2024年05月29日

バラが咲いた

いま家の庭は、花盛りになっています。とくにバラは虫がつきやすかったり、病気になりやすかったりで、手がかかるそうです。妻は「ご機嫌をうかがってるのよ」と言いますが、水は足りているのか、肥料は足りているのか、バラにたずねるようにして手入れをするすそうです。

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2024年04月30日

ニワトリの羽は、嫌がられている

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うちは今年度の前半に、町内会の班長になりました。半期ずつの交代で、4月からの班長は町内会費の集金をすることになっています。いちいち集めて回るのが面倒なので、交通安全協会費や体育協会費など、本来は任意の協力金も半ば強制的に支払う仕組みになっています。老人ばかりで体育なんかする人がいないような町内なのに、体育協会って何なんだろうとかは思いますが、これはまだ良い方かもしれません。

「緑の募金」の緑の羽、それから「共同募金」の赤い羽根、これらニワトリの羽もお配りしなくてはいけないのだけれど、たいがいは「要りません」と言われます。それはそうだ、街中にこんなニワトリの羽をつけて歩いている人なんか、いないのです。「私は募金しています」なんてことを、ニワトリの羽で示す必要なんかないのだし、そんなことをする人はダサいと思われます。

同調圧力を利用して募金を集める、そして「羽」を免罪符として与えることでその効果を高める、こうした古めかしい手法に頼っているのは昭和の人間なんだろうと思います。いまやSNSとクラウドファンディングが当たり前なのに、いちど利権構造ができあがると、どんなにくだらないことでも続けられてしまうのが日本のあり様かもしれません。

だれも欲しがらない、ニワトリの羽。そのために命を落とすニワトリがいるとしたら、動物虐待でしょう。死んだニワトリから羽をむしっているとしたら、そんな作業を人にさせて良いのでしょうか? 「ニワトリの羽を作って生計を立てている人もいる」という話もあるかもしれないけど、もっと生きがいを感じられるような仕事をしてもらった方が良いのではないでしょうか。そして100円募金したとしても、ニワトリの羽のためにいくらかかっているのでしょうか? かりに30円だとしたら、ニワトリの羽ではなくて緑化のために使う方が募金者の意図にかなうのではないでしょうか。

そんなことを考えさせられました。
posted by nori at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2024年03月20日

サブコンンシャス・リー

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先日に散歩をしていたら、よそのお宅の庭で福寿草が咲いていました。春一番に咲く花とされていますが、岩手では3月の半ばにならないと咲かないようです。今年は暖冬で雪が極端に少なかったのですが、今日は起きてみたらまた雪がちらついています。雪景色も風情があって良いのですが、散歩に出ようと言う気が失せてしまいます。というか、雪にかこつけてサボッているのですが……。

今日は春分の日で祝日なので、ふだんできない書類の整理をすることにしました。いやその前にあそこに出す書類を作るとか、ちょっと気になっていたことをネットで調べようとか、いまこうしてブログを書いていたりして、あれやこれやでもう午後の4時になろうとしています。相談室ではしまい込んでいた、リー・コニッツ(1927〜2020)の「サブコンシャス・リー」が流れています。コニッツはジャズのアルトサックス奏者ですが、一般受けはしないけれども創造的な演奏を生涯にわたって貫いた人で、コロナによる肺炎で亡くなりました。玄人受けはするけれども……というやつで、私も若いうちはこの<クール>な演奏には、あんまり興味がありませんでした。

表題曲の「サブコンシャス・リー」は、「無意識に」の「subconciously」とファーストネームの「Lee」をつなげた言葉遊びで、何ともしゃれています。スタンダードナンバーの「恋とは何でしょう」のコード進行に、無機質な旋律を乗っけたところが「無意識」っぽい味をだしています。

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1949年と1950年の録音は、自分が生まれる前のことです。当時のコニッツは大学を出たばかりの年齢ですが、いまもって鑑賞に耐える演奏をしています。のっぺりとした中に、スリルがあるのは面白いと思うのです。20代、30代のころには「古めかしくて退屈」だったけど、今日はなんと瑞々しい表現だろうと感じました。雪で閉じこもったおかげで、ちょっと得した気分です。
posted by nori at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2024年02月25日

カウンセリングの料金

仙台に住んでいる娘が、「お父さん、値上げしないの?」と妻に聞いたそうです。ガソリンや食品など、暮らしに必要なものが値上がりしているし、預金は目減りしていくしで、私たちの家計や老後を心配してくれているんでしょうか。それとも、仙台では給料が上がっているのかな? それは聞いてみないと分からないことだけど、カウンセリングの料金というのは、なかなかに奥深い話題なのです。その気になれば、本の一冊くらい書けるかもしれません。

「あゆみカウンセリングルーム」を立ち上げた頃は、おいでになる方の収入によって料金を決めていました。同じ5千円、1万円であっても、年収によって意味合いが異なってきます。実際にアメリカではレーティング・スケールというものがあって、無収入の人はタダ同然でカウンセリングを受けることができたりします。お金の意味合いだけでなく、収入の再分配というか、満たされた者が持たざる者を助けるということなのかもしれません。でも日本では当たり前でないことを実践しようとすると、それがひとつのハードルになるし、私の方も足元を見るような気分になったりもして、一年くらいで止めてしまいました。以後は一回6千円をいただくことにして、値上げはしていません。

私の場合は、初めから安めの料金でやっていくことを考えていました。都会だったら1万円が相場かもしれないけど、ここは最低賃金が全国でも最低ランクの岩手県です。毎週通うとなると、きつい人が多いだろうと考えました。街中でオフィスを借りると家賃を払うのに大変だけど、自宅に造ってしまえば固定費は圧縮できます。スクールカウンセラーや企業のコンサルタントなど、アウトリーチの仕事をかけもちすれば生活を維持できます。「安くする」ためにわざわざ二足のわらじを履くのはオカシイと思う人もいるかもしれませんが、社会的な活動をすることはカウンセリングルームを閉鎖的な空間にしないためにも意味があると思っています。

考えてみれば、カウンセリングや心理療法ほどぜいたくな行為はなかなかありません。訓練を積んだ専門家としてつきっきりで関わるのですから、1回2万円、3万円もらっても良いのかもしれません。1回3万円で1年通ったとして150万円、それでも生き方を変えて心安らかになれるとしたら、ぼったくりとも言えないでしょう。学校に通っても、病院にかかっても、信仰をしても、他のどこに行っても得られない効果なのですから。それに仕事がうまくいくようになれば、そんな金額はすぐに回収できてしまいます。実際にいまアメリカでサイコロジストの面接を受ければ、2〜3万円くらいかかると思います。

ただ私としてはカウンセリングが「人の弱みの上に成り立つ営み」であることを知っていながら、専門性に応じた料金を請求するのもどうかな?と思います。専門性と言えば聞こえは良いけれど、人さまの心のうちに分け入るのはおせっかいとか野次馬根性とも言えるわけで、要するに自分の好きなことをさせてもらっているというこです。

それでは料金は安ければ安いほど、良いのでしょうか? 公的な機関で無料で行うとか、健康保険でカバーして3割負担だとか、うんと安くすれば誰でも気軽に受けられるかもしれません。でも私は「安い」は「易い」だと考えています。イギリスのセラピストの間では「健康保険でやる心理療法は効果が低い」と、言い伝えられているそうです。人とは現金なもので、身銭を切らないと日常から切り離すことが難しくなります。心理療法ではセッションは日常と異なる特別な時間ですし、心理療法を受けている期間の暮らしもまた特別なものになります。そうならなければ、人は変わっていきません。

たとえば私が中高生の頃はレコードはとても高くて、一年に2枚か3枚買えるレコードを、幾度となく繰り返し聴いたものでした。一家に一台の「ステレオ」で、親には「ギャーギャーうるさいだけの音楽」と言われながらも、レコードプレイヤーに盤を置いて針を落としたものです。洋楽だとジャケットや歌詞カート、解説をじっくり眺めながら、特別な時間を過ごすことができました。だから音楽だけでなく、うっとりした気分やミュージシャンへの憧れまで脳内再生できます。いまやスマホやパソコンがあれば、ポチッとするだけで家族の手前とか考えずに、しかもタダで、どんな曲でも聴ける時代になりました。身近になったことは確かだけど、そこに感動はあるのかなと思ってしまいます。「ああ、こんなもんか」で終わってしまうかもしれません。元手がかかっていれば、初めは好きじゃなくても元を取るために?聴きこみます。それでも好きにならなければ、それはまたそれで意味があるのです。

他にも「安くする」ことのジレンマはあります。私も人の子なので、同業者を見渡して「1万円でもリーズナブルだよね」と思うところもあれば、「これで1万円を取るの?」と思うところもあります。「6千円」を「安いから大したことないんだよね」と思われたくない、そういう、まあつまらない見栄です。もう一つは、これから開業しようとする人を圧迫しやしないか、と思ってしまうことです。「あの人が6千円でやっているのなら、自分は……」と思う人もいるかもしれません。自意識過剰かもしれませんが、これから開業する人たちのジャマにならないようにしないと、とも思うのです。たとえば盛岡は自家焙煎珈琲のお店が驚くほどあって、スタバがつぶれるような街です。長いこと強気の値段で頑張ってきたお店があったので、若い人たちが後に続いて妥当な値段で珈琲を提供するようになりました。

カウンセリングルームの経営がうまくいくということは、沢山のクライエントから高い料金をいただいてもうかるということではありません。続けて通ってくれる人の割合が多い、目標を達成できる人が多い、そうした経営を長く続けられる、ということが「うまくいっている」のです。あれこれ書きましたが、いまのところすぐに値上げをしようとは考えておりません。

2024年01月30日

あいまいな日本語

集まりがあると、それぞれ自己紹介をすることがあります。「○○の○○です。……よろしくお願いします」という感じですが、みなさん必ず「よろしくお願いします」で終わるんですね。何をよろしくなのか、だれによろしくなのか、何か意図をもっているけど濁しているのか、何だかわかりません。かりにメンバーが15人いるとしたら、「よろしくお願いします」に4秒使ったとして、1分間ムダになるわけです。自分がリーダーのときに、その理由を説明して「よろしくお願いします禁止令」から始めたことがあったのですが、みなさん居心地が悪そうだったし、つい「よろしくお願いします」と言う人もいて、そんなことにツッコミを入れるのも大人気ない気がして、ああまたヘンなことを言ってしまったと思うわけです。

ニュースを見ていると、不祥事の記者会見を締めるときに、雁首揃えて「申し訳ございませんでした」と頭を下げるのが定番になっています。この人たちがしたことでもないんだろうし、なぜ謝るのか? 自分たちに落ち度があって、その責任を取ると言っている……のではないのですが。だれに何の責任があるのか、ないのか、あいまいにしたまま「申し訳ございません」で済ませようって魂胆なのか? 記者会見は報道機関に広報する場なので、謝罪するのは変じゃないかと思うのですが。記者もまた責任を問うような質問をする人がいて、あたかも「公開処刑」のような感じになります。そして、それで済ませてしまうということなんでしょうか。

もっと気になるのが、政治家や行政がすることに異議があると、「ていねいな説明が求められている」という言葉で締めることです。やることの是非が問われているのに、「説明が足りない」ことにすり替えられてしまっています。ていねいに説明さえすればオッケーということで、「良いこと」になるのです。こうなると「あいまい」を通り越して、忖度とでも言えば良いのでしょうか、明確な意図を感じます。

こんなことを気にするのは、私だけでしょうか。
posted by nori at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2023年12月18日

ゆるっと画

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「ゆるっと画 素朴な民画を楽しむ」の展示会が、奥州市の「えさし郷土文化館」で開かれています。「ゆるっと画」とは芸術的な絵画ではなく、信仰や地域行事などのためにか描かれた絵画、お土産品や護符、陶磁器の絵付けなどの量産画などで、美術館の展覧会などでは見ることができません。「美」を追求したわけでもなく、「術」を凝らしたわけでもなく、「念」そのものを絵にしたような素朴さが特徴です。たとえば狩野派の絵師は手本を徹底的に描写しましたが、神官や僧侶などが地域の人たちに頼まれて描いた絵は、想像したことをそのまま描いていたりします。

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たとえばこの絵では、刀鍛冶の神様(荒神さま?)と、鬼と刀鍛冶が力を合わせていたりします。描写がゆるいとかユーモラスというだけではなくて、神と人、生と死、人と動物の境界がゆるい。そういうところにも惹かれました。

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ユングが好きな人ならご存じと思いますが、これは「十牛図」の九番目で、悟りの境地に達したところです。悟りとは「自然」だけなのでで、人物は描かれないのですが、ちゃっかり自分を入れちゃっているのが微笑ましいですね。

昨日はそのトークイベントがあり、奥州市地域文化研究所の宮本升平さん、えさし郷土文化館の野坂晃平さんの対談を聴いてきました。お二人のオタクトークが炸裂して、これがまた凄かったです。博識ぶりもさることながら、その熱量にも圧倒される感じでした。
posted by nori at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと