2022年09月28日

キノコが大豊作

今年はキノコが豊作のようです。盛岡市の神子田朝市に行ってみたら、コウタケが1パック700円で売っていました。台風14号が迫っていて干すのに困るような日だったせいもあるでしょうが、例年の3分の1くらいのねだんでしょうか。コウタケは干すと黒く縮んで強烈な香りを放つのですが、これが炊き込みご飯にすると絶品です。


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天然の舞茸が700円、本シメジが1000円でした。冷凍が効くというか、冷凍すると細胞が破壊されて香りが強くなります。写真にはないけど、カサが開き切った松茸(100グラム以上)を、2000円でゲット。ここ数年はコウタケにはまって松茸ご飯はご無沙汰でしたが、カサが開いていても香りが強いし、コリコリした食感も楽しめました。国産の松茸を堪能させてもらいました。「キノコに5千円も使う人がありますか!」という声がどこからか聞こえてきそうだけど、まあ良いのです、年に一度のお祭りです。


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稲穂も色づいてきました。ウクライナの戦争を思うと、こうしてのどかな田園風景をながめられるのは幸せだと思うし、平和な暮らしを守るためにはどうしたら良いのだろう、と考えてしまいます。だれしもが安心して暮らしたいのに、こういうことが起きてしまうのが人間の愚かしさなんでしょう。私は仕事柄、世界の人々が共感的な関係を作っていくには……などと考えます。あの青空のはるかかなたが、ウクライナです。


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東北の空は、秋になると澄み渡ります。秋も深くなってきました。




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2022年08月26日

引退、したいですか?

私の年代になると、引退している人もいます。病気で働けなくなったとか、親の介護に追われるようになったとか、働けない事情があるわけではないけれど、ほぼ毎日家にいる暮らしです。定年が延長された65歳や、70歳まで働かなくても、お金の見通しがついているのでしょう。経済的に恵まれているのはうらやましくもあるけど、さりとて自分がそうなりたいかと言われれば考え込んでしまいます。SNSをのぞいてみれば、サンデー毎日(←古い!)で時間と元気を持て余している人たちが、どこそこに遊びに行ったとか、何とかというお店の何を食べたとかで盛り上がったりしているわけで、「楽隠居ではボケちゃうよ」なんて、およそ心理屋らしくもない独り言が出てきます。

私が若いころは、転職などと言うことは簡単に考えるものではありませんでした。就職したら「マジメに働いて結婚して定年を迎える」のが、自動的に浮かんでくる人生設計です。定年もたしかまだ50歳台で、60歳にも達していませんでした。いまや70歳まで延びるかどうか、というところです。だから同年代の人たちは、マラソンを走り出したらゴールが2k先に延ばされ、後半に3km先に延ばされ、ゴールしたら「もう3km走っても良いよ」と言われるようなものかもしれません。

いま「FIRE」(Financial Independence, Retire Early)、つまり「経済的に自立して早めに引退する」という言葉をネットで目にします。つい昔の「DINKS」(Double Income, No Kids)「共働きで子どもなし」を思い出してしまうのですが、アメリカの世相を反映しているのでしょうね。経済的に活況で金利も高いいまのアメリカで流行っている言葉を、そのまま持ち込むのは軽薄だとは思いますが、日本でも「悠々自適」に憧れる人がそれだけ多いということでしょう。

ただし、単に「働くのがイヤだから」で引退を目指してしまうと、「金を貯めなくていけない」になります。「もっと働こう」とか「支出を抑えよう」になって、要するに「ガマンを止めるために、もっとガマンをする」ということになってしまいます。そうなってしまうと、もうまるで素敵ではありません。

ちょっと前の放送でしたが、九大の教授を退官されてから大分県の飯田高原で訪問診療を続けている、野瀬善明医師のドキュメンタリーをNHKで観ました。「黄昏高原診療所」というタイトルだったと思います。村人たちと一緒に年を取っていくのは、究極の臨床だと感じ入りました。もっと印象的だったのは「こういうところで自然を相手に暮らしていると、自分も自然の一部になっていって、死ぬのが怖くなくなる。だからここの人たちは、みんな元気ではつらつとしている」という野瀬先生の言葉でした。老年期の発達課題は、「死を自然なものとして受け容れる」ということかもしれませんが、期せずしてそうなっているわけです。田舎にいる、というだけで。

若くて元気なのに引退を望むのは、もしかしたら都会のビョーキかもしれないな、と思ったりします。「お金を貯めてから引退しよう」とガマンせずに、田舎に移住してしまった方が良いのかもしれません。もっとも田舎は田舎でガマンすることがあるのですが、インターネットなどのおかげで田舎特有のものはずいぶん減っているように思います。それに少子高齢化と過疎のおかげで、東京モンもガイジンもみんなウェルカムになりました。「引退したくなったら、田舎においでよ」、でしょうか。
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2022年07月28日

コロナ禍の長期化とメンタルヘルス

オミクロン株が猛威を振るっています。あちこちで身近な人が感染していて、「ゆっくり休めると思っていたのに、ノドがチクチク痛くて、それどころじゃなかった」なんて体験談を聞いたりします。医療機関も職員が感染したり、濃厚接触者になって勤務できなくなったりしていて、病床数にまだ空きはあっても崩壊寸前ではないでしょうか。

あちこちで知人から、「コロナで、忙しいのではないですか?」と聞かれます。そういう質問が多いということ自体が、コロナのストレスを実感している人が沢山いるということでしょう。実際には「コロナ禍がストレスで、まいってしまった」という相談はありません。でも「コロナがなかったら、それなりに気分転換をして適応できていただろうな」と思うような人が、抑うつ的になって相談室にみえるように感じています。

いわゆる行楽や宴会が必要だということではなくて、地域の中での、何気ない会話というのは大事かなと思います。たとえばゴミ出しに行ったときに、集積場で「朝から暑いですね」と声をかけると、「ん、だなはあ」とニッと笑うお爺さん。それ以上に話が続くことはめったにないけど、でも同じところに暮らして、同じ暑さを味わっているという共感でつながることができます。

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わが家の玄関先には、鉢植えを置いています。もう長いこと、妻がしてくれているのですが、ずっとファンでいてくれるご近所さんもいるようです。「写真に撮らせてね」と、毎年の花を妻よりもよく憶えていたりします。もちろん自分たちが楽しいからしていることですが、通り行く人の気持ちをなごませたり、会話のきっかけになっていたりするなら、うれしいことです。

私自身は、早起きして散歩に出るようにしています。コロナのストレス対策で始めたのですが、習慣になると「これで一日が始まる」という感じで、止められなくなっています。歩きながらだと、ふだんとは違った考えが浮かんでくるのにも気がつきました。と言いますか、ふだんあれこれ考えていることが、歩きながらだと「これで行こう」みたいな感じでひらめくんですね。あとは月なみですが、アウトドアで自然の中に身を置くこと、でしょうか。自分も「生きもの」のひとつとして、生かされてきて、そして消えてゆく。その流れを身体で感じていると、気分がさっぱりします。

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さっぱりする、ためにもう一つしていることがあります。「ペンフィールドのホムンクルス」はどこに神経が集中しているかを示しています。顔と舌、それに手ですね。朝起きて顔を洗う時に、ゆっくり時間をかけて、顔を掌と指でなぞるようにしています。汚れを取るとか、そういうことではなく、ですね。これで顔と手をゆるめて、リラックスしようという算段なのです。自分では満足しているのですが、さて皆さんのお役に立つでしょうか。簡単にできる工夫として、試してみていただければと思います。

posted by nori at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2022年06月09日

鯨山

岩手県の釜石市からは北上すると大槌町、山田町、そして宮古市と陸中海岸が続きます。前から登りたいと思っていた鯨山(くじらやま)は、大槌町と山田町の境目になります。登山口の「岩手県立陸中海岸青少年の家」に車を置かせてもらったのですが、庭の手入れをしていた女性から親切に教えていただきました。日曜日でしたが宿直の方がいらして、中で登山マップももらえるし、トイレも使わせてもらえるとのこと。

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手描きが良い感じのマップ。クリックすると拡大表示します。

問題は11時頃になっていたのに、車が一台も停まっていなかったこと。大槌に住んでいる人からはよく「熊が出た」と聞いていたので、「怖いから止めようか」……とチキンな気分にとらわれました。それでも車で2時間かけて来たことだし、入山記録を見ると平日に一人で登っている人もけっこういるようだし、青少年の家の方は熊がどうとか言わなかったし、早朝でもないし、食べ物のない松林だから熊もいないだろう……と、自分に都合の良い理屈をつなぎ合わせて登ることにしました。

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整備されているのですが、何か出て来そうな?登山道。クマ鈴はつけていますが、ときどき奇声を上げて歩きました。

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振り返ると海が見えます。だんだん下に見えるということは、それだけ登ったということ。

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頂上からは絶景を楽しめました。

海沿いの山にありがちなことですが、急峻なアップダウンでけっこうきつかったです。1時間半で楽勝……と踏んでいたのですが、最後は鎖場が続いてヒイコラ言いながらプラス10分で登りました。下山したら、「マムシに注意」の立て札を発見。そうなんですよね、熊よりも怖いのはハチとかマムシだったりするのでした。
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2022年05月18日

残雪の八幡平

八幡平のアスピーデラインは、5月の連休あたりに開通します。雪の回廊を車で通って山頂まで行けるのですから便利と言えば便利です。自分も利用しているので文句を言うつもりは毛頭ないけれど、昔の人がふもとから歩いて上がった感動を味わうことはできないのですね。駐車場から頂上に至る道は舗装されていて、観光客が気軽にハイキングを楽しむことができます。

5月11日に、平日だから空いているだろうと思って出かけてみました。ガマ沼は雪解けの季節に「ドラゴンアイ」になることで有名で、5月の下旬から6月の上旬の見ごろになると、ワンサカと人が訪れます。

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これは、まだ早いということでしょうね。大沼の方は、こんな感じで絶景になっています。

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雪原にはピンクのリボンがついた竹竿が刺さっていて、夏場であれば木道が敷かれた遊歩コースをぐるっとめぐることができます。

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駐車場までの道を下っていたら、夏服にサンダルばきで荷物ナシのお兄さんが雪の上を苦労して登ってきます。コンクリートの舗装路でも日陰だと雪が残っているし、雪解け水がざんざん流れているところもあるのです。目が合うとお互いに笑みがこぼれました。

「やるもんだねえ!」

「いやあ、どういうとこか、ぜんぜん調べんときたもんで……」

関西のイントネーションでした。彼は無事に家にたどりついたのかしら。しっかりした感じの女性が同行していたので、大丈夫だったでしょう。駐車場に戻ったら、隣のクルマのお姉さんも戻ってきていました。彼女は大開脚ストレッチをして、エナジードリンクで気合を入れていたのです。

「上まで行って来たの?」

「あそこ(見返り峠の雪壁)登って、滑って降りるんです。お尻にゴミ袋を敷いて。めっちゃ楽しいですよ、毎年恒例なんです」

そういう楽しみ方があるとは知らなんだ。そう言えば岩手山からビニール風呂敷で降りて来たっていうお婆さんがいたけど、ホントかなあ。
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2022年04月17日

プーチンのウクライナ侵攻

戦争ほど、悲惨なものはありません。

ロシアのウクライナ侵攻は、NATOの東方拡大を口実にしていますが、そうではないでしょう。いみじくもプーチン自身が言っていたように、ロシアは核兵器を大量に所有しています。ウクライナがNATOに加盟したとしても、ロシアがNATOから直接攻撃を受けるリスクは限りなくゼロに近い。

プーチン大統領は東からじわじわと自由主義の空気が広がってくるのを、恐れていたのではないかと思います。自由主義では「強い人」が王様になるので、そのときに「強い人」が交代で王様をしていれば良いのです。金権政治とか、ツィッターで「強さ」を獲得したアメリカのトランプ前大統領とか、それなりに嫌らしさは満載ですが、それでも政権交代する健全さはあります。

でも共産主義は「正しい人」が王様になるので、その「正しさ」を盤石にしないと政権が保ちません。だから「正しくない人」は、強制収容所に行かされるか粛清されます。結果的に、「正しい人」の長期独裁政権になります。それでも反対者を警察で取り締まって、常にビクついていなくてはなりません。ウクライナの大統領はアソコでピアノを弾く芸人だったそうで、人気者が大統領になるような世の中は断じて許せないでしょう。

プーチンが戦争を始めたは、第一には自身の政権を維持するためでしょう。その他に政治的信条なのか郷愁なのか分かりませんが、ソ連大国主義への回帰があるのかもしれません。独裁者を長いことしていたせいか、人を信じないし人の話も聴けない。「正確な情報を伝達しなかった」ことに立腹して、150人の官僚を追放したそうですが、「どうしてみんな、正直に話してくれなかったんだろう」と考えることもできなくなっています。こうなったのはプーチンに依存して、長期政権を容認してきたロシアの人々の責任もあると思います。

インターネットで即時に大量伝達できる時代には、民衆の感情が「強い人」を作っていきます。都合の悪いことは隠したり、武力で言うことを聞かせるのは旧時代の手法です。それに独裁政治は支配する者もされる者も、幸福にはしないでしょう。地球規模の問題は、コロナだけではありません。資源の枯渇と環境汚染に立ち向かい、人類を持続可能なものにしていかなくてはなりません。そのために、ともに手を取り合っていく時代を迎えたいものです。

そのためには、まず私たちも政治に関心をもって、具体的な活動をしてゆくことが必要だと思います。「どうぞ批判してください。それでもっと良いものにしていきましょう」というのが民主主義であって、力で批判を封じ込めようとする政権も、批判のための批判に堕している野党も、両方とも情けない。選挙では「よろしくお願いします」と名前を連呼するだけで、判断材料がありません。不満や要望があっても、黙っているだけの人々。そう考えると私も偉そうなことは言えないのですが、政治への無関心が独裁を生み、独裁が戦争を引き起こすのだと思います。
posted by nori at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと