013年06月18日

オーディオ黄金時代

 斜陽産業と言われて久しいオーディオですが、中高年の音楽好きには根強い人気があります。実際にオーディオショップに出入りしているのは、私を含めてオジサンばっかりです。私は女の人の方が耳が良いと思うのですが、女性を見かけることはまずありません。彼女たちは「こっちの方が音がいいわね。でも、何でそんなことにお金を使うの?」と、音へのこだわりがないのです。アンプやCDプレーヤーの高級機を作っているアキュフェーズはデザインが統一されていて、こっそり買い換えても奥方に悟られないのが人気の秘密だという話まであります。

 それはさておき。1970年代〜80年代のオーディオ黄金時代を知っている人は、嘆くことしきりです。たしかにサンスイやナカミチなどの専業メーカーは倒産し、大手家電メーカーもオーディオからは撤退して、マニア向けの高額商品、それも輸入品が多くなってしまいました。カネとヒマのある団塊の世代がいなくなれば、もう業界は終わるだろうと言う人までいます。買う人がいなくなれば、作る人や直す人もいなくなり、部品も手に入らなくなります。

 でも私はオーディオが本来あるべき姿である、趣味に戻ったような気もするのです。「黄金時代」には同じような3ウェイスピーカーが59,800円で何十機種も発売されたり、6畳間に業務用の大型スタジオモニタースピーカーを置く人もいたりで、趣味というよりは家具を買い揃えるような感覚でした。当時は「C/P」なる記号が幅を利かせていて、これはコスト・パフォーマンス、つまりは払ったカネに対して出てくるオトが高級だという意味です。カリスマ的な評論家の長岡鉄男さんが「ウルトラ・ハイ・コスト・パフォーマンス」などと書けば、みんながその製品にわっと飛びつくような雰囲気がありました。良い音を望んでいる人もいたのでしょうが、良いキカイを持つことに満足する人の方が多かったように思います。

 当時はオーディオの基本セットみたいなのがあって、アナログ・プレーヤー、チューナー、アンプ、スピーカー、それにデッキ(オープンリールからカセットに移行)で給料の2〜3ヶ月分くらいでしょうか。80年代になって、CDがアナログLPに取って代わるようになりました。でも今はもっと、自由な聴き方を楽しめるようになりました。大きな音を出せない人は、昔よりもグンと音が良くなったヘッドホンとヘッドホンアンプで、非常に質の高い音を楽しむことができます。USB入力のついたアンプ内蔵スピーカーなら、あとはパソコンがあればOKです。私はアナログLPやCDを再生する、昔風の聴き方をしていますが、それもまた良しです。真空管はまだ製造されているので、真空管アンプを買ったり作ったりできます。インターネットのおかげで、オークションで珍品を手に入れたり、ガレージメーカーの製品を買うこともできます。何より今の製品はおしなべて優秀で、昔よりも安く、良い音を手に入れることができます。それぞれが好きなように楽しめる今こそが、オーディオの黄金時代なのかもしれません。
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2012年12月24日

オリジナル盤の魔力

先日、一関のベイシーにおじゃましました。ベイシーと言えば「日本一音の良いジャズ喫茶」として、つとに有名なお店です。建物は土蔵作りで壁が不要な振動をしない上に、空気の容積がたっぷりあります。そこで菅原マスターが心血を注いで調整を重ねたオーディオ装置が、すさまじい音を浴びせてくれます。うちのオーディオが傘をさせばぬれないで歩けるくらいの雨だとしたら、ベイシーの雨は情け容赦なくずぶ濡れになるようなスコールです。

これはわが家でボリュームを上げたところで、ダメなんです。さっき計算してみたら、ウーハーの振動板の面積がわが家の13.8倍もあります。かりに同じスピードで走っても、原付バイクとナナハンでは全然違いますからね。ベイシーの音は、生演奏で聴けるような音ではありません。オーディオ的にバランスが取れている、優等生的な音でもないでしょう。でもマスターの耳に照らして、絶対に正解の音。「ベイシー音」としか言えないような世界が、そこにはあるのです。

さて、それはそれとして。オリジナル盤のレコードコンサートと言うことで、マニア垂涎のミント状態のLPを聴かせていただきました。たとえば、リバーサイドのケニー・ドリュー・トリオ。ドモコが遊んでるやつです。

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「え? こんなレコードだっけ?」

と言う声も聞こえましたが、うちで聴いている再発盤(ビクター)とはもう、次元が違うのです。再発盤が「さっさと演ってカネもらって、早く帰りてえよう」みたいなやる気なし演奏だとしたら、オリジナル盤は白眼むき出し汗だくだくの力演です。名盤と言われている割にはつまらないレコードだと思っていたのは、この差によるものだったのでしょうね。

このレコードは50年代の録音ですから、マスターテープは磁気の転写が進んで、再発盤を出した時にはもう相当にくたびれていたのかもしれません。まして今のCDとなると、いくらマスタリングでいじくっても、音の鮮度は取り戻せなません。マスタリングがどうの、CDの盤質がどうの、フォーマットがSACDかどうかなどは、すっかり赤黒くなったマグロをどう刺身にしようかというような話になってしまうのです。

あのオリジナル盤、いくらなんでしょうか? シミひとつないジャケットに、ノイズのない盤。見当がつきません。これまで「何万円もするオリジナル盤、そんなにイイのかな」と思ってきたのですが、のめりこむ人がいるのもわかりました。聴かなきゃ良かった……かも。
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2012年05月14日

生きているアナログ

新しい録音はCDでしか手には入らないけど、昔の録音を聴くならLPの方が好きです。場の雰囲気、あるいは空間が表現される、とでも言いましょうか。また片面20分ほどの再生時間や、大きなジャケットの魅力も捨てがたいものがあります。中古屋で「エサ箱」につまったLPを漁るのは音楽好きの楽しみなのですが、CDとなると「お宝」というよりも「中古品」の風情になってしまうのが不思議です。

CDが登場した30年前、アナログ盤も再生装置もすぐに消えていくだろうと言われていました。何と言ってもCDは手軽に聴くことができるし、チリや傷でパチパチと雑音が入ることもありません。私はCDが出た時には弱音部でもノイズが入らないし、収録時間も長いので、クラシックを聴く人はすぐにCDに切り替えるのではないかと思いました。私の周りでは「交換針がなくなるから、もう聴けなくなる」と、早々にLPを処分してしまった人もおりました。

ところがプレーヤーやカートリッジなどの製品は、さすがに機種が少なくなっているし、マニア向けの高価な製品も目につくようになっていますが、まだ生産されています。「LPよりもCDの方が音が良い」というのはCDが登場した時の触れ込みでしたが、オーディオ好きの人でこれを信じているいる人は、今やほとんどいないのではないでしょうか。LPは新しい録音や復刻版でのプレスも、細々とではありますが続いています。かたやCDは、ダウンロードサイトの競合で苦戦しています。CDよりも高度な規格のデータを求めるマニアも、多くなってきたそうです。どちらが生き残るのか、これは怪しくなってきました。
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2012年01月09日

映画館の音は良くなったか?

 お正月に映画を見に行かれた人も、多いと思います。
 トシを取ると良いこともあるもので、盛岡のとある映画館では、夫婦のどちらかが50歳以上だと二人で2000円で映画を観ることができます。たまには行くけど、でも映画館で映画を観ると疲れてしまいます。その理由のひとつが、シネコンは狭いのに大画面のため、かぶりつき状態になりがちなこと。もうひとつの理由は、音がすさまじいのです。

 もともと作品自体が爆発音などでびっくりさせるような演出がされているし、俳優の声もくっきりさせるように加工されています。それをサラウンドの7.1チャンネルで、上下左右からの大音量です。そして決定的なのが、音質が悪いのです。壁が共振したり、アンプがクリップしたり、スピーカーの性能が悪かったりで、歪んでしまっています。いわゆるステレオの2チャンネルですら位相を合わせるのは難しいのに、それが7.1チャンネルともなると、位相がめちゃくちゃになってしまうということもあるのでしょう(ちと、マニアックですね)。

 中高年を映画館に呼びたいのなら、もっと自然で優しい音にしてみては、どうでしょうか。
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2011年02月28日

アナウンス責め

26日の土曜日は京都で研修会があって、行ってきました。日帰りの強行軍とあって、せっかくの京都なのに家と会場の往復のみでした。

さて東京の地下鉄と、京都の地下鉄とどちらがウルサイか? イメージ的には京都は静かな印象があるかもしれませんが、いや社内アナウンスのすさまじいのにはびっくりしました。
発車すると「かけこみ乗車はお止めください。事故防止にご協力お願いします。次は○○です、エレベーターはホーム中ほどにあります。○○にご用の方はこちらでお降り下さい」と女声のアナウンス。男声で英語のアナウンス。さらに区間によっては車掌さんの「ご利用いただきまして……」から始まるアナウンス。あるいは「○○予備校は……」の宣伝アナウンス。次の駅が近づくと、「まもなく○○です。ドアは右側が開きます。手をはさまれないようにご注意ください」の女声アナウンス。

地下鉄とあって駅と駅の間が短いのに、のべつこの調子です。日頃から乗っている人は慣れて何とも思わなくなるのかもしれませんが、お上りさんにはきついものがありました。見ず知らずの土地なので、どうしてもアナウンスがあると聞き耳をたててしまいます。視覚は「見たくないものは、見ない」ことができますが、聴覚はそういうわけにいきません。車内放送に限らず、店内放送や公共の場に設置されたテレビでもそうですが、聞きたくないものを聞かないで済む権利というものがあって良いのではないかと思います。
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2010年11月16日

給食の音

 キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンとのデュオ「ジャスミン」が、最近のお気に入りです。慢性疲労症候群からの回復中に録音したとかで、しみじみと沁みる演奏ですが、自筆のライナー・ノートに「良い装置で聴いて欲しい」との一節がありました。こんな注文をミュージシャンがつけたくなるほど、今のオーディオが貧しいものになっているということでしょう。

 「オーディオに凝るミュージシャンは少ない」とはよく言われていることで、むしろリスナーの方がスピーカーがどうの、アンプがどうのとやってきたようです。音楽を演奏しない人がレコードを演奏して、代償的な満足を得るということもあるのでしょう。でもそういったことをするのは、ごく一部の人に限られてきました。

 ご存じの通り、今はネットでダウンロードして携帯オーディオで聴く人が増えていて、CDショップがつぶれる時代です。配信されたファイルは、どの機材で聴いても同じようなもので、「演奏する」余地はないのです。イヤフォンによって音が違う、などということもあるでしょうが、それにしても変化の幅がありません。デジタル技術による音の均一化が、1980年代にCDが登場してから加速度的に進んで来たのです。

 インターネットからダウンロードしたり、CDから取り込んだ圧縮音源は、栄養を満たすために同じ料理を同じ食器で食べる、給食のような音です。給食が行き渡って、手料理を食べない人が増えるのは、どうもいただけません。食べる人の喜ぶ顔が見たくて美味しい料理を作るように、音楽を楽しむために手間をかけても良いように思うのですが。
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