2023年11月05日

「カウンセラー」の「集客」

ずいぶん昔のことですが、床屋のおばちゃん(ゴメン)と「客が来ないとき」について話したことがあります。
二人で同意に達したのは、「客が来ないと具合が悪くなる」(笑)でした。ここのところ新規の人が途絶えている、また来そうだった人が来なくなる……。何か失礼なことをしたんじゃないか、どこかの口コミでヘンなことを書かれているんじゃないのか、他のところに客が流れているんじゃないのか……と、あれこれ考えてしまうことがゼロだと言い切れる開業カウンセラーはいないんじゃないかな、と思うのです。

YouTubeには「カウンセラーの集客」と題する動画を投稿している人たちがけっこういて、ついコワイモノミタサで見てしまいました。中には「集客コンサルタント」みたいな人もいて、「開業カウンセラーは集客が全てです。もう一度言います、集客が全てですっ!」と連呼して、「安定した売り上げ」を確保するノウハウを説いていました。中には指南を受けて「半年で500人」を集客したクライアントと対談していました。そんなに集客してどうすんだと笑ってしまいましたが、この種の動画はコンサルテーションやコーチングの販促用のようです。

カウンセリングで開業をすると、それこそ集客から始めなくてはなりません。それは現実です。私の時代は職業別電話帳だったりしたのですが、いまはインスタグラムとかでしょうか。やりたくもないしできもしないことに、振り回されてしまいます。だから「開業なんてだれがやりたいと思うのさ」という方が健全です。組織で働いていれば集客なんかしなくて良いし、安定した収入も得られるのですから。

沢山見たわけじゃないけど、この人たちの共通点はカウンセリングを健康器具やサプリメントなどの、物販と全く同じビジネスとして捉えていることです。「商品開発」をして、その「効果」を求める人たちがアクセスできるようにする。たとえば「うつでお悩みの方」向けの商品。自分がうつで何年間もひきこもりだったけど、この方法でいまはこんなに前向きになりました……的なストーリーが必要です。それを実証する「これまで〇〇人の人から喜びの声をいただきました」とか、「顧客満足度〇%」とかも必要かもしれません。「ホントにそれだけ良くなってるの?」と証明を求められても、プライバシーをたてにすれば実例を挙げなくて済みます。「やってみたけど、ダメだった」は、「効果は人によって異なります」で終わりです。

カウンセリングは、ときとして人の命に関わります。私はこれまで40年近くやってきて、本当に良かったと思うのは「人の役に立ってきた」ことではなくて、「亡くなった人がいない」ことです。次に良かったのは自分や家族が、刃傷沙汰などに巻き込まれなかったことです。その次に良かったのは、訴訟にならなかったことです。いままでそうだったからと言ってこれからないとも言えないので、安全第一で取り組みます。

人の命に関わる医業では、従事者の資格が厳然と定められてきたし、広告や宣伝にも規制がかかっています。「集客コンサルタント」の指南を真に受けて集客したカウンセラーは、倫理的には完全にアウトだし、法律的にもグレーゾーンです。国家資格の公認心理師をもっている人はアウトで、無資格の人は医師法違反や公序良俗違反にならなければお咎めなしのグレーゾーンでしょうか。さすがに臨床心理士でひっかかる人はいない(と思いたい)でしょうが、倫理規定違反になるでしょう。「集客コンサルタント」の方は、「集客」を教えただけなのでお咎めなしです。そう言えば沈没して大勢が亡くなった北海道の観光遊覧船のコンサルタントは、元凶だったはずなのに、どうなったのでしょうか。

カウンセリングは素敵なこと、素晴らしいことというイメージがあるのか、人の役に立ちたいと思う人が大勢いるのか、関心をもつ人がとても多いようです。それは私にとっても嬉しいことなのですが、そういう人たちを食い物にしているビジネスが、「だれでも資格がもらえます」的なビジネスですね。カルチャースクールやオンライン講座など、もうゴマンとあります。それを運営しているのはおそらく就職先がなかった人たちで、就職先がなかった人たちが就職先できない人たちを大量生産し、大量生産された人たちが「集客法」を指南するという、もう目も当てらない状況が生まれているように、私には思えます。

臨床心理士でも公認心理師でもない人のカウンセリングが事故や事件、訴訟になって社会問題化すれば、カウンセリングは唯一の国家資格の公認心理師の業務独占にされるかもしれません。そうなったら困るのは、臨床心理士や認定協会です。認定協会がYouTubeなどの動画サイトで、臨床心理がいかに訓練されて責任を負ってやっているのか、どのように仕事をしているのか、楽しんで見ることができるような動画をアップするべきだと思うのです。
posted by nori at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床心理士

2023年10月10日

今年は舞茸

ここのところ、休日の朝は盛岡市神子田(みこだ)の朝市にでかけていました。狙いはキノコです。コウタケ、松茸などの高級キノコだけでなく、まだ知らないキノコを手に入れることもあります。「これ、どうやって食べるですか?」とお店の人に聞く、そんな会話も楽しいものです。今年のキノコは、不作のようです。松茸はちょぼちょぼとしか見ないし、コウタケにはお目にかかりません。

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それで、今年は舞茸を買いました。「ブナ」に生えていたせいか、色は白っぽいですね。ほぼ1Kgあって、根元からしっかりした上物です。2300円を高いと思うか、安いと思うかは人それぞれでしょうが、私は「安い」と思いました。そのまま調理して食べてもスーパーで売っている舞茸とはまるで別物で、シャキシャキとした食感を楽しめます。もちろんキノコ好きとしては、スーパーで売っている舞茸も喜んで食べますが、天然ものは年に一度の贅沢ですね。

今年は干して、炊き込みご飯にすることにしました。一日は天日干しにできたのですが、その後は雨が続いたので室内で扇風機にあてました。家の中が良い香り(と思わない人もいると思うけど)で、充満しました。
posted by nori at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手の絵日記

2023年08月29日

ペンキ塗り


「あゆみカウンセリングルーム」も、開業して21年が過ぎました。自宅を建て増しして相談室を作り、その入り口には看板を作ってもらったのですが、長いこと雨露や風雪に耐えて来ただけに、赤さびが浮き出てくるようになりました。


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「これはさすがにヒドイなあ、電話して塗り直してもらおう」と思いつつ、つい億劫になって時間が経つばかりでした。業者さんに頼むとなれば日程を調整して、待っていなくてはなりません。もう面倒だから自分でやってしまえと、ホームセンターにペンキを買いに行きました。赤さびをワイヤーブラシでこそげ落として……と思っていたのですが、いまは「赤さびの上から塗れます」という塗料があるのですね。赤さびを黒さびに変えてしまうとか。ホンマかいなと思いつつ、楽ちんを決め込んで買ってきました。

その塗料なのですが、油性でうすめ液が要るのはちと抵抗があったし、強粘度のためにハケの毛が抜けて塗面にへばりつくのにも閉口しましたが、結果的にはとても良かったです。赤さびはきれいに塗りつぶすことができたし、粘度のおかげでボタついたりしませんでした。ナニ近くに寄って見なければ、毛がついているのなんか分かりません。こんなに簡単にできるのであれば、もっと早くやっておけば良かったと思いました。出来上がりを、ごらんあれ。


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2023年07月19日

ブライアン・メイのインタビュー

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クイーンのギタリスト、ブライアン・メイ氏も75歳。天体物理学の博士号をもっていて著書もあり、自然保護の熱心な活動家でもあります。私はクイーンが活動していたときはレコードやCDを買うことはなかったのですが、ラジオで聴くことはよくありました。そう言えばフレディ・マーキュリーの映画も、観ましたね。お父さんと自宅の暖炉を加工してギターを作ったとか、たしかピックにはコインを使っているとか、ユニークな人です。サウンドも独特で、細い弦を張って派手なチョーキングをしたり、エフェクターを内臓したようなギターの多重録音をしてシンセサイザーのような音を出してみたり、ギター訓練に明け暮れて速弾きに命をかけるようなタイプとはちょっと違います。

彼がNHKのインタビューを受けていたときの発言には、大いに共感するところがありました。
「インターネットやSNSのために、いまは人が人に厳しくなっている。喜びや愛を分かち合えないのは悲しいことだ。チャットGPTは恐ろしいい。私たちにできるただ一つの対抗は、集って交流することだ」といったことを話していました。まったくその通りだよね、うん、うん……と思うのですが、彼も私も「老人」のポジションになってしまったような感じがして、ちょっと残念な気もしてきました。「まったく、嫌な世の中になったもんだ……」とグチをこぼしているようにも聴こえます。いやいや、彼も素敵な年の重ね方をしている人ですね。見習いたいものです。
posted by nori at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと

2023年06月29日

くつろぐエリック


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黒猫のエリックは、推定年齢が16歳になりました。すっかり貫禄もついて、お爺さん然としております。うっかりして尻尾や足を踏むと、「うにゃ!」と逃げますが、基本的に何をしても怒りません。そもそも踏まれるのだって、人にくっついて歩いてるからなんですが。「エリック〜!」と猫なぜ声で呼ぶと、走ってきます。まあ犬のようなヤツです。

朝の3時、4時になると、ご飯コールが始まります。5時だったら良いのですが、3時は早過ぎる。無視をしても鳴き続けるし、近所迷惑にもなりかねません。黙らせるには、食わせるしかない。夫婦で

「今日も早かったよね」
「夕方にあげるのを、もうちょっと遅くしたら?」
「いやあ、遅くしてもダメだよ。薄明るくなると活動開始だから」

なんて話していると、「なんか、オレのこと話してるな」という表情で聴いています(いるように見えます)。それでも行動を改めるとか、手加減するとかは一切ありません。まあ元気で病気をしないので、ありがたいと思わなくては。わが家は「猫本位制」です。
posted by nori at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | にゃんころじい

2023年05月27日

少子化と地域の安心感

「少子高齢化」が長く続いて、「無子単身化」が続く日本。政権はお金をつぎ込んで子どもを増やそうとしていますが、その効果については、疑問視する意見も多いようです。若い人たちが「家族が増えると楽しい」よりは、「いま生きるだけで精一杯」だったり、「増えない方が心配が少ない」というような世の中になっているのではないでしょうか。

「少子化マインド」は、戦後の復興、高度成長の後遺症ではないかと考えます。戦前の家長制度が廃止されて、「家」のあり方が大きく変わろうとしたときに、その受け皿になったのが「会社」だったように思うのです。しっかりした会社に入れば、衣食住の心配がないだけではなく、家族まで含めた福利厚生がありました。定年退職するときには退職金と厚生年金、あるいは企業年金も用意されていて、老後の心配もない。結婚をしたら家を買って、ローンを返しながら定年を迎えるまで必死に働く。その間、「家族」や「家庭」はないがしろにされていました。家族との暮らしそのものを楽しむよりは、仕事で業績を上げるとか、単身赴任をしてでも昇進を望むとか、個人の達成や組織への貢献が重要視される時代。個人主義とは言いますが、家族で支え合うことを忘れてしまったかのようです。

親戚づきあいや、地域での交流、そして宗教も、「会社」の前では無意味になっていたと思うのです。もっとも宗教に関して言えば、日本の僧侶は宗教家というよりは葬祭業者になってしまっているので、これは江戸時代からの引継ぎです。そしてインターネットとSNS、ゲームの流行による、「対面」と「会話」の激減。そこにコロナが追い打ちをかけました。このごろ何だか、ヘンな事件ばかりが増えていると思いませんか? 安心感が減っていると思うのです。だれがどんなことを考えていて、いきなり何をしだすか分かったものではない、それは怖いことです。地域の中でちょっとした会話があるだけで、ずいぶん違うと思うのですが……。

いま自分がしていることは、散歩などで会った人に、なるべく話しかけることです。今週は川べりでナマズ釣りをしていた人、スケボーで遊んでいた中学生、飼い猫と(!)散歩している人……ちょっとした会話でした。だれかれかまわず話しかける、ヘンなおっさんと思われるかな?
posted by nori at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと